閉廷:零下の墓標
「まあ、その時はワシがやろう。医圏管師からその役割を退けることが出来なかったのは、ワシの罪じゃろうて」
「罪ではないでしょう。アミヤ卿に裁かれるものではありません」
ガトレが擁護するとサジは眉の根を寄せたが、何も言及してくることは無かった。その代わりに一息つくと、サジはいつもの穏やかな表情を繕った。
「そろそろ行かんとな。例え置物でも、無いよりはあった方が良いからの」
「私はサジ様のことを置物だなんて思ったことはありませんよ。他の医圏管師だってそのはずです」
「ほっほ。そりゃ嬉しいのう。じゃが、ワシが老いたのは事実じゃよ。置いて行かれる前に、引き際は見極めねばならん。何も、すぐにという話ではないがの」
ガトレにはサジが終始、不安を与えない語り口に努めている様に見えた。ナウアに気を遣っての事だろうとはすぐに察したが、そこまで気に掛ける理由までは思い当たらなかった。
「サジ様、ご安心ください。私はもう、何も心配していません」
「そうか。その言葉が聞けて良かったよ」
「何のことですか?」
ガトレが知らない背景のもと通じ合っている様子の二人に、ガトレは物怖じせずに尋ねる。
「私は治療魔術が使えず、医圏管師としての業務を果たせないまま医圏管師でいました。実績もないのに今の立場でいられたのは、サジ様のお陰です。憎まれるのも当然でした」
ナウアが誰もいない証言台を見る。ストウから浴びせかけられた罵詈雑言を思い出しているのだろうが、沈んだというよりも、どこか寂しげな表情であった。
「加えて、医圏管師を辞めて異動するにも、残念ながら適性が見られなかった。親御さんからも危険のない部署でと釘を刺されておったし、商会の子となると、会計門や人圏管には警戒されていたからのう」
間諜とまではいかないまでも、様々な金銭の流れや情報は商会の資産になるのは間違いない。将来的に対立する可能性を見据えれば、扱えてしまう者に情報を与えたくないと考えるのは自然な事だ。
「いずれにせよ、私には先がなかったんです。頼りはサジ様の大きすぎる後ろ盾だけで、軍の中で居場所を失えば、商会が払うお金で軍を抜けるだけ。命がけで脱走を企てた兵士と比べれば、なんとも贅沢な話ですよね」
「それに気づけただけでも良かったじゃろう。本当に、ガトレくんは期待以上の効果を発揮してくれた」
先が見えない。その絶望感は、その先が開ける事でしか救われない。ガトレにとって、今までの裁判ではそうだった。
しかし、ナウアはその閉塞感と付き合い続けていたのだ。治療魔術が使えなくなったこと。存在しない罪を賄賂で解決したこと。大いに悩み、傷ついたことだろう。
だからこそ、それを知っているサジは、ナウアに優しくならずにはいられなかった。周囲の敵視が増えてでも。
「私にナウアを宛がったのは、ナウアの医療事故を解決してほしかったからですか?」
「ああ、そうじゃ。英雄殺しの裁判で、君の力には期待を抱いた。情を抱けば、その力をナウアにも使ってくれると見込んでおったよ。医圏管師として働けないナウアに、何らかの業務を割り振らなければと考えていたのもあったが、この話を聞いて君は怒るかね」
「いいえ。全く」
「ほっほ。そこも織り込み済みじゃったよ」
話だけ聞けば善意を利用されたようなものだが、同時にガトレは今まで受けてきたサジの厚意に得心もいった。むしろ、裏がわかって安心したほどだ。
「ナウアにはかなり助けられました。裁判も、私の命も。感謝はしても、怒る理由がないですよ。本当に、ありがとうございました」
「……君はほとほと優れた軍人じゃな」
「優れた軍人であれば、死刑には抗いませんよ」
「ならば、良い軍人だと言っておこうかのう」
サジは笑いながら、法廷の出口へと向かっていく。もう、ガトレにも止める理由は無かった。ナウアと並んで見送り、法廷には再び二人だけが取り残された。
「ガトレ様」
「なんだ?」
見上げてくるナウアを、ガトレは見下ろす。
雪が溶け、春の訪れを知らせるかのような喜色満面と、未だ雪に覆われ、胎動する芽吹きを何も知らないかのような無表情が交わった。
そして、ナウアは予告ではなく告別を選んだ。
「治療魔術を使えなかったシラノ=ナウアは、今日ここで死にました」
そう言ってナウアは、いつからかずっと握りしめていた左手を、ガトレの眼前に持ち上げて開く。
「これが、その墓標です」
掌の上には、元は豪奢であっただろう軍服の切れ端があった。
それは今や見る影もなく、とてつもなくちっぽけで──
「ふっ」
「あ」
──ガトレが笑って噴き出した息により、文字通り笑い飛ばされてしまった後には、もう二度と見つかる事はなかった。




