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失われないブルー  作者: からり
第一章
1/12

訪問者たちと

 写真の中で彼女は笑っていた。仲のいい友人数人に挟まれ、心から楽しそうだった。

 背景には真っ青な海と空が広がっていた。天と地の境界が溶け去った美しい風景だった。

 一昨年の、修学旅行で撮影したのものだと母親は説明した。いい写真でしょう?これが最後の、と言いかけて言葉が途切れた。涙が言葉を奪ったのだ。

 この修学旅行の最終日、彼女は消えてしまった。泊まっていたホテルから忽然といなくなった。

 写真の隣にいる少女が同室だった。夜、眠る前に「お休み」と言い合ったのに、朝起きたらベッドが空っぽになっていた、と証言した。

 結局、それっきり少女はどこに行ったのかわかっていない。警察の必死の捜査でも見つけられなかった。

 母親を私の元に連れてきた不破 圭は、事件の概略を淡々と説明した。

 母親は圭の肩越しに私を見つめて、何か問いたげな、あるいは、救いを求めるような顔をしていた。

「そろそろ帰りましょう」

 圭は私と彼女を遮るように立った。

 それから「明日の朝一番で」と私に乾いた声で言い、ドアに向かって歩き出した。

 母親は立ち上がりながらも私をじっと見つめ続けていた。最後の希望を賭けるような強い目線だった。私はこの深く傷ついた人に何か声をかけたかった。たとえば、任せてくださいとか、辛かったですね、とか。

 でも、私と彼女の距離は部屋の端と端とで離れすぎていた。

 彼女の話を聞くことはできても、会話は許されていない。

 だから、私はただ深くうなずいた。彼女が少しでも安心してくれることを願いながら。


 圭たちが帰ったのは午後4時前だった。

 一人になり私は写真を眺め、触れ、匂いをかいだ。かすかな花の香りがした。母親の香水と同じ香りだ。肌身離さず持ち歩き、飽くことなく眺めているのだろう。

 窓際のイーゼルにキャンバスを立てかけ、隣のテーブルの写真立てに写真を置く。

 彼女が今も生きてるか死んでるか、私は答えを出さなければならない。

 目を閉じ写真に右手をかざした。

 写真の色が、形が、私の中に流れ込む。

 左手をキャンバスにかざし、目をあける。

 キャンバスが海と空の青にかすかに染まっている。

 急ごう。明日の“朝いちばん”に間に合わせなければ。


 午前1時、最初の作業が終わった。

 写真と同じ景色がキャンバス上にある。拡大された風景と少女たちの表情はリアルで、今にも動きだしそうだった。

 彼女の笑顔に私は微笑み返す。

 どうか消えませんように。

 祈りながら、気を失うように深い眠りに落ちた。


 午前4時に目覚める。

 窓の外に夜から抜け出しきれない暗い街並みが広がっていた。夜とは違う底の浅い暗さに、ビルや家がそっとまどろんでいる。

 窓の前のキャンバスには遠目にも明らかな変化が生まれていた。

 彼女はいなくなっていた。

 友達と友達の間には不自然な空間ができて、彼女がいた場所の分だけ、背景の海と空が面積を増していた。

 深いため息がこぼれた。

 彼女はもうこの世界のどこにもいない。

 あの母親にとって、この結果は希望を断ち切ることになるのだろうか。それとも区切りをつけることになるのだろうか。母親の涙を思い出し、胸が痛んだ。

 体を起こし、ベッドのヘッドボードにもたれかかり目を閉じる。疲れた。疲労が睡魔に変わる。でも眠るわけにはいかない。もう一度眠ったら、キャンバスの風景は少しずつ色褪せ最後には消えてしまう。必死で意識を保っていると

『やっぱり』と声がした。

『この女の子、死んでたんだ』

 私は目を開ける。

 リグルがいた。

 リグルはテーブルの上をちょこちょこと歩き、写真の前にたどりつく。まるで有名な絵画でも鑑賞するようにいろいろな角度から眺める。満足すると、テーブルの端に座り足をぶらぶらさせながら、今度はキャンバスをじっと見つめた。

