閉廷:火柱と鉱人
「お疲れ様でした。ガトレ様」
「ナウアもな。今回は本当に、色々と助けられた」
調査の助手に、時系列のまとめ。ドリトザの動揺に気づかせてくれもした。一人で戦っていれば、詰められずにいた場面はいくつもあっただろうとガトレは額を拭った。
「大した事は出来ていません。アラクモさんも、おめでとうございます」
「ありがとーう。おめでたーい!」
「アラクモ、本当にわかっているのか? 危ないところだったんだからな?」
冗談めかすガトレに、アラクモは何も言わずに笑みを返すだけだった。
全てを理解していなくとも、アラクモにもこの法廷で何が起きたのかはわかっているはずだ。でなければ、ドリトザが犯人になりそうな場面で、否定はしなかっただろう。
ガトレは首を横に振りながら両手を挙げ、降参の意を示した。
「シマバキ=ガトレ。軍人としての私は感謝しないが、私人としての俺は感謝している。アラクモを救い、ノトスの無念を晴らしてくれてありがとう」
感謝を述べて右手を差し出しながらも、ドリトザの表情は険しさを保とうとして歪になっていた。
ガトレは苦笑を浮かべながら右手を差し出して握手を交わす。
「アラクモを救ったところ以外、感謝は不要だ。俺は、アラクモを救いたかっただけだからな。……それにしても、難儀な奴だ」
軍人としての自我と、私人としての自我が別れていながら、軍人として行動してしまうとは。
ドリトザが英雄殺しの罪を負ったなら、きっとそのまま受け入れてしまうだろうな。ガトレは良からぬ考えが頭を過りそうな気がし、慌てて首を振って追い出した。
そこへ、大きな影がガトレの視界を覆う。黄晶石の光を背に受けた、黄色い体毛に身を包む影は、ガトレの頭に手を乗せる。
「ぐゎらば! 見事だったぞシマバキ=ガトレ!」
「光栄です。コゲツ戦闘門頭」
頭に乗った手の大きさと、その手から伝わってくる多量の魔力が与える圧に押し潰されそうになるのを堪えて、ガトレは短く返した。
「戦闘門に置いておくのも惜しい人材だが、他のところに渡すのも惜しくなってきたぞ。まあ、まずは、英雄殺しの汚名を晴らさなければならんがな!」
「是。心得ております」
ガトレはさりげなくコゲツの右手に両手を添え、頭から離そうとした。横目にドリトザがムッとした表情を浮かべるのが見えたが、コゲツも察した様で、やっと手を頭から下ろした。
「まあ、仮に死罪となったとしたら……いや、流石に厳しいか。シマバキ=ガトレ。絶対に逃れてみせろよ」
「是。そのつもりであります」
「ぐゎらば! その意気や良し! 俺はお前を気に入ったぞ。何か望みがあれば一つだけ融通を利かせてやる。言ってみろ」
「望み、ですか」
相手は戦闘門の門頭であり、虎人の権力者でもある。ある程度の望みは叶えてくれるだろう。咄嗟に聞かれて困るくらいだ。
しかし、目下の目標は一つであり、それを成し遂げなければ先はない。ガトレの答えは一つだった。
「でしたら、英雄殺しが起きた際の作戦概要を急ぎ提供頂きたいです。昨日の時点では、まだ提出されていない様でしたので」
「おう、そうなのか? ならば俺が発破を掛けてきてやろう。ぐゎらば! ぐゎらば! 思ったよりも小さい望みが出たものだ!」
コゲツはガトレの肩を何度か叩く。ガトレはその度に自重を支える両足の膝を曲げ、衝撃に身を備えなければならなかった。
「わ、私の最優先事項は、え、英雄殺しの解決ですから」
話している最中に歯の噛み合わせが起きつつも、ガトレの意志は変わらない事を示す。肩を叩くのをやめたコゲツは、ニヤリと獰猛な歯を覗かせた。
「ますます気に入ったぞ。シマバキ=ガトレ小隊兵。英雄殺しの軍事法廷を生き延びた暁には、小隊兵長の位をやろう。ぐゎらばばば!」
