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銀の盟約  作者: 朱市望
2 本編
4/32

④弟妹への招待


 パトリシアは化粧台の前に、妹のエーファを座らせた。鏡の中の妹は緊張した面持ちのまま、こちらをじっとみている。どうぞ、と侍女のソフィが持って来たいくつかの髪留め用のリボンを真剣に見比べ始めた。やや赤味の混じった栗色の髪はもう一人の弟も含めて、伯爵家の子供達に共通している。


 パトリシアは社交界へ入って大人として扱われる年齢になるのを、あと数年後に控えていた。現在でも、人前に出る機会がそれなりにある。自分を明るく印象良く見せる、衣装や装飾品の細かいところまでよく知っているつもりだ。

手ずから丁寧に櫛で妹の髪を梳かしながら、今後の参考も兼ねて噛み砕いて説明した。そうやって、選りすぐった中から本人に選ばせている最中である。


 ソフィは気が利くので、パトリシアの説明に合わせてリボンを選び取り、エーファの髪に添えてくれている。髪をまとめる一番基本のリボンについて、細身から幅広、色の濃淡や装飾の有無まで長々と語ってしまったけれど、優秀な侍女のおかげで、今のお話は分かりやすかったに違いない。

 その日の天気や流行も念頭に、けれど派手過ぎずかと言って地味で目立たないのもいただけない。品良く洗練されて見えるよう、持ち物には細部までこだわらなければならないのだ。



 よし、とエーファの髪を整えて、本人もピンクの気分だと言うのでパトリシアはその通りにした。これから特別な外出を予定している妹を安心させようと、鏡の中の彼女と目を合わせて笑いかけてみた。


 世間一般に、女性はやわらかく微笑むのが魅力的だと言われている。けれどパトリシアは古くからある伯爵家の第一子という身の上や、格上の家柄が相手の婚約者がいる事情も相まって、周囲にどこか気取った印象を与えてしまうらしい。鼻にかけた覚えは一切ないけれど、口さがない者はともかく、親しい人にまでそのように思われたくはない。鏡の中へと、精一杯優しい表情を心掛けてみる。

 一応、相手が気心の知れた妹であるというおかげか、思ったよりは自然な表情のように見えた。これを、家の外で実践する時にもできる事を願うばかりである。



「お姉さまが手配してくれた服、とても可愛いね」

「ええ、最高に素敵。ソフィも手伝ってくれてありがとう。さあ、これでどうかしら」 


 鏡の中で無邪気に笑う妹の様子にほっとしながら、パトリシアは彼女に立つように指示をした。もう一度頭の先からつま先にいたるまで、外出前の最終確認をする。姉のお下がりではなく、彼女のために仕立てたよそ行きの衣装である。

 いつも利用している商会に見積もりの相談をした際には、たまたま婚約者のルイスが居合わせていた。そのおかげか、今後も末永く御贔屓に、という意向で随分と割安な値段にしてくれたのだ。

 こんな機会はもうないかもしれない、と父を粘り強く説得して、注文の許可を得た。普段はあまりいい顔をしない父も、王城に招かれているという事情もあって、渋々了承してくれたのである。


「……大丈夫よ、エーファ。今日はお呼ばれなのだから、大人しく周囲の指示に従って」


 良くも悪くも、おっとりとした気性の妹である。何事もゆっくり丁寧に、それが妹のエーファだ。その時に扉が開いて、弟のリヒターが顔を覗かせた。こちらも仕立ての良い、より一層利発な少年に見えるような恰好をしている。とっくに支度は済んでいるようで、まだ終わらないの、と言わんばかりにやや不満げな様子があからさまに見て取れた。


