鉱人と犯人
ドリトザは顔を俯かせたまま証言台へと向かった。その表情は伺えない。焦りか、驚きか、落胆か。どの様な表情であっても、意外性はないだろうとガトレは思った。
「ドリトザ=グレオムよ。貴公には今、ロロアル=ノトス殺害の嫌疑が掛かっている。無実であるならば、その身の潔白を証明する必要がある」
「是。心得ております」
ドリトザが顔を上げて返事をする。その表情は、不思議な事に負の感情を示してはおらず、毅然としていた。
まだ余裕があるのか? それとも虚勢か? ガトレは訝しむが、ドリトザの話を聞けば明らかになるだろうと考えた。
「それでは、貴公は被告人らと別れた後の行動を証言する事」
ドリトザは事件発生までの間に何をしていたのか。最後に事件現場付近にいたのは間違いない。にも関わらず、シズマへの報告を怠っていたのは不自然でしかないのだ。
その不自然さを解消できる証言ができるか? ドリトザ=グレオム!
ガトレが挑戦的な表情を浮かべると同時に、ドリトザは語り出した。
「私はアラクモ達と別れた後、訓練場へと戻りました。理由は、アラクモ達の向かった方向が訓練場とは違っていたからです。どうやら、食堂へ向かっていた様ですが、上司の指示に従わないとは言語道断。そう感じた私は、小隊長への報告を後回しにし、訓練場で二人が来るのを隠れて待っていました」
拭い切れない違和感のある証言だったが、ガトレはひとまず最後まで聞く事にした。
「その後、訓練場に来た二人が道具を持ち運んだ事を確認した為、二人の後を追う様にして、倉庫の方面に向かったのです。その途中で医圏管師に呼び止められ、火柱の元へ集められました。以上です」
ドリトザの証言は単純なものであった。
ガトレは軍人の鑑とも思えるほどに、ドリトザは上司の命令を忠実に受け取る者という印象がある為、アラクモの行動に疑念を抱いたというのも理解ができる。
しかし、証言の粗は多い。そして、無実だという証明をするには弱い。
「質問です。アラクモの行先に不信感を抱いたのであれば、その時点で問い詰めるべきだったのでは?」
「アラクモが方向を勘違いしている可能性もあった。それならばノトスが正すと考え、目的地に先回りしたのだ」
ガトレの質問にドリトザは表情を変えずに返答した。事前に回答を準備していたのだろうか。
「もう一つ、アラクモ達の後を追って倉庫へ向かったのなら、火柱が発生した瞬間に立ち会ったはずなのでは?」
「それはない。アラクモ達の移動経路と私の移動経路は異なっている。アラクモ達は初めに直進したが、私は左に曲がって行った」
ガトレは事前に確認した上面図を思い出す。
アラクモとノトスの移動経路は直進から始まり、左折、右折、左斜め方向に直進というものだった。
ドリトザが直進ではなく左折から始めたのなら、中庭を通らず廊下に沿って歩く事で、確かに二人と合流しないまま憩いの間を抜ける事は出来ただろう。
「だとしても、歩く速度は大きく変わらないでしょう。アラクモ達が火柱の発生地点へ到達した後に、滞りなく火柱が発生していれば、貴方も火柱を目撃したはずです」
「前提が間違っている。アラクモとノトスは直進後、立ち止まっている時間があった。だから私は左折したのだ」
「立ち止まった? しかし、わざわざ道を逸れなくとも、そのまま再び合流してしまえば良かったのでは?」
「私がシズマ小隊長から受けた指示は、ノトスの体調を報告する事だ。小隊長が倉庫付近にいるのだから、ノトスの到着前に報告せねば指示が未達成になるだろう」
「そんな律儀に……」
上からの指示には忠実な精神が非効率に繋がっている。通常であれば疑わしい点でしかないのに、ここまで見て来たドリトザの人間性に一貫があるせいで、説得力が出てしまっていた。
