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お兄様が婚約の申し込みを済ませた数日後、ヤスミンはコレット様にあててお茶会の招待状を出した。


ヤスミンがコレット様をお茶会に招待、私と三人でお茶をしているところにお兄様が来る。そこで急な呼び出しでヤスミンと私は中座、という計画。

もちろん、中座についてはコレット様には言っていない。

なんなら、お兄様が来ることも言っていない。


いきなりお兄様と二人きりというのはコレット様にはハードルが高いだろうし、かといってヤスミンと私がいるとコレット様はお兄様と一言も話さないかもしれないし。

しばし私たちと歓談、気持ちをなごませていただいて、ラスボスに挑んでいただこう。

恐くないし、ラスボス。


「で、どうだったのかしら、うちの兄は」

紅茶が運ばれて早々にヤスミンはコレット様に聞き込みを始めた。

「どうって」

「婚約の申し込みはちゃんとできてた?」


冗談めかして促されコレット様の白い肌がうっすらと赤くなった。

「それは、もちろん」

「前からコレットのことが好きだったなんて、私も知らなかったわ。コレットは気づいてた?」

「そんな、気づくわけないわ。お話ししたこともほとんどないのに。なのに、なんで私のことを好きになったのか全然わからない」

猫に似ていたから。なんなら猫の生まれ変わりだから。ああ、言えない。


「私も兄に聞いてみたのよ。そうしたら、一途な女性とか、してほしいことをはっきり言える女性が好きらしいの。ジョエル様から聞いていたコレットが兄の好みのタイプだったみたいで。あと、外見もかなり好みみたいよ」

「嘘……」

「コレットのこと、遠くから見ていたこともあったって」

ヤスミンは嘘はついていない。ただ、一途とかしてほしいことをはっきり言えるとか、まんまベアトリーチェで、外見も髪が三毛で目が緑っていうところがベアトリーチェと一緒ってだけで。

学園でコレット様のことを遠くから見たこともあるだろうし。コレット様だと認識していたかはともかくとして。


ますます赤くなるコレット様に罪悪感が半端ない。

ジョエル様以外の男性と接点がなかったから、コレット様は男性に好かれ慣れていないのだ。

こんなにきれいな人なのになあ。

赤っぽい茶色の髪は艶めいて、一房の黒が結った髷に模様のように入っている。エメラルドの瞳で見つめられると同性なのに胸がざわつく。

話すときれいなソプラノで、表情豊かになる。緊張して黙っていると冷たい人形のような人だから、それだけでも急に印象が変わる。

笑顔を見られるほどコレット様と親しくなれた男性がいなかったのは残念というか、お兄様のためには幸運だったというか。


「ハンカチを持ってきてくれたの。私が忘れていったのを見つけてくれたみたい」

ヤスミンに話を引き出され、コレット様が語り始めている。ハンカチ、あの、お兄様が口をつけていた。

私からあの晩の話を聞いたヤスミンが「何か話すきっかけがあればいいのにね。出会った晩どんなことがあったの?」と誘導してお兄様からハンカチのことを聞きだし、持たせたのだ。もちろん、洗濯してから。


「それから、お花をくださったんだけど、トルコキキョウ、って、あの、こういう訪問には珍しいかも。普通は薔薇とかじゃないかしら」

「婚約申し込みのときは薔薇のほうがよかった?」

コレット様はわずかに動揺した。

「ううん、えっと、そうではないの。そうね、薔薇じゃなくてよかったかも」

「トルコキキョウの花言葉って、永遠の愛よ。コレット様」

花言葉辞典で調べたからね。私が。 

「そう、なの?」

もじもじするコレット様。もしかして、この方はかなりチョロいんではないだろうか。そういうところも今までの境遇を思わせて、何だか私まで泣けてくる。


「コレットはどうかしら? お兄様のことはまったく考えられないかしら。貴族だから結婚は自分の気持ちを優先にはできないこともあるけれど、お兄様は心の底からコレットと結婚したいと思っているし、コレットがお兄様に興味を持ってくれたら私もうれしいわ」