 彼は二足歩行する身長15センチのフワフワの羊、あるいは、猿が羊の毛皮を頭からすっぽりとかぶっているようなフォルムをしている。真綿の帽子のような毛並みに囲まれた茶色い顔には、大きな黒目だけの眼がある。でも猿ほど顔はしわくちゃじゃないし、手足の造りは人間にそっくりだ。

『何か気付くことない?』

 リグルに聞かれ私は首を傾げる。彼女がいる写真と、いないキャンバス。 気づくこと……何だろう。わからない……ついうとうとして意識が飛びかけた。

『そんなんで圭が来るまで起きていられるの?』

 あと5時間近くある。眠ってしまったらキャンバスは、圭が来る頃には真っ白だ。

「大丈夫」

 サイドテーブルに置いていたコーヒーに口をつける。

『ねぇ、ほら、もっと近くで見てご覧よ。気付けたら圭にほめてもらえるかもよ』

 圭が私をほめるなどありえない。でも、少しでも役に立ちたい。あの母親のためにも。

 のろのろとベッドから抜けでて、キャンバスのそばへと行く。写真に手を伸ばすとリグルが身軽な動作で私の腕をつたい、肩まで登ってきて座った。頬に彼の柔らかな毛並みが触れてくすぐったい。

『よく見て』

 私は写真とキャンバスを見比べる。

「彼女がいなくなっているってこと?」

『違うよ、そんな明らかすぎることじゃなくてさ』

「わからない。なにかおかしなとこある?」

 ため息をついて『ほら、そこだよ』とリグルが指差す。かすかな違和感。

「あ」

『ね?これは大きな手がかりだよ』

 リグルは得意気に言った。


 午前9時、廊下に足音が響く。

 圭だ。

 ベッドから降りるのと同時に、ノックもなく部屋のドアが開く。

 圭は私など存在しないかのように、前を通り過ぎキャンバスのそばへ向かう。

 その後に続いて見知らぬ男性が入ってきた。

 男性は細身で圭よりも背が高かった。柔らかそうな茶色い髪の下に、愛想のいい笑顔があった。猫に似た好奇心の強そうな目が私を見ていた。

「初めまして」と彼は明るい声で言った。首をぐるりとめぐらせて

「趣味のいい部屋ですね」とにこやかに笑う。

 親しげな表情に戸惑いながら

「古い家具ばかりだけど」と私は答える。

 彼はそばの本棚の側面に触れる。

「でも気にいってるんでしょう?デザインも材質もいいし統一されてる。大切にしている感じがします」

 それから壁を指さした。

「素敵な絵ですね。ただ瓶が並んでいるだけなのに、すごく静かで不思議な世界が描かれている」

 人とまともに話すのは久しぶりだった。会話のテンポについていけずおどおどしてしまう。

「モ、モランディという画家の絵を私が模写したの」

「模写?」

「えぇ」

「さすが学生時代から何度も名のある絵画コンクールに入選する方の絵は違いますね。三鬼 カイナさん」

 名前を呼ばれ、私は相手の名前を尋ねる許可をもらった気がした。

「あなたは……誰?」

「失礼しました」彼はジャケットの内ポケットからデジタルブックをだして開いた。中のIDを見せながら、

「ニシハラ ユウリです」と名乗った。

 “東京第三アビリティ研究室

  研究室員 二詩原 遊理”