「……エーファ、もし本当に困ったら今日はリヒターが一緒で、それに王城にはルイス様もいらっしゃるから。きっと助けて下さるはずよ」

「……姉さん簡単に言うけど、ルイスさんは仕事で王城にいるんだぜ」


 うん、と素直に頷いた妹とは対照的に、したり顔で口を挟んだ弟を、パトリシアは軽く睨んでおいた。別に自分の婚約者の仕事を軽んじたつもりはなく、あくまで励ましや安心させるための助言として口にしたつもりだった。


 パトリシアの婚約者、十六歳のルイスは侯爵家の一人息子にして、現在は王太子、オレリアン殿下の側近くで仕事をしている。機密なのであまり教えてはくれないが、年齢が近いので話し相手と言ったところだろう。

 ルイスは常に、虫一匹殺さないような優し気な好青年である。次期侯爵という肩書に反して覇気がない、などとこき下ろす人もいるけれど、気さくで親しみやすい人柄の持ち主である。

 

 パトリシアと彼は、初対面で既に将来の間柄まで決まっていた仲である。もし自分に、頼りになる兄がいてくれたら、という落ち着きと穏やかさを年上の異性として、そして自分の婚約相手として理想的に持ち合わせていた。自分にはもったいないくらいの、申し分ない相手として捉えていた。


 それから人見知りのエーファにしては珍しく、パトリシアの婚約者には懐いていた。屋敷を訪れた際には丁寧な挨拶を、邪魔しちゃいけないから、とは言いつつもお茶を一緒に、と声が掛かればにこにこしながら登場する。リヒターが失礼にならない程度におざなりな挨拶と、お菓子を一つ手にとってそそくさと退場するのとは対照的だ。


「……それじゃリヒター、くれぐれもエーファをよろしくね。ルイス様は王城にいらっしゃるけどお仕事中だから、あなたが頼りよ。困った時、もしかしたらルイス様が助けてくれるかもしれないけれど」

「はいはい」


 弟は生返事の後にパトリシアの顔をちらりと窺って、わかりましたよ、と肩を竦めながら言う。本日、貴族階級の子供達が王城に招待された。今までに例がなく、パトリシアが弟妹と同じくらいの年齢の頃にはなかった出来事でもある。オレリアン殿下が主宰で、王宮で何か集まりを開催するらしい。


「いい? よその家の子とも仲良くね。機会があれば、友達もできるといいね」

「姉さんだって、ブランシュ嬢とかがいるじゃん」

「あら、あの子とも仲は良いの。顔を合わせたら一番に話しかけて来るんだから」

「……どうだか」


 短いやり取りをしながら、パトリシアは弟妹を連れて父の執務室へ挨拶に向かった。今から行ってくる旨を報告し、エーファの衣装を父が快く注文してくれた件についてもできる限り丁寧にお礼を述べていた。父はどこか気まずそうながらも決して失礼のないように、とお決まりの文句を口にして、再び手元の書類に目を落とした。



 本日、カステル伯爵家の弟妹に限らず、まだ子供と言って差し支えのない年齢の子供達が、御年十五歳になるオレリアン殿下から王城に招待されていた。


 今までにそのような場が設けられた前例はない。顔合わせして音楽を親しみ、お茶とお菓子を頂いて、という穏やかな場であると、多くの大人達は想定していた。もしかしたら顔を覚えてもらって、未来の国王陛下のお気に入りになれるかもしれない。どの家も張り切って送り出しているはずだった。


 

 






 二人が行ってしまってから、静かな屋敷に留守番となったパトリシアは落ち着かなかった。できるだけの知恵はつけておいて、もちろん行儀作法にも大きな問題はない。婚約者のルイスも王城のどこかにはいてくれるのは心強い。それでも、問題なく終わりますように願わずにはいられなかった。

 侍女のソフィがお茶を運んできて、さあさあと私室でくつろぐように追い立てて来た。とっておきのお菓子を持ち出して、主人に徹底的にくつろぐ時間を過ごさせようと張り切っている。


 はいはい、とソフィに追い立てられるようにして、パトリシアは自室へ戻った。彼女の方が二つ程年上なのだが、やや童顔な上に小柄な体格のためか、時折子供に間違えられるソフィである。


