医圏管師は希う
見られている。
ガトレが目を覚まして最初に思い浮かんだ言葉はそれだった。
「あ、ガトレ様。目を覚ましましたか」
「ああ。覚ましたが……居心地が悪いな」
所変わらずガトレがいるのは法廷であったが、頭はナウアの膝の上に乗っている。
そして、周りには三名の人間。デリラに、ネッセ王子とその従者であった。
「やっと目を覚ましたか。おい。貴様、前にこの場で言ったはずだぞ? もう寄り道はするなとな」
「寄り道をするつもりはありませんでした。今回の法廷にいたイパレアは、ソーラ殿の同期だったのです。英雄に恨みを抱く人物について訊くはずが、こんなことに巻き込まれたのです」
相変わらず不気味な従者だなと、ただ一人ガトレを見下ろさずにいる従者を眺めてから、ガトレは立ち上がる。痛みはなく、軍服は敗れたままだが、身体に空いた穴は消えていた。
「たはは……。まあ、今回は災難でしたね。これはちょっとした懺悔というか、お詫びです」
デリラが乾いた笑い声とともに、自身のデュアリアをガトレのデュアリアに触れさせる。白い光が画面から発せられ、消えるとデリラは腕を退けた。
「階四次閲覧権限と、階三次問診権限を与えました。これは、個人が与えられる権限の最高位です。たはは……。これより上は、役職を得て門頭過半数の承認を得てください」
「え。良いのですか?」
「お詫びなんでね。ま、受け取っておいてください。じゃ、俺の用事はそれだけなんで、すみませんね。裁判は見事でしたよ」
デリラは唇を歪ませて謝罪を早口で済ませると、すぐに扉へと向かって行ってしまった。
「お詫びと言われても、デリラ副門頭には何の責任もないのにな」
確かに、事件の発端となった杖こそ、デリラが作ったものではあったが。
「ですが、結果的にお腹に穴は空いていましたからね。法廷にいた全員が見ていましたし、気に病むのも仕方がないくらいの傷ではあったと思いますよ」
「まあ、そうか。戦場でも、ここまでのは見たことがなかったな。近くて英雄くらいの──」
「──その英雄を殺した犯人捜しはどうなっているんだ? 裁判は明日なんだぞ? ……何か、僕にできることはないのか?」
「ネッセ王子……」
ネッセは顔を俯かせて肩を震わせる。両手の拳は強く握りしめられていた。
「お気持ちだけで十分です。実際、王子の立場で情報を集めるのは難しいでしょう。私にお任せください」
「……貴様の言うとおりだ。ここが僕の国であれば、まだ何とかできたかもしれない。だが、ここでは大切なお客様だ。何かあれば外交問題にも発展する。エインダッハも僕を子ども扱いして、一番監視が厳しいのだ。生まれた年をこんなに恨んだのは初めてだ。王位の存在と自分が第五王子だということを知った時ですら、ここまでではなかったのに」
ネッセが目元を左手で拭う。赤い長髪が眩く揺れ、手の甲から散った雫に赤が煌めいた。
「王子にとって、ソーラ殿は真に英雄だったのですね」
「当たり前だ! 僕は、目の前で救われたんだぞ。完璧な術式に、余裕を感じさせる佇まい。脅威の象徴と化した妖魔の群れが霧散して、黒々とした空が青に描かれた瞬間、宝石のように輝きながら消えゆく魔術陣。僕は、永遠に忘れはしない」
予想よりも込められていた熱量に、ガトレは押され気味な頷きを返す。
「だから、犯人として捕らえられた貴様は許せなかった。……だが、僕とは違って、貴様は自由に動けるし、能力も……認めているつもりだ。……今一度、問う。貴様は犯人ではないのだな」
「その答え、以前とは違います」
「なんだと!?」
「私は、犯人ではありません」
一歩引いて構えたネッセに対し、ガトレは間髪入れずに言葉を繋げた。首を傾げるネッセに、ガトレは尚も続ける。
「以前は、自分に殺す気はなかったにも拘わらず、自分の魔弾で殺してしまった可能性を考えていました。そのため、絶対に自分が犯人ではない、というよりは、英雄の直接の死因ではないという考えは否定できませんでした」
「ということは、何か確信を持てる情報を掴んだのか?
