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銀の盟約  作者: 朱市望
2 本編
27/32

㉗獣のやり方


「……こちらこそ、初めまして」


ルイスを前に、コンラッドはあからさまに怪訝な表情を浮かべた。右手は包帯が厚く覆っている。相手は部屋に入って来てから、常に庇うような仕草をした。

 眉目秀麗な高位貴族の当主として持て囃されるだけあって、どこか愁いを帯びた眼差しは、いかにも貴公子然とした男である。


「ルイス君、でいいだろうか。君は春先で王城を辞したと聞いていてね。まさか、こちらにいるとは思わなくて。少し驚いたよ」

「今日は代理です。王城や教会で、貴殿が私を探していると教えてくれた者がありました。回りくどいやり方はせずに直接顔を合わせた方が、お互い賢明でしょうから。こうしてお尋ねしたまで」


 ルイスが登城している間に親しくなった人や、支援している教会から既に知らせが来ていた。会いたがっていると表現した者もいれば、嗅ぎ回っていると忠告した者もいる。 


 それを受けてこちらも、コンラッドについてそれなりの調査した。爵位や功績に紛れてわかりにくかったが、この男が王都に来てからの言動は奇妙だった。

 商談でもないのに古い装飾品等を見せて回り、それから銀製の持ち物をそれとなく手放すように唆しているらしい。結婚相手を熱心に探しているという建前だが、特定の家と話を進めている様子はなかった。


 そしてクリストフの話と、飼い猫の特異な行動を起こした報告もある。コンラッドは悪夢という存在と、何かしら関係があるのだと忠告された。

 ルイスはとりあえず全員に警戒するように伝え、カステル家にも同様の要請している。噂に惑わされないよう、決して伯爵家の敷地内に入れないように頼んで相手の出方を窺っていた。



「それで。今、何か困っているのでは?」


 ルイスは、この類の案件について回る時の決まり文句を口にした。コンラッドの返答はない。相手の視線は冷ややかで、こちらがどこまでが事情を把握しているのか、無言のうちに探ろうとしているかのようだった。


力になれるかもしれませんよ、とルイスは我ながら白々しい台詞を口にする。この男が、パトリシアに接触しようと、様々な方面、時には夢の中から悪意を忍ばせていたのを知っていた。

 普通は警戒されていると理解すれば手を引くだろうに、コンラッドはかなり強引な手段に出た。それが、教会の敷地で起きた一件である。


「これを、私に報告した者がいます」


 相手の返答がないまま、ルイスは口火を切った。彼が様々な場所で見せて回っていた、腕輪らしき装飾品を取り出す。小さな宝石が連なった古い舶来品である。しかし、何故か魅力的には感じない。


 ルイスの飼い猫が知らないうちに、寝台の下にため込んでいた。腕輪やティアラや、首飾りなどが大半である。彼女によってしばらく弄ばれた後、放置されたままになっていた。夢の中でしか会えない友人が、猫の奇行を推測してくれた。


「私は、貴殿のやり方を把握している。これは今まで家に連なる者達が守り、築き上げた全てを食い荒らすものだ。契約の経緯は知らないが、今すぐ関わりを絶たなければ全てを失う」


 ルイスは慎重に警告を試みた。


 彼のフェネオン侯爵家も、それなりの歴史と功績を持つ古い家柄である。彼以前の当主達が連綿と積み上げて来た輝かしい功績は、悪夢が作り上げたものよりずっと多かったはずだった。

 コンラッド自身も、若くして才ある人物だとされている。


「右手の包帯の下は、短剣で斬りつけられた傷ではないはずだ。本当に負傷しているかどうかも疑わしい」


 カステル家の侍女のソフィが、彼と揉み合いになって逃走した。その際に相手を切りつけてしまったが、教会には知り合いの医師と薬師が教会に居合わせていたのである。どちらとも親交があり、見聞きした情報を提供してくれた。

 彼らは慌てて現場に駆け付けて職業を明かした。ところが相手は、応急手当ての申し出を断って、足早に自邸に戻ったらしい。一応周囲を検分すると、大騒ぎするような血の跡などは何もなかったそうだ。


 一方でコンラッドはカステル伯爵に、雇われている侍女によって負傷させられた旨と、申し開きを強く求める書状を送り付けていた。令嬢を一緒に連れて来るように、ともあったらしい。


