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銀の盟約  作者: 朱市望
2 本編
21/32

㉑回想 その一


 ルイスがまだ、隣国に遊学して一年と半ほどが過ぎた頃の話だ。珍しく父の筆跡で手紙が届いていた。束にまとめられて渡されたうちから、とりあえず一番上の手紙を開封したところだった。

 帰国に向けて調整が進んでいて、内容はその関連である。到着次第王城へ向かい、オレリアン殿下の近習を務めるようにとあった。今後に向けて人脈づくりや内情の把握も目的であるらしい。


 王城がどのような状況なのか、ルイスは噂程度にしか聞いた事がなかった。手紙を運んで来てくれる者によれば、殿下は可哀そうな方ですからね、と言う。

 生母は既に亡くなっている他、幼いうちに儚くなってしまった兄弟もいるためか、国王陛下は息子に随分と甘いらしい。それから現在の王妃陛下は後添えだと知っている限りで教えてくれた。


 ルイスは他にも、こちらにいる同郷や行き来している商売人などと仲良くして、独自に情報を集めている。思い出せる限りで手持ちの情報を書き留めて整理していると、手紙の配達人から抗議の声が上がった。


「ルイス様、そんな手紙は後にしてこれをどうぞ。お小さいのに、弟さんと妹さんの前では絶対に泣かないそうですよ。私はこれに一番に返事をもらったと言えないと、可哀そうで帰れません」

「……」


 運んできた当人は、しきりに洟を啜っている。ルイスは黙ってその手紙を開封して、便せんを取り出した。いつか自分宛てに届くだろうと覚悟はしてあった。一番連絡をくれるのはパトリシアだが、今の彼女は辛い状況にある。闘病を続けていた母君が、ついに亡くなってしまったのだ。

 手紙の内容を取り繕う事もできないようで、彼女の悲嘆や動揺が目に浮かぶようだった。今まで、母君がパトリシアの手紙の書き方を助言や添削していてくれたらしい。


 ルイスは決して無理をせずに心身を労わるように念押しして、後は丁寧に祈りの言葉を書き連ねるしかない。


 他にできる事と言えば、猫の腹ごなしに付き合った帰り道に、夢の中を使って顔を見に行く程度である。憔悴した様子で身体を寄せるのを慰めつつ、景色や空気の綺麗な場所を見せて、もしくは美味しいご飯を食べさせた。しかし所詮は夢の中なので、気休めにもならないだろう。

 

 一通仕上げたルイスは暗い気持ちのまま、他の手紙に取り掛かった。王城への出仕の件は、王妃陛下からの密かな要請であるらしい。何かと難しい年齢になりつつある王太子殿下と、年齢が近いルイスに仲立ちを頼みたい、というような事情である。次期ヴァンティーク侯爵という立場からしても、今のうちに信頼を得て関係を築く事が求められていた。




 一つよかったのはパトリシアがルイスの帰国と、王城に勤める話に喜んでくれた事だった。これからはたくさん会えますね、と涙ながらに再会を喜んだ後で嬉しそうにしている。


 伯爵邸を訪れて手紙で伝えきれなかった近況に耳を傾けていると、不在の間に教会から紹介された者を侍女として雇う話が浮上していた。


「ソフィは教会に身を寄せていて、働き先を探していたのですって。しっかり者なので話し相手や、色々と相談に乗ってもらおうと思っています。年齢も近くて、気立ての良い人で」


 なるほど、とルイスはパトリシアの説明に頷いた。後で自分でも調査したが、ほぼ身一つで教会に身を寄せる以前の話はあまり得られなかった。少なくとも王都の出身ではない。カステルの方針にどこまで口を挟むべきか悩み所だった。

 その上、既にパトリシアと仲が良いらしく、母君の件もあって口を出しにくい状況である。初めて直接当人と顔を合わせた時には、猫が妙にスカートの周りで匂いを確認していた。当のソフィが、匂うのではないかと涙目になるほどであった。それ以上は何もなかったので、妙な手合いではなさそうだと判断するしかない。




 さて、ルイスは要請に従って王城へ足を踏み入れたが、予想していた通りあまり歓迎はされなかった。オレリアン殿下からすれば幼少期から側にいればともかく、今頃になって派遣されて来た部外者である。侯爵家令息という立場もあって明らかに、大人の息が掛かっている人間だとわかりやすい。

 そうでなくてもちょっとした言動の端々に価値観の違いが滲み出ていて、ルイスも積極的に親交を深めようという気になれなかった。


 また、今まで仕えていた者達からすれば、割り込んできて美味しいところだけを横取りしようとする厄介な存在でもある。明らかに距離を置かれ、倉庫掃除などの緊急性の低い仕事ばかり押し付けられた。


 すると目立って活躍もしない、父君や祖父君のような天才とは違うようだと散々な言われようである。登城と同時に王太子殿下と瞬く間になるような活躍を、周囲は期待していたらしい。ルイスに下されたのは、とんだ期待外れという評価である。


 それでもいつか、信用を積み重ねて信頼を得られるように、ルイスは真面目に勤めたつもりだった。



「ルイス様。私も王城へ出仕するのは、どう思いますか?」

「……」


 ルイスにとって、休みの日に屋敷へ戻るのと、パトリシア達の顔を見に行くのがささやかな楽しみになった頃。今日は彼女を侯爵邸に呼んで、二人でくつろぎながら雑談を楽しんでいた。その合間にもたらされた唐突な提案に、思わず硬直した。