「圭と同じ仕事?」

 所属も肩書きも圭と同じだ。

「はい」彼はうなずく。「今日付けで横浜の研究室から、この東京第三研究室に異動してきました」

 横浜。懐かしい響きだった。外の気配。軽い目眩さえ覚えながら私は言葉の続きを待つ。

「不破さんの相棒として仕事をします。今後、こちらにお邪魔する機会も増えるのでよろしくお願いします」

 その時、ピリピリとキッチンのドリンクメーカーが鳴った。私は今日の分のコーヒーを作っていたことを思い出す。

「コーヒー飲む?」

 断られるかと思ったが

「ありがとうございます。ぜひ」と遊理は言った。

「圭もコーヒーどう?」

 無駄だと思いながら誘う。圭は答えない。キャンバスの前から踵を返し遊理に向かって「撮影は終わった。戻るぞ」と言った。

「まだ、ぼく何も見ていませんよ」

「画像データを見ればいい。時間がもったいない」

「何をそんなに急いでいるんですか?お偉いさんのコネで調べなきゃいけないだけの事件ですよ。時間も経ってますし、結果がどうであれ特に進展がある話ではないのに」

「そんなことは言われなくてもわかってる。いいから、さっさと見て来い。明らかだ」

 遊理は早足で窓際に行き、テーブルの上の写真と横のキャンバスを見比べる。それからキャンバスに顔を近づけ

「ふぅん、面白いアビリティだな。センシングの一種なのは間違いないだろうけどキャンバスを媒介するのは変わってる。しかも絵の具や染料の匂いがしない。筆の跡もない。写真を本当にそのまま引き延ばしたみたいだ」

 と、独り言をつぶやいた後、私を見た。

「あの絵みたいに模写してるのかと思ったけど違うんですね、どうやってるんです?」

「写真を集中して見てイメージをとらえてキャンバスにやきつける感じ……かな。初めは写真とまったく同じ状況がキャンバス上にコピーされて、一度、意識が途切れるみたいに眠るの。そして次に目覚めると……結果がでているの」

 うまく説明ができなくて口ごもる。だが遊理は熱心にうなずく。

「なるほど。現在も生きている人間はキャンバスに残り、死んでいる人間はキャンバスから消えるってことですね。一応、そこだけは知ってたんですけど、まだ、担当する方たちのファイルの閲覧権限が一部しかもらえてなくてすみません。それで、これまでのキャンバスはどこかにとってあるんですか?」

 遊理が部屋を見回した。

「いいえ。次に眠って起きると、キャンバスは真っ白になるから」

「そうなんですか?」遊里は驚いたようだった。「エコですね、地球にやさしいアビリティだ」

 エコ。考えたこともなかったが言われてみれば確かにそうだ。何度でもキャンバスを再利用できるのだから。

 なんだかおかしかった。思わずクスクス笑ってしまう。遊理も笑い、それから心配そうな口調で

「すごく疲れた顔をしていますよ」と言った。「クマができています。眠ったらキャンバスが真っ白になるってことは、終わったあと寝てないってことですよね?」

 はっとして私はうつむき掌で顔を隠す。赤くなるのがわかった。

「あ、すいません。ぼくはちょっとずけずけ言いすぎるところがあって。大丈夫。充分、美人ですよ、問題ありません」

 圭をちらりと見るが、無関心そうにデジタルブックを操作しているだけだった。別に圭にとって私の顔にクマがあろうがなかろうが、どうでもいいのだ。掌を顔から離す。恐縮する遊理に、気にしていないから、と伝えた。

「いいことを思いつきました。カメラをお渡しするので、キャンバスを撮っておいてもらうのはどうでしょう?ぼくらが来るのを待って、撮影が終わるまで眠れないなんて大変ですもんね」

「ありがとう。でも、私、キャンバスの写真はうまく撮れないの。多分、アビリティの影響だと思うんだけど、変な影が入ったり白くなったりすることが多くて」

「え、写真に影響?」

 遊理が驚いた顔で圭を振り返る。

「三鬼さんに第二アビリティがあるなんて初耳です」

「役立たずで無意味なアビリティだ。話す価値も研究価値もない」

「いや、でも写真に影響するならセンシングの派生じゃなくてシェア系のアビリティですよね。異なるカテゴリのアビリティですし研究価値はあるかと。キャンバスを撮る時だけ起きるんですか?だったら逆に撮影しておいてもらったほうが……」

