㉒回想 その二
数人が集まる遊びで、負けた者に懲罰が発生する決まり事を知っているが、ルイスはあまり好きではない。身分が下の者が混じった状態ではやらないという認識だった。勝った者に何かを無難な景品を用意する方が望ましい上、気を遣いながら相手してくれる臣下の子供達であれば強要するようで気が引ける。
大体、その規定がある時は自分以外で示し合わせがされているのものだ。ルイスなら参加しない、という選択肢を取るけれど、それができる者ばかりではない。
ルイスは不満を表面上は飲み込む事を、それだけは随分上手になったように思う。令息を治世を支えるために集められた優秀な者達に、自分は随分と気を遣わせていたのだろう、とも今さらながら申し訳なかった。
後をつけられていないか確認しながら辞すと、猫がいつの間にか並んで歩いていた。この生き物の存在に、王城で働く者の大半は気が付かなかった。侯爵家の協力者や、元から知っている者を除けば、誰も飼い猫の姿が目に入らないらしい。
ルイスですら、時折不安になるほどであった。パトリシアを訪ねて、彼女が可愛い猫さんこんにちは、と歓迎してようやく、飼い猫がそばをうろついていると信じる事ができた。
変な生き物、とルイスは彼女のすました顔を横目に、雇用主への定例報告に向かった。オレリアン殿下にとっては継母にあたる。王妃陛下は、お気に入りの離宮にいる事が多かった。
奥へ通され、ルイスは立ったままで、あちらは長椅子に腰かけている。奥にある窓が、開け放たれているのが見えた。
訪れる時には巧妙に隠してあるけれど、ここには病人の匂いがいつもうっすらとしている。知り合いの医官が、しばらく王城を離れて別の静かな場所で療養する計画が進められていると教えてくれた。
その間に、殿下の振る舞いに目を光らせる者がいるべきだとも思ったが、生憎ルイスには関係のない話だ。
「失礼します」
「ごめんなさいね、少し風に当たりたくて」
いえ、とルイスは返答をしながら、事の次第を報告した。王妃陛下も、子供達を招待する計画には明確に反対していなかった。しかし、さすがに懲罰や、広い庭で女の子達まで競争形式で宝探しをする計画を説明すると、ため息が聞こえた。呆れ果てているようで、意見が一致する相手の存在に少し安堵する。
「……ルイス殿はいつもと変わりなく、職務に就いて下さるかしら」
「はい」
彼女は明言しなかったが、対処してくれる気であるらしい。ルイス以外に何名か、王妃の指示でもう少し早い段階から同じような要請で潜り込んでいる者達がいると知っていた。今では、ルイスがその者達への目くらましのような役割をしている。
また、パトリシアからも、この件について手紙が来ていた。エーファと、表に出さないがリヒターも、楽しみにしているらしい。できれば、二人を気にかけて欲しいという要請があった。
リヒターは自力でなんとかするはずだ。下手に助力する方がかえって邪魔になるだろう。問題はエーファである。姉と兄に守られていて、競争という環境に晒されていないためか、何をやるにも丁寧さを優先しがちな女の子だ。
エーファだけ何とかしようと思えば不可能ではないが、他の子が懲罰を受けた後、あなたは止めなかったのかと追及されると非常に苦しい。パトリシアが経緯を知れば、納得はしないだろう。ルイスは保身に走ってその子を見捨てたのだ、と指摘されると反論のしようがない。
ルイスは婚約者を含めた、複数の方面から不興を買うのを覚悟で、上手く動かなければならなかった。
結局、殿下の主催したお茶会は大きな混乱なく終わったが、用意されていた懲罰は発動しなかった。組の数と、宝物の数が合うように密かに細工されていたのである。
子供達に配られた、庭園に隠された宝物の手がかり書かれた手紙は、ルイスの知らないタイミングで内容が書き加えられたようだ。
紛れ込まされた追加分は、他より数段見つけやすい場所にあった。よりによって気に入っていた文官の身内がそれを真っ先に献上したため、それは違う、と言うわけにもいかなかった。
殿下は怒り狂うあまり、一番最後に戻って来た女の子の組と、そこから更に途中退場した子供が一人いた事には注意が向かなかった。
その怒りと屈辱はその後の尋問のしつこさで嫌と言うほど味わった。
「ルイスには証言があります。それでもルイスがやったと言うのなら、あなたの部屋を二人で守っていたはずの門番は彼を素通ししたどころか、姿も見ていないとなれば居眠りでしょう、もしくは口裏を合わせているのか。ならば彼らにも尋問と、罰を与えなければ示しがつきません」