「是。英雄の死体を検めたところ、私が撃ったのとは違う角度から魔弾を撃たれたと思われる痕跡がありました。イパレアが放った魔弾ぐらいの威力があれば気付かなかったでしょうが、私の魔力が少なく、威力が無かったのが幸いしましたね」
「……そうか。……そうだったのか。やっぱり、犯人はいるのだな」
「私はそう考えています。なので、もう一度イパレアに会うつもりです。ほとんど死刑が決まっている以上、隠す情報もないでしょう。それか、取引材料とするか。彼が英雄の死と無関係であればの話ですが」
イパレアが脱走しようとしたのには、何らかの理由があるはずだ。情報を盗む工作員として入り込んだのであれば、持ち帰るに値する情報を得たはずだ。
ガトレはその情報に興味はないが、過程で集めた情報には興味がある。
「わかった。正直、この軍の中では外部から調査員を招聘しても、真面に任務がこなせるとは思えない。今は、貴様だけが頼りだ」
「お任せください。何も成せずに死ぬわけにはいきませんから」
「その意気だ。……頼んだぞ」
ネッセは幼くも凛々しい顔つきを僅かに綻ばせると、従者を引き連れて去っていった。
そして、法廷にはガトレとナウアだけが残された。
「ナウア。立たないのか?」
ナウアは、未だ床に座り込んだままであった。
「……手を」
ナウアはガトレを見上げながら、そう言って右手を差し出す。治療魔術を使ったばかりで疲れているのだろうかと、ガトレはナウアの手を引いて立ち上がらせようとした。
すると、立ち上がったナウアが、その勢いのままガトレに寄りかかってきた。ガトレは足に力を入れて踏みとどまり、ナウアを受け止める。
「大丈夫か? 治療魔術を使うのも久しぶりだろうしな」
「あの、ガトレ様」
「ん? なんだ?」
どこか惚けた様子のナウアに、ガトレは気づかわし気な声で返す。そこで、ようやくナウアの目の焦点が合った様に見えた。
「婚姻魔術を、しませんか?」
「……なにを、言ってるんだ?」
ガトレの口から出た言葉は、本心そのものであった。ガトレは、心の底から困惑していた。
「私は、子供という概念が好きになれませんでした。私自身、出自は商会の友好の証で、まるで道具みたいな生まれでしたから。……それに、今回の事件では、子供の命を、親が目的の為に使い潰して……本当に、嫌な気持ちになりました」
「俺もそうだ。……俺は、昨日話したように、左親がわからない。きっと、魔力が人並み以下だったから捨てられたんだろうと思っている。……だから、認めてもらいたくて、いつか、姿も知らない左親を見返したくて、軍に入ったんだ。上層部まで、上り詰めてやるってな」
ガトレが軍に入った理由、そして、功を焦る理由を語ったのは、軍に入ってからはナウアが初めてだった。ナウアは、それを微笑みながら受け止める。
「良いですね、それ。私は与えられてばかりで、だけど、受け取りたいものだけ受け取って、嫌なものは断って、都合よく受け身でばかりいました。……でも、それじゃ駄目だって、自分から掴みに行かなきゃって、思い始めたんです」
ナウアはガトレの襟元をギュッと掴んだ。
「私、祝福したいんです。新たに生まれる命が、もっと純粋な願いや望みから生まれてくることもあるんだって、証明したいんです! それが、私にもできるんだって思いたいんです! 命を嫌いなままでいたくない!」
ナウアの目から涙が伝い、ガトレの袖を濡らす。
ガトレには、ナウアの言い分がわかるようでわからなかった。その一番の理由は。
「どうして、俺なんだ?」
ナウアは、人が生まれてくるということを、素直に祝福できるようになりたいのだ。己の生まれが、まるで道具を作るかのようであったが為に、命というものを祝福できない自身の価値観を変えたいのだ。医圏管師として、素晴らしい意識づくりだ。ガトレはそう感じ取った。
その上で──
「だったら、親を嫌う俺なんかより、もっと愛された奴が相手の方が良いと思うぞ」
──その相手に、自分は相応しくない。ガトレはそうも思っていた。
正しい親の態度がわからない。子の愛し方がわからない。子を焼いて食べたなどという、他者が恐ろしがるような発想も。それが真実だと疑わずに推理の中へ組み込める。
これでどうして、俺を相手に選べるのか。
しかし、猜疑心に塗れたガトレに、ナウアは目を逸らさない。
「理由なんて、一つしかありません。その一つだけで十分です」
ガトレはナウアから目を離せず、その場から一歩も動くことができないまま、ただ、言葉を受け入れた。
「貴方は今、私が世界で一番信頼できる相手だからです」




