Episode.71
「聞こえなかったのかね?脳さえ無事なら、私の目的は果たされると言っているのだよ。」
「それは実際に行ったということか?」
月影がせせら笑うような声をあげた。
「当然だ。この施設にも存在する。確か、一番最初に入所した少女だった⋯」
瞬間的に能力を使った。
後先考える前に怒りが頂点に達し、俺の中で何かが弾けたのだ。
計画を実行する前は、どんな局面でも衝動的にならないよう冷静に努めようと思っていたが、予想以上に心に突き刺さった。
同情、悲哀、憤怒、殺意など、様々な感情が一気に押し寄せ、自らの感情が制御不能に陥ったのだ。
そして、眼球の奥底に激しい痛みが生じて意識が暗転した。
疼くような痛みで気がついた。
頭部全体を侵食するような激しい痛み。
月影が言っていたように、視神経が損傷したのだろう。
瞼を開けたつもりだが苦痛と違和感しかなかった。
これまで経験したことがない感覚に叫びそうになる。
しかし、ここで叫んだり、激痛に耐えているだけでは何も好転しない。
しばらくすると麻痺したのか、それとも慣れたのかはわからないが、痛みが鈍化したため多少の冷静さを取り戻すことになる。
どうやら俺は片眼の視力を完全に失い、残ったもう片方の目も不明瞭な景色を映すだけのものとなったようだ。
失明に近い状態となり、ショックを感じないかといえば嘘になる。
しかし同時に、自分に人間らしい感情が残っていることに対して安堵した。
衝動的な行為の代償は確かに大きい。
だが、後悔しているかと問われれば、そんな感情では片付けられない。
両目を失うことよりも、脳だけで生かされているファーストのことを思えば、奴らは許されざる者だ。
自分が同じ立場にされていたらどう思うのか。
日々、絶望のみに支配されるだけではないだろうか。
人としての生活は元より、実験のためだけに生かされている。
いや、それを生きていると形容して良いのだろうか。
死にたくても自ら命を絶つことすらできず、人間としての尊厳や欲望も何一つ叶えることができない。
未来に何の希望を持つこともできず、生きた屍としての日々。家族や友人すら⋯
「ファースト⋯」
『馬鹿ね。あなたが傷つくことはなかったのに⋯』
しばらく途絶えていたファーストからの念話だった。何となくだが、語尾が震えているように感じた。
「他人事じゃないからな。」
そんなふうにしか答えらなかった。
彼女の辛い日々に、かけてやれる言葉など思い浮かばない。
『⋯その部屋から出て左に進んで。その先の突き当たりを左に曲がって、2つ目の分岐を右に。数歩進むと壁にコントロールパネルがあるから、そこに月影の指紋とID、それにパスワードを入力することで隠し部屋に入るための通路が現れるわ。本来は静脈認証も必要だけれど、それは私が何とかするから。』
「そこに何がある?」
『良いから来て。』
「⋯わかった。」
有無を言わせぬ口調だと感じた。
月影の言ったことが事実なら、彼女を疑う理由はないと思う。
俺を罠にはめたところで、彼女に望むべきものがあるとも思えなかった。
それに、彼女の要望に応えることで、少しでも嫌な日々を忘れてもらえるなら、動くべきだと思ったのだ。




