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銀の盟約  作者: 朱市望
2 本編
13/32

⑬領地からの苦情


 士官学校の講義が終わった夕刻、ルイスは猫の姿が見えないのに気が付いた。仕方なく食堂、修練場の裏や寮室の寝台の下まで、敷地内を隈なく捜索する。しかし、結局どこにも姿はなかったので、試験期間中の貴重な時間が無為に消費されてしまった。

 おそらくはルイスのお守りと、男くさい居住空間に嫌気が差して、侯爵邸に戻ってくつろいでいるのだろう。月に一、二回は起きている現象だった。部屋に戻ると、ドアのところで同室のエルと、それから別の寮室の友人が何か話していた。


「ものすごく美味しいクレープの店があったんだが、どこだったのかさっぱり思い出せないんだ。内装も洒落ててさ……」

「夢の中の話だろ。いつまで寝ぼけているつもりだ」

「え? そうだったっけ……? あれ?」

「あ、ルイスいたいた。なんか面会だって。食堂に案内されていたよ」


 先日、パトリシアと一緒に同室にまでクレープを奢った時は、公園内に出店している屋台だった。お店、というと夢の中で食べた時の話である。

 ルイスが同室に親切に指摘してやっていると、どうやら自分宛ての伝言があったようだ。混乱しているエル以外は逢引きだと騒いでいる。こんな時間に伯爵令嬢と接触できるわけもない。先日、休みの日にパトリシアを公園に連れ出している時にうっかり遭遇してから、ルイスは盛んにはやし立てられていた。

 





「遠くからご苦労、アルマン」


 食堂に通されていたのは父が部下として、信用を置く男である。幼少期から侯爵邸に仕えているアルマンは主家の人間に、形式に則った挨拶を述べた。その横では、姿の見えなかった飼い猫が食卓の上で背中を舐めていた。


「では先に。これは屋敷の者が。猫さんが先方に迷惑を掛けたようです」


 受け取った手紙のうち、一つはパトリシアからの走り書きらしい。妙に震えた字は一体何かと問うたが、集まりに出席してお疲れのご様子、とアルマンが補足する。屋敷からの手紙はその状況を説明したもので、親しくしている人の屋敷に何故か猫さんが潜り込んでいたらしい。

 見つかった場所は、王都の侯爵邸と馬車で向かえば近所と言えなくもない。しかしお互い郊外に広大な敷地を有しているため、猫が自分で歩いていくと小一時間はかかるだろう。それから薬師の筆跡で、ルイスからという態で滋養に良い物を見繕って手配とある。


「猫さん、ヴァンティーク内はともかく、他の家には迷惑を掛けるのは極力避けるようにしてね」


 いないと思った、とルイスは一応飼い猫を窘めておいた。猫の方はピンク色の舌を出したまま、こちらを数秒見つめている。それ以上の反応はなく、前足で顔を手入れ作業に移行した。


「これだけでは詳細がわからないから、また時間がある時に確認しておくけど。それで、アルマンは何?」

「……当主様が大変お怒りです。早急に領地にお戻り下さい」

「ああ、そう。ついに勘当だって?」


 ルイスの冷めた返答をした。父の側近は、冗談でも口にするな、と言わんばかりの表情を浮かべた。しかし元をただせば、勘当云々は父の台詞である。これまでに幾度か、ルイスの出来が父の期待を大幅に下回った際、口にされていた。これを出せばルイスのやる気と能力が急上昇すると見込んでいたらしい。しかし、一度も実現にむけた動きがあった事はない。残念ながら、単なる威嚇に過ぎない事が判明してしまった。


 猫の一件もあって、息子を大して好きではないだろうし、こちらとしても特別に仲が良いとは言えない。なんでも完璧にこなせる父に、息子の気持ちは逆立ちしても見当がつかないのだ。


 ただ、優秀な生徒を集めているこの学校で、途中編入でもやっていけるだけの地力がついていた。その点に関しては、ルイスは父に感謝している。

 

