婚姻魔術
「婚姻魔術というと、子を成す為の魔術ですか」
ガトレは聞き間違いの可能性も考慮し聞き直す。
「その通り。左親と右親で、手を繋ぐなどの身体接触を維持したまま、婚姻の魔術陣に魔力を注ぐ。すると、事前に魔術陣の上に置いてあった両親の毛髪が魔力により成形され、子が作られる」
それは、ガトレも聞いた事のある、一般的な婚姻魔術の説明だった。一般知識ではあるものの、ガトレにはその様な行動を取る意味が理解できないでいた。
「私には理解不能です。何故わざわざそんな事をするのか。自身の生さえ全うすれば良いでしょうに」
「ガトレ様。婚姻魔術は交渉や証として使われる事もあるのです。かくいう私も、ある二つの商業組合の長達により、友好の証として生まれました」
「それは……その、そんな出自で、何故ここに?」
ガトレはナウアの突然の告白に瞳を彷徨わせ、結果出てきた質問がそれだった。
「友好の証である以上、どちらの商業組合でも後継者たり得ず、他の商業組合に属すというのももっての外。それ以外の道を模索するしかなかったのです」
「もしかして、出身はアスタバか?」
「はい。商業国家アスタバです。国の政治ですら商会が関与できてしまう、拝金主義者の巣窟ですよ」
アスタバは複数の商業組合が寄り合ってできた国である。ガトレの出身国であるマルアには、国の成り立ち上、アスタバからの移住者も多い。
「ガトレくんもそうでしょうが、ナウアくんのようにヒト族は婚姻魔術で子を成すのです。しかし、アビト族の中には、異なる方法で子を成す人々もいます」
「異なる方法?」
フギルノはコクリと頷くとガトレの下半身を一瞥してから答えた。
「知っての通り、アビト族はヒト族とは異なり、性別というものがあります。雄と雌ですね。加えて、雄には雄の、雌には雌の、生殖器という器官がある。この器官を使う事で、婚姻魔術を介さずに子を成す事もできるのですよ」
雄と雌、という存在についてはガトレも知っていた。ヒト族の特徴は毛と胸が薄く、食事後、体内で魔力を取り出された後の余分な物質は嘔吐する事で排出される。
一方で、アビト族には胸板が薄い者と膨らみのある者がいる。ガトレは実際に大浴場で、アビト族と自身の、肉体の違いを目視した事もあった。
しかし、婚姻魔術を使わずに子を成すことができると言うのは、ガトレが初めて耳にする知識であった。
「……そう、なんですね。ですが、婚姻魔術でも子供を作れるのですから、それで十分なのでは? それとも何か利点が?」
「利点、とは面白い表現ですな。婚姻魔術との違いは、魔力を使用しない事、親の体内である程度まで育てられてから生まれる事、生まれる子供が両親の容姿を引き継ぐ事。しかし、魔力紋は引き継がない。この程度ですよ」
それならば、子は親に愛されるのだろうか。……生まれた時から認められるのだろうか。
ガトレは軍帽の鍔を下げ、迫り上がってきた疑問を押し殺した。軽く息を吐き、尋ねる。
「話はわかりました。ですが、ここまでの話が、魔力を抑える術とどの様に関わるのですか?」
「アビト族が生殖器を用いて子を成す事を交尾と呼びます。交尾の際には、生殖器同士の接触を必要とするのですが、一般的にその距離が近いほど子供が出来やすくなるのです」
「ああ、理解しました。つまり、身体の一部を接触させる為に、身体を覆う魔力が不要となるのですね」
「ええ、その通りです。理解が早くて優秀ですね」
ガトレは曖昧な笑みを浮かべてから思索に耽る。
身体を覆う魔力を抑える。それはつまり、相手に対する信頼を示す行為でもあるのだろう。
魔力があれば魔術による攻撃から身を守る事ができるが、それを放棄するということは、相手の前で無抵抗になるということだ。
……それにしても、アビト族が子供を作る為に必要だったという事ならば、ヒト族である救国の英雄が、魔力を抑える技術を身につける理由はない。無抵抗の肉体で魔弾を受けた可能性は低そうだ。
