表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀の盟約  作者: 朱市望
2 本編
10/32

⑩パトリシアの夢


 パトリシアは、ルイスと公園を散策する際、日差しには十二分に気をつけたつもりである。けれど念のためだと、侍女のソフィが丁寧に肌を綺麗に手入れしてくれた。

 薬師のニナから購入した、すっきりとした好みの香りが付けられたクリームを塗ってもらう。桃の甘い香りにうっとりしながら、いつものように眠りについた。






 けれど気が付くと、パトリシアはどことも知れない場所を歩いていた。知らない、落ち着いた優しそうな若い男性が手を引いていて、速く速くと急かした。身長に差があると、歩幅も全然違うので、付いていくだけでも大変である。


「……そうか、母親が亡くなってしまったとは気の毒に。弟や妹の面倒を見るのはさぞかし大変だろう。それから父親があまり頼りにならない。まあこんなところかな」

「……いえ、そのような事は」


 手首の少し下を掴むようにしている相手の顔を、パトリシアは確認しようとしたのに、何故か思うようにいかない。相手は白い手袋を嵌めている。それ以上の事はわからないのに、向こうは次々とこちらの事情を言い当ててしまうのだ。

 それを気味悪く思い始めた時、唐突に手が離された。一人きりになって、いつの間にか屋敷の中を歩いていた。自分の目線が、ドアノブより低い事に違和感はない。



「……素晴らしい縁談だ。令息は当代や先代のような傑物とは比べるべくもないが、その方が好都合だ。支度金はすぐに支払ってくれるらしい。これでしばらくは安泰だな」


 父と、応じているのは叔父である。酒が入っているせいか父は饒舌だ。その後、どんな話をするのか知っていた。聞きたい話ではない。母親のところへ戻って、一緒にいた方がずっと安心して過ごせる。それなのにパティの足は凍り付いたように動かなかった。



「……やあパティさん。奇遇だね」


 その時、朗らかな声が聞こえて後ろを振り返ると、見慣れた姿がある。制服は格好良く見栄えがしていて、上は夏服らしく簡素だが丈夫なシャツ姿である。ルイスの姿を認めると、心の底からほっとした。

 足元にはいつもの白猫がいて、尻尾を立てたままこちらへ歩いて来る。猫は、今日はいつもの取り澄ました顔ではなく、目に見えてご機嫌であるらしい。水色の綺麗な瞳をまんまるに、らんらんと輝かせていた。


「……?」 


なんだか不思議な感覚である。この人と自分は、こんなに背丈が離れていただろうかとパトリシアは首を傾げた。そこでようやく、自分は何故か小さな子供の姿になってしまっている事に気がつく。

 ルイスは扉の前まで来て、無造作にノックもなしに開けた。猫が中にするりと入りこんだのとほとんど同時で、手早くぴしゃりと閉じた。


「猫さん?」

「猫さんはご飯の時間だ。あちらへ行こう」


 彼はひょい、と屈んでパトリシアを抱え上げた。慌ててしがみつくと、彼はごめんごめんと小さく謝りつつ、扉から離れた。パトリシアは何故か寝間着姿であって、髪も下ろしたままである。とても大好きな婚約者と顔を会わせるような恰好ではなくて、恥ずかしかった。


「ルイス様、どうしてここに? 今日はお約束の日でしたか?」

「ははは、ここは夢の中なのでね。ところでパティさん。最近、何か古くて綺麗なものに触らなかった?」


 ルイスは誤魔化すように明るく笑った後で、そう尋ね来た。けれど彼の表情は真剣そのものだったので、パトリシアも頑張って記憶の中を探す。あやふやな記憶を何度もひっくり返すようにして思い出そうとした。やがて何日か前の集まりで、それを見せてくれた人がいたのを思い出す。