 パトリシアが教会から使用人としてソフィを引き取った時、預けられていた父親の形見を買い戻して持たせている。その短剣は、ソフィ自ら工房へ持ち込んで刃の部分を潰してあるものだった。

 本人によれば、既に実用の品ではなく父の形見としての意味合いが大きい。何より自分はこれから使用人で、間違いがあったら困ると、あまり気にした様子はなかったそうだ。

 これでよかったのだろうか、とパトリシアが心配していたので、ルイスとしてはソフィの行動を支持しておいた。


「貴殿が知らないだけで、短剣の刃は切れないように手が加えられ、依頼を受けた工房の証言も得てあります。いかに金属の塊だとしても、扱い方を知らない華奢な女性が振り回したとして、急所でないなら大した怪我ではないはずだ。違いますか?」


 少なくとも、その家の令嬢まで自分の屋敷に呼びつけて糾弾するほど重傷ではない。とルイスはコンラッドに詰め寄った。


「……なるほど。そんな下らない仕掛けがあったとは」


 ルイスの指摘に、彼はしばらく黙っていたが、やがてため息をついた。やっとこちらをまともに視界に入れる気になったらしい。それでもまだ下に見る態度のまま、こちらに眼差しを向けた。


「わざわざ訪ねて来て何を言い出すかと思えば。相手の非は徹底的に追及する、これが私達のやり方だと、優秀なお父上殿から教わらなかったかな? 色々と調べた様子だが、それこそ無為な労力を費やしたと見える。大体、私が悪夢などと、子供の妄想をばらまいた証拠を提示する方法はあるのだろうね?」


 ルイスの痛いところを突いたとばかり、コンラッドは開き直って冷笑を浮かべた。


「私は古い細工物を見せて回っていたまで。一体これが、何の罪にあたるのやら。軍や王城に訴えて、私を糾弾するつもりだろうか。まだ子供で王城での評判もよろしくない君と、それから私と。皆がどちらを信じるか、やってみる勇気があるのかな?」






 コンラッドにとって、ルイスが馬鹿みたいに細かく探って、こちらが不利になる証言を集めたのは意外だった。

 しかし、追い詰められたとは思っていない。乗り切る自信があった。


 カステルを呼び立てて抗議するのではなく、いかにも心配や心理的負担を掛けてしまったと詫びてしまえば良い。

 あちらの使用人がへまをしたのは事実で、向こうも強くは出ないはずだ。今回大事にしなかった『貸し』を押し付けてと友誼を結んでしまえば、機会はいくらでも巡って来る。 


 それにしても、とコンラッドは改めて相手を見やった。夢の中にいる不思議な存在を認知している者に初めて遭遇した。ただしルイスは正しい使い方を理解していないか、もしくは飼っている者がさして強大ではない証左である。

 コンラッドには限りない富や名声を与え、権力を強固にしてくれた。対する彼の世間的な評価は暗澹たる有様である。何なら実際に王城へ訴え出て、こちらの有利を見せつけるのも悪くない。

 

 相手は自身と、貴族社会を渡って来た者との差に愕然としているはずだ。コンラッドが反論を始めて以来、押し黙ったままの令息の顔を覗き込んだ。こちらの突きつけた事実に歯噛みし、さぞかし悔しいに違いない。


『……何が可笑しくて笑っている?』


 ところが、相手はコンラッドが予想したような表情を浮かべてはいなかった。その声は、夢の中で襲い掛かって来たあの男そっくりで、コンラッドは思わずぎくりと身をこわばらせた。ルイスと名乗った令息はくつくつと、嘲りの混じった不愉快な笑い方をする。

 

『いや、失礼。今の台詞が強く印象に残っていたようなので。火事と落雷の夜が、さぞかし堪えたと見える』


 相手はこちらを、わざとらしく憐むかのようだ。互いの地位に、一定の敬意を払うのをやめてしまったらしい。

 

『お前は何もわかっていない。そもそも、ここはどこだと思う? 寝ているのか起きているのか、それすらわからずに話しているというのに』


 ここは私の屋敷だ、とコンラッドは反駁した。誰か、と私兵を含めた使用人を呼びつけた。子供一人、屋敷から放り出すのは容易い。ところが、誰一人として応じるどころか、物音すら響く事はなかった。 


