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失われないブルー  作者: からり
第一章
2/12

境界を越えて

『たまには本物の空が見たいよね』

 リグルはテーブルの定位置に寝そべって窓の外を見上げていた。窓には星空が広がっていた。

「そうだね」と答えたが、もちろん外に出られる宛などなかった。私にそんな自由は与えられていない。

 物憂くテーブルに肘をつき、リグルの横で偽物の夜空を眺める。鮮やかな三日月が銀色に輝いていた。十分すぎるほど美しい風景だ。それでも本物の空に強く焦がれるのはなぜだろう。

 リグルは星を数えるように小さな指先を振り回し

『大丈夫、近々、本物の空が見られるよ』

 預言者みたいに不敵な確信でささやいた。


 遊理の夢を見てから一週間ほど経った頃、再びノックもなくドアが開いた。

 圭と遊理だった。

 圭は無言で窓の近くに行き背中を向ける。遊理が短い挨拶の後、私に写真を手渡した。圭は遊理のおかげで私と接触する必要がなくなったのだ。

 写真にはそっくりな二人の少年が写っていた。天井まで届く本棚を背景に、丸い背もたれのアームチェアに座っている。真ん中に小さなテーブルを挟み、アームチェアは30度ほど斜め内側を向いている。グレーの絨毯が敷かれ周囲には虫かごやロボットなど子供らしいオモチャが置かれている。

「双子の兄弟です。向かって右側がキオくん、左側がヨリくんです」

「古い写真ね」

 角が折れ色あせている。

「元データからプリントしなおしても良かったんですけど、撮影時期とプリントした時期が近い方がやりやすいと聞いたので」

 その通りだ。キャンバスへの感応度があがる。

「いつの写真?」

「10年前です」

「10年前?」

 古すぎる。私の困った顔を見て遊理が言った。

「3年を超えると不鮮明になるんですよね?」

「そう」

 不鮮明で不正確になる。

「弱ったな。実はかなり重要度の高い依頼なんです。何とかなりませんか」

 遊理は必死の様子だった。

「やれるだけやってみるから」

「お願いします」

「今日は家族の人は来ていないの?」

 写真の人物に近しい人間とあうことで、私の感応力は強まる。だから、これまでは依頼元にあたる家族や親族が圭と一緒に来ることが多かった。

「この二人の弟が依頼主なんですけど、少々変わった人で外に出るのが苦手なんです。彼は……」

「余計な話はいい」圭が鋭く言った。

「情報があったほうが精度があがるかなって」

「三鬼の場合、伝言情報は余計な先入観になることがある。もう行くぞ」

 圭は早足にドアに向かう。

 遊理がひらひらと手を振る。

「明日、また来ますね」

 ドアは閉まった。


 午前3時は、夜でもなく朝でもない。夜明けの光を隠した暗い空に星が瞬いていた。私にとって一番集中できる時間だ。でもキャンバスには、写真の色彩が不規則に散らばり、歪んで抽象画と化していた。本棚も椅子も原型をとどめていない。二人の少年が椅子の上にいるかいないかもわからない。