「つまり王城での一件に、直ちに参じて申し開きをせよ、と? 悪いけれど学校の課題があるから。領地にはそう伝えて」


 ルイスはこちらに向けられる冷ややかな眼差しに、同程度の温度で応じた。講義の度に小テストを課す軍事史や、馬術の試験練習にいたっては時間と馬が予約制である。自分で申請の上、押さえておかなくてはならない。馬によっては気難しい個体もいて、穏やかで経験豊富なのを確保しておきたいところである。

 編入したての試験では一番気難しいのをあてがわれて、馬に慣れているためなんとか扱えたが大変だった。そうでなければ、いきなり落第である。


「王城での一件が、お父君の知るところとなりました」

「殿下のお茶会で手違いが生じた件? 先方が確認を怠ったという事で決着がついたが」


 春先まで、ルイスは王城に近習の一員として仕えていた。その終わり頃、王城にはまだ年端もいかない子供達が招待されて、オレリアン殿下たっての希望で宝探しが行われた。

 当日、事前に用意されていた宝物が何故か一つ増えていて、見つけるための手がかりもそれらしく偽造されて紛れ込んでいた。別にそのくらい、と周囲が宥めるのも聞かず、殿下は大層お怒りであった。


 子供達を召集する計画自体に、ルイスだけが表立って反対していた。自分の意見が通らなかったために腹を立て、台無しにしたのだろうと向こうは推測している。しかしルイスに、実際に改ざんが可能だったかどうか、決定的な証拠がないため手詰まりである。

 詳細な取り調べの結果、浮かび上がった疑わしい時間帯に、お気に入りの文官と殿下の私室の警護をしていた人間が、まとめてルイスの挙動を見逃した事になってしまう。結局、その結論は出せなかったのだ。



「そうでなくとも、あなた様にはやるべき事がございます。領地をよく治めるための準備を早急にはじめなくては。侯爵家唯一の後継であるのですから、どうかお戻りくださいますよう」

「父の指示で隣国へ二年間遊学、それが終われば次は王城での出仕。計四年の間、私は父の命令に大人しく従ったつもりだが。私には私なりの考えで、過ごす二年間があって然るべきだと思うけれど」

「全てはあなた様を思っての措置です」

「それは素晴らしい。さぞかし優秀な後継ぎ息子が完成している頃合いだろうね」

 

 平行線を悟ったアルマン、つまり父の代理は不本意な表情を浮かべる。こちらにしばらく滞在していますので何かあれば、と付け加えて退室した。


 ルイスは誰もいなくなった食堂に残って、翌日使用分らしき伏せて並べてあったグラスに水を汲んで窓際の席に腰かけた。すとん、とその横に軽やかに降り立ったのは飼い猫である。撫でてやろうと手を伸ばしたが、さりげなく避けられてしまう。世の中の猫達は、家族の異変を察知し、落ち込んでいる時は寄り添い慰める生態があるそうだ。しかし、何事にも例外はあるのだろう。素っ気ないのか、これでも気を遣っているつもりなのかはよくわからない。



「さて」


 はたから見れば、甘やかされた放蕩息子が親と離れているのを機に遊び惚けている。ルイスも特に否定はしない。早急に領地に戻って仕事を覚えるように、というのも理解はできる。

 対抗策として、王都屋敷に立てこもってだらだら過ごすのはさすがに気が引けたので、学校という場所に目をつけた。これは、案外良い作戦だったのかもしれない。

 資金面、もしくは兵糧攻めから守れるのが、学生のいいところである。無理矢理引きずってでも領地に連れ戻される可能性も考えられたが、外部の知るところとなればたちまち醜聞である。

 

 婚約を結んでいるカステル伯爵家、もしくはパトリシア個人を介してルイスに干渉する、という手段も同じ理由で父は踏み切れていない。しばらくはこちらで過ごせるだろう。

 

 成人が近い一人息子を勘当はできない。ルイスを排して別の誰か、というのは能力面ではともかく、血統という点で一人に絞れない。領地は大いに混乱し、選定結果次第では血を見る可能性まである。それなら多少出来が悪くとも、ルイスを当主にしておいた方が得策だ。