 相手はその間、ずっと笑みを浮かべたままである。助けが望めない事実を、ゆっくりと時間をかけて確認させるようにしてから、ようやくルイスは口を開いた。


『羽虫程度が、私の爪をすり抜けるのはご愛敬だ。だが、お前を見逃す事はありえない。私の信用に関わるのでね』


 幾度も忠告は重ねた、とルイスは人差し指をくるくると、何かを弄ぶような仕草をした。声は冷たく、それでいてどこか楽しげにも聞こえる。獲物を前に目を輝かせる獣を、何故か思い起こさせた。


『……自身の行いは人の法には触れない、という主張だったか。ただそれは、人が長い時間を経て相互に築き上げた庇護を捨てたと同義だぞ。さすれば、人が定めた規範は関係ない。私とお前には獣のやり方、強い者だけが残るというだけだ』


 わかるかな、とルイスは猫なで声で、子供の愚かな行為を諭すような物言いをする。ただし薄い水色の眼差しは、獣が獲物をひたと見据えるのと変わらない。


 そこでコンラッドは気が付いた。今、自分の視界には相手の姿しか映っていなかった。客間の家具も壁も床もなく、真っ暗な闇の中に二人だけで浮かんでいる。そして指先すらも動かせず、辛うじて自分の目だけが動いて逃げ道を探したが、相手の姿以外は何も見えなかった。


『……家族や朋友。そしてまだ見ぬ未来で待つ者は、愛おしい相手を害するお前の所業を許すと思うか? 人の心を追い詰めて食い荒らし、時に命まで奪う所業を、許してもらえると本気で思っているのではないだろうな』


 相手は、こちらの記憶を正確に読み取っている。自分しか知らないはずの行いを、相手はコンラッドが今までそうして来たように、残らず把握していた。

 相手の水色の瞳の中心、真っ暗な瞳孔が猫のようにゆっくりと縦に細められた。




 



「侯爵邸より派遣されました。お嬢様のおそばを離れないように、と仰せで」


 屋敷で待機するように告げられたパトリシアに、侯爵邸から遣いがやってきた。薬師のニナは、少し物怖じした様子はない。次の指示があるまで待機する旨が掛かれた書状を父に渡した。

 許可した覚えはない、と父は冷たく告げたが、彼女は同じ台詞を繰り返すばかりである。


「父さん。この人に当たり散らしても仕方がないよ。僕もルイスさんから頼まれているから、好きにさせてあげて」


 代わりにどうぞ、とリヒターが彼女を屋敷に引き入れた。つまり、パトリシアへ向けた言葉は全てルイスに筒抜け、という牽制である。これ以上父と揉めても仕方がないので、パトリシアはひたすら自室に籠る事に決めた。いつものように刺繍や縫物など、無心で時間を潰せる作業に没頭以外には思いつかない。


「ささ、お嬢様。ソフィさんはきっと無事でしょうから。それまでは私が面倒を見させていただきますよ! よろしくお願いします」

「ありがとう、ニナ。……そうね、あなたったら初めてここに来てくれた時も、何食わぬ顔だったものね。ルイス様の指示通り私に嘘をつきながら、お試しの品を持って来たのが懐かしい。すごい度胸よ」

「あああ、違いますお嬢様! あれは前々からお渡ししようと準備が……」


 言い訳するニナに、パトリシアは優しく応じた。この薬師が売っている素晴らしい商品を、色々な友人に紹介しているのである。効能は折り紙付き、見た目もお洒落なので人気があった。

 ぜひ欲しいと注文書が続々と届いているので、内容をまとめて彼女の前に掲げて見せた。この堅実かつ信用のおける販売先がある限り、今後もよい働きをしてくれるに違いない。

 どうかよろしくね、と薬師をからかうのはその辺りで終わりにして、今度こそ靴下を大量に生み出す作業に没頭した。



 その日の夕方に、ソフィは侯爵邸で保護したとルイスから手紙が来た。今は少し混乱しているので、落ち着いたら会いに来てやって欲しいとある。伝手を頼って軍に話をつけて、医者の手が必要な間、侯爵邸に滞在する許可を得てくれたらしい。凶器とされていた銀の短剣が切れない状態であると判断されたのも、大きかったようだ。