「お嬢様。今日は読書を存分に楽しむと、昨晩おっしゃっていたではありませんか」

「ええ、でもだめね。いざ時間ができても、少しも集中できないの」


 よくある事です、どの人もそうだとソフィがしたり顔で言う。大人しくお茶をもらったパトリシアだが、このような時に限って午睡するほどの眠気もない。ため息をつきながら、気を紛らわせるための、ひたすら手を動かす趣味に切り替えた。色や大きさの異なる靴下をひたすら編むのである。走り回る子供達の足を守ってくれるであろう完成品は、交流のある神殿に寄付していた。



 無心で時間を潰して靴下の山ができた頃、またソフィがやって来た。今度は少し慌てていて、エーファお嬢様がお戻りです、と言った。もうそんな時間かと顔を上げたが、視界に入った壁時計は、事前に聞いていた時間より随分と早かった。


 不審に思いながら階下を覗いてみると、出迎えたらしい執事が妹を抱えていた。靴も靴下も履いておらず、衣装の裾から覗くかかとに、包帯が巻かれているのがちらりと見えた。パトリシアは慌てて問いただした。


「どうしたの、一体。お茶会は?」

「靴擦れしちゃって。薬を塗ったから、もうあんまり痛くないけど」

「……そんなに激しい運動をしたの? 王城で? みんな?」

「えっとね、……あのね、」


 慌てて階段を下りながらの問いかけに、妹は一生懸命説明しようとしてくれている。しかしおっとりの妹からなかなか情報が得られない中、僭越ながら、と控えめに妹達の後ろから助け舟が出された。二人のうち、男性は顔なじみで、婚約者であるルイスの屋敷の使用人である。礼儀正しく挨拶の口上を述べた後、簡単な事情を説明してくれた。

  

 妹を屋敷まで送ってくれた者達の証言によれば、どうやら今日は子供達を集めて、王城の広大な敷地を利用して宝探しをしていたらしい。数人の組に分けられ、隠し場所の手がかりが書かれた地図をもらい、敷地内の探索が行われたそうだ。

 もう一人は見覚えのない若い女性である。初めて顔を合わせる彼女は、侯爵邸に詰めている薬師だと名乗った。エーファの靴ずれは履物に気を付けて軟膏を処方すれば、問題なく数日で完治するだろうと所見を述べた。


「そうなの、宝探し……」


 お茶会や音楽の鑑賞が主だと思っていたので、予想よりも子供向けの楽しい企画であったらしい。男の子達はともかく、エーファみたいな怪我をした子が他にいなければいいが、と密かに思う。


「そう言えば、リヒターは?」

「わからない。別行動だった。男の子と女の子で分かれたから。ルイス様のお屋敷の人が馬車を貸して下さって、それで戻ったの。王城の医務官の方が、侯爵家のお知り合いだったから。連絡と手当をしてくれて、沁みないお薬を塗ってくれたの」


なお、伯爵家の子供二人を連れて行っていた御者には事情を説明してあるらしい。あちらは当初の予定通り、リヒターを待って帰宅するという伝言まできちんと段取りがされていた。


「そう……。では、よくなったらあちこちにお礼をしないとね。妹が大変お世話になったようで」

「沁みない、良いお薬が王城にはあるみたい。治るまでそれを塗って欲しいなあ」

「もちろん、この薬売りにお任せくださいませ」


 姉と、心配そうな顔の大人達に囲まれているのに、エーファはけろっとしている。その様子にルイスの忠臣達も安堵した様子で、何かあればと言い残して屋敷から引き揚げて行った。



 ソフィと一緒に妹の世話をしながら、パトリシアはほっとする。ルイスはどうやら忙しい中でも、手紙で頼んでおいた通り、直接ではなくてもあちこちに声を掛けて、弟妹を気にしてくれていたらしかった。


   

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