⑰浮上する疑惑
夏が終わりを迎える頃、季節の移り変わりに伴って、子供達の間で発生していた気鬱のような症状は下火になった。
段々と涼しくなる中で、人々の交流は再び活発化しつつある。秋が終わったら、冬の間は領地で過ごす者が多い。王都に出てきているうちに、と大人達がせっせと社交に励むのと同じように、パトリシアが参加しているいくつかの集まりも、再び招待状が届くようになった。
カステル伯爵邸に起きた変化としては、妹のエーファが春先にできた友人達とのんびり仲良くやっているらしい事が挙げられる。やり取りを頻繁に行って、お手紙の書き方指南書を読み込んだりしていた。時折伯爵邸や、他の子の屋敷へ行って、順調に仲を深めているらしい。
「姉さま、ちょっと相談があって」
妹によると、先の王宮の一件から新しくできた友達の一人が、そろそろ各地で開かれている集まりに顔を出す予定らしい。しかし、彼女は周囲に年齢の近い身内もいないので参加経験がなく、不安がっているようだ。よかったら、エーファも一緒に出掛けて、空気だけでも体験しておくような機会が得られないだろか、と言う。
本人に直接、お菓子を食べながら尋ねてみると、話に相違はない。エーファもよく懐いていて、他意はなさそうだった。彼女のご両親にも話を通したところ、お願いできるのであれば、と正式に申し入れがあった。他の子達も良い機会なので誘ってみると、結局全員が一緒に行きたいと意見がまとまった。どの子も優しくて礼儀正しい女の子達なので、パトリシアはこれも姉の務めとして引き受ける事にした。
当日は弟も、友人に会いに出かける約束を取り付けていたらしい。それなら、と御者と相談して帰りにリヒターを拾って帰る約束をした。
馬車の中は可愛く着飾った可愛い女の子達でいっぱいで微笑ましい。初々しい、少し緊張したような表情で、近しい人から教えてもらった知識を披露しあっていた。
特に問題なく会場へ到着し、いそいそとパトリシア達は会場へ近づいた。すると入り口近くで、久しぶりに待ち構えるようにしていた相手を目の当たりにした。パトリシアは思わず足が止まった。
「……よくなったのですか」
「ええ、もうすっかり」
以前からなにかとパトリシアに突っかかっていた、ブランシュ嬢である。夏の初めに見かけた時のような、すっかり憔悴していた様子は微塵もない。髪型から立ち姿、衣装の選び方まで一分の隙も見当たらない、完璧な装いである。浮かべる表情も、いつもの自信たっぷりの彼女に戻っていた。そうして準備万端で、こちらの到着を待ち構えていたらしい。
どうだ、と言わんばかりの顔つきは、けれど少し笑う気配があって、記憶にあるより柔らかく表情に変わった。
「私が寝込んでいた時に、わざわざお花を贈って下さったのはあなたでしょう。弟さんと妹さんが一緒にいた時の。忘れずにお手紙の一つでもつけておいて下されば、もっと話は簡単でしたのに」
あら、と彼女は自分の後ろにいるまだ不慣れな様子の女の子達に気が付いて、これまた文句のつけようがない微笑みを浮かべた。この屋敷はよく来るのよ、と先導してくれるつもりらしい。
ブランシュと引率のように先頭を歩きつつ、パトリシアは彼女に訂正を促した。
「忘れたのではなくて、あえてです。見た事がないくらい、弱っているように思えましたから。かえって気を遣わせると思って」
「……いかにも、あなたらしいというか、なんというか」
どういう意味かと問う視線に、彼女は立ち話もなんですから、と窓際にあった長椅子を勧めて来た。しかし、今日は妹達の世話も兼ねているので、ここで応じるべきか迷ってしまう。
すると、事前に説明しておいた屋敷の奥様が、自分達一行の到着を目にしてこちらへとやって来るのが見えた。初めての集まりへの参加者達に、心得や屋敷の案内を快く提案してくれた。
「それが楽しくてこのような場を設けているのですもの。ささ、お姉さん方はどうぞゆっくり」
「……ここの奥様と、母は子供の頃に付き合いがあったので、絶対にもめ事を起こさないと約束して、こっそり入れてもらいました」
