ひび割れた真実が
小さな猿みたいな生き物にのぞきこまれていた。黒い丸い目に自分の寝ぼけた顔が写っている。
私は自分が誰だったか、何があったかを思い出す。
『カイナ!』
上半身を起こすと、リグルが腕をつたい肩にのってきた。頬にいつものフワフワでくすぐったい感触がした。
「私、キオになって……彼の記憶を見ていた」
『知ってる。ぼくも遊理も引きずりこまれたから』
「まだ、自分が自分じゃないみたい」
確かめるように掌を見る。指先が震えていた。
『そこまでキオになりきってたわけ?』
「二人は違うの?」
『キオの目線だったけど、自分自身の意識はあったから。映画をみるような感じだったかな。遊理は?』
「ぼくも同じですね」
「なぜ……私だけ」
「理由はわかりませんけど」
遊理が首をかしげる。
「ぼくの共有アビリティの影響で三鬼さんはキオくんに強く感応してしまったんでしょうね。それから三鬼さんにぼくたちがひきずられたんだと思います。アビリティの研究用語では、二次感応とよぶんですけど初めて体験しました」
心なしか遊理は楽しそうだ。
『でも、びっくりしたよね』
リグルは、遊理の本体が眠るベッドに飛び乗った。
『遊理の左足、元通りになりそうでよかったじゃん』
「どうでしょう」
『ヤモリの尻尾も首もくっついてたから大丈夫でしょ。でもさ、そうと分かってたら圭ももっとじっくり考えられたのにね。朝まで時間をかければ……』
冗談じゃないですよ、と、遊理が口を尖らせる。
「それじゃ、ぼく手足どころか首も切られてたかもしれないじゃないですか?キオくんが戻してくれなかったらどうするんですか?そもそも、戻せるかなんてわかんないですよ、アビリティは確実なものじゃないんですから」
『そんなに怒らないでよ』
遊理はふーっと長いため息をつく。
「でも、これでわかりましたね」
『なにが?』
「10年前の双子の行方不明の真相です」
『へぇ?教えてよ』
「さっき一緒に見てたじゃないですか。10年前、キオくんはアオくんとヨリくんにアビリティをかけた後、アオくんだけアビリティ解除をして、自分は行方をくらませたんですよ」
一拍の間があく。
『なんで?』
「何でって。キオくんは父親を殺したんだから逃げないと」
『アオのアビリティを解除したら、キオのしたことをカノンに伝える可能性が高そうだけど。カノンは知っててキオの逃亡を許したってこと?あんなに“カナメさん大好き”みたいなこと言ってたのに?』
「うーん」
遊理は首をひねった後、わかった、とうなずいた。
「きっとアオくんはキオくんをかばってカノンさんには本当のことは言わなかったんですよ」
『だったらキオは逃げる必要ないじゃん』
「いえ、キオくんは何にせよ逃げないといけません。アビリティ保有者だとばれていたんですから。ほら、視倉カナメが、どこかの研究室に連絡をしたって言ってたじゃないですか。元々カノンさんはキオくんを研究室に行かせることには反対していましたよね。キオくんの逃亡に協力しても不思議じゃありません」
『どうしてアオだけアビリティを解除してヨリはそのままなわけ?』
「アオくんは素直で、ヨリくんは生意気だったからじゃないですか?なんかキオくんとヨリくん、相性悪そうでしたし」
『ふぅん?』
「あの」私はつい口を挟む。「キオがヨリのアビリティを解除しなかったのは、ヨリが嫌だとかむかついていたとかじゃないと思う。キオは、アオのこともヨリのことも大好きだったから」
キオと同化していた私にはわかる。キオは家族を深く愛していた。父親を殺したことさえも、キオにとっては家族を愛してるからこその選択だった。
「じゃぁどうしてヨリくんだけ放置したんでしょね」
遊理が首を傾げる。私も考えようとしたが、リグルが『無駄だね』と言った。
『二人とも前提にとらわれ過ぎているよ。しかもカイナは人の心の動きを原点に考えすぎる。だからどんどん事態が複雑に絡んで訳がわからなくなるんだよ』
「三鬼さんはキオくんの心を自分のものとして理解しているんですよ。参考にすべきでは?」
『人間はミラーニューロンによる共感と憶測でできあがった仮想的コミュニケーションの中で生きている。カイナがキオに同化して感じたことだって、フィルターがかかっていないとは言い切れないよ』