「集まりで、宝飾品の収集品を見せてもらいました。みんな手袋をしながらですけれど。舶来品なのですって。相手は確か……。あれ、誰だったかな」

「そうか、それで合点がいったよ。きっと素敵な収集品だっただろうね」


 それがどうかしたのか尋ねてみたが、こっちの話だと彼は笑う。


「それで、今日はどうかしたの? 元気がないじゃないか。僕でよければ、話してごらん」


 パトリシアはあまり気乗りしなかったけれど、彼の方は辛抱強くこちらを待っているらしい。しばらく彼はそのまま歩き続けたけれど、他の話題には移ろうとしない。沈黙に負けて、おずおずと口を開いた。

 

 父が言うには、パトリシアは侯爵家に嫁ぐことが決まっている特別な娘。弟のリヒターは家を継ぐ大事な跡取り。そこまでは別に問題がない。


 パトリシアは以前、お守りにと銀の髪飾りを買ってもらった。母が手配してくれて、意匠がお揃いの美しい品である。弟は時計が良いと言うけれど、妹はパトリシアの物をしきりに褒めてくれるので、同じお店で購入したいと父にお願いした。


「だけどお父様は、エーファを」


 同じには扱わない、と父ははっきりとパトリシアに宣言した。本当はもっと、聞きたくなかったような言葉を使った。同じ屋敷に住んでいるのに、考えが合わないのは辛かった。自分は娘なのだから、親の方針には従わなければならないというのも悲しかった。


 魔除けのお守りなのに、と訴えても、父はバカバカしい迷信だと切り捨てた。家の兄弟姉妹全員購入する家の方が、今時珍しいのだと言い張った。

 そのうえ、妹は出来が良くないから、などと付け足した。同じ屋敷に住んでいるのに、出来が良くなかったら大切にしてくれないのだろうか、とも思った。価値がない、などと言ってほしくはなかった。


 母が天の国へ行ってしまう前に、こっそりとパトリシアを呼び寄せた。自分はずっとそばにいるつもりだけれど、と前置きした。弟と妹をよろしくね、と頼まれていた。パトリシアは簡単にわかりましたと言いたくなかった。


「けれど、なんでも父の言う通りにしていたら。……エーファは頭が良いので、いつか絶対に気が付くはずです。その時きっと、姉は何も感じなかったのか、と」

  

 この話は、ルイスが隣国へ遊学している時だった。彼は帰って来た後で、弟妹も一緒に、教会へ花を手向けに行ってくれた。時間を掛けて、間に合わなかった謝罪と、丁寧な祈りの言葉を捧げてくれたのを、よく覚えている。

 彼は帰って来たばかりで忙しかっただろうに、元気がないね、とルイスがこちらにしきりに気を遣ってくれて申し訳なかった。


 彼は自分達を連れて教会を出て、一旦街へ向かった。素敵なお店へ子供達を連れて行き、三人それぞれにペンダントを買ってくれた。そのまま教会へまた戻って、司祭様にしっかりとしたお祈りを捧げてもらった。それから何故か猫さんにしっかりと匂いをかがせた。

 これは元々お土産のつもりだった、と隣国から持ち帰った、お花が彫ってある可愛らしい銀貨をペンダントに入れて渡してくれた。流通しているものではなく、記念硬貨として発行されたものを、朝早くから並んで入手したそうだ。魔除けのお守りとして、しばらくはこれで、と言ってくれたのである。

 


「……なるほど。それでも一応、家の方針というのはそれぞれあるものでね」


 教会で司祭様を待っている時、パトリシアは一連の経緯をルイスに打ち明けた。弟と妹は敷地内の中庭を仲良く探検している時を見計らった。

 その返答としてルイスはまず、一通り誰が聞いても無難で済みそうな話を口にした。その後で、彼はパトリシアをもっと近くに手招いて、二人だけに聞こえる声で囁いた。


「今できるのは、妹君の信頼を勝ち得ておく事だ。いずれ私と結婚して侯爵夫人の地位を得て領地に移ったら、適当に理由をつけてエーファを招いて、帰さなければいい。そうして役割を与えるなり、自分が納得した人を紹介するなりすればいいさ。それとも今のうちからリヒターを味方につけておくのも、いいかもしれないね」