「無駄話をしている時間はない。俺にはお前が実物確認をする手間を省こうとしているように聞こえるが?」

 圭が厳しい声で言う。

「横浜の甘いやり方がここでも通ると思うな」

「そういうわけでは」

「もう充分だ。行くぞ」

 遊理は私を見ながら小さく肩をすくめた。

「すみません、コーヒーはまた次回いただきますね」

「待って」

 帰ろうとする二人を呼び止める。

 遊理が振り返る。

「どうかしたんですか?」

 私はだまっている。するとドアを開けようとしていた圭も振り返る。

 圭の冷たい視線が私を射貫く。圭が私をまともに見ることは滅多にない。嬉しくて心が震えた。

「キャンバスにおかしなところがあるの」

「おかしなところ?本当ですか?」

 私は深呼吸する。きっと圭は怒るし嫌がる。それでもチャンスは逃せない。

「圭がコーヒーにつき合ってくれたら教える」


 窓の外には深い森林が広がり、木々の枝の隙間から光の線が伸びてテーブルにも届いていた。小鳥の声が聞こえた。

「この環境ウィンドウ、クオリティ高いですね。地下室とは思えないな」

 遊理はマグカップを手に持ちくつろいだ表情をしていた。

「私もこの窓のおかげで気分転換ができてるの。時間や季節によって色々と変化するから」

「三鬼さんのアビリティはこの窓には影響しないんですか」

「時々するけど」

「やっぱり研究してみると面白そうだな。あ、今、何か木の向こうで動きましたよ。犬みたいに見えたけど狼だったりして。ぼく狼、大好きなんですよ。童話とかではよく悪者にされますけど、実は彼らは環境にとって重要なファクターなんです。もしかして、あの狼、三鬼さんのアビリティが創ったんですか?」

「さぁ、どうかな」

 3つのマグカップ、3つのコーヒー、他愛ないおしゃべり。一瞬、昔に戻ったような錯覚を覚える。

「二詩原」

 だが圭の冷たい声が私の錯覚を破る。圭の表情は固く、義務のように一口だけ飲んだコーヒーがテーブルで湯気をたてている。

 現実に引き戻される。ここは第三研究室がある建物の地下室で、圭と遊理は研究者で、私はただの研究対象なのだ。

 遊理は思い出したように、写真とキャンバスを交互に眺め、

「一体何に気付いたんですか?」

 と私に尋ねた。

「ここを見て」

 キャンバスを指さした。

 二人は怪訝な顔をする。

「何もありませんが」 

「よく見て」

 遊理は目を細め首をかしげる。圭はキャンバスに顔を近づけ、はっと息をのむ。

「そういうことか」

 写真には彼女がいて、キャンバスにはいない。キャンバスの彼女がいるはずの場所には背後の海と空が映っている。

 だが薄青が溶け合う美しさに、彼女の痕跡は確かに残されていた。

 遊理も気づいたようだった。

「傷か汚れじゃないんですか」

 キャンバスの青さの中に、二つのかすかな歪みがあった。写真と比べれば、その二つが彼女の目の位置であることが分かる。

「角膜だ」

「え?」

「彼女の角膜が、まだ生きている」

「角膜が生きてるって」

「人体売買だ」

 圭はデジタルブックを広げ、何かを調べ始める。それから、なるほどな、とつぶやいた。

「どうしたんです?」

 圭が遊理にデジタルブックの画面を見せる。

「この写真の港自体は安全地区だが数キロ先には、リスクレベルの高い繁華街がある。繁華街を中心に円を描くようにして周辺地域では、失踪事件が起きている。しかも5年前から失踪事件発生率が全国平均を上回っている」

 遊理はいぶかしげに首を傾げる。

「だけど、彼女が人体売買の被害者っていうのはいくらなんでも突飛すぎませんか。失踪発生率が高いといってもわずかなものですし」

「横浜にいたなら、大陸側の人工臓器を嫌う宗教団体が起こした事件のことは知っているだろう?あいつらはピュアな生体組織を求めて、大金を積んでこの国の裏社会と結びついている。横浜市西北区の一斉摘発のことを知らないのか?」

「それってかなり前ですよね?」

「6年前だ」ぴしゃりと圭が言った。「あれから残党連中が拠点を移して、5年前からひそやかに活動を再開していたとしたら?可能性はある。突飛だと決めつける前に調べるべきだ」