違う、フィルターなんかかかっていない、と思ったが、だまっていた。リグルの黒い大きな目がキラキラ輝いていたからだ。何か思いついた時の光り方だった。
『遊理もカイナも事実を見ようとしていない』
遊理が少しむっとする。
「リグルさんには見えているんですか?」
『もちろん。ようやくキオの謎々が解けたよ』
「え?それって、もう不破さんが答えをだしたじゃないんですか」
『圭の答えはちょっと足りなかったはずだ。さっき、朝まで時間をかければって言ったのは、もう少し調べる時間があったら、圭も本当の答えにたどりついただろうって意味。遊理が切り刻まれないように圭は急ぎすぎたんだよ』
「人のせいみたいに言わないでください。でも一体どういうことですか?」
『この部屋に来てキオの思い出にはいりこんで、ようやく全部わかった。ねぇ、遊理、キオの無意識じゃなくて、意識とコンタクトをとってよ。答え合わせをしたいんだ』
「それはちょっと……できるかわかりませんけど」
『嘘つきだなぁ。できるでしょ?今、こうやってぼくらと会話してるんだから。同じようにキオに話しかけてみてよ』
遊理は、ベッドの上で眠る自分の体を見下ろしながらため息をついた。
「はっきりさせておきたいんですが」
『うん?』
「ぼくが一番大事なのは、ぼくです」
『は?』
「キオくんにアビリティをかけられた時、中途半端にかかったのか、もしくは、ぼくのアビリティと反発しあったのかわからないんですけど、意識も残ってて体も動いたんです。だから逃げようとしたんです」
遊理は疲れたようにベッドの端に座る。
「でも、逃げるほどには動けなくて。もう一度アビリティをかけられました。膜に包まれて今度は動けなくなったけど、意識はしばらくあったんです。キオくんは表情一つ変えず、ぼくの左足首に手をあてました。そしたら左足がとれました。部品がはずれるみたいにあっさりと。痛みはなかったけど驚いたし……めちゃくちゃ怖かったんです」
『結局なにが言いたいわけ?』
「下手なことをしたら今度はどこを奪われるかわかりません。リグルさんの謎解き欲求を満たすための犠牲になりたくないってことです」
『なるほどね。じゃぁぼくもはっきりさせよう。遊理ってバカ?』
「バカ?ぼくが?」
『時間がないんだよ。カイナ、そこにあるデジタルブックの時間を見て』
圭と遊理が眠るベッドの間の床にデジタルブックが落ちていた。多分、圭が捕えられたときに落ちたのだろう。
デジタルブックを広げる。「8時52分」と表示されていた。時刻を伝えると
『キオはぼくらに二つの謎をとくようにゲームを持ちかけた。期限は朝の9時まで。でも謎は不完全にしか解けていない。キオは9時を過ぎたらぼくらを永遠にこの屋敷からださないと宣言している。キオのアビリティは2m以内なら遠隔でも有効。書斎からここまでの距離は?』
キオが本棚の前に立てば、2mを切るだろう。
「そんなまさか」
『カイナにキオのアビリティをかけられたら、ぼくらは完全にゲームオーバーだ。自分が一番かわいくて結構。正直でいいんじゃない?でも、だったらわかるよね?どうすればいいのか』
遊理が途方にくれたように私の手の中のデシタルブックとリグルを交互に見る。
『キオの意識に話しかけて答えがわかったって伝える以外ないんだよ。カイナ、今、何分?』
「8時53分」
『早く!』
遊理の姿がふっと消えた。それから1分後の8時54分に壁が音をたてて開いた。
書斎は朝の光に満ちていた。
まぶしさに目を細める。
キオは私が使っていた簡易ベッドにうなだれ座っていた。横にデジタルブックが置いてあり規則的な呼吸音が聞こえた。眠っているようだ。
だが、キオはもう一人いた。
アームチェアに座り私たちを振り返った。
「おはよう」平坦な顔と声だった。
『おはよう』とリグルが返す。『本体は寝てるみたいだけど』
「さっき、一度、起きてデジタルブックを操作して本棚を開けた。それだけで精いっぱいだった。人をコーティングするのはとても疲れる」
キオは写真と同じ顔と姿、つまり11歳の少年の姿で話した。
『きみの時間は、そこで止まっているんだね』リグルはもう一つのアームチェアに飛び乗った。
『ねぇ、キオ。なぞなぞの答え合わせをしたいんだけど』
