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なんでもドア

作者: 鏑木 誠

秋の放課後、俺【杉原一星】は高校の教室で三者面談を受けていた。

「どうですか?息子の成績は?」

同行者の母は担任に尋ねた。それはまだ秋なのにも関わらず、まるで冬が来たのかと錯覚するような冷ややかな声だった。

 うちの学校は偏差値が65と、比較的高く県でも二位の高校である。進学実績も良好で、大体が有名大学に進学するくらいには優秀な学校である。

そのため学校からのサポートも手厚く、こうして定期的に進路面談が設けられている。過去僕は担任と一対一の面談を二回行っている。そして三回目となった今回は、三者面談として、担任と話し合った結果を親とすり合わせていく、というのが今回の本題である。

本来この面談は、子供の進路を模試の結果などを用いて説明し、それを聞いた親が子供の進路を応援する、という形をとってすぐに終わるものなのだが、今回は違い、少し波紋を呼んでいた。

「息子さんの成績は良好です。

確かに希望されてます東大医学部は厳しいと思いますが、普通の国立医大なら問題なく合格できるでしょう」

担任は、僕が目指してもいない大学名を連ねた模試の結果を母の前に出し、淡々と事実を述べていく。

現状の説明をしている間、母はただ静かに先生の目を見つめていた。真冬の凍った冷たい表情のままで。

担任は気まずいことこの上ないだろう。事実担任は母から目を逸らすように成績が書かれたプリントに目を落としている。

ただ普通のことを話しているだけなのに、教室は異常なほど張りつめていた。

担任の話が一段落する。そしてついに、薄紫色の唇が動いた。

「……………………無能なままなのね」

母は俺の方を見もせずに、成績表を手に取るやいなや一蹴した。

寒波のそよ風と言うには痛く、まるでかまいたちのように僕のことを切り刻む。

僕は作り笑顔をするしかなかった。

すると目が合った担任が、助けを求めるかのように俺に話を移してきた。

「どうだ?まだがんばれるか?」

それはーーようなねっとりした声だった。

媚びるような態度だ。

一見この態度は、モンスターペアレントを刺激しないように気をつけているだけのように思えるが、実際は違う。

これは学校の合格実績を作るための作業である。

僕が合格する確率が低いというのは担任も承知しているが浪人しても、学校はその年の合格実績としてカウントできる。

東大医学部という日本最難関の合格実績は、手に入れたいと考えている。

合格できそうか否かを噓つくことはできないが、本人が希望するのなら話は別である。

だから誘導をするのだ。

担任は生徒の親に向かってまっすぐ目も見れないくせに、僕に対しては媚びるような目を向けてくる。

ここまでくれば、この担任の優しい言葉は、裏の部分が見え隠れしていてどす黒いと、誰もが思っているはずだ。もちろん俺たちの学年の中でわかってない人など誰もいない。

本当に気持ち悪い大人だ。

ただ、俺の返事は決まっている。というか決められている。

「…………はい。頑張ります」

俺は肯定の返事をした。

母は已然態度は変わらず冷たいまま。対して担任は気持ち悪い笑顔を張り付けている。担任に関しては俺が母親に歯向かって話がこじれなかった安心感もあるのだろう。

俺の発言で親と学校との方針が一致したこととで、地獄の三者面談は終了した。

ストレスはたまったものの、もう終わったのだから気にはとめていない。ただいつもの光景が流れただけ。

 時間は不思議と体感と違い、10分という予定時間は過ぎなかった。

母は担任に会釈をすることもなく教室の扉を開ける。

僕も今日は担任の方を振り返ることはなかった。

高校生活最後の進路面談はこんな形式的は話のみで終了した。たった今、僕の進路は確定したのだ。

結局僕の人生のレールは、担任というレバーを置いてもなにも変わらなかった。小学生から始まった東大医学部に合格するという母が敷いたレールが

この教室を出たその瞬間、確実にレールを一歩進めたのが分かった。もちろんこの一歩は、列車のように逆走することはできない。

やるせない焦燥感と半ば諦めの後悔が、心に重くのしかかった。

廊下は10月にしては寒くかった。それもそのはずで、今週が終わればもう十一月になる。

「…………受験まで2か月か」

俺は今一度、時間の残酷さを実感した。


 面談終わり、下駄箱に向かうまでの廊下で、母は珍しく僕に口を開いていた。それは、直後とは思えない、毒づいた一言だった。

「あなた一人すらまともに合格に導けないなんて、なんて無能な教師。やっぱり入る学校を間違えたわね」

俺の目を見て言ったわけじゃない。けれど、これが僕に向けられた言葉なのは明らかだった。

「そうだね」

僕はこれ以外の返事が見つからなかった。苦笑いを浮かべて、下をうつむく。

「そうだねって…………あなた、自分がおかしたことの大きさをわかってる?中学受験で500万。こんな大金を無駄にしたのよ?」

わかってる。この金額は、もう耳にタコができるほど聞かされている。

「大学は必ず合格しなさいね。そうじゃないと、私どうなっちゃうかわからないから」

「………うん」

母は吐息交じりに怒りを込めて僕に脅し文句を言い放った。

この後も母からの話は続いたが、ほとんど僕は同調することしかできず、まるで独り言かのようになっていた。人付き合いの少ない僕ですら、あれは会話と呼ばないことだけは感じ取れた。

 階段を下り終え、下駄箱に近づいたところで、母の愚痴は終わった。

 僕が靴を履き替えようとしたその時、隣から聞きなれた女生徒の声が聞こえた。

「一星大丈夫?やばい顔してるけど」

それは優しく、頭を撫でる優しい声だった。

目を開けると、覗き込むように顔を見上げていた彼女と目が合う。

目が合った瞬間、お互い少し驚いたが、それが逆に今までの張りつめていた緊張感を和らげてくれた。

「大丈夫」

俺は力強く返事をした。

「そっか。じゃあまたね」

そう言い残して、面談の教室までの廊下を一人で歩いていった。

「彼女は?」

「白川 凛子。美術部の友達だよ」

「聞いたことのない名前ね。どこ志望の子なの?」

「…………美大。油絵やりたいんだって」

俺は正直に白川について答えた。

「美大志望って…………彼女は勉強から逃げた落ちこぼれなのね。

どうして頭の悪い子は生産性のないことをしたがるのかしら。本当に理解できないわ。油絵なんか学んだって、将来何の役にも立たないのに……

さっき友達と言っていたけれど、もう関わるのはやめなさい。馬鹿が移るわ」

母は平然と言ってのけた。

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