ヤスミンは畳みかけ、コレット様から「まったく考えられないってことはないけど」という言葉を引き出した。

「ただ」

「ただ、何?」

「まだよく知らないから」

「そうよね。知り合えばわかってもらえると思うけど、お兄様は家族思いなの。コレットが家族になってくれたら、とても大事にするわよ、きっと」

ちょっと大事にしすぎるだろうことはヤスミンは言わない。私だったら、お兄様みたいに「大事に」されるのはヤダ。


もじもじしているコレット様にヤスミンがもう一声かけようとしたその時、ドアがノックされる。ヤスミンがさっと時計に目を走らせた。予定より20分早いが「どうぞ」と言わざるを得ない。


入ってきたのは、もちろんお兄様だ。ものすごい笑顔だけど、予定が狂ったヤスミンが微笑んだまま睨むという器用なことをしてるのと、急なお兄様の登場にコレット様が動揺してることも気にしてほしい。

お兄様は長い足でさっとやってくると「お邪魔するよ」と言って、コレット様の隣に座った。


「まだ、いいとは言っていませんけれど」

「いいじゃないか。コレットが来ているんだし、仲間に入れてくれよ」

ヤスミンの眉が上がる。

「ああ、この間、名前で呼んでいいっていう許可をもらったよ」

お兄様がコレット様のほうを向いて言う。

ヤスミンがため息をついた。

「お兄様も同席していいかしら、コレット」

「え、ええ」


コレット様もダメとは言えない。そんなコレット様にお兄様は追い打ちをかける。

「今日もかわいいね、コレット」

「え、えぇ」

「君みたいなかわいい子と婚約できて幸せだよ」

「く、クロード様」

「違うよ、コレット。様はいらない。もう一度呼んで」

「く、く、く、クロー……ドっ」

「何だい、コレット」

「いえ、その」

何だろう、口をはさむべきなのに、何も言いたくない。


また、ドアがノックされる。

返事をすると、侍女が入ってきた。

「仕立て屋が急ぎの件で来ているのですが。さ来週の夜会のドレスのことだそうです」

あらっ、とヤスミンは言うが、もちろん、お兄様が来たら様子をみて声をかけるように台詞込みで侍女に命じてあったのである。

「ごめんなさい、コレット、私、ちょっとだけ行ってくるわ」

「アガタ様もいらしてほしいそうです」

あらっ、と私も言うが、もちろん、これも事前に決まっていた台詞である。

「コレット様、すみません、すぐに戻りますね」

すがるように伸びたコレット様の手には気づかないことにして、そそくさと席を立つ。

さりげなく、かつ、がっちりとコレット様の肩をつかんだお兄様に「コレットは僕がもてなしておくから気にしないで行っておいで」と追い払われたのにはムッとしたが。


ひょんなことからコレット様にたくらみがばれないように、ぬかりないヤスミンはちゃんと仕立て屋を呼んである。夜会のドレスにちょっとした飾りをつけるから相談したい、と言って。

二人で仕立て屋と打ち合わせをして、ぴったり30分時間をつぶす。「お兄様がちゃんと時間を守っていれば、もう少しコレットにいろいろ吹き込めたのに!」と言うヤスミンが神経質に時間を計ったからだ。

なのに、戻るとヤスミンはドアの前で立ち止まった。隙間に耳をつける。私もヤスミンの顔の下で耳をつけた。


「かわいい」「きれいだ」「愛らしい」「素敵だ」「大好きだ」。

うん?

見上げるとヤスミンの眉間にシワがよってる。たぶん、私のもよってる。癖のように指でシワをのばす。

「ヤスミン、お兄様は馬鹿なのかしら」

「大馬鹿だわね」

「ベアトリーチェにもよく言ってたわね」

「コレットは猫じゃないってことを理解してもらわないとね」

「コレット様の声が全然聞こえないんだけど」

「そうね」

「お兄様は気にならないのかしら」

「気にならないわよ。返事がないのに慣れてるんだから」


ベアトリーチェを抱き上げ、ひたすら撫でながら話しかけているお兄様を思い出す。

ヤスミンも同じことを思い出したらしく、すぐさまノック、返事を待たずにドアを開けた。

「お待たせしてごめんなさい」

ノックで正気に戻ったコレット様がお兄様を押しのけようとしているところだった。


力の差はいかんともしがたく、コレット様の肩はお兄様に抱き寄せられたままだ。髪が乱れているところを見るとお兄様が撫で繰り回していたことは間違いない。

とはいえ、それ以上のことはなかったようで、まずは一安心だ。


「お兄様、コレットを離してくださいませ」

レディの微笑みはそのままに、ヤスミンは氷の張りそうな声を出す。

「婚約者なんだから、これくらいいいだろう」と、いい笑顔のままのお兄様。

「まだ結婚もしていませんし、人前では控えてくださいませ」

「家族の前だからいいだろう」

「お兄様にはそうでも、コレットはまだ家族ではないんですから」

「お前はコレットが家族ではないというのか」

「そういう言い方は誤解を招きますわ。私はコレットが家族になるのは喜ばしいことだと思っていますが、コレットからすれば未婚の令嬢が男性に抱きしめられているというのは恥ずかしいことだと思います」