「すでに答えはもらっている」
『でも、まだタイムリミット前だよね?』
キオは考えるように首をわずかに傾げ
「そうだね、聞くよ」と言った。
『ありがと。きみが公平でルールを重んじるってわかって嬉しいよ』
「ルールでは9時までだ」
『オッケー、急ぐよ』リグルはにっこり笑った。『スリルがあって楽しいな。きみのゲーム、ワクワクするよ』
キオの口の端がぴくりと震えた。
あ
喜んでる
キオは平坦な顔のままだったが、私には直感的にわかった。
キオは、リグルがゲームを楽しんでいることを喜んでいた。
『さてと。どこから話そうかな』リグルがつぶやいた。『普段はぼく自身が、こうやって誰かに直接語りかけることなんてないからね、いつもカイナ越しだからさ。ちょっと緊張するというか、気合が入るというか』
遊理が焦った声で耳元にささやく。「リグルさんに、さっさと話し進めろって言ってくださいよ」
「大丈夫だから」
「だって時間ないですよ、もう8時55分です」
「静かに。リグルのペースを乱すほうがまずいから」
「あぁぁ、まったくもう」
遊理は両手を握ったり開いたり、書斎の中をキョロキョロ見回す。怯えた猫みたいに挙動不審だ。
正直に言えば私も少し不安だった。なぜならリグルにとって、ゲームに負けるのは悪いことじゃないからだ。遊理のアビリティがあれば、リグルの姿は私だけじゃなく他の人にも見ることができる。他の人間とコミュニケーションをとれることはリグルにとって魅力的なはずだ。研究室に帰らず、この屋敷にいたいと考えても不思議じゃない。
リグルがすぅっと息を吸い込む音がした。
『まず圭がだした二つの答えについてだけど』
そう言ったリグルの表情は真剣だった。瞬間、私はリグルを疑ったことを後悔する。
リグルはこのゲームに勝とうとしている。
『圭の答えは一つは合っていて、一つは不足した答えだったんじゃない?』
「誘導尋問?」
『そんなんじゃないよ。もっと具体的に行こうか。きみがだした問題は二つ。長い間隠されてきた、きみについての秘密を解き明かすことと、今回の依頼がカイナのアビリティでなければならなかった理由はなぜか、だよね?」
「そうだよ」
「きみの秘密について、圭がだした答えは合っていたはずだ。でも、もう一つの“なぜ、カイナのアビリティでなければならなかったか?”。こっちの圭の答えは完璧じゃなかったんでしょ?』
キオは無表情にリグルを見つめた。
リグルは話し続ける。
『“なぜ、カイナのアビリティじゃなきゃいけなかったか?”そもそもの依頼は、行方不明の双子の生存確認だった。それなら別のアビリティ保有者でも十分にできるのに、カイナじゃなきゃいけない理由は何か?』
遊理が私にささやく。
「アオくんが三鬼さんのファンだったからですよね?」
「リグルは違うって言ってたけど」
でも他にどんな理由があるのかと言われればわからない。
『もちろん!』とリグルが声を大きくして私たちをにらんだ。『アオがカイナのファンだったから、なんてことじゃない』
邪魔するなということだ。私と遊理は気まずくうつむく。
『カイナのアビリティの大きな特徴は、写真を使うことだ。つまり写真に写るものすべてがアビリティの対象になる。あの写真には何が写っていた?本棚やおもちゃなんかの無生物はアビリティの対象外だ。対象となるのは生物、つまり行方不明の双子のキオとヨリ。それから、あのヤモリだ』リグルは言葉を切って数秒間、キオを見つめた。
『本当の目的を隠したまま、知りたいことを知るのに、あの写真には必要なすべてが揃っていた』
「本当の目的?」
『そう、きみにとってヤモリが写っていることはとても重要だった』
「なぜ?」
『あのヤモリで確かめることができるから』
リグルは言った。
『カイナがコピーしたキャンバスにヤモリはいなかった。カイナのアビリティの法則にしたがうなら、ヤモリは死んでるってことになる。でも、本当に死んでるのかな?ヤモリにはプロテクトのアビリティがかかっている。どんな影響がでるかわからない。ここが今回のポイントだ』
キオは気だるそうに「ポイント、ね」とつぶやいた。