「その際はありがたく拝命致します」
元々、ガトレには出世欲があった。己の価値を証明しなければならない理由があるからだ。
英雄殺しがなければ地道に上を目指していっただろうが、しかし逆に好機でもあると、ガトレは初めて考える事ができた。
「うむ。そして、ドリトザ=グレオム小隊兵、及びアラクモ小隊兵よ」
「はっ」
「はーい!」
ドリトザは堅苦しい程に整った敬礼をし、アラクモは足が乱れたまま敬礼をする。コゲツはそんな二人に微笑んだ。
「軍人として未熟なところはあるが、お前達の事も俺は評価している。ドリトザ小隊兵、お前はアラクモを陥れようとしたが、最後には抗った。アラクモ小隊兵、お前は窮地に立たされたにも関わらず、ドリトザを信じ切った。二人とも、見所がある」
コゲツはドリトザの頭に右手を乗せ、片膝をついてアラクモの頭に左手を乗せた。
「お前達は他者を受け入れなかったシズマとは違う。そのまま各々の信ずるものを胸に、精進するが良い。第八小隊の名声が耳に届くのを待っているぞ」
「はっ!」
「はーい!」
コゲツは子をあやす様に何度か頭を撫でると、膝を伸ばして立ち上がった。
「ぐゎらば! では、さらばだ新兵たちよ! 恥じぬ生き方をしていけよ!」
コゲツは豪快に笑い飛ばすと、陽気に足を踏み鳴らしながら法廷を出て行く。ガトレは終始、圧倒されていた様な気がした。
「コゲツ様は凄まじい方でしたね」
「そうだな。私は戦闘門の門頭があの方で良かったと思ってる」
門頭は功績や能力がまず第一にある為、尖っている人物も多い。その最たる例はピューアリアだが、コゲツは能力に人格も備わっている。
それでも、シズマの様なものが現れたり、鉱人を排斥しようとしたという噂が流れたりしたからには、快く思わない者や、信じる像を押し付けている者もいるのだろうが。
「アーもコゲツ様好きだー」
「俺は尊敬している。虎人にとっては伝説だ。あの方こそ英雄なんじゃないかと思える」
「英雄、か」
救国の英雄にも、信奉者や敵対する様な者はいたのだろうか。いや、コゲツですら存在したのだから、いない事はないはずだ。
これまでは、どうやって英雄を殺したのかを考えてきたが、どうして英雄を殺したのか、その理由から考えた方が、犯人に繋がるのかもしれない。
つまり、英雄を殺した動機だ。
「おい」
考え込んでいたガトレの耳に、呼び掛ける声が届く。
「ネッセ王子?」
「ネッセ王子って、マルア国の王子様じゃないですか!」
気付けば目の前に、ネッセ王子と、従者と思われる何者かがいた。
傍聴席では気付かなかったが、ネッセ王子の身長はガトレより一回り小さい。見下ろすと豪奢なティアラの隙間から、紅色の髪の中につむじが見えた。
ガトレは咄嗟に膝をつき頭を垂れる。足首まである履き物と銀晶石の加工が施された靴が視界に映った。
「面を上げよ。王族として敬意は受け取るが、貴賤はマルア国の流儀にそぐわない。お前もマルア国の出身なら承知しているはずだ」
「申し訳ございません。街からは離れた村の生まれですので、流儀を存じておらず」
「ならば今学べ。立つが良い」
ガトレはネッセの言葉に従い立ち上がる。やはり見下ろす様な形になるが、ネッセも従者も何も言わない。
従者としてどうなんだ?とガトレは様子を伺うが、従者はなんとも不気味な姿だった。
背の丈はガトレと同じくらい。しかし、身体はゆとりのある布に覆われていて、手も足も見えない。それどころか頭もだ。
頭は頭巾が覆っているが、顔に掛かっている部分が長く、目の前が見えているのか不安になる程だった。これで本当に、ネッセ王子を守れるのだろうか。
