隷下の暴走
イパレアの鬼気迫る表情にガトレの肩が跳ねたと同時に、ガトレはイパレアの身体から意識が抜け落ちた様に見えた。しかし、イパレアはその意識を拾うでもなく、床に向いた顔を持ち上げる。
そこに浮かんでいたのは、口元にだけ穏やかさを湛えた無表情であった。
「お待ち頂きたい。代弁士の発言は全て妄想であり、可能性の提示ではあっても根拠が一つも存在していません。つまり、何の証明にもなってはいません」
「モーしかしなくてモーその通りですな。面白い話ではありましたが、想像の域を出てはおりません」
ミルモウはそう言って右手に持った瓶を傾けたが、既に中身を飲み切ってしまったらしい。喉を鳴らすことなく、瓶を苛立たし気な様子で机に置いた。
「証拠、あるんでしょうなあ?」
ミルモウは瓶の縁を指で弾きながら、ガトレに胡乱な視線を投げかける。
様子が変わりだしたミルモウに、ガトレは曖昧な表情を返す。
「現時点で、確かな証拠を出すことはできません。ただ、終人010の被害者が生存しているかどうかは、確認できるのではないでしょうか」
「代弁士よ。何故そう思うのだ?」
「被害者の遺族が賄賂で納得しているからです。家族が殺され、被告人は罰される事なく事故として片付けられた。にも拘わらず、事件は収束してしまっています。理由として考えられるのは、被害者が生きて家族の元へ帰っている可能性です」
通常、家族が殺されたとなれば、衝撃を受けるものらしい。ガトレは並々ならぬ情を子に注いでいたらしいサラエの様子から、新たにその認識を得た。そして、その認識に基づけば、終人010が「終」の分類を冠している事が、ガトレには異常に思えた。
そして、家族でもないのに不服を示している唯一の人物が、今この場にいるのだ。
「ハロルが生きているだと!?」
ガトレの推論に最も大きな反応を示したのはストウであった。それが意外だったのか、ガトレは背後からナウアが身じろぎする空気を感じた。
「おい、それは本当なのか!?」
縋るように手を伸ばすストウに対し、ガトレは努めて冷静に応対する。
「本当かどうかは、調べてみないことにはわからないでしょうね」
「なら、早く調べてくれ! いや、調べてください!」
ストウはガトレからアミヤヘ向き直り、両手を組み合わせる。まるで敬虔な信者の振る舞いを見せるたストウを見ても、アミヤは眉一つ動かさず、木槌を一振りした。
「終人010は既に完結した事件である。故に、本事件との関わりが見受けられなければ、再び調査する価値はなき事。しかし、終人010は未だ、今回の事件との関わりを証明するに足る証拠が出てはいない」
「ならば証言しましょう!」
「辞めろっ! 罠だ!」
勇んだストウを止めるイパレアの声に、アミヤの眉がピクリと動いた。ストウから視線が流れ、アミヤの瞳の中に、イパレアの姿が捉えられる。
「イパレア小隊長よ。何が罠だと言うのだ?」
「……否。何かの聞き間違いでしょう。私も何と言ったかは覚えておりません」
苦し紛れの言い訳を吐いたイパレアだったが、アミヤは追い詰める相手を別に選んだらしい。
「では、聞かなかった事にしよう。さて、ストウ医圏管師よ。貴公は何を証言する」
「…………」
ストウはイパレアの制止が尾を引いているのか、僅かな間、口を噤んだ。しかし、何かを振り切る様に首を振って、アミヤを見上げ語り出す。
「……私が…証言するのは…終人010の真実。そして、その真実によって、イパレア氏から受けた脅迫についてです」
ストウが語り出すまで、ガトレはイパレアを見ていた。その結果わかったのは、どうやらイパレアはストウの事を諦めたらしいということだ。
イパレアは、周囲の事など何も目に入っていない様子で集中している。
一方で、ストウはアミヤしか視界に入っていないだろうストウも、証言を口にする。
「代弁士が語った推測の通り、私は終人010とされるあの事件で、被害者のハロル。ハロル=テサラナが脱走する計画に協力しました。転属の希望を名目に、治療魔術の使い方と死者が処理されるまでの工程を教え、療養棟を案内したのです」
「何故、その様な事を?」
「ハロルの両親が妖魔に襲われ、危篤状態にあると聞いたからです。あいつは、故郷に帰りたがっていました。そもそも、軍に入ったのだって、両親に稼ぎを送る為だと聞きました」
しかし、軍を抜けるには金が必要だ。そして、報酬は仕送りにも割いていた為、脱走に必要なだけの金を用意する事ができない。
だから、脱走の計画を企てたのだとストウは語った。
「なのに、部下の医圏管師に邪魔をされ計画は失敗した! 許せなかった! 心優しいアビト族を殺しておきながら、それを事故として片付けた者が! ……そして、どこからか私とハロルの計画を知ったイパレアに脅迫され、誤診という形で協力したのです」
「ふむ。聞いた限りでは、シラノ=ナウアへの敵意も強く、イパレア氏へ協力した理由は脅迫のみに非ずと受け取れる」
ストウの話にアミヤは淡々と感想を述べる。ストウは腕を振り払いながら続けた。
「良いでしょう。そう受け取ったとしても。それより、これで終人010との関係性は証明されたはずです! さあ、早くハロルの生存を確認してください!」
訴えかけるストウに、アミヤは木槌で応じる。
「よろしい。今ここに、終人010と此度の事件の関係性は証明された。そして、新たに脱021として、ハロル小隊兵の脱走を立件する」
「なっ!?」