エーファとその友人達はよろしくお願いします、と打ち合わせた通りに丁寧なあいさつから入って、屋敷を案内されに行ってしまう。そうして、残ったパトリシアはブランシュへと改めて向き直った。
「春先に王城で殿下から、子供達が招待された件。本当は何があったかご存じ? 婚約者殿からお聞きかしら。私の弟もその場にいたのです」
「……皆で楽しく、仲良く宝探しをしたという話でしたけれど。何人かで組み分けして、庭園を巡ったとか、なんとか」
予想外の話題を振られて、パトリシアは戸惑った。彼女は周囲を見回してから、声を潜めた。
「まだ人前に出た経験に乏しい子が多くて、何しろ場所がお城ですから。殿下の目に留まろうとして、他の子に横暴な振る舞いをした子がいたので、随分と混乱したそうです。それに実は、意図的に宝物の数が一つ少なくしてあって、負ける組には懲罰まで用意されていたのですって。これは王城に勤めている身内の証言なのですけれど」
「一つだけ勝つのではなくて、一つだけ負けるのですか? 余計に焦って混乱を招くような」
パトリシアは眉をひそめた。王城にエーファにリヒター、そしてルイスまで揃っていたのに、宝探しが実は競争の形式で、それも誰か一組だけが負けるという厄介な仕組みだったと、今頃判明したのである。
誰か反対しなかったのか、と思わず眉を潜めてしまう。
けれど王太子殿下の案ならば致し方ないのかもしれない。今思えば、ルイスはあまり詳細を教えてはくれなかったように思う。
「そうです。見つからなかった者には、と意味ありげな目配せだったようですが。それを目にした子供達が余計に困って、焦って。けれど結局、懲罰を受けた子はいなかったようですね。手違いで、宝物の数と組の数はちょうど同じになっていた」
身内なら笑い話で済むだろうし、使いどころによっては有用な規定だと言えるだろう。ただし、自分が弟に、有利な条件付けで強要する気はない。リヒターがエーファにやらせたら止めに入る。後で喧嘩になるのが目に見えているからだ。
宝探しの結果で判明する優劣にこだわる必要はないだろうが、それが殿下の眼前で、他の親しくない子供達の前だったら、と思うとパティはさすがに嫌な気分になった。
「そもそも、ルイス殿は最初から反対していたそうです。先ほどあなたがおっしゃったように、一つ勝つ組を作ればいいと。結局、取り入れられなかったようですが。その後も、庭園の広大な敷地に散らばった子供達を追って、諍いを起こしていれば仲裁や道理を説き、困っている子達には助言して回っていたそうです。殿下にはそれを命令違反だと誹りを受けてしまったそうですが」
叱られてしまった、とルイスは軽くその発言を流してしまっていた。しかし、本当に大丈夫だったのだろうか、と今さらながらパトリシアは不安になって来た。
「滅多な事では言えませんが、私、手違いが生じて結果的にはよかったのではないかしら。みんなの前で罰を受けさせられたりしたら、そんな事になってしまったら……」
ブランシュが言葉尻を濁した意見に同意である。周囲にこちらに注目や聞き耳を立てているような者はいないけれど、お互い目配せをしあう。
「私の弟は手柄を焦って、ルイス殿に叱られた側です。『弁えなさい』と。それで屋敷でも憤っていましたが、先日全て聞き出した上で諫めました。それで、以前の集まりでお会いした際に私が口にした事は、謝罪、撤回します。それでも許さない、というのなら仕方のない話です」
ごめんなさい、と口にしたのは、いつもの自信に満ち溢れた彼女ではない。パトリシアが我に返ったところで、妹達がちょうど戻って来たところである。エーファは一つの長椅子に腰かけていたパティとブランシュを見比べた。
「姉さま、よかったね。仲直りできるね」
「え?」
「だって、ブランシュさんの持ち物の選び方が素敵だから、本当はお話したいっていつも」
「……まあ、そうでしたの? どうしてもっと早くおっしゃらないのやら」