 皮肉な口調で言う圭に「失礼しました」と遊理は素直に頭をさげた。

「この後、どうするんですか?」

「調査部にあの辺の非合法組織を洗わせる」

 そう言いながら、圭は早足で私の横を通り過ぎてドアに向かう。ありがとうございました、また来ますね、と言って、遊理は圭の後を追う。

 二人が出ていき、部屋は静かになった。

 圭の残したマグカップを手で包み込むようにして持ち上げる。サイドテーブルにカップを置いてベッドにもぐりこむ。かすかなコーヒーの香りと、掌に残った温かさで穏やかな眠りに落ちた。


 目覚めると窓の外は夕暮れに赤く染まっていた。どこか懐かしい低い屋根の連なりは、幼い頃に住んでいた街によく似ていた。

『おはよう』

 ベッドのヘッドボードにリグルが座っていた。

「もう夕方なんだ」

『疲れていたんだよ、昨日は無理したから』

 キャンバスを見ると真っ白だった。

 次は何を写すことになるのだろう。

『最近、仕事の依頼、増えてるよね』

「そうかもね」

『疲れがとれないでしょ、他のアビリティ保有者に仕事を回してもらったら?似たようなアビリティを使える人、他にも何人かいるんでしょ』

 私のアビリティはセンシングというカテゴリに該当する。“感知”という意味で、アビリティ保有者の中では一番高い割合を占めるらしい。

「依頼は全部受けたいの」

『人助けだから?』

 リグルが含み笑いをする。私が依頼人に感情移入しすぎることをからかっているのだ。

「それだけじゃないけど」

『まさか研究室がパンフレットに書いてる“社会奉仕”のためとか?』

 隔絶されたこの部屋で、社会なんて別世界みたいに遠い。でも、依頼があれば圭に会える。外の世界の気配も感じられる。誰かの役にもたてる。私にとっては大切なことだった。

「それより今日はどうして、そばにいてくれなかったの?」

 リグルは他の人がいると隠れて出てこない。でも依頼がある時は、私の髪に隠れながら首筋にぴったりと張り付いて、色々とアドバイスをして助けてくれる。

『知らない奴がいたからさ。観察してたんだよ』

「遊理ね、いい人そうだけど」

『どうかな。いまいちつかみ所がない』

「猫みたいに?」

『似てるね』

「目が特に」

『動きとか妙にしなやかなところも猫っぽかったよ。この部屋に来る時も足音たててなかったし』

「そうだっけ」気づかなかった。「でも久しぶりに、まともに外の人と話せた」

『嬉しそうだね』

「だって」

『カイナは、口下手で人見知りで無愛想なくせに人間が好きだもんね』

「ひどい言い方」

『でも、今日はうまくやったね、圭とコーヒーが飲めて良かったじゃん』

「リグルが、彼女の目のことに気づいてくれたおかげ。ありがと」

 多分、私一人だったら写真とキャンバスの違いに気づけなかっただろう。

『でもさ、人間由来の臓器を信仰している連中ってなんなんだろうね。人工臓器で十分じゃん?角膜なんか特に安価で大量生産もされているのにさ。理解できないよ』

「価値観は色々だから」

『犯罪じゃなきゃね』

「それはそう」

『でもよかったね』

「何が?」

『内臓しか売買されていなかったら何もわからずじまいだったよ?カイナのアビリティの対象は、あくまで写真にうつっているものだけだもんね。遺族にとっては角膜が売られていたおかげで真相がわかったんだから。不幸中の幸いだったんじゃない?』

 今日ここに来た母親のことを考える。娘が亡くなっているという不幸は余りに大きすぎる。彼女の角膜がどこかで“生きて”いることも、彼女ではない誰かの目となっていることも、幸いだなんて全く思えないだろう。