イパレアが罠だと指摘した点はここにあった。ガトレは瞑目しつつ、状況を受け入れる。
今回の事件において、ガトレは状況証拠と可能性を提示する事はできたが、決定的な証拠までは示すことができなかった。推理の核となる証拠品が、ほとんど処分されてしまったからだ。
加えて、自信があったのだろうイパレアからも、証拠の不在を責め立てられ、ガトレも決定打を見つけられずにいた。
そこで気づいた突破口が、終人010の背景と、そこから導き出されたストウの立ち位置であった。
「これは然るべき事。終人010は既に判決の降りた事件であり、被告人は罰を受けている。ならば、ハロル小隊兵が脱走を企て実行したという新事実が発覚した今、当該事件は新たに立件すべき事」
「そんな馬鹿な!」
ストウが怒りに身体を震わせる。それから、最初に右手の指先が、次にストウの体が、全身で糾弾しようとガトレに向いた。
「……は...謀ったな! シマバキ=ガトレェェェェエエ!!」
ストウの叫びを肌に浴びてから、ガトレは瞼を開き回顧する。
終人010を脱走の計画として考えた場合、医圏管師の存在が不可欠だ。そして、終人010の結果からナウアに執着するストウの様子は、計画に積極的に協力している者の反応としか思えなかった。
であれば、ストウの執着の根源は、ナウアが罪を逃れた事よりもむしろ、親しき者を失ったことに由来しているのではないだろうか。
親友を守る為に一度裁判を乗り越えたガトレは、そのように考えた。
だからこそ、ガトレはハロルの生死を餌にして、ストウの証言を引き出そうとしたのだ。
ただ一人、流れ弾を受けてしまう人物がいる事を理解した上で。
「アミヤ正透門頭! どうか考え直してください! ハロルは、危篤にあった両親に会いたかっただけなのです! その思いを、どうして否定できましょうか! そんな権利は誰にもありません!」
ガトレもストウの発言を肯定したい気持ちはあった。ストウの語ったハロルの境遇が真実であったのなら、覚悟を持って放った流れ弾とはいえ、決して気持ちの良いものではないからだ。
だが同時に、この場において、その相手に対しては、ストウの訴えが訴えるだけ無駄な発言であることも理解していた。
「ここは軍であり、脱走は規律を違反した行為である事に変わりはない。特例を認めるには、相応の正当性を要する。本当に、取れる手段は脱走のみであったのか?」
「間違いありません! 他の手段など皆無でした!」
「……例えば、他の者から金を集める、あるいは借りるという手段もあったはずだが。貴公が信じた友人は、その他の者からは信を得られないような者だったのか?」
「それは……時間が、ないと判断したのです。集める間に、両親の身が持つかどうかわかりませんから」
「多くの者を頼れば、時間は短縮できた事。まして、戦闘門と衛生門、二つの部門を頼ることが可能な身でありながら、頼らずにいたのは何故か」
「…………」
ストウの訴えを受け入れも受け止めもせず、アミヤは跳ね返して見せる。返す言葉を失ったストウに、アミヤは追い打ちをかけた。
「状況から、万全を尽くしたとは言えず、秘密裏に軍を抜けたかった事情があったのではないかと勘繰る事も可能である。故に、脱021はこのまま取り下げることはない。貴公はこれを正当な判断であると認める事」
それが揺るぎない判断なのだと、アミヤはそう示す。最早、ストウの取れる選択肢は、そう多く残されてはいなかった。
「……くそ。くそっ! お前のせいで!」
突然、ストウは拳を振りかざしながら、ガトレ達がいる代弁士席に突っ込んでいく。
ただの拳。だが、人々の身体は常に魔力が覆っている。魔力保有量の低いガトレなら、マトモに受けるとそれなりの怪我を負うだろう。
しかし、魔力では負けても、戦闘の素人であるストウの立ち回りは、ガトレには遠く及ばないものである。
ガトレは机に乗せた手で身体を支え、足先から軽やかに身体を乗り越えさせる。そして、その勢いのままにストウの右手首を掴み、傷一つなく制圧した。
「ぜぇ…絶対に、許さないからなぁ!」
「ああ。それで構わない」
ストウの執着がナウアから逸れるのなら、それで。
すぐ下で呻き声を漏らすストウを冷めた目で見下ろした後に、ガトレは首を持ち上げる。
何度か味わってきた、法廷中の視線が自身に集まる瞬間。いつも重圧を与えるその存在よりも、今は目を引く光景があった。
「考えてみたが、これくらいしかできることは無いようだ」
そう呟いたイパレアの表情は、とても悔しそうで、ガトレは身を強張らせ──
「──どうしてっ」
辛うじて、ガトレの抱いた疑問が解き放たれようとしたその瞬間、イパレアの構えた魔導銃から白い魔弾が放たれる。それは、真っ直ぐに、ガトレの身体を撃ち抜いた。
「ガトレ様っ……!」
悲痛な声を耳が拾う。ガトレは、何故か申し訳ない気持ちが湧いて、それが何故なのかを考える間も無く、意識を失った。
理由はわからないのですが、前回の更新後、それまでより多くの方に読んで頂いたり評価やブックマークをして頂けたりした様でして、ありがたい限りです!
どうか完結までお付き合い頂けますと幸いです。今年(2025年)中の完結を目指したい所存です。
-私信-
一ヶ月近く更新が空いたのに、(恐らく)ほぼ更新直後にいいねを付けてくださった以前からの読者A様(仮称)、何度目かになりますがいつもありがとうございます!