 ルイスの主な仕事は倉庫整理だったが、王城での出来事は機密にあたる。彼女といる時に仕事の話はしていないが、彼女の声と眼差しは期待に満ちていた。

 嫌な予感がして、ルイスは詳しく聞き出した。すると、王城に出仕した女性の噂を、子供向けの集まりで小耳に挟んだらしい。ある女性が在任中に女官として要領よく立ち回ったおかげで、その後の人生が上向きになった話が流行しているらしい。身に着けた教養のおかげで交友関係や、結婚も良い話が持ち込まれたそうだ。


 その話を教えてくれた者の年齢などを考慮すると、情勢が今とは異なっていた頃に王城にいたらしい。元から良家出身で、殊更に有能な女性だったに違いないよ、という野暮な指摘は口にしなかった。


「……その話、父君には伝えた?」

「いいえ。ルイス様に先に相談しようと思いまして」


 何気ないやり取りだが、彼女は明らかに目を伏せた。表面上はどちらも取り繕っていても、父と娘の関係は良好とは言い難い。伯爵の末娘エーファの扱いに対する失言は、パトリシアは酒が入っていた際の発言だからと水に流す気がなく、流せるものでもない。黙って聞き入れるもの、とルイスも諭したくはなかった。

 カステル伯の方に苦情を入れても、時間が経てば気にしなくなるだろうと、彼女の怒りを真剣に取り合う気はなさそうな気配だった。彼女に大人の対応を強要しないように釘を刺しておいたが、どこまで有効かは怪しいところである。


 パトリシアが父親ではなく、先にルイスに打ち明けたのは幸いだった。伯爵は折り合いの悪い上の娘を、これ幸いと喜んで王城に差し上げるに違いない。

 そうなるとルイスがここで、王城には近づくなと説得する他ない。


「どちらかと言えば、私は領地に早く来てくれるほうが助かる。一緒に過ごす時間が増えて、ちょっとしたやり取りもしやすい。それに私の個人的な理由で、……その方が嬉しい」


 言葉を慎重に選びつつも、ルイスの本音だったのは間違いない。自分が一緒であれば、どんな手を使っても後継ぎを望む声は、彼女の耳に入らないように抑え込んで見せる。だから二人でゆっくり、ヴァンティーク領を治めるための経験を積む方が有意義だと、やんわりと説得した。

 

 彼女はこちらの言い分に納得したらしい。それから後になって、弟妹の面倒を見なければならない使命に気が付いたようで、この話は立ち消えになった。

 



 


「……懲罰を設定しておかないと盛り上がらない。やった事はないのか?」

「ありません」


 ルイスは冷静に返答をした。季節は進み、王城を辞す期間が近づいていた。オレリアン殿下は貴族階級の子供達を王城に呼んで、親交を深める場を設けるらしい。子供向けの集まりにも顔を出していないような年齢が対象だった。

 彼らにとって、初めて触れる外の世界が王城という特別な場所なら、この上なく良い経験となるに違いない、というのが本人の主張である。耳障りのいい話に、殿下の周囲を取り巻いている者達は素晴らしい配慮だと賞賛している。


 ルイスだけがお待ちください、と声を上げた。真面目に仕事をしていたおかげで多少は印象が良くなって会議にも顔を出せるようになった。ただし、意見を取り合ってもらえるかどうかはまた別の話である。


 お気に入りの楽団でも自慢する気なのかと思っていたが、どうやら妙な余興を思いついて、内輪で調整していたらしい。ルイスがそこに加わるには、信用と年数が足りなかったようだ。口の堅そうな者に交渉し情報源が割れない形という条件で教えてもらって、初めて知ったのである。


 更に、余興で最も成績が悪かった者には懲罰があると補足された。それがなければ、動かせる人員をできるだけ駆り出せば、一応形にはなるかもしれない。具体的に何をさせるのかまでは明言されなかったが、設けられている時点で大問題である。


「慎重にお考えを。この特別な場所に初めて足を踏み入れる子供達に、そのような仕打ち、あまりに酷ではありませんか」


 身分と正しい振る舞いを理解している子の方が少ないに違いない。本来は時間を掛けて、他者とのやり取りを重ねてゆっくりと身に着けるものだ。教師や両親に説明されてわかったと口にしても、実際に振舞う段階まで到達していなければ意味がない。


 懲罰と言っても単なる遊びや余興の結果で、後に引くようなものではないと殿下は考えているらしい。けれど相手が王族で場所が王城ともなれば話は変わって来る。


 ルイスは説得を試みた。しかし残念ながら、招待する側とされる側で、楽しんでもらうための配慮はお互いに必要である事を、理解してくれなかった。


「……お前、母上の手先だろう」

「……?」

「そうか、だとしたら貴殿はただの使えない奴、というわけだな」


 悟られないように、表情を表に出さないままルイスは問答を続ける。困り果てた反応を示すと、全員の不審な目の動きが視界に映った。どうやら試されていたらしい。


 下がれ、と追い払われれば、やるせないような表情を作って辞した。

 

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