 心がずしりと重くなる。

『あまり深く考えない方がいいよ』

 そう言ってリグルはベッドのヘッドボードから飛び降りた。床を身軽に跳ねながら窓際のテーブルの下にたどりつく。自分の体の5倍の高さはある脚をするすると昇った。

 肘をついて寝そべりながら窓の外を眺め『鳥がいる』と言った。

 黒い影が大きな翼をはためかせる。時に家の屋根より大きく広がり、遠近法は無視される。不吉な予感をはらみながら、暗くなりはじめた空に優雅な弧を描いている。

 どこかで見た景色、どこかで見た鳥。

『遊理に嘘ついたのは正解だったね』

 遊理には“時々”と答えたが実際には“ほとんど常に”私のアビリティは窓の風景に影響を及ぼす。規定の環境映像は、私の記憶や心の影響を受けて変化し続ける。

「嘘なんてつもりじゃなかったんだけど」

『油断は禁物だよ』リグルが言う。『遊理が研究者だってことを忘れないで。あいつ、この部屋のこともカイナのこともしっかり観察していた』

 窓のイメージが混乱したのは、久しぶりに圭以外の人間と接触したせいだろうか。

 二詩原 遊理の屈託のない笑顔を思い浮かべ、私のことをどこまで知っているのだろうか、と考えた。


 数日後、部屋のドアがノックされた。

 夜がほどけかけた午前5時前、窓は朝の始まりの予感に満ちた薄い青に染まっていた。

 私とリグルはベッドでトランプをして遊んでいた。

「おはようございます」

 遊理がドアを開けて入ってくる。

 早すぎる時間の訪問にとまどいながら、私はベッドからおりる。

「もう起きていたんですね。それとも寝てないんですか?不規則な生活はよくないですよ」

「圭は?」

「ぼく一人です」

 二度目の訪問なのに遊理は部屋になじんでいた。自然な仕草でソファに座る。

「コーヒーいただけます?」

 言われるまま私はキッチンに行き、ドリンクメーカーを起動して即席モードでコーヒーを作る。

「1分30秒待って」と言うと、

「今日のコーヒーはじっくり淹れたのじゃないんですね、先日のコーヒーが美味しくて楽しみだったので残念です」

「ご、ごめんなさい」

「やだな、冗談ですよ。それより最新型の即席モードだと、30秒でコーヒーを淹れられるらしいですよ。今度、購入申請しましょうか?」

『1分の差で何をしたいの?』

 リグルが言った。

 他人がいるのにリグルが隠れていなかったことに驚く。遊理は好奇心を隠さない目でリグルを見た。

「時間は大切です。“明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ”」

『ガンディー』

「偉人の言葉には重みがあります」

『でも“生きるとはこの世でいちばん稀なこと”で難しいよ』

「“たいていの人は、ただ存在しているだけ”だからですか?」

『オスカー・ワイルド。名言集でも暗記してるの?』

「言葉集めは家族の影響ですね。名言に限りませんが言葉は狭く閉ざされた認識を開く鍵にも、暗闇に隠された場所を照らす光にもなります。覚えておいて損はないでしょう?」

『損はない、ね。ぼくは、コーヒーができるのを待ちながら、ただぼんやりと存在するだけの1分も悪くないと思うけど』

 二人が会話をしているのは不思議な光景だった。

「リグルが見えるの?」

 マグカップを用意しながらたずねる。遊理は当たり前のように「えぇ」とうなずく。

『ぼくのことが見える人間は滅多にいない』

「そうなんですか?見えるためには何か条件が?」

『サンプルが少なすぎるから何ともいえないな。基本的に、カイナ以外の人間がいる時は姿を隠しているしね。カイナは口は堅いけど嘘がつけないから、ぼくのことをチラチラ見てしまうんだ。勘のいい人間には存在を悟られる』

「不破さんには、あなたのことが見えるんですか?」

『見えないよ』

「いいんですか?ぼくが喋ったらどうします?」

『きみは喋らないでしょ』

 リグルが断言して、二人は意味ありげに視線を重ねた。

 コーヒーができあがった。

 なぜリグルは遊理の前に姿を現したのだろう。後で尋ねてみようと考えながら、コーヒーをマグカップに注ぐ。

 テーブルにコーヒーを置き、私は遊理の向かいのソファに座る。

「いい香りだ、ありがとうございます」

 遊理はコーヒーに口をつける。リグルが私の隣に座り、

『ところで何しに来たの?』と改めて聞いた。

 確かに。圭もいない、写真もださない。朝の5時に遊理がこの部屋を訪れる理由が分からなかった。

「コーヒーを飲みに」

 遊理はマグカップを軽く持ち上げた。

 あっけにとられていると、冗談ですよ、と微笑む。

『ずいぶん冗談好きなんだね』

 リグルの皮肉にも遊理の微笑みは崩れない。相手の警戒を解き、水が砂に染みこむみたいに心に侵入してくるような表情だった。不安になる。私はこの微笑み方に見覚えがあった。