「チュユン捜査士官の聴取によれば、被告人と被害者が立ち止まったのは事実です。被害者が喉の渇きを訴え、噴水の近くに止まっていたとの事でした」
リザルド法務官から、証言に対して何度目かの補足が入る。手持ちの情報を出してくれる点では公平だとガトレは感じた。
噴水。ナウアが魔術陣を見つけた場所ではある。無関係ではない様に思えるが、現時点では関連性を推察する事もできない。
ナウアいわく、噴水の水を移動させる術式だったとの事だが。水を飲む為に魔術を使ったのであれば、魔術陣は発動済みのはずだ。
噴水に魔術陣があった意図について、ガトレにはまだ思いつかなかった。
「なお、人通りが少なかった為か、ドリトザ氏についての目撃証言はありません。そもそも、被告人らの目撃証言もないので当然でしょう」
「私とナウアも火柱が発生する直前、憩いの間にいましたがドリトザ氏を目撃していません。ナウアが被告人の声は聞きましたが、姿も見えず。灯籠が破壊されていた為かと思われます」
「ふむ。ドリトザ氏の証言は、真実と捉えるには証拠が不十分な様だ」
目撃者はなし。語られた行動の動機は理解できるものの、訓練場でアラクモ達が来るまで待ち続けていたというのは、不自然な行動という他ない。
「あとは被告人が食堂に行った時間次第だが──」
──バタン! と、アミヤの声を遮る様にして、法廷の扉が開かれる。
衆目を一斉に集めたその場にいたのは、チュユンとヒト族であった。
「チュンれて参りまチた! 食堂の証人です!」
コンコン! 木槌が小気味良い音を立てて二人を迎える。アミヤが厳かに声を響かせる。
「丁度良き事。証人に証言を求める。ドリトザ氏は一度退くが良い」
ドリトザは無言で証言台を立ち去ると、傍聴席ではなく法務官の近くに待機した。
代わりに証言台には、チュユンに連れられた証人が向かっていく。
新たな証人はヒト族で、茶色い髪を短く括った壮年に見える風貌だ。糧圏管の制服である白い前掛けを身につけている。
緊張した様子の証人は、チュユンと共に証言台に立つ。チュユンは耳打ちした後に、法務官の元へ向かった。ちなみに耳打ちの内容は筒抜けで、「頑張ってください」だった。
「それでは証人よ。まずは身分を明かす事」
「はい。私は糧圏管所属、食堂係のレシル=ピントナ。かなり迷惑なので早く終わる事を希望します」
「よろしい。そして安心して欲しい。そう時間は取らない。貴公は昨日、そこにいる鉱人を目撃したと聞いている。その時の事について証言をする事」
アミヤはガトレの後方を指差す。そこにはアラクモが座っていた。
ガトレは法廷に来てから初めて、背後のアラクモの方を見てみる。アラクモは足をプラプラさせていて、現在の状況がわかっているのかもわからない。
ただ、見ている先が話し手ではある様だった。話を聞いてはいるのだろう。
「わかりました。もう話したんですが。まず、食堂の勤務は時間毎の四交代制です。一時から七時、六時から十二時、十一時から十七時、十六時から二時ってなってます。その中で昨日の私は十六時から二時の当番でした」
夜行性のアビト族もいる為、衛生門の医務室や食堂は常時開放されている。いつ睡眠時間を確保しているのかと思っていたが、そうなっていたのか。
「それで、食堂の電光が点き始めた頃だから、十七時過ぎくらいだと思います。鉱人が連れと食堂に来ましたよ」
電光というのは、食堂の天井から吊り下がっている照明器具の事だ。
憩いの間に設置されていた置き灯籠や、廊下に設置されている石灯籠は、内部の魔術陣に魔力を込め、炎系魔術で火を灯す。
一方で電光は、電気系統の魔術を直撃させる事で光を放つ、黄晶石が使用されている。暗くなってくると電撃魔術を吊り下がった黄晶石に当て、光源とするのだ。