「おい、こちらを見よ」
「失礼しました」
ネッセに呼び掛けられ、ガトレは直ぐに従者から視線を切る。ネッセは不快そうな表情を浮かべていた。
「この度の法廷での活躍は見事だった。褒めて遣わす。我が国に戻し代弁士として働かせたい程だ」
「身に余る光栄です」
不快な表情から発せられる褒め言葉を、ガトレは喜んで良いのか戸惑いながらも受け取った。
「だが、寄り道などせずに英雄殺しを暴け。正体がお前でないと言うのならばな」
「承知しております」
「なら、これから何を調べるつもりだ? 言ってみよ」
ガトレは回答を少し考えたが、すぐに導かれた。
「救国の英雄、ソーラ殿の同期に話を伺ってみようかと思います。ソーラ殿に恨みを持つ人物の話を聞ければ、その者に殺害が可能であったかを考えられますから」
「ふん。多少は考えている様だな。だったら早く行け。早々に結果を出す事だな」
まだ幼い事もあり、凄みを感じさせない憎まれ口を叩くと、ネッセは従者を連れて法廷から去って行った。
「なんというか、可愛らしい方でしたね。チュユン捜査士官と似た系統な気がします」
「王族にそんな事を言えるのは、この中ではナウアだけだろうな」
無邪気に言い放ったナウアに、ガトレは肝を冷やした。アラクモよりも危うい発言だ。
「それより次は、ソーラ様の同期と会うんですね」
「ああ。今回の事件もそうだが、何故英雄を殺そうとしたのか、その理由も犯人を見つける上で重要な気がするんだ。明らかに連合軍にとって不利だからな」
英雄は妖魔討伐において大いに貢献している。多少の恨みがあったとしても、世界を守ってくれているという事実と比べれば許せてしまう。いや、許すべきだと考えるのが普通だ。
「ただ、その前に食事にしないか。そろそろ魔力を補給したいんだ」
「私は構いません。そういえば、しばらく食事を摂っていなかったですね」
「それは医圏管師としてまずいだろう? いつ治療魔術が必要になるかわからないんだからな」
「あ、はは。ええ、まあ、そうですね」
また何かを誤魔化す様にナウアは笑う。度々おかしくなるナウアの様子を見て、ガトレは共通する事に気付く。
治療魔術、か? リザルドが尻尾を切った時もそうだった。あれは、俺の態度が威圧的だったからではなく、治療魔術を必要とする状況に対して、不安定になっていたのか。
……何かがあったのだろう。恐らくそれが、ナウアが俺の助手となった一因でもある。
しかし、ナウアの口から説明が出るまでは、触れる必要もあるまい。
ガトレは話の振り先を変える事にした。
「アラクモ、ドリトザ、もし良ければ、二人も一緒にどうだ?」
「アーは行くー」
「俺は……良いのか?」
アラクモは右手を元気よく挙げたが、ドリトザは逡巡する様に身体を縮こませた。
「構わないさ。アラクモの友人なんだろう?」
「そうだ」
ガトレの問いにドリトザは即答したものの、少し考える様に目を瞑る。そして、一拍置いて答えは出た様だ。
「……いや、そうだな。行かせてもらう。一食くらいは奢らせてくれ」
それが、ドリトザなりの落とし所の様だった。
「わかった。なら、そうしてもらおうか」
ガトレも固辞せず、それを受け入れる。ドリトザは見るからに安堵した様子を見せた。
「じゃー行こー!」
「ああ、行こう」
号令を掛けたアラクモが中心となり、四人は法廷の外へと向かう。ガトレは扉を出る間際、シズマが放った魔術の効果が丁度切れて、黄晶石の明かりが消えた事に気づいた。
ガトレには、何故かそれが、アラクモ達を見送る誰かの意思であるかの様に思えた。
そして、この道を共に歩いていたかもしれない五人目を想い、法廷の扉をゆっくりと閉めるのだった。