「先日の女の子の件できたんです」

 遊理はマグカップをテーブルに置き話し始める。

「うちの調査部があの辺りの裏社会について調べたところ、当日、彼女が宿泊していたホテルに調達屋が出入りしていたことがわかりました。奴の足取りをたどったところ、彼女と隣町の深夜営業のファミレスに車で乗りつけていました。ファミレスを出たのが午前2時頃。その後の行方は確認できませんでしたが、近くの港には、調達屋がよく出入りしている船が停泊していたそうです。警察に情報を渡したところ、調達屋と船に元々目をつけていたようで、引っ張るネタができて、うちとしては貸しが作れました」

 アビリティを使った後の出来事を聞かせてもらうのは初めてだった。戸惑いながらも興味をかきたてられる。

「調達屋って」

「主に人間の調達ですね」

 あっさりした口調で遊理は言った。

「見た目が良くて口のうまい連中で、元詐欺師のパターンが多いんです。10代の女の子をだますのなんて、奴らにとっては簡単です。ただ通常は身寄りのない人間とか、消えても騒がれない相手を選ぶんですけどね。リスクを冒したのは急なオーダーか、健康状態や年齢などに指定があって金払いが良かったんでしょう」

「ずいぶん詳しいのね」

「横浜時代に調査部に一年だけいたことがあるので」

「そうなの?」

 ええ、と、遊理はすました顔でコーヒーを飲み

「横浜はここに比べれば小規模ですし、何でもやらなきゃいけないんですよ。管理補佐という名目の雑務係でしたが、面白い仕事でした」

 と微笑んだ。

「それにしても、まさか本当に人身売買とはなぁ」

 遊理は深いため息をついた。私もつられてため息をこぼす。彼女は調達屋にだまされたと気づいたのだろうか。その時の悲しみ、絶望はどれほどのものだっただろう。最後に母親のことを想う時間あったのだろうか……。マグカップのコーヒーの黒さに心が吸い込まれそうになる。暗闇に落ちていく錯覚を振り払って顔をあげると遊理と目があった。

「カイナさんのセンシングですが」

 遊理がゆっくりと言う。

「写真の人物が亡くなっていたらコピー先のキャンバスから消える、生きていたらキャンバスに残るんですよね?」

「えぇ」

「この“生きている”の定義について教えてもらえますか」

「定義?」

「今回の角膜の件で不思議に思ったんです。例えば本人が死ぬ間際に手足を切り離し、何らかの方法で保存したとします。つまり細胞は生きている状態ですね。この場合、キャンバスに手足は残るのかどうか」

『残らないよ』

 どう説明しようか迷っていたら代わりにリグルが答えた。

「細胞が生きているかは関係ない?」

『人体に組み込まれて、組み込まれた本体が生きて使ってる必要がある』

「なるほど。だから不破さんは人身売買って判断できたのか」

『行方不明になった人間の角膜が、本人じゃない誰かの体に組み込まれて使われてるってことだから、そう考えるのが自然だよね。前にも似たようなことがあったし』

「へぇ。過去の案件ですか?」

 話がずれていく。

 私は口を挟む。「それより彼女のことは他に何かわかったの?」

 遊理は首を振った。「ほとんど何も」

「彼女を誘拐した調達屋がわかったのに?」

「調達屋が吐くことはないでしょうね。そもそも一昨年の女の子一人のことなんて覚えているかどうかさえ怪しいです。彼らにとって、人間は換金できる品物の一つでしかありませんから」

 暗い気持ちになりながらたずねる。

「依頼人の母親には、どこまで伝えたの?」

「残念ながらお嬢さんは亡くなっていました、とだけ。男に騙されて人身売買で全身バラバラにされたみたいです、なんて言ったら調べたぼくらが恨まれかねません。行き場のない激しい怒りや悲しみは矛先を求めますからね」