しかし、純度の高い黄晶石は貴重であり、軍内でも使用されている場所は多くない。
そんな中でガトレ達が今いる法廷も、黄晶石が使われている数少ない部屋であった。
「鉱人は何も食べなかったんですけど、連れの軍人は流体固形食を食べてました。体調でも悪かったんですかね」
「証人よ。十七時過ぎ。それは確かか?」
「食堂の電光が点く時間はそれぐらいですから。遅れていたら、暗くて料理なんてやってられませんしね」
ガトレは小さく「よし」と声を漏らした。
糧圏管の証人により、アラクモには灯籠の破壊が不可能だと証明されたからだ。
「ふむ。これで被告人の行動経路はより詳細になった。十六時半以降、訓練が終わった被告人は第八小隊の隊員と食堂へ訪れた。その後、小隊長の指示により、ドリトザ氏が同行の上で宿舎へと向かい、被害者と合流。それから再び食堂へ向かったが、食堂に到着した時点で十七時を過ぎていた」
アミヤがアラクモの行動経路を改めて説明する。ナウアも時系列を書き加えている。これが最後の証拠になるだろうなとガトレは考えた。
「事件に関係性があると思われる、事件現場の灯籠は十七時の時点で破壊されており、それまで被告人には灯籠を破壊可能な瞬間がなかったと判断する。よって、この事件の犯人は、被告人のアラクモ氏とは考えにくい」
コンコン! アミヤが木槌を叩く。ガトレにはそれが、終わりを知らせる号令かの様に思えた。
「従って、本事件の犯人はドリトザ=グレオムであるという代弁士の主張を受理する事とする。異論がある者はその意思を示す事」
アミヤが法廷の総意を問う。
すかさず手を挙げたのはリザルド法務官だった。
「異議あり。ドリトザ氏に時間的な制約が無かったというだけで、犯行を行ったとするのは根拠に乏しいかと思われます。犯人であると判断するのは早計ではないでしょうか」
「異議あり」
リザルドの発言にガトレが異議を唱える。
ガトレはドリトザが犯人であると示す切り札を切る事にした。
「現場の魔術陣が描かれた地面は粉々になっておりました。また、先ほど提出した第八小隊の能力適性によれば、ドリトザ氏は魔力紋に破砕の術式が含まれており、魔力を込めたものが壊れてしまう性質を持っている様です。これらの事から、代弁士側はドリトザ氏が魔術陣を発動したのは確実だと考えます」
魔術陣が壊れていたのは、魔力紋を隠す目的では無かった。単純に、犯人がその身に宿した特性上、壊れてしまう他なかったのだ。
これこそが、ガトレが持つ決定的な切り札であった。
「くっ。……私の、負けか。……法務官側に、これ以上の異論はありません」
リザルド法務官は悔しげに言うと、机に倒れ込んだ。まだ法廷は終わっていないのに、それ程に精神的な負傷が大きかった様だ。
尻尾も一回切っているしな、とガトレは額を拭ってから安堵の息を吐いた。
「やりましたね。ガトレ様……」
「ああ……。ナウア、本当に助かったよ」
「いえ。……私もこれで、救われました」
ほうっと万感の笑みを浮かべるナウアにガトレも微笑み返してから、リザルドの近くに待機しているドリトザの様子を伺う。
しかし、ドリトザは何も言わず、ただ見守っている様だった。
ドリトザは抵抗しようと思えば可能な状況ではある。現状、提示されているのは状況証拠のみであり、ドリトザがどの様にして被害者を殺害したのか、具体的な方法は論じられていない。
しかしそこは、この後に法務官や捜査士官が聴取していく事になるだろう。動機の見当くらいは既についているが。
アミヤが法廷を見回した。誰の反応もない。それを誰もが確かめた。
その上で、アミヤは口を開く。