 今まで掛かった全てを水泡に帰すという、父の輝かしい人生における汚点を、今さら受け入れられないだろう。



「ルイス様。アルマン殿から後は頼むと伝言を受けたのですが、何かありましたか」

「……やあノイン。軍事史の課題は終わった?」


 食堂の扉を静かに開けて、中を覗いたのは同期生である。市井の出だが領地の中でも指折りで優秀な若者だ。病気の親のために進学しないのはもったいないとルイスが手続きをして、医者を紹介したついでに当面の資金援助と、領地にある返済不要の奨学金の枠に入れた。

 お互い、後に同級生になるとは露ほどにも考えていなかった。編入して紹介された際には、彼は唖然とした顔をしていたのを記憶していた。本当は彼がいる部屋に振り分けられる予定だったが、彼の本分は学業であってルイスの子守りではないので、別室にお願いして現在に至る。


「俺が聞く話じゃないかもしれないですけど、王城で何があったのですか」

「……私が人に頭を下げるのが不得手な人間だと露見してしまってね。家を継ぐ前に直したいけど。みんな、自分より出来の悪い領主の息子に頭を下げて健気に働けるよね、すごい能力だよ」

「……ですからルイス様。お屋敷や領地の側近くにお仕えするのは指折り、上澄みをほんのひと掬いした者達が、お行儀よく神経張りつめて仕えているのですからね」


 まだ歩けもしない頃より、ルイスの周囲には、優秀な者達が集められた。遊び相手から始まって、ゆくゆくは公私にわたって将来の領主を支えるようにと選ばれた者達である。領地内関係者の子弟で固められ、彼らはその地位を勝ち得るために競争に明け暮れたそうだ。

 しかし、肝心のルイスは父や祖父のように能力が高いわけでも、人が自然とついてくるような何かを有しているわけでもない。


 実に贅沢な悩みであると、ルイスもわかってはいた。それでも、この居心地の悪さに折り合いをつけられない限り、ルイスはパトリシアを領地に連れて戻ったとして、彼女に何もしてやれない。


 ノインはそれ以上、何も言わなかった。けれどもその場を辞すでもなく、側に座っている。ルイスはパトリシアからの謎の走り書きに再度目を通した。集まりに出席した先で猫さんを拾ったのでお届けします、という内容の下に、猫の顔らしきものが書いてある。その更に下には、『お城での件を、探っている者がいるようです。お気をつけて』とあった。彼女に似つかわしくないふにゃふにゃとした筆跡で綴られている。


 肘をついて、ぼんやりと字を追った。王城では次期王位継承者に完全に睨まれている立場である。パトリシアには申し訳ないが、晴れて結婚した後、ほとぼりが冷めるまでは王都にて社交を楽しむ、というのは難しいだろう。

 では領地でのんびり、というのも雲行きは怪しい。というのも、ルイスしかいない現在、後継をできるだけ早くもうける事が最優先である。


 こればっかりは天地がひっくり返っても代われない。結婚すれば後継ぎ、後継ぎと折につけ迫られる日々になるかと思うと、今から頭が痛い。ここ何代か、侯爵家には生まれる子供が少なかった。将来、パトリシアには過大な期待と重圧が寄せられるのは想像に難くない。

 自分は父のように傑物ではないが、せめて彼女は何の心配もないように、安穏と過ごしてほしい。ささやかな願いですら、早くも実現には暗雲が立ち込めている。

 

  

 今から二年ほど前、ルイスが遊学から帰国した日。母君が亡くなってしまって不安定なのもあってか、こちらの姿を見て泣きながら安堵していたパトリシアに、ルイスや彼女の父親や弟も驚いた様子だった。抱きしめて宥めてやって、もう遠くへは行かないから、とその時に約束をしたのである。約束は今しか、そして守ろうとしなければ、守れないのだ。


 今後、散々迷惑を掛けるルイスにできる、唯一の誠意である。


 ぼんやりしているルイスの横で、ノインは猫の鼻先に指をそっと差し出した。似たような仕草を、猫式の挨拶だと別の同室も試していたのを知っている。

 

 しかし、その時と同様に、猫は奇異な眼差しを向けるばかりであった。

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