 短時間の睡眠をとりながら、三回、写真をキャンバスに写し取った。でも結果は同じだった。

『10年はやっぱり無理だね』

 なぜかリグルはご機嫌だ。跳ねるようにキッチンへ行き、ドリンクメーカーをポンポンたたく。

『コーンスープでも飲もうよ、昨日から何も食べてないでしょ』

 食欲はなかったし、くたくただった。ソファに深くもたれて目を閉じる。

「圭も遊理もきっとがっかりする」

 期待に応えられないことは憂鬱だった。

『悲観的だな、これはチャンスだよ』

 リグルはキッチンから窓際のテーブルに移動する。

『いいアイディアがあるんだ。明日、じゃない、もう今日か。圭たちが来たらぼくの言うとおりに伝えてごらんよ。そしたらキャンバスも描けるし外にもでられる』

 リグルの話を聞いて私は首をかしげた。

「うまくいくかな」

『別にうまくいかなくたって今と何も変わらないだけだよ。それならやってみる方がいいじゃん、ね?』


 午後に二人が来たが、不鮮明なキャンバスの前で立ちつくす。遊理はうーんと唸り、圭はいつにも増して苦い顔をしていた。

「何か方法はないんでしょうか」

 遊理は途方に暮れた顔でつぶやいた。

「訳を話して依頼人をここに呼べ。知り合いなんだろ」

「難しいですよ、滅多に家を出ない人ですから」

「他に方法はない。来ないなら真実は分からないと伝えろ」

「うーん、わかりましたよ、ダメ元で言ってみます」

「待って」私は二人の会話に割り込む。「多分、依頼人が来てもだめだと思う」

「そうなんですか?」

「写真のイメージを膨らませるには関連性が大切なの。対象者の関係者が来ればイメージは膨らむけど、今回は時間が経ちすぎてる。人は時間の経過で変わってしまうから」

「確かに10年も経てば子供が大人になりますからね。だけどそうすると、もうどうしようもないってことですか?困ったなぁ」

「他にもイメージを膨らませる方法はあるけど」

「何です?」

「場所」私は写真を指さす。「もし、この写真の撮影場所に行けたら、イメージはとても鮮明になると思う」

 私はリグルの指示通りに言った。すると

「本当ですか?」「だめだ!」

 遊理と圭が同時に声をあげた。対照的な反応だった。

 遊理は晴れやかな顔で、

「いいじゃないですか。ぼくが調整して責任も負いますから」

「ふざけるな!」

 圭の怒鳴り声が響く。思わず自分の言葉を後悔するほど大きな声だった。だが遊理は気にする素振りもなく

「今回の依頼、受けないわけにはいきませんよ。背に腹は変えられません」

「うるさい、いったん外に出ろ」

「どうしたんですか、いつも冷静な不破さんらしくないですよ」

「だまれ、いいから来い!」

 二人は部屋を出ていった。


 一時間後に遊理だけが戻ってきた。

 明日から旅行ですよ、と、にこやかに笑って。


 緑に囲まれた人通りのない急な坂道を、車はつづら折りに下っていく。

 窓が少しだけ開いていて湿った土と緑の匂いがした。薄曇りの空さえまぶしく感じる。

 1年8ヶ月ぶりの外だ。

「もうすぐ門ですよ」

 運転席に座る遊理がガイドのように説明してくれる。少しして高さが3m以上ありそうな鉄の門が道の先に見えた。木々の合間からそびえるような姿には見覚えがあった。

 門は車を感知したようで自動で開いた。

「前は大きな警備ドローンがいたけど」

 私の背よりも大きな自走式の円すい型のドローンのことを思い出す。入出承認や不審者の監視をしていて、武骨で堂々とした門番のようだった。

「警備ドローンタイプはほとんど廃れましたね。門や建物に機能を組み込んで内部システムと連動させるほうが効率いいし、メンテも楽ですから」

「あのドローンはどうなったの?」

「さぁ?リサイクル業者が回収したんじゃないですか」

 私は自分が少し落ち込んでいることに気づく。

 思い出の景色が失われると寂しい気持ちになるのはなぜだろう。帰る場所を失ったように感じるからだろうか、もう二度と戻れないことを思い知らされるからだろうか。

 感傷的な気分で門を見つめる。

 1年8ヶ月前のあの日は雨だった。

 圭が運転席に座り、私は後部座席にいた。車を感知して警備ドローンが近づいてきた。圭が窓越しにドローンにデジタルブックをかざし、ドローンのライトが緑色に点滅した。ライトが窓ににじみ圭の横顔を染めた。昔と変わらない圭の横顔がそこにあった。少し待たされ、ライトの点滅が点灯に変わり門が開いた。車が走りだし圭とこのままどこか遠くに逃げる、そんな錯覚を覚えた。