加えて法廷では、英雄が魔力を抑えていたという主張を裏付ける根拠が必要になってしまう。
ガトレは証明の難しさも考慮し、英雄が身を守る魔力を抑えていたとは考えにくいと判断した。
「優秀なガトレくんには、是非とも私見を頂きたいものですね」
「私見ですか?」
「はい。この世界にはヒト族、動物、そして動物の姿を獲得しながらヒト族に近い形をしたアビト族がいます。これらはどのようにして生まれたのか、その起源を知りたいのです」
「私たちの起源……。考えた事もなかったです」
「我々の起源を知れば、妖魔の起源にも近づけるのではないか。私はそう考えてここにいるのですよ」
フギルノの発想はいずれもガトレにはないものであった。
妖魔は魔力の集合体。ヒト族と同様に魔力中枢を狙うか、身体を大きく損失すれば回復できずに霧散する。
つまりは倒せる存在であるという事で、今この世に存在する全ての妖魔を倒せば、この世界から妖魔という存在は消えるのだ。
せめて言語を介せば取引や交渉もできただろうが……。
「ヒト族の婚姻魔術。動物、そしてアビト族の交尾。さて、何が最初に生まれ、どうして今に至ったのか、ガトレくんはどう思われますか?」
ヒト族は婚姻魔術でしか子を成せない。動植物は所持した自然魔力で魔術を使うことはできないが、交尾で子を成す。アビト族は婚姻魔術も交尾もできる。
そこでガトレは、親友の顔が浮かんだ。
「……あの、鉱人はどうなのですか? 植物はまだしも、鉱石に性別があるとは聞いた事がありません。鉱人となれば、性別はあるのかもしれませんが」
「ホホーウ!素晴らしい!そこに目をつけるとは」
フギルノは目をニンマリと細め、今までにない喜びようを浮かべる。
「そこが最大の謎なのです! 実は、アビト族の中でも鉱人には性別がなく、存在としてはヒト族に近いと言えます。性別がない理由について、私は鉱石に性別が無いからだと想像しておりますが。さて、ガトレくんはどのように考えますか?」
「できる事、という点で考えれば、性別のないヒト族が、何らかの方法で動植物や鉱物と交わった。そして、交尾も婚姻魔術もできるアビト族が生まれたのではないでしょうか」
ヒト族はアビト族に比べれば身体的特徴に乏しい。空を飛べず、早く泳げる身体でもなく、体格は中型で魔力総量も劣ってしまう。
「ヒト族が優れた肉体を求めてアビト族となった。……私はそう考えますが、良ければナウアの私見も聞かせてくれないか?」
「私ですか?」
ナウアは油断していたのか声に驚きを露わにしたが、気を取り直して私見を述べ始める。
「私は初めからヒト族、アビト族、動植物が存在し、それぞれ発展してきたのではないかと」
ナウアは思い出す様に視線を彷徨わせながら苦笑を浮かべた。
「寂しがりの同僚が実験に託けて、片手から自身の魔力、もう片方の手から変換した自然魔力を流し込んで婚姻魔術を試していましたが、子を成す事はできなかったんです」
「ならば、その方法でヒト族と動植物が交わる事は不可能という事だな」
ガトレ自身、ヒト族がアビト族に発展したのだと考えつつも、その方法は浮かばなかった。しかし、知識がなければそれも当然だろうと考え、何らかの方法という形で仮説を述べた。
「ガトレくんのはヒト根源説、ナウアのは全種派生説に当たりますね。前者はヒトがアビト族になったというもの。後者は全てのヒト族、アビト族、動植物、それぞれに元となる存在があり、派生していったというものです」
ガトレはフギルノの話に興味が湧いてきた。全く考えた事もなかった人類の根源というものが、未だ明らかにはなっていないという事実は、好奇心を刺激した。
特に惹かれた理由は、○○説といった専門用語が出てきた点にあったが。
「フギルノ博士はどちらでお考えですか?」
「ホホーウ。私はどちらでもなく、動植鉱退化説を支持しておりますよ」
「それは、どのような説なのですか?」