エーファの余計な一言に、しおらしい態度から一転して急に勝ち誇り始めたブランシュである。余計な事を、と目で妹を諫めたがエーファはきょとんとしている。
「私、両親からあなたのお姉さんだけには負けないようにと口うるさく注意されていて。それなのにお姉さんはこちらを、歯牙にもかけていないでしょう。いつも余裕がおありで本当は」
羨ましい、という台詞を、彼女の口から聞くとは思わなかった。
「……この子は私の妹なのですけれど、エーファが先ほど申した通り、ブランシュさんの小物や衣装の選び方だけは、とても参考にしたいとは思っています」
「『小物や衣装の選び方だけは』?」
「そもそも、世間話より先に言い争いを始めるのですから、きちんと話した機会が今までありましたか? 先日ちょうど、たまたま綺麗なお花の前で行き会った際のお返事もつれないので」
「……そうですね、それが道理でしょう。お花のお礼と、それから今までむやみやたらと、突っかかって申し訳なかったです。それが先でないと、恥ずかしくて言える立場ではありませんね。『これからお友達になりませんか』などとは」
お気になさらず、とパトリシアは返事をした。何のことやら、と不思議そうな女の子達に、ブランシュは完璧な笑顔を浮かべて見せた。
正式に、彼女は丁寧にあいさつと自己紹介を始める。この方のお友達ですの、とこちらが恥ずかしくなるくらい、自慢げに付け加えた。
「よかったね、お姉さま」
「さあ? どうでしょうね。次に会う時はどのようなお顔を拝見できるのやら」
集まりは有意義な会となり、そのまま解散となった。ブランシュは別れ際、次はシャリエ伯爵邸に来ないか、などと言い出した。今度招待状を送るから、と宣言して自分の馬車に戻って行く。
なんだか信じられない。本当に次回顔を合わせた時にお友達になっているのだろうか、と疑問は残る。
カステル家の馬車は、エーファの友人達を順番に送り届けて、ようやく一息ついた。どの子も楽しかった、とありがとうございました、と礼儀正しくにこにこしながら辞していった。
馬車は、入れ替わるようにリヒターを拾う。出かける前とシャツが変わっていて、走り回ったり剣の稽古をしたりして大汗かいたので、浴室と服まで借りたらしい。さっぱりとしている。愛想よく、友人やそのご両親にお礼とお別れの挨拶をしている。
けれど本人は馬車が走り出すと、窓枠に肘をついて、物憂げに外を眺め始めた。
「リヒター、姉さまはお友達を増やしたの。とっても素敵な方だった、お姉さまと同じくらい綺麗」
「へえ」
リヒターも最近はめっきり口数が少なくなった。年齢的に、誰でもそういう少々難しい時期だよ、と耳打ちしてくれた。そのうちおさまるよ、と証言したルイス自身は年齢に左右されずいつも変わらないように思える。
そう、ルイスである。今日は不在なのに、ブランシュの説明からずっと、パティの心のもやもやとした部分が晴れる事はなかった。
ルイスだけが反対して、結局手違いが生じて罰ゲームの件は有耶無耶になった。オレリアン殿下は大層お怒りで中座してしまったらしい。ぐるぐると考え込んでいると、姉さま、とエーファが話しかけて来た。
「ほとぼりが冷めたら、ってどういう意味かしら」
「誰の口の端にも上らない、つまりみんなが関心を失って、忘れかかっている頃、という意味」
「……そっか」
「何が?」
「秘密」
「……喋りたいなら喋ってしまえよ、鬱陶しい言い方をしていないで。……そろそろ潮時じゃないのか」
口を挟んだのはリヒターである。呆れ交じりの眼差しを妹に、それから後ろめたい様子でこちらからの視線から目を逸らす。
「王城でほら、殿下が子供を呼び集めた日の話。隠された宝物と組の数が、想定と違って殿下はおかんむりで、ルイスさんが自分に恥をかかせるために細工したに違いないって、糾弾された」
「……どうしてルイス様を疑う必要があるの」
「知らない、日頃の行いじゃないの」
「そうなの、姉さま。その時のお話。ルイス様と、ほとぼりが冷めるまでは誰にも言わないって私、約束してしまったの」