 今、車は待たされることなく門をくぐった。警備ドローンより実用的で性能のいいシステムが私たちの時間を節約する。

 変化は避けられない。でも思い出がそこにある時、変わらない景色を望んでしまう。喪失感が懐かしさという居心地の良い温かさを求めるからだろうか。


 山の風景と坂道が終わりを告げ、平坦な一般道が始まる。

「あと2時間はかかりますね」

 ナビを見ながら遊理はあくびをした。

「ちょっと寝るんで着いたら起こしてください」

「おい」

 圭が諌めるように低く言う。

「自動運転なので大丈夫ですよ」

「勤務中だ。いい加減にしろ」

「冗談です。でも不破さんは寝てていいですよ」

「けっこうだ」

 バックミラーの圭がデジタルブックに目を落とす。私は、圭の姿と窓の外を交互に眺めドライブを楽しむ。

 2時間より、もっともっと時間がかかればいいのに。そう考えながら私は窓に張りついていた。

 山のふもとの自然の多い風景が少しずつ切り替わる。気づけば車は街なかを進んでいた。道行く人々の顔、すれ違う車、色々な店、流れ去る全てが懐かしく愛しかった。

 もう一度バックミラーをのぞく。圭があくびを噛み殺していた。思わず笑いそうになるのをこらえる。何だかとても幸せな気分だった。

「視倉邸も第三研究室と同じで山の上にあるんですよ」

 遊理が言った。

 シクラ。たしか写真に写っていた二人の少年の名字だ。

 ふと、行方不明になった彼らを利用して楽しんでいるようで後ろめたさを覚えた。リグルの計画通り私は外にでることができた。でも、大切なのはこの後なのだ。

「コーヒー飲みます?」

 遊理がボトルに入ったアイスコーヒーをくれた。

「ありがとう」

 本物の空を眺めながら飲むコーヒーは美味しく、冷たさは心をぎゅっと引きしめた。遊理は何でもなさそうな顔をしているけど、私の外出許可を取り付けるのは大変だったはずだ。何かあれば圭だって責任を追及されるだろう。

「なんか三鬼さん、怖い顔してますよ」

 バックミラー越しに遊理が言う。

「絶対に成功させなきゃって思って」

「ありがたいです。もし今回の案件が失敗したら、ぼくの評価は地に落ちますし、不破さんはきっと地方に左遷ですからね」

 左遷?私は驚く。もしそうなれば圭は私の担当を外れるだろう。

 圭に逢えなくなる。

「でも……私の担当は圭じゃないとだめだって。第三研究室に入る時に室長と話して決めたの、だから、そんな左遷なんて」

 混乱した私はたどたどしく遊理に訴える。

「そっか。三鬼さん、ご存じないんですね。最近、大胆な人事異動があって室長が交代したんです。ぼくもその波に乗って栄えある東京第三研究室に来られたんですけどね。残念ながら前任の室長との口約束は無効だと思いますよ。新しい室長はそういうことに配慮しない人ですから」

 遊理はあっさりと言ってのける。

「でも、この間、遊理が責任をとるって」

「ひどいな、ぼくはどうなってもいいんですね」

「ごめんなさい、そんなつもりは」

「あれは三鬼さんを外に出すことについての責任です。三鬼さんが逃亡したり、悪いことをすれば、外出許可申請にサインしたぼくは左遷どころかクビです。でもこの案件がうまくいくかどうかの責任は別です。ぼくは異動してきたばかりの見習い扱いですが、不破さんはずっと三鬼さんの担当ですから、責任が重いんです。しかも不破さんは新室長と折り合いが悪いですからね。不破さんは上に愛想がいいタイプじゃないし、室長は自分に従順じゃない人間を嫌うタイプなので。じくじれば、室長は優秀だけど煙たい部下を堂々と遠ざけられる、というわけです」

「二詩原、余計なことをべらべら喋るな」

「状況は知っておいてもらったほうがいいですよ。三鬼さんだって不破さんの左遷がかかっているとなれば、やる気出ますよね?」

 遊理が振り返り私に笑いかける。とまどいながらバックミラーの中の圭の表情をうかがう。眉をひそめた圭の顔は不機嫌そのものだった。

 だが遊理は気づかぬ素振りでデジタルブックを取り出す。

「とにかく三人で力を合わせて今回の案件を成功させましょう。開示情報が少なかったので、実はぼく、色々と個人的に調べてみたんです。共有しますね」

「伝言情報は先入観になりアビリティに悪影響を及ぼす。先日言ったはずだが」

「それ嘘ですよね」

 遊里はにやりと笑った。

「アーカイブを見ましたが、写真の対象者の関係者が誰もいなくてキャンバスがぼやけた時、不破さんが三鬼さんに事件の詳細を伝えてクリアにしたことがありますよね?」

 遊理の言うことは正しかった。

 写真が数年以内のものでも、キャンバスはぼやけることがある。でも関係者から直接話を聞くことができれば、キャンバスは鮮明に描かれる。なぜかは分からない。リグルが言ったように“私が人間を好きだから”なのかもしれない。