 そして同じ文面で、フェネオン候と話をつけてくると書いてあった。


「手紙を持って来た者によると、ソフィさんは猫さんを抱いて侯爵邸の正面玄関に現れたそうですよ。ただ、何を尋ねても『にゃん』しか返事をしないので、アルマンという上役が頭を抱えているそうです」


 ニナからの詳細な情報に、パトリシアは何と答えるべきか困惑してしまう。とりあえず彼女の身の安全が保障されているらしい。それを確認して、心の底から安堵した。信頼できる医者と、薬師でもあるニナの父君が診てくれているそうなので、自分の出番はない。

 ソフィは、パトリシアが侯爵邸に招かれる際一緒に来てもらっていた。そのため先方は彼女の顔を知っていて、ルイスが情報を回す前から保護してくれたらしい。

 

 同じ話をエーファとリヒターにも伝え、三人はルイスからの追加の知らせを大人しく待つ事になった。夜にはニナが、良く眠れる香り袋をそれぞれの好みに合わせて調合してくれた。


 信じて待つと決めたので、パトリシアも眠る努力をした。朝方にはルイスからの手紙が届き、決着がついたようだ。コンラッドからの呼び出しに応じる必要はない、と侯爵邸の家令がわざわざ父を訪ねて説明もしてくれた。


『話はついた。こちらは無事である。本当に。怪我はしていない。だから落ち着いて待っていて』


 パトリシアは、ルイスの走り書きを何度も読み返した。ニナは半日ほど伯爵邸を離れて、また戻って来た。


「……ルイス様は無事ですよ、本当です。ソフィさんも落ち着いてご飯を食べているそうです。ちゃんと人間の言葉を思い出したみたいで。お嬢様を心配していました」


 そう、とパトリシアは短く返事をした。ニナはそそくさと、持ち場であるソファの端に戻る。努めて冷静なつもりだが、まだ話しかけにくい顔をしているのかもしれない。



 ルイスとコンラッドが、とある貴族の夜会でやり合った経緯は、即座に王都中に広まった。父が購読している新聞や、屋敷を出入りする商人の噂話はその一大事件で持ちきりだった。ブランシュや他の友人達からも、こちらを案じる手紙がいくつも舞い込んで来る。


 コンラッドは冷静な話し合いを放棄し、ルイスに直接手を上げたらしい。前触れなくいきなり殴りかかって一方的な暴行を加えたそうで、即座に投獄である。

 どうやら正気ではないようで、罵詈雑言を休む間もなく衛兵に投げつけ、静かになったと思えば泡を吹いて昏倒を繰り返しているらしい。


 人格者として名高かったコンラッドの本性が狂人であったのは、衆目の一致するところとなった。更に下町の違法な薬種問屋に、大量の鎮痛剤や鎮静剤を注文していた。何に使うつもりだったのか、正確な答えは不明である。しかし理由をつけて、未成年者が集まる場に足繁く通い詰めていた事実が明るみになれば、憶測は止まらなくなった。


 一歩間違えば、自分の子供が巻き込まれていたかもしれない。コンラッドの周囲で不審な事件が相次いでいた証言がいくつも上がれば、人々の混乱は広がるばかりである。


 

「……本当にルイス様は何ともないの? 馬乗りで何度も殴りつけられたそうだけれど」

「ええ、はい。怪我はなさそうでした、投げやりに猫さんの入ったかごを睨みつけていたくらいで。一体何が起きているのでしょうか」


 流石のニナも困惑している。パトリシアは侯爵邸の人々から、どうか冷静でいてくださいますよう、と変わるがわる説得される始末だ。


「……」


 いっそ枕を振り回して暴れてやろうかとも思ったが、医者や薬師の手間を増やす気にはなれずに断念した。

 事件があってから数日経って、会いに来て欲しいという手紙をルイスが正式に送って来るまでその状態だった。ちゃんと大人しくしていたので、褒めて欲しいくらいである。


『何もかも猫さんが全部悪い。パティさんには心配を掛けて本当に申し訳ない』


 手紙にあった責任転嫁の追伸を睨みつけながら、パトリシアはルイスからの呼び出しをずっと待っていた。


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