『じゃぁ、ヤモリが生きているか死んでいるか確認するにはどうしたらいいか?簡単だ、ヤモリの膜をはがせばいい。ヤモリが生きていれば、カイナのアビリティはあてにならないことがわかる。逆にヤモリが死んでいたらカイナのアビリティが有効だって証明できる』
リグルは一息つき
『これが、カイナのアビリティでなければならなかった理由だ』と断言した。
『カイナのアビリティなら、きみのアビリティのことを秘密にしたまま、膜の内側の生存確認ができる。きみのアビリティは使い方次第では無限の可能性がある。でも問題は、膜の内側で何が起きているか分からない点だ。プロテクトされたものは生きているのか、死んでいるのか?きみは自分のアビリティについて知るためにカイナを選んだ』
「それが答え?」
『圭が出した答えは、多分ここまでだったんだろうね』
「さぁ。ヒントはあげないよ」
いらないよ、既にもらってるから、と、リグルは笑った。
『圭は研究者だからね。アビリティの使い方に思考が偏ったんじゃないかな。でもきみにはもっと大事なことがあった。きみは手紙の中で、屋敷の中を探せと言った。これが重大なヒントだったんだ。あの隠し部屋を探せってことでしょ?だってあの部屋を見れば、目的は一目瞭然だからさ。圭は手持ちのカードだけで答えをだしたから不十分な答えになった』
キオは椅子の上でわずかに身じろぎした。
『きみの本当の目的は』
リグルはキオを強くまっすぐに見つめた。
『ヤモリを使って、プロテクトされたヨリたちが生きているかどうかを知ることだった。ひそやかに、でも確実に。だからカイナのアビリティじゃなきゃダメだった。これがぼくのだした答え』
部屋に沈黙がおりた。
数秒の間の後、キオはふっと視線を宙に泳がせて、なるほどね、とつぶやいた。
『辛かったよね』リグルは言った。『カイナの描いたキャンバスにヤモリはいなかった。きみはヤモリの膜をはがして死んでいることを確認した。カイナのアビリティは正確だった。つまりヨリとアオは死んでいる。……きみは自分の手で大切な人を殺してしまった』
「え、ちょっと待ってください。ヨリくんはともかくアオくんは含まれないんじゃないですか?だってアオくんは昨日殺されたばかりなんですよ。そもそも写真にも写っていないですし」
遊理の言葉を無視して、
『カイナ、今何時?』とリグルは聞いた。
慌ててデジタルブックを確認する。
「9時」
「正解だよ」キオはアームチェアから立ち上がる。
「ゲームはきみたちの勝ちだね、残念だ」
そう言うと、幼いキオの姿は消えた。
ほぼ同時に呼び鈴の音が屋敷中に響き渡った。遊理が窓に近づき外を見る。
「車の修理が来たみたいです」
キオは、圭と遊理のアビリティを解除をすると、そのままベッドに倒れこんだ。覆いかぶさられた圭は不機嫌にキオを押しのけた。仰向けになったキオは鼻血をだしていた。少しの間、私たちはキオを見下ろしていたが、ぴくりとも動かなかった。圭と遊理が交互に脈と息を確かめた。どちらも止まっていた。
キオは死んでいた。
死因はわからなかった。アビリティの使いすぎかもしれない。
圭はヨリと首のないアオを見下ろして
「ヤモリの生死を知りたがったのは、このせいだったのか」
と苦い顔でつぶやいた。
遊理が「この部屋を見て、三鬼さんが謎を解いたんです。それでキオくんがアビリティを解除してくれました」と説明した。
謎解きをしたのは私ではなくリグルだが、リグルの存在を知らない圭にはそう説明するしかない。
圭は私を一瞥して、ますます苦虫を噛み潰したような顔をした。
その時、呼び鈴が再び鳴った。圭は部屋を出て車の修理業者の元へ向かった。
修理がおわるのを待つ間、圭と遊理の動きは慌ただしかった。
警察に通報する、しないとか、遺体を連れ帰る、帰らないで研究室のあちこちの部署と何度も電話のやりとりをしていた。
結局“キオはもうここ以外、どこにも行けない”という理由で、いったんこのままにしておくことになった。キオの遺体を警察に渡さないように研究室が動いていると圭が遊理に話していた。
「アオくんはどうするんですか?」
遊理は首のないアオの体を痛まし気に眺めた。
「このままでいい」
「首のないこんな姿のままにしておくんですか?生きているかもしれないのに?」
「生きている?」
と聞き返し圭は一瞬眉をひそめた。だが遊理の泣きそうな顔をみるとため息をついた。
