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ということがあったわけ。
結局、帰りの馬車でお兄様は物憂げに黙っていて、私も二人の会話を聞いていたこともハンカチについても言いづらく、そのままになっていた。
帰ったらヤスミンに話すつもりだったのに、もう寝ちゃってたし。
昨夜は遅かったから、今さっき起きてきて、かなり遅めの朝食というより早めの昼食をとろうと食堂に行ったら、昨夜とは打って変わって上機嫌のお兄様がいて、ヤスミンが来て、三人そろったところで、突拍子もない話が始まったわけだ。
お兄様が最愛のベアトリーチェの生まれ変わりを見つけたっていう。
それでベアトリーチェが死んだのは一年前なのに、生まれ変わりは17歳だっていう。
で、ヤスミンが「お兄様、私もアガタもすごく気になっているのですけれど、コレットのことは以前からご存知でしたでしょう? なぜ、今、それがわかりましたの?」と聞いたという。
今ココ。
お兄様はテーブルに肘をつき指を組んで、わずかに考えるそぶりをした。
「確かに僕はコレット・フォールを前から知っていたよ。でも、それは友人の婚約者としてだ。ジョエルからいろいろ聞いていたし、ジョエルと彼女がうまくいっていないのも知っていた。だけど、昨夜まで彼女本人に近づいたことはなかったんだ。あの髪、目、なにより僕を見たときのこわばった様子は初めて会ったときのベアトリーチェそのままだった」
あ~。
私はヤスミンとまた顔を見合わせた。
そうだ。コレット様はそういう人だ。
婚約者とご家族以外の男性と話しているところを見たことがない。昨夜だって、がちがちで会話して、そそくさと逃げた。
男性よりはマシだが、女性ともなかなか打ち解けない。つまり人見知りがはげしい。
「ジョエルに聞くのは彼女の悪いところばかりだったから、積極的に仲良くなろうとも思ってなかったし、大体、仲が悪いとはいっても人の婚約者だし」
それはそうだ。
「私はコレットの友人ですけれど、コレットからジョエル様の悪口は聞いたことがないですわよ。私自身はジョエル様の悪いところをいくつでも言えますけどね」
「そう言うな、ヤスミン。ジョエルにもいいところはあるんだ」
「たとえば?」
「頼めば魔道具を作ってくれるし」
「自分が興味のあるものならね」
「それ以上をジョエルに望むのは無理だろう」
「ジョエル様ですからね。で、ジョエル様はコレットのことをどう言ってましたの?」
「そうだな、もっと一緒にいろってうるさいとか、誕生日のプレゼントくらい送ってほしいってうるさいとか、最近では卒業パーティで最初に踊ってほしいってうるさいとか」
ヤスミンの目が泳いでいる。なんだろう、これが男女の差? コレット様はそれくらいで悪口を言われてたの?
「お兄様はそれを聞いてどう思いました?」
「ジョエルだからな」
そう、ジョエル様はそういう人だけど、それなら。
「コレット様はなんでもっと早く婚約を破棄しなかったのかしら」
「アガタ、それはコレットだからよ。小さなころからの婚約者だからジョエル様とは普通に話せるし、小さなころから婚約していたから、それ以外の選択肢があるなんて思いつかないのよ。そもそもコレットにとって父親と弟とジョエル様以外の男性は恐怖の対象でしかないんだから。だからジョエル様に執着してるのよ。あんなことまでして」
「あんなこと?」
「リリアーヌ嬢をいじめたんだろ」
ヤスミンがお兄様をきっと睨む。
「違うわよ! リリアーヌ嬢がジョエル様に慣れ慣れしすぎるから注意しただけよ。もちろん、私だってあれはやりすぎだと思ったけど」
「あれ?」
「リリアーヌ嬢を閉じ込めたんだよな、あれはちょっとひどいかもな」
「違うわよ! リリアーヌ嬢がジョエル様と放課後会う約束をしていると思い込んで、会いに行けないように、彼女がいる資料室のドアを魔道具で開かなくしただけよ。時間制限つきの魔道具だったから一時間くらいで開いたはずよ」
それはやっぱり閉じ込めたんでは。空気を読んで言わないけど。
と私が考えてたら、お兄様は明後日の方向に考えをめぐらせていた。
「そんなにジョエルは想われてるんだな……」
「だから、違うって。ほかの男性が苦手なだけよ」
「ベアトリーチェの生まれ変わりだからな」
話が戻ってきた。たしかにベアトリーチェはお兄様以外の人間、とくに男性が嫌いだったけど。
「コレット様はヤスミンの同級生よ? 一年前に死んだベアトリーチェの生まれ変わりは無理があるけど」
ここまでの会話で疲れ果てているヤスミンの肘鉄はキレがない。容易にかわす。
結構痛いところをついたはずなのに、なぜかお兄様はドヤ顔だった。
「愛の力だよ」
は?
