スグロマサカズの場合は
踊り場 その2
人生はやり直せる、と人はいう。
人生なんていくらでもやり直せるんだから――。
大きな失敗をして落ち込んでいる人、取り返しのつかない間違いをしてしまったと頭を抱えている人に、周りの人間はよくそんな言葉をかける。
なんとも無責任な言葉だ。
俺は常々そう思っていた。
そういう心構えを持っていれば人生なんとかなる、その程度の意味合いで使われる言葉だということくらいわかっている。
それでもやっぱり、たやすく口にできる言葉じゃない。
人生をやり直せるかどうかなんて誰にもわらない。
そもそも、人生をやり直すというのがどのような状況を指すのか俺にはよくわからない。
失敗を取り戻せるくらい成功したときなのか。間違いが帳消しになるくらい素晴らしい行いをしたときなのか。
ああ、自分は人生をやり直すことができた――。
そんな人はいるのだろうか。
ちょっと想像できない。
でも、俺は知った。
人生というのは、本当にやり直すことができるのだということを。
人生いくらでもやり直せるんだからという、気休めの慣用句的な意味合いではなくて、文字通り人生をもう一度生き直すことができるんだということを。
実はそれは誰もが知っていることなのだ。
ただ、ほとんどの人はそれを忘れてしまっているだけのことだ。
誰もが一度は訪れる場所で人々はそのことを思い出す。
死んだ人間が、次の生に向けての一歩を踏み出すために準備を整える場所。
踊り場。
そこは、そう呼ばれていた。
「つまり俺は死んだということなんだな」
目の前の少年がこくりとうなずく。
やっぱり、俺は助からなかったのか。
路上で気を失ったところまでの記憶はあるが、そこから先のことを覚えていない。ということは結局意識を取り戻すことなく死んでしまったということか。
享年四十九歳。短い生涯だった。しかも、テロに巻き込まれて命を落とすとは、ついてない。
「それで、俺はこのあとどうなるんだ」
ここが踊り場と呼ばれている場所だということは、なぜか知っていた。そして、目の前の少年があらゆる事象を統べる存在だということも。
「通常は次の人生を生きることになるね。新たな生命の誕生ということだよ」
大人びた笑みを浮かべて、少年は答えた。
「通常は?」
「つまり、あなたがそれを望めばってこと」
「もしも俺がそれを望まなければ?」
「そのときは、あなたという魂はここで終わり。ジ・エンド。無に還る。でも、そんなことをしたくはないはずだよ」
その通りだった。俺は新しい人生を始めることを強く欲している。それがひしひしと感じられた。この欲求は、魂というものが持つ本能のようなものらしい。こうやって魂は転生していくのか。しかし一方で、心の片隅に引っかかっていることがあった。
「なるほど、彼女のことが気になっているんだね」
どうやらこの少年はこちらの心の中を見通せるようだ。
「念のために聞くんだが、もう一度同じ人生をやり直すことはできないのか」
「できないことはないよ。ただし、それを選択すれば次の生はない。どんな結果になったとしても、やり直した人生が終わってしまえばあなたの魂はそこまで。その『ワラムクルゥ』はそこでおしまい」
「ワラ――何だって?」
「『ワラムクルゥ』。あなたたちのいう宇宙よりも、もうひとつ上位の世界のこと。あなたたちの言葉でこの概念を言い表すものは存在しない」
「なんだかよく分からないが、時間線のようなものか?」
「ああ。その認識は近いね。ただし、時間は一方向に流れてるものではないんだけど。でもいい線いってるよ。あなたが考えたの?」
「いや。お前、SFを読んだほうがいいぞ」
少年は数秒間まぶたを閉じた。そして、目を開けると、何かを理解した表情になった。まるで、目を閉じている間に世界中のSF小説をすべて読んでしまった、というみたいに。
「なるほど。勉強になったよ」
「こちらもだ。まあ、とにかく同じ人生をもう一度やり直すのは、ヤバそうってことは分かった」
「この『ワラムクルゥ』であなたが死んでしまったら、あなたには次の『ワラムクルゥ』は訪れない。つまり、もう二度と転生はしない。それでもやる?」
自分でも意外なことに、俺の躊躇は一瞬だった。
「やる」
「もう一度同じ人生をやり直して、彼女を救うつもり?」
「そうだ」
「ちなみに、前世の記憶を持ったまま、人生をやり直すことはできないよ。どうしてだかわかる?」
「例えば、株で大儲けすることができるから、とか」
「そう。そんなことをしたら世界の均衡が狂ってしまうからね。それでもやる?」
「ああ。やる」
「本当に、万に一つの可能性もないんだよ」
「ああ」
「そうまでして、彼女を救いたいの?」
俺はうなずいた。
「仮にあなたの目的が達成されて、彼女を救うことができたとしても、そもそもあなたには前世の記憶がないんだから、達成感も満足感も得られない。それでも構わないんだね?」
「構わない」
「どうして? どうしてそこまで彼女にこだわるの?」
「恐らく彼女もここに来たはずだ。あの日、彼女は――」
「待って。悪いけど、他人がここに来てからどうなったか、どんなことを望んだのかは話せないんだ」
「いや。話してもらわなくてもいい。聞かなくてもわかる。彼女は次の生を望まなかったはずだ」
少