「キオが死んだ。首をつなげる方法も、アビリティがいつまでもつかもわからない。俺たちにできることは何もない」
言葉は冷たかった。でも声の底には優しさと悲しさがあった。
昔を思い出して心が温かくなった。やっぱり圭の本質は何も変わっていない。
10時35分、車の修理が終わった。
結局、ナビは修理ができず丸ごと交換になった。最近ネットでも出回っている非拡散型のウイルスが仕込まれていたそうだ。ネットワーク上で地図情報を偽装してナビに侵入し、エンジンとの連動システムを機能不全にする。繁華街の悪質ないたずらや車泥棒によく使われる手口らしい。
修理に来たエンジニアは「こんな田舎で」と言いかけて、慌てて「自然豊かな場所」と言いかえて「発生したのは初めてです」と私たちを見回した。ナビに侵入するには近距離からのネットワークアクセスが必要なので、私たちを少し疑っていたようだ。キオがやったことだろうとわかっていたが、居心地か悪かった。
荷物の整理を終えて屋敷を出る頃には、11時近くになっていた。
遊理は中々左足がしっくりこない様子でひきずりながら歩いていた。転びそうになるたびに私と圭で支えた。
げっそりした様子の遊理とは対照的に、圭の顔色はよかった。
「なんか不破さん、元気そうですね」遊理が言った。
「久しぶりに深く眠った」
キオのアビリティのおかげだろうか。
運転席に圭、助手席に遊理、後ろの座席に私が乗り込む。
車が発進する。
私は遠ざかる屋敷を振り返らずにはいられなかった。
晴天の下、はじけるような緑の中を車は進んでいく。キオの父親が落ちた崖の急カーブも、自動運転で軽やかに曲がる。通り過ぎる瞬間、心がぎゅっと縮まるような感覚がした。恐怖ではなく胸の奥がつかまれるような痛みだった。きっとキオになった時間があったからだろう。
「分からないことが、いくつかあるんですけど」
デジタルブックを取り出しながら遊理が言った。
「この“長い間隠されてきたぼくについての秘密”って結局なんだったんですか」
画面に映るキオの手紙を後部座席からそっとのぞきこむ。改めて見ると均整のとれたきれいな字だった。
「ナインスゲートについて話したのを、覚えているか?」
「アオくんが好きだって言ってた映画ですよね。アンティーク本のミステリーでしたっけ」
「今にして思えばあれもヒントの一つだったんだろうな」
圭が苦笑いを浮かべる。
「ヒントって」
「あの映画は世界に三冊しかない稀覯本を探し求めるストーリーだ。何かに似てないか?」
私は息をのむ。
「キオとヨリとアオ」
思わずつぶやく。三つ子と間違えられるほど似ていた兄弟。
圭とバックミラー越しに目が合った。でも圭はすぐに視線をそらし、
「アオはキオだった」と言った。
「え?」遊理が聞き返す。「どういう意味ですか?」
『遊理って時々抜けてるよね』
リグルがバッグから顔を出してささやく。
『知識はあるけど応用きかないっていうか、鈍いっていうか』
ひどいことを言う。アビリティを使っていない遊理にリグルの声が聞こえなくて良かった。
でも一体どういうことなのだろう。三冊の稀覯本が、兄弟のことを例えているのは直感的にひらめいたが、アオがキオだという意味はわからなかった。
圭が説明をはじめる。
「隠し部屋のベッドでアオがアビリティをかけられて寝ていただろ?」
「えぇ。ぼくと一緒に捕まっていたんですよね」
「やっぱり誤解していたか」
圭はデジタルブックを操作をする。
「この写真を見ろ」
キオとヨリが書斎のアームチェアに座っている写真だ。
「あとこれ」
私がアビリティでコピーしたキャンバスだ。
「窓の前の絨毯を見比べてみろ」
そう、絨毯には違いがあるのだ。写真は色の濃い箇所があり、キャンバスにはない。
「なんか汚れがついているような」
遊理も気づいたようだ。でもこれが一体なんだというのだろう。
「影だ」圭が言った。「この写真を撮影した人間の」
「あ」
「この写真を撮影したのは誰だと言ってた?」
「……アオくんです」
「写真にはアオの影があり、三鬼がアビリティでコピーしたキャンバスには影がない、どういうことになる?」
「……撮影者は、もう生きていない」