尋問は執拗だったが、ルイスがやった決定的な証拠はない。王妃陛下も約束通り、素知らぬふりをしながら庇ってくれたので、早々に解放された。国王陛下の耳にも入ったが、最初から王妃の要請で仕事をした経緯や、ルイスの生家の地位や父の評判が、上手く逃がしてくれた。
国王夫妻が今回の件について、この結果になった事はかえって幸運だったと、懲罰を設けるべきではなかったと殿下を諭したようだが、本人がどこまで聞き入れたのかどうかは定かではない。
懲罰があると知らされた子供達は混乱し、庭園のあちこちで起きた諍いが起きてしまった。そちらはルイスがそれぞれ収集をつけておいたので、大きな問題には至らなかった。
これについても命令違反、と殿下は憤ったが、いい加減にしなさいと諫められて、相手は押し黙った。
こうして、実際はともかく表面上は大きな事件もなく、ルイスの王城での勤めは終わったのである。剣呑な眼差しをやり過ごし、淡々と職務をこなす日々に戻った。
その合間に屋敷の者に頼んで、軍の学校の関係者に取次ぎを頼んでおいた。領地にはいつでも戻る事ができる。しばらくはこちらに滞在して、何かあった時にはまた動かなければならない。
その予感は当たっていたようで、オレリアン殿下はまだルイスを恨んでいるらしい。周囲を嗅ぎまわっている者がいると、教えてくれた声があった。
ルイスは黙り込んだまま、夢の中を歩いている。夢という現象は一般的に、記憶の整理を行っている状態だという研究を耳にした事があった。そのために、過去や強く記憶している物事が現れるのだとされているらしい。
王城での出来事や、パトリシアから糾弾された声が、延々と頭の中を巡っている。いつもは周囲でごろごろしている飼い猫も、今日は神妙な顔つきであった。
「……たまには、優しくしてくれてもいいのでは?」
悪意を以て、夢を荒らして記憶を覗いて回っている者がいる。これを排除できない限り、パトリシアを巻き込めない。猫が守ってくれるとは思うのだが、何か知っていると判じられれば、もしくは知っている秘密を守ろうと抵抗すれば、どんな恐ろしい目に遭うのか定かではない。そうなれば、起きている時に無事では済まないだろう。
ルイスは婚約者を悪意から遠ざけておきたかった。けれどパトリシアは蔑ろにされていたと感じて、覚えている限りで初めての言い争いに発展してしまっている。ルイスの精神は今までになく余裕がない。
リヒターは王城での件を感づいているようだったが、ルイスは知らないという態度を貫いてあった。エーファも可能な限りで約束を守ってくれていた。どちらもルイスが考えていたよりずっと、手ごわくて頼もしい存在になりつつあった。
やはり兄弟姉妹は自分にもいて欲しかったな、と思う。同じ目的を、生まれた家という理由だけで目指してくれる相手がいるのは何よりも心強い。
しかしルイスにいるのは猫のようで猫ではない生き物だけだった。パトリシアのために一度、人間に化けて言葉を喋っていた疑惑がある。しかし自分の前では相変わらず、愛想のかけらもない生き物である。いつも通り、猫に餌を与える義務を果たせ、という事らしい。
それともう一人、とルイスは霧がかった視線の先からやって来た相手に軽く手を上げた。秘密の、自分しか知らない友人である。
「今日はなんだか顔が怖いな。君らしくもない」
「……色々あって」
クリストフは年を経る、という変化が見られない。本人は否定したが、生きている人間ではない可能性を、ルイスはしつこく疑っていた。次点で、自分の頭が作り上げた都合の良い妄想、という可能性も大いにある。
「……ココアが飲みたい。クリストフが作ってくれるやつ」
「それは光栄だ。だがその前に、たまには運動しようじゃないか。最近忙しくしているから、気分転換に付き合ってくれると助かる」
ルイスが甘えてみると、彼はしばらくこちらを不思議そうに見やってから、にやりと笑う。羽織っていた上着を脱いで小脇に抱えた。落ちついた声がおいで、と誘う。涼しい風が、湖から吹いてきていた。
「大事な話をする前には、相手をもてなして腹を満たして、気分を良くさせてからでなくては。決して食事ばかりではなく、これもまた効果的だ。……これは妻の父君からの入れ知恵でね」
彼は誇らしげに語っている。妻の父君とやらは、相当いい性格をしているに違いない。
二人がたどり着いたいつもの瀟洒な建物の壁には、刃を潰した練習剣が二本立てかけてある。彼は片方をこちらへ手渡した。そして、軍の学校で習ったのと同じ構えを取る。
彼はいつだって事態を楽しんでいるかのように見える。動揺や焦燥とは無縁であるかのようだ。
そしていつも、ルイスの顔を見ると、不思議なくらい嬉しそうな顔をするのである。起きている時間には失態続きだったのもあって、彼の態度が揺るがないのに、少し安心した。