「そんなことはないさ、なあ、コレット」

たたんだ扇子の先にかかったヤスミンの指に力が入り、扇子は折れんばかりにしなった。

「お兄様、結婚まではわきまえてくださいませ」

本気のヤスミンを見て、兄もしぶしぶコレット様から手を離した。

「わかった。結婚するまでだな。できるだけ早く結婚しよう」

お兄様からやっと離れて、テーブルに手をついて荒い息を吐いていたコレット様が顔を上げた。

うれしそうには見えなかった。




侍女に髪を直してもらったコレット様が帰宅した後、私たち兄弟は向かいあって座っていた。つまり、私とヤスミンの前にお兄様、だ。


「お兄様」

「なんだい?」

「おわかりになっていらっしゃるのかしら」

「なにをだい?」


パチンとヤスミンは扇子をたたむ。

「コレットは人間語が話せます」

「そうだね」

「今日、お兄様はコレットと会話をなさったのかしら」

「もちろん、君たちが席をたっていた間ずっと話していた」

「コレットは何を話しました?」


お兄様はちょっと考えた。

「僕の話を聞いていたな」

「お兄様が一方的にお話しなさっていたのね。コレットに何も言わせず。それを会話と呼べるのでしょうか」


お兄様、きょとんとしてるけど、理解できてる?

「お兄様はコレット様に何を話していたの?」

「そうだな。褒めていた」

「たとえば?」

「きれいだとか、かわいいとか」

「あとは?」

「素敵だとか、きれいだとか、かわいいとか」

台詞が戻ってきている。

「お兄様、コレット様にずっと同じことを?」

「思っていることをそのまま言っていたらそうなった」

私とヤスミンは顔を見合わせる。思うことは一つ、猫じゃないんだから。


今度はヤスミンのターン。

「お兄様、女性のお友達と話すときは何を話されます?」

「うーん、大体最初は向こうの話に合わせるかな。最近、女性の間で流行ってる何か、みたいなのはお前たちに聞いてるから話に出てきてもついていけるな。芝居の話とか本の話とかも大丈夫。恋愛小説はあまり興味がないけど、それ以外の小説の話はいける。好きな男が剣とか馬に夢中だからそれについて知りたい、って言われたら、教えてあげることもある。ある程度仲良くなれば好みもわかってくるから、興味ありそうだなと思ったらその話をしてみたり」

「お兄様」

「なんだい?」

「なぜ、それをコレットにしないのですか」


だから、お兄様、なぜきょとんとする?

「お兄様、コレット様は読書がお好きです」

「……」

「それから、コレット様は馬に乗るのもお好きです。領地に戻られたときはよく乗られるそうです」

「……」

「それから」

「アガタ、そこまでにしましょう。お兄様、あとはコレット本人に聞いてくださいませ。それから、令嬢の頭を撫でまわすのはやめてください。時間をかけてきれいに結い上げているのですから」

一通りの説教をすませたヤスミンは席を立とうとして付け加える。

「髪をほどいているときに存分に撫でればよろしいわ」


ヤスミンに次いで部屋を出る。後ろ手にドアを閉めるとき、お兄様が息を呑む音が聞こえた。

貴族女性が髪をほどいている、それはどういうときか。

私がもう少し潔癖だったら、お兄様いやらしい! と思うところだ。

そうヤスミンに言うと、姉は片眉を軽く上げた。

「むしろ、私は安心したわ」

「安心?」

「お兄様がちゃんとコレットを女性として見ていることがわかったからよ」


そういえば、そうだ。

コレット様のハンカチを口元に押し当てていた姿を思い出す。

もしかしたら、お兄様は最初からコレット様を女性として見ていたのかも。

え、だったら。

「あとはお兄様にそれを気づかせることができればいい」

そうでした。問題はそこでした。


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