 実際は多少キャンバスがぼやけても対象者がいるかいないかの判定ができれば問題はない。だが依頼者に不安や妙な希望を抱かせないようにクリアに保つ必要がある。

 だからキャンバスがぼやけて、関係者に一人もあえない時は、第三者から対象者についての情報を教えてもらう。情報の量が多ければ多いほど、キャンバスは鮮明に描かれる。

 なぜ圭が嘘をついたのか。

 多分、圭は私との接触を最小限にしたかったのだろう。

 私は遊理の指摘に圭が怒りだすのではと気が気ではなかった。だがバックミラーの中で、圭の唇の端は一瞬持ち上がり、目じりもわずかに下がった。

 笑った。

 自分の目を疑う間に、圭の表情は元の不機嫌さを取り戻し、

「よく調べたな」と低く言った。

「閲覧制限がかかっていないデータには、ほとんど全部目を通しましたから」

「情報を聞かせろ」

 遊理は少し得意げに「了解です」とうなずいた。


「今回の案件は、10年前に行方不明になった双子の生死を確認することが目的です。依頼人は視倉 アオ、19歳。双子たちの弟にあたる人物です」

「依頼人と二詩原は、個人的な知り合いだと聞いたが」

「えぇ。三鬼さんご指名の重要案件で、しかも知り合いのぼくが担当なのは、ちょうどよかったと室長が喜んでいましたよ」

「そもそもわからないんだが」圭が首を傾げる。「なぜこの案件の重要度が高く設定されたんだ?二詩原は理由を聞いているか?」

「あ、不破さんもやっぱり室長から説明受けていないんですね」

「“重要人物からの依頼”としか聞いていない」

「室長もずるい言い方するなぁ」

「情報開示の判断は室長権限の範囲内だ。依頼を解決に導くためにどこまで開示するかは室長の責任でもある。俺はあの人をまだ信頼していない。だが有能だとは思っている。だから本来なら俺は余計なことは気にせず、アビリティ保有者の力を発揮させることに集中するべきだが……」

「気になりますよね?」

「いくら重要人物だとしても10年前の行方不明事件の優先度が高いとは思えない」

「簡単ですよ、お金です」

 さらりと遊理は言う。

「金?」

「アオくんは、視倉コーポレーションという優良企業のオーナーです。ぼくが調べたところによれば、視倉コーポレーションから研究室への昨年度の寄付金額はトップ5に入っています。それにアオくんの親族には政治家や高級官僚がぞろぞろいます。半民半官の研究室にとっては大事なお客さまなんですよ」

「19歳でオーナーなの?」

 驚いて思わず口を挟む。

「亡くなった父親の視倉カナメから受け継いだ会社です。視倉家は元々資産家で不動産開発を手がけていましたが、カナメの自然資源活用の研究で莫大な利益をあげて多角経営に乗り出しました。デジタルブックの光充電の技術を開発したのも彼です。おかげで、ぼくらのデジタルブックは半永久的に手動充電する必要がなくなり、視倉コーポレーションは特許で大儲け、というわけです」

