Episode.72
眼球を抉って取ってしまいたい。
そう思わざるを得ないほどの痛みだった。
一歩進むごとに嫌な汗が吹き出てくる。歩く度に生じるわずかな振動が、損傷した部分を乱暴に刺激していく。そして、視力をほとんど失ったことによって、想像以上に情報量が乏しくなった。
壁に手を添えることとファーストの誘導を受けながら、何とか彼女が指定する場所までたどり着く。肩が上下するほどに息は荒れ、全身が嫌な汗でぐっしょりとなっている。
手足を拘束していた枷などは念動力で破壊した。捕らえられていた部屋には月影が横たわっていたが、既に息絶えていることは確認している。
俺が奴に放った能力はやはり念動力で、脳に繋がっている内頸動脈と椎骨動脈を塞いだのだ。
この二対の動脈を閉ざすことで、酸素供給を途絶えさせて脳死に陥らせる。
地味だが効果的で対策されにくい手法だった。
人の命を断つのは初めてではない。それに相手が月影なら罪悪感など感じることもない。
ただ、ファーストの現状を聞いたことで胸が張り裂けそうだった。
手探りで奪ってきた月影のIDカードを扉にかざして室内へと移動する。
正面にボヤっと光る円筒型の何かが見えた。
幅は1メートルくらいだろうか。
ぼやけたシルエットでしか見えないが、天井までの高さがあり、中央付近に何かが浮かんでいるようにも見える。
周囲に小さな気泡が出て上へと浮かんでいっているのか、その個体も形がはっきりとしない。白っぽい何か⋯しばらくして、それが何なのかの予想がついた。
近づけば今の視力でもはっきりとわかるのかもしれない。
ただ、それを直視する勇気が出なかった。
近くの壁に背中を預ける。
そのまま脱力したかのように、膝から力が抜けていった。
背中を壁にすりつけながら、ゆっくりと腰を落として床に座りこんだ。
動悸が速い。
久しく味わったことのない息苦しさ。
そして、眼球の奥に刺すような痛みがともなった。
床にぽたぽたと雫が落ちていく。
俺は⋯泣いているのか?
『大丈夫?』
「⋯大丈夫とは、言い難いかな。」
鼻をすすりながら、泣いているのを悟られないよう努力した。
下を向いていると、眼球の奥の痛みがさらに酷いものとなる感覚がある。
膝を曲げ、腕を乗せてそこに顔をうずめた。
できるだけ普通に接するべきだ。
そう思いながらも、顔を上げることができなかった。