「ドリトザ氏が犯人であるという判断に何者も異論はない様だ。……本法廷はこれ以上の審議を必要としない状況となった。従って、今ここにドリトザ=グレオムをロロアル=ノトス殺害の犯人として──」
「マーター!!」
「……マーター?」
アミヤの、否、裁判長の判決を遮った声は、ガトレにも聞き馴染みのある、鉱石を打ち鳴らした様な響き渡る声であった。
アミヤの鋭い視線がガトレに、ではなく、その背後にいる声の持ち主を突き刺す。
「被告人よ。神聖な法廷を悪戯に荒らすは悪しき事。その発言の意図するところを心して答えよ」
「ドートーは犯人じゃないー! ドートーは優しいもーん!」
「アラクモ……?」
ガトレは困惑の声を出す事しかできなかった。
アラクモが犯人だという法務官の見解は覆した。アラクモは罪人ではなくなったのだ。なのに何故、この瞬間に、そんな事を言うのか。
「被告人よ。異議があるのであれば、論理的に返す事。あるいは、代弁士ならば代わりに語る事が可能か?」
「え? ……私は……」
「ガトー! ドートー犯人じゃない! 絶対そんな事しない! 信じて!」
アラクモは椅子から立ち上がり、頭をブンブン振りながら必死の形相でガトレに訴える。
「……信じて、か」
「ガトレ様……?」
横にいるナウアが、心配そうにガトレを見る。
そうだろう。既に趨勢は決した。法廷の心象はすっかり変わって、ドリトザが犯人だという主張を支持している。
これ以上、やる事はない。する必要はない。してはならない。そのはずだ。わかっている。それなのに。
「私は……代弁士側は、ドリトザ氏が犯人だという主張を取り消します!」
「なんだと!?」
アミヤの翼が大きく広がり、驚愕の声が上がった。ガトレはこんなアミヤの姿を見るのは初めてだった。
「ガトレ様、一体何を!?」
「悪いなナウア。……だが、私はアラクモを信じたい」
「ガトー! ありがとーう!」
ナウアはアラクモに一瞬だけ顔を向けてすぐに切った。そして、憐れみを浮かべた表情でガトレに訴える。
「ですが、アラクモさんが騙されている可能性だってあります!」
「その時は……その時だな」
「ガトレ様!?」
ガトレ自身、先が見えている訳ではない。むしろ、この先は真っ暗闇にしか思えない。
だが、ガトレはこの法廷に、アラクモを信じるという意志を持って臨んでいた。であれば、その意志を最後まで貫かなければならない様な気がしたのだ。
犯人だと訴えながらも、影響されてしまったのかもしれないな。軍人の鑑であるかの様な、その一本気に。
と、ガトレが見つめる先には、アミヤ以上に驚いた様子のドリトザがいた。
コンコン! 木槌の音が鳴る。ガトレには、その攻撃的な音が、自身を責めているように聞こえた。
「代弁士よ。いや、シマバキ=ガトレよ。貴公は自身の口から出た言葉の意味を理解しているのか? 貴公はドリトザ=グレオムが真犯人だと主張し、見事にその主張を信じ込ませてみせたのだ! だというのに、その主張を撤回すると!? それも、鉱人の戯言を真に受けて!」
「私はアラクモの代弁士です。故に、被告人の事を信じます。鉱人などという事は関係ない。……シマバキ=ガトレはアラクモの友であり、友の言葉を信じるのです!」
ガトレは引鉄を引いた。銃を向けた先にはドリトザがいたはずだった。
しかし、放たれた銃弾の全てが狙い通りに当たるとは限らない。時に人に、時に物に阻まれる事もある。ガトレの射線上に、突如として英雄が現れた様に。
放たれた銃弾が偶然にも予想外の相手を撃ち抜いた時、その銃弾は流れ弾と呼ばれる。
狙いをつけて放たれた銃弾は、ガトレには一生撃ち抜けない鉱石が跳ね返し、今まさに狙いを逸れようとしているのだった。
恐らく次回で犯人が確定する事でしょう。ここが推理を楽しむ最後のチャンスです。恐らく。