「あの視倉カナメの息子か」とつぶやき圭は眉をひそめる。

「珍しい苗字だとは思ったが、つながらなかった。室長もそれくらいは俺たちに開示すべきだと思うが」

「視倉カナメの息子で寄付金もたくさん。それで重要度をあげたなんて言ったら、不破さんに抗議される、そう思って、室長はだまっていたんじゃないですか」

「俺はそんなに潔癖症じゃない」

「顔がきれいだから、そう見えちゃうのかもしれませんね」

 圭にじろりとにらまれて、遊理が目を泳がせる。

「あ、いや、でも実は結構ずぼらなとこありますよね」

 フォローになっていない台詞のせいで圭の眉間のしわが深くなる。

 あー、えっと、と口ごもる遊理から視線をはずし圭はため息をついた。

「視倉カナメはずいぶん前に亡くなったはずだが」

「はい、10年前ですね」話が戻ってほっとしたのか、遊理は何度もうなずく。

「カナメが亡くなった後、会社は親族や古参の社員が代理経営していましたが、昨年、アオくんが18歳になったタイミングで引き継ぎオーナーに就任しました」

「……視倉カナメの他の財産は?」

「視倉邸は元々の遺言でアオくんが相続、他の財産は相続人である双子が行方不明のためいったん保留状態でしたが、3年前に失踪宣告が通って双子の分の財産もアオくんが相続しています」

「10年前?カナメが亡くなったのと双子が行方不明になった時期は近いのか?」

「視倉カナメが亡くなったのが6月4日で、双子が行方不明になったのは6月11日です。カナメの追悼会の最中に、双子は山に迷いこみそのまま消えてしまったんです」

 私は依頼人の視倉アオが気の毒になる。父親を亡くした一週間後に兄たちが行方不明になるなんて。不幸は続くというけれど本当かもしれない。

「視倉カナメの死因は確か……」

「自動車事故です。山の上の屋敷からふもとにおりる途中、急カーブを曲がりきれず崖から転落しました」

 圭は眉をひそめる。

「自動運転は?」

「解除されていたそうです。機械的なトラブルも疑われたそうですが、ナビのログから本人の網膜認証による解除操作が行われていたことが確認されました」

「自分でわざわざ解除したのか」

「実は」と遊理が声を潜めた。「自殺の線も疑われたそうです。でも結局はっきりしたことはわからなくて、事故で落ち着いたとか」

「ドライブレコーダーがあるだろ」

「オフにしていたそうです。ちょうどデータのクラッキング問題が起きていた時期だったので」

「10年前というと政治家や官公庁系を狙うクラッキング集団が、SNSに映像や音声データ流出させた事件か?」

「えぇ。あれ以来、うちの研究室もそうですけど、官公庁系の機密情報を扱うところでは、未だにレコーダーの使用には神経をつかっています。視倉カナメの会社も、公共性の高い研究や発明も多かったので、私用車とはいってもセキュリティには気をつけていたんでしょう。まぁ、どこの道路にも記録用のカメラがあって事故があればデータ利用が開放されますし、そもそも自動運転で事故なんて滅多に起きませんから」

「視倉カナメの事故の道路記録はあったのか?」

「ありません」遊理は首を振る。

「山は視倉家の持ち物で、道路も私道なので」

「地図によれば、ずいぶん山奥だ。人が住むような場所に思えないが」

 圭はナビの地図を見ながら言う。

「元々は山全体をリゾート用に開発する計画だったそうです。屋敷もホテルとして建てたみたいです。でも先々代が亡くなり、先代の視倉カナメが事業を受けついで計画をストップしたそうです」

「なぜ?」

「静かで研究に没頭できていいって。視倉カナメは自分の家族ごと屋敷に引っ越して、現在は依頼人のアオくんが一人で住んでいます」

「一人で山奥に?別荘とかではなく?」

 さすがの圭も驚いたようだった。

「はい。2年前に義理の母親が家を出てからもずっと」

「義理の母親ということは、視倉カナメの後妻か。実の母親はどうしたんだ」

「実の母親は病弱で、アオくんが生まれると同時に亡くなっています。義理の母親の砂原カノンは内縁で視倉家の籍には入っていませんでしたが、カナメが亡くなった後もアオくんの面倒を見ていました」

「砂原カノン。聞いたことがあるな」

「知る人ぞ知る人権活動家です。本も何冊かだしています。先日の三鬼さんのアビリティで発覚した人体売買の件についても、SNSやブログで色々書いていてネットニュースに取り上げられていましたから耳に入ったんじゃないですか?」