「その通りだ。だがキオは写真に残り生きていることが証明された。導かれる答えは一つだ。俺たちがあっていたのは、アオに成り済ましたキオだ」
遊理は唖然として言葉もでない。私も同じだった。
「いや、ちょっと待ってください。だって、そんないつから入れ替わったんですか?」
「少なくとも三鬼がアビリティを使った時点ではアオは亡くなっていて、入れ替わっていたことになる」
「そうかもしれませんけど」
「だがキオの手紙には長く隠されてきた秘密とあった。嘘をつく理由がないし、あの隠し部屋でヨリが眠っていたことを考えれば、10年前からと考えるのが自然だろう。行方不明になったのはキオとヨリではなくて、アオとヨリだったということだ」
圭は小さくため息をつき
「アオの首が天井からぶら下がっているのを見た時は、キオがアオにアビリティをかけて殺害したのだと思った。だがその後、この写真の影に気づき、俺たちが会っていたアオがキオだったとわかり混乱した。いつ入れ替わったのか?なぜキオはわざわざ研究室に依頼をしたのか?依頼するのも俺たちを屋敷に招き入れるのもキオにとってはリスクでしかない。自分が生きていることがばれるし、あの屋敷にはアビリティでプロテクトした現物が山程ある。そして俺はひっかかった」
「ひっかかった?」
「三鬼が選ばれた理由だ。アオとして語っていたが、キオには家族への執着があった。俺はこう考えた。行方不明だったキオは生きていてあの屋敷に戻った、だが何らかのトラブルでアオにアビリティをかけて入れ替わった。キオはアオを殺してしまったのかと不安になった。だがアビリティを解除するわけにはいかなかった、偏執狂的なコレクター心理かもしれないし、アオとの関係が修復不可能なものだったからかもしれない。ある時、キオは三鬼のアビリティに目をつけた。ヤモリを実験台にしてアオを膜の中に閉じ込めたまま生死を確かめられるからだ。家族に執着するキオはリスクを犯して俺たちをこの屋敷に招いた」
リグルがささやく。
『ふぅん、圭は2つ目の謎も半分解きかけていたんだ。まぁでも詰めが甘かったよね。今回はぼくの勝ち』
「この答えは肝心のところが抜けていた、詰めが甘かった」
まるでリグルの声が聞こえたかのように圭がつぶやく。
「10年前の行方不明を丸ごと偽装していたとはな。思いつかなかった。だが隠し部屋のヨリを見つけていれば推測はたやすかっただろう。膜の中でヨリの肉体は成長していたが、服は子供の頃のままだから丈も袖も短くなっていた。行方不明時の服装と照合すれば10年前から捕らえられていたと分かる。手紙のヒントどおりに屋敷内を探索するべきだった」
「ぼくがこれまで知っていたアオくんは、あの冷酷なキオくんと同一人物ってことですか?全然似てませんでした」
遊理の声は少し震えていた。
「服装、髪型、表情で人間の印象は大きく変わる。髪を切り、底の分厚い靴で身長を水増しして、アオからキオに戻って彼は俺たちの前に現れた」
「でも何故アオくんになりすますなんて面倒なことをしたんでしょうか。どうせなら双子のヨリくんの振りをすれば良かったのに」
「お前が言ってたじゃないか」
「え?」
「アオは遺言で、視倉邸を相続したって」
「あ」
「遺言の特別条項は?」
「えっと……たしかアオくんが屋敷に1年以上住まない、もしくは住めない場合は、視倉コーポレーションがリゾート開発に着手するって……そういうことか」
「アオがいなければ、屋敷を明け渡さないといけなくなる。だが書斎の裏側の部屋にはヨリとアオが眠っている。キオはどうしてもアオになって屋敷を自分のものにする必要があった」
「でもカノンさんは?彼女には共犯になる理由がありませんよ」
「彼女は内縁の妻だった。視倉カナメの遺言書は彼女と出会う前に作られたもので、財産は何も残されていなかった。法的には何ももらえないはずだった彼女が、人権活動家として世界中を飛び回れるのはどうしてだ?三年前にキオとヨリの失踪宣言が認められアオが全財産を相続した。その一年後に彼女が活動を再開したのは偶然か?」
「カノンさんが財産目当てでキオくんをかばった、と?」
「彼女がどこまで知っていたのかはわからない。でもキオが屋敷と山をどうしても自分のものにしたいからアオになりたいと言ったら?その見返りに一生を自由に過ごせるものを手にいれられるとしたら?アオとキオはよく似ているし、山に閉じこもる生活ならばれる危険性はほとんどない」