たぶん、私、今、顔全体が疑問符になってる。
「愛の力で時間を超えたんだ」
「えっと、えっと、お兄様、最近どこかで頭を打った、いっ!」
一度はかわして油断した私にヤスミンの肘鉄が炸裂した。
涙ぐんで姉の顔を見ると、諭す顔で首を振っている。そしてあっという間にレディの微笑みに切り替えた。
「そうね、きっと! 愛の力だわ」
「わかってくれたか、ヤスミン!」
「ええ、もちろん。それで、お兄様はこれからどうなさるおつもり?」
「そうだな」少し考え込む。「彼女をうちにもらいたいと思っているんだが」
ヤスミンは扇子を頬にあてた。
「すぐには無理ですけれど、そうですね、方法はありますわ」
「どうしたらいい?」
そわそわするお兄様。
「まず、お兄様に伺いますが、コレットを一生大事にできますか」
「当たり前だろう」
ヤスミンはふふっとレディの微笑み発展形で小首をかしげる。
「でしたら、婚約しては」
「婚約……」
「結婚すれば、一緒に暮らせますでしょう」
「そうか、そうだな! さっそく父上に話してこよう 」
「それがよろしいわ。でもお兄様、気をつけないと」
「何をだ?」
「ベアトリーチェの生まれ変わりってことはね、コレットには言わないほうがいいと思うのよ」
「どうして?」
「以前はともかく、今はコレットなんですから。同じ魂でもコレットとして愛してあげないと」
ヤスミン、私、言ってることがよくわからない。展開も速すぎてついていけない。
しかし、お兄様は力強く応えた。
「問題ない。僕は彼女の魂を愛しているが、新しい呼び名や毛皮になった彼女に新鮮な気持ちで接することができる。昨夜の彼女はこれまでにも増して愛らしかった」
わからないのは私だけなのね……。
「お兄様の順応性が高くてよかったわ。それから、ベアトリーチェに似てるとも言ってはだめよ。とくに髪は」
わからない顔のお兄様。これは私わかるわ。
「コレット様の髪は秘密でもなんでもないけど、コレット様の家が裏で呼ばれている三毛猫伯爵は決していい意味での呼び名ではないわ」
「僕は好きだぞ」
ヤスミンが閉じた扇子を左右に振る。
「お兄様はお好きでしょうけど、世間一般的にいい意味ではないのですから配慮なさらないといけません」
「わかった」
「でしたら、私もアガタも協力しますわ。コレットは人見知りですから」
「わかってる。同じ魂だし」
「そうね、お兄様はベアトリーチェのときでわかっていらっしゃるわよね。一度慣れればゆるぎない愛を持つ方ですわ」
つまりは束縛されるってことなんだけど。
「ちょっとヤスミン、あれ、どういうこと?」
「どういうことってそういうことよ」
「お兄様、あきらかに言ってることがおかしかったじゃないの。それを肯定してどうするのよ。このまま信じちゃったら」
すでにレディの顔は脱ぎ捨てているヤスミンはたたんだ扇子の先を私につきつけた。
「だって、そうするしかないでしょう? このままじゃお兄様は悲しみで壊れちゃう。ベアトリーチェさえいればお兄様は立ち直れるわ」
「だって、本当のベアトリーチェじゃないのに! コレット様にだって猫だと思われてるなんて言えない!!」
ヤスミンはフンと鼻を鳴らした。
「言わなきゃいいのよ」
扇子の先を私の顎の下に入れて、くいっと持ち上げる。ヤスミンのほうが少し身長が高いから、私は姉の顔を見上げる形になる。駄目だ。口角が上がって悪い顔をしている。こういうときの彼女は何を言ってもきかない。
「よく考えて? お兄様とコレットはお似合いだと思わない?」