 そもそもルイスがパトリシアだけではなくエーファも大事にしている限り、父も勝手はやりにくいのだと言う。しばらくの間は安心して暮らせばいいよ、と約束してくれた。

その時、パトリシアは安堵したのだ。自分と同じ考えでいてくれることに。大切にしているのだと、一緒に守ってくれると誓ってくれた時の気持ちを思い出した。



 色んな人が、パトリシアに言う。侯爵家に嫁ぐからには、とか、相応しい教養を、作法を、そして従順でいなさい、と。

 

「……もしこの先、誰かと意見が合わないな、と思った時は。僕が隣にいると思って、それが相手にもわかるように端々に滲ませながら喧嘩してごらん。あるものは上手く使わないと。そんなのは、みんなやっているから、遠慮する必要はない」


 ルイスだけはその手の言いつけを嫌っていた。今も彼は優しく笑って、仲良くそして強く生きて行こう、と彼は冗談めかして、パトリシアをもう一度抱え直した。


「パティさんたら、僕があんなに一生懸命に誓ったのに。もしかして忘れてしまったの?」

「まさか、いいえ、そんな事は」


 どうしてこんな大事な事を、とパトリシアは内心で慌てつつ、否定した。ルイスはそれ以上追及せず、覚えているのならよかった、と言う。


「パティさんがうらやましいな。三人仲が良くて、上の子は下の弟妹を大事にして、下の子はお姉さんを慕っている。理想的だね。私も兄弟姉妹、一人で良いから誰かいて欲しかったな。そうすれば、一人でいるよりずっと心強いのに」

「……私が、ずっとおそばにいます」


 パトリシアは懸命に訴えた。ルイスは何とも言えない、けれど優しい嬉しそうな笑みを返してくれた。ありがとう、と囁かれて落ち着かない気分になる。 


「おや、景色の良い場所まで来たよ、見てごらん」


 いつの間にか、歩いていたのは屋敷の中ではなかった。婚約を整えるため、ルイスの領地でもある侯爵領へ赴いた時、たまたま見えた海と同じだった。


 パトリシアはルイスに抱っこしてもらったまま、きらきらと輝く海を見つめた。


「領地には、眺めの綺麗な場所がたくさんあるよ。一緒に見に行こうね。さあ、クレープ屋に行こうか。今年の流行りは、焼いて重ねて、イチゴの甘く煮たやつと、クリームを乗せて食べるのだそうだ。美味しいよ」

「わあ」


 クレープは街へ下りた時、お店でご馳走してもらった。とても美味しかった。彼の友達が別の座席から手を振って、こちらに移って来た。わいわいした雰囲気で、楽しい話をたくさん教えてくれた。


 記憶や時間が曖昧になって、自分は今何歳で、今はいつだったという認識があやふやになり始めた時、またねとルイスが手を振るのが見えた。






「……」


 パトリシアは夢から覚めて愕然とした。そのままの態勢で天井を見つめていたので、身支度を手伝いにやって来たソフィをとても驚かせてしまった。寝ていると思っていた相手が目を見開いたまま仰向けだったらさぞかし怖かっただろうと思い、申し訳なかった。


「お、お嬢様? どうかなさいましたか」


 いいえ、と起こしに来てくれたソフィに返事をしながら、パトリシアは穴があったら入りたい気持ちである。夢の中とは言え、あんなに甘えてしまった。夢で良かったと思う。


 パトリシアは何故か、ルイスに可愛がってもらっている夢をかなり頻繁に見る。夢に心の内を見透かされているようで、といつも愕然としてしまうのだ。

 けれど、とパトリシアは寝台の上で枕を抱え込んだ。彼が約束してくれた声を思い出す。昨日、ご学友の前では熱く語ってしまって少し恥ずかしかったけれど、間違いなく本心でもある。


 パトリシアは身支度の合間に、母親からもらった装飾品の小箱を取り出した。ソフィも一緒に、今日はどれにしましょうかと一緒に覗き込む。今日はこれ、といつかのペンダントを取り出した。カステル伯爵邸の子供達は全員持っている品物でもある。


 中にはちゃんと異国の珍しい銀貨が入っているのを、こっそり確認しておいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