カノンはそんな人間じゃなかった。口を開きかけた私の腕を、リグルがつついた。見ると人差し指を口にあてている。
『内緒でしょ?』
私は言葉を飲み込んだ。圭は鋭い。キオの記憶で得た知識を話したりしたら、遊理がアビリティ保有者だという答えにたどりつく可能性もありえる。遊理自身にとっても、私たちにとっても、それは望ましくなかった。
遊理は長いため息をついた。
「キオくんは何であんなゲームを持ちかけてきたんでしょうね」
「アビリティ保有者の思考なんて考えるだけ無駄だ」
「キオはどうしようもなく悲しかったんだよ」私はつい口を挟んだ。
リグルが『カイナってば』とつぶやく。遊理と圭が私を振りかえる。遊理が焦った顔で、圭に見えないように首を振る。私に余計なことを言われてはたまらないからだ。私も、しまった、と思ったが、
「どういうことだ?」
圭の視線も言葉も鋭かった。何でもない、では、納得しないだろう。
私は言葉を選びながら言った。
「キオはアオやヨリとずっと一緒にいたくて、アビリティを使ったんだと思う。でも、アオもヨリも死んでいたことがわかってしまったでしょう?だから、私たちに一緒にいてほしくてあんなゲームをしたんじゃないかな」
「別にゲームなんかしなくても、アビリティで俺たちを捕まえることもできた」
「キオは……」
言いかけてやめた。キオはゲームを作りたかったのだ。父親の会社で研究者になる夢は消えた。だからせめて最後にもう一つの夢をかなえようとした。プライズとペナルティ、ルールとゴール。
「……アビリティでただ私たちを捕まえるのはフェアじゃないし、ゲームにならないから」
「ぼくなんか、部屋で気持ちよく寝ていたらいきなりアビリティかけられて、足、切られたんですよ?全然フェアじゃないですよ」
わざとおどけた口調で遊理が口を挟んだ。私がこれ以上喋ってぼろをださないように、気を揉んでいるのだろう。
「遊理はゲームの賞品っていうか、さらわれたお姫様役だったんだよ」
私も冗談めかして返しながら、ふと捕まったのが遊理でよかったと思った。圭が捕まっても、私が捕まっても、ゲームには勝てなかった。ゲームの参加者が圭と私……というよりはリグルだったから、最終的に正解にたどりつけた。
「お姫様ならぼくよりどう考えても三鬼さんじゃないですか?」
「多分、私たちの誰でもよかったんだと思うけど、ほら、遊理は運悪く私の部屋の鍵を持ってたし、キオとは元々知り合いだったから親近感でアビリティもかけやすかったんじゃないかな」
「なんですか、それ?ぼくが知っていたのは優しいアオくんで、無表情に人の足を奪いとるようなやつじゃありません。ひどすぎますよ。ぜんっぜん納得できないしわかりません」
嘆いて見せる遊理に
「わからなくて当然だ」
圭が切り裂くような冷たい声で言った。
「異常者にしか異常者の気持ちはわからない」
車内が一瞬、しんとした。
「異常者って、不破さん、ちょっとそれは……」
「兄弟の首を天井からつるして喜んでいるやつが異常者じゃなきゃなんなんだ?俺たち常人に、やつらの気持ちがわかるわけがない。わかるのは同じ異常者だけだ」
私も遊理も、キオの記憶を見ているから、なぜ、キオがあんなことをしたのか知っている。
アオは天窓から一階ホールを見下ろして錯視を探したがっていた。キオはアオの願いを叶えようとした。
でも圭はそれを知らない。
「不破さん、いくらなんでも言い過ぎですよ」
遊理が慌てたように私を見る。異常者と言われて逆上した私がキオの記憶の話をすると思ったのかもしれない。
微笑んでみせると遊理はほっとしたような、後ろめたいような顔をした。
本当のことだから、と、私は心の中でつぶやく。
キオと私は似ていた。だから遊理のアビリティの中で、私はキオに強く感応した。彼の心に重なり彼の思い出を自分のことのようにのぞきこむことができたのだ。
気づけば車は山を抜け出していた。穏やかな田園風景が広がる。
圭は目を閉じて、それっきりだまりこんだ。私も真似をして目を閉じる。色々と考えようと思っていたのに、そのうち眠ってしまった。
次回最終話です