「全種派生説と近いのですが、元々、動植物や鉱物が魔術を使える存在だったという考えなのです。そして、魔術を使い続ける内、魔力紋が擦り切れた。残ったのは婚姻魔術で生まれたヒト族やアビト族。動植物は魔力紋を失い、自然魔力を獲得するのみとなったというものです」
「……一つ疑問なのですが、魔力紋が擦り切れるという事はあるのですか?」
ガトレはフギルノに質問したが、反応したのはナウアだった。
「少なくとも、ヒト族やアビト族でそういった事例や症例は確認されていません。私が知らないだけかもしれませんが」
「動植物や鉱物がどれほど長く存在していることか。ヒト族やアビト族の寿命はたかが知れています。もしも寿命が伸びれば、魔力紋を失う事例も確認できるかもしれませんね」
魔力紋を失う。そうなれば、所持する魔力は自然魔力となり、魔術を使う事もできなくなる。
「ナウア。自然魔力で魔術は防御できるか?」
「え? あ、はい。その通りです。ですので、魔力の豊富な動物は、魔力総量の多い方が狩猟すると聞きます。生業としている方が組合とも取引していましたよ」
自然魔力でも魔術は防御できる。ならば、英雄が魔力紋を失った為に撃ち抜かれた、という説は成立しないか。
「ガトレくん。根源論において重要な鍵は、アビト族の異端である鉱人だと私は考えています。そこから仮説を編み出し、仮説を裏付ける証拠を集めて真実とする。君の無罪を証明する際にも、使える考え方となるでしょう」
フギルノがガトレの頭に手を置き撫でる。
ガトレはその様子が、まるで先生の様に感じられた。
「同感です。時間が足りるかはわかりませんが、幾つもの仮説を編み出して、否定して、真実を探ることになるのでしょうね」
「ええ。ただ、安心してください。鉱人が鍵となっているこちらの研究よりかは、着実に進められるでしょう。何故なら、会話の成立する鉱人は稀ですから」
フギルノは残念そうに首を振る。
ガトレはアラクモの顔を思い浮かべて擁護する。
「でも、鉱人は良い奴です。鉱人の友がいるので、わかります」
「ホホーウ。そう、彼らは善良です。とても、ね。……だからこそ、君が守ってあげるといい」
「アイツは強いですよ。火力だけなら私よりも高いです」
「わかっています。魔術の強さ、それもまた、鉱人の特徴ですからね。……しかし、中には、鉱人を差別する者もいます。おわかりでしょう?」
「ええ。……わかっています」
ガトレはフギルノを見上げ、力強く頷いた。
今日、ナウアとも話したばかりだ。鉱人の知力は低い。それ故に、見下される事がある。
フギルノは真剣な表情でガトレの頭をポンポンと叩くと、それから肩をすくめた。
「実は、ガトレくんが私見として述べた、ヒト根源説を差別理由とするものもいるのです。ヒト族がより強さを求めたが故にアビト族は生まれた。つまり、アビト族はヒト族より進んだ存在である、と」
「私もそう感じる事はあります。このヒト族の身体では、アビト族には及びません」
フギルノは首を振って優しい笑みを浮かべた。
「そんな事はないのです。私は梟の鳥人として、空を飛べますし、この目は遠くの光景も写します。しかし、その世界は色褪せた黒い世界なのです。どうやら、私が描き写した私の世界は、皆さんと同じ世界ではないのですよ」
フギルノは打って変わって悲しそうな表情になり、傍らに立て掛けてある描きかけの絵を見た。
ガトレの見る世界よりもクッキリとしていながら彩度のない世界は、美しくも乾きや飢えを感じさせた。
「できない事が多いから劣っているという考えは悲しいものです。できる事なら、現在の不毛な妖魔との争いが、お互いを認め合える環境へ至る切っ掛けになってくれればと、私は願っています」
フギルノはそう言って、ガトレの頭を撫で付けた。
「私も同感です」
ガトレはそれだけ言って、視線を落とす。
ガトレの視線を追う様にして、フギルノの翼からヒラヒラと羽が抜け落ちる。羽は地面へたどり着く前に、外から吹いた風に巻かれて消えていった。