「そう……かもね」

「それでもかなりのショックを受けていました。泣き崩れてしまって。本当にお気の毒でした」

 言葉は丁寧だが、遊理の目にも声にも同情の響きはなかった。

「でも今回は珍しく、帰り際にありがとう、って言われましたよ」

 辛い中で気遣いを見せた母親の強さと優しさに心をうたれた。でも、母親が真実を知ることはない。それがいいことなのか悪いことなのか私には判断がつかなった。

 ふと遊理と目があう。あの優しすぎる微笑みを浮かべ私を見ている。観察するように、あるいはすべてを見通すように。居心地が悪い。遊理への警戒心が高まっていく。

「話はこれで終わり?」

 いいえ、と遊理は首を振り「聞きたいことがあります」とソファから身を乗り出した。

「何故不破さんは、あなたをあんなに嫌っているんですか?」

 突然のストレートすぎる質問だった。

「不破さんは普段から誰に対してもそっけないですけど、三鬼さんについてはちょっと異常ですよね」

「私のファイルを見ていないの?」

 動揺して声が震えた。

「見ましたよ。でも不破さんがあなたを嫌う理由は書いていませんでした」

 私はファイルに何が書いてあるかは知らない。でも、私について書いてあるなら圭のことに触れない訳にはいかないはずだ。この間、遊理が言っていた閲覧権限のせいなのだろうか。

「なぜそんなことを気にするの?」

「好奇心です」遊理は即答した。

「不破さんは横浜の研究室でもちょっとした有名人でしたから。切れすぎる頭とキレイな顔を持った仕事の鬼だって。一緒の職場で働けるのを楽しみにしてましたが、まさか相棒として組まされるとは予想外でした」

 遊理は苦笑いを浮かべた。

「噂通りでした。きれいな顔で淡々と凄まじい量の仕事をこなしていく。納得がいかないと相手が誰であろうとズケズケ言うし、ミスしたら氷みたいに冷ややかな目で見る。でも公私混同はしないしロジカルで、ある意味、とても公平な人です。だから研究室内では何だかんだ一目置かれています」

 圭の研究室内での様子が聞けるのが嬉しくてつい口元がゆるむ。

「そんな公平な不破さんが、なぜ、三鬼さんのことをあそこまで露骨に嫌うのでしょうか」

 ゆるんだ口元が凍りつく。

「はじめはアビリティ保有者に差別意識があるタイプなのかと思いました。アビリティ保有者を人間扱いしない研究員はけっこういますからね。でもあれから不破さんに連れられて三鬼さん以外のアビリティ保有者にも何人か会いましたが、不必要に避けることもないし、差別めいた発言もありませんでした。むしろぼくに対するより優しいくらいでした」

 遊理はじっと私を見た。

「ぼくの出した結論は、不破さんは三鬼さんに対して、抑制しきれないほどの嫌悪感を持っている、ってことです。でも一体なぜ?」

 猫のような目が好奇心に輝いている。

「……圭は私を嫌っているというよりは憎んでいるの」

 勝手に口が動いて言葉が漏れ出た。分かっていても言葉にはしたくないことだったのに。胸の奥がうずいて苦しくなる。

「憎む?」

 そう、深く強く。圭は私を憎んでいる。

 胸の痛みと悲しみが激しくなり眩暈を覚える。私は自分の膝に額をつけてうなだれる。

「仕方ないよ」

 楽しそうに遊理が言った。

「憎まれて当然のことをしたんだから」

 遊理の声も口調も変わった。男性の声から女性の声へ。歌うような軽やかな声。心臓が脈打つ。私はこの声を知っていた。

 恐る恐るゆっくりと顔をあげる。

 白い顔が優しく微笑んでいた。

「久しぶりだね、カイナ」

 叫ぼうとしたが声にならなかった。叫びは喉の奥へと逆流して、混乱と恐怖と悲しみを際限なくふくらませる。

 なんで、なんで、なんで……ここにいるの?

「カイナ」

 もう一度名前を呼ばれる。限界だった。心が破裂した。世界が真っ白になった。

 その瞬間、目が覚めた。

 窓の外に朝日が輝いていた。

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