「依頼人はまだ19才で、2年前は17才の子供だ。それまで面倒を見たことは立派かもしれないが、人権活動家が山奥に子供を一人で置き去りにしたのか」

「うーん、法的には問題ないですし、アオくんはその辺の大人より大人びていますから。ぼくが砂原カノンでも大丈夫って判断すると思います。なによりアオくん自身があの屋敷を気に入って出たがらないんですよ。あと遺言の特別条項で、相続者であるアオくんが屋敷に1年以上住まない、あるいは住めない状況が発生する場合、視倉コーポレーションがリゾート開発に着手するっていうのもあって。都心部から遠すぎず近すぎず、開発すれば利益の見込める場所ですからね」

 圭は少し考え込んだあと

「視倉アオ」とつぶやいた。

「10年前に親が事故で死に兄弟が行方不明になり財産をすべて受け継いだ人間、か」

 含みのある言い方だった。一拍の間の後、遊理の目が見開かれる。

「まさかアオくんが双子と視倉カナメを殺したとか疑っています?当時9歳ですよ」

「大人の共犯者がいたら?」

「砂原カノンですか?いや、でも、さすがに」

「冗談だ。万が一視倉アオが何かしているなら、わざわざ研究室に依頼などしてこないだろう」

 遊理が脱力したように車のシートにもたれかかる。

「不破さんが言うと冗談に聞こえませんよ」

「よく調べたな」

「え?」

「二詩原の情報がどこまで役立つかまだわからない。だが背景として把握しておけば何かあった時に柔軟に動ける。あの薄っぺらい指示書の情報では足りない」

「多分双子の行方不明とは直接関係ないからって、室長は指示書から色々と省いたんでしょうね。金持ちは家庭事情を知られることを警戒しますし配慮ってやつじゃないですか」

「配慮、ね」

 遊理はニコニコしながら

「いやー、でも、まさか不破さんにほめてもらえるとは思いませんでした。コネをフル活用した甲斐があります。あ、でもぼくが話したことは、アオくんには言わないでくださいね。詮索されてるって思われると困るんで。あくまでぼくたちだけの参考情報ってことでお願いします」

「わかった」

 遊理はデジタルブックを閉じて

「後、一時間くらいですね」と気持ちよさそうに伸びをした。


 第三研究室を出た時とは逆に、いつの間にか景色はひなびてきていた。畑や田んぼや雑木林が増えて、人家や店が減っていく。

 やがて車は薄暗い山道に入った。山の景色はどこも似ている。一瞬、第三研究室に戻ってきたような気がしたが、ナビは別な地名を映していた。

 坂はゆるやかだが、カーブは時々急だった。ぐるぐる回るように登り続け、木々の切れ目に遠い地上が見えた。気づけばずいぶん高い場所まで来ていた。

「もうすぐ視倉邸です」

 遊理が言った。

 次のカーブを曲がると風景が一変した。

 広い空の下に並木道が真っ直ぐに伸びていた。木々はクローンみたいに似ていて、道はきれいに舗装されている。山上とは思えないほど整然とした空間だった。

 並木道を通り抜けると、その先には庭園と大きな屋敷があった。

 私たちは車を降りた。山特有の濃密な緑の香りがした。

 風が吹き抜ける。

 白いレンガの道、木製のベンチ、花と蔦のからんだアーチ。おとぎ話に出てきそうな美しい庭だった。

 庭と空との境界には膝の高さ位の生垣があった。生垣の向こうに遠い地上が見える。近づいてみると吸い込まれそうな絶壁だった。

 美しさと恐怖が隣り合っている。生と死が紙一重だと気づかせる情景に、ついぼんやりしてしまう。

「行きましょう」

 遊理に声をかけられ我に返る。

「でかいな」

 前を行く圭がつぶやいた。

 庭の向こうに視倉邸がそびえていた。

 視倉邸は、二階建てで横に長い建物だった。高さはそれほどでもないのに迫力がある。背後に木で覆われた山の斜面があり、山を背負って一体化しているかのように見えるからだ。

 尖塔が三つあり教会に似た造りで、細部のデザインは美しく贅沢だった。リゾートホテルとして建てられただけのことはある。

 遊理が私を振り向いた。

「よろしくお願いしますね」

 いつの間にか視倉邸の玄関前にたどりついていた。

 私は深くうなずく。

 圭を左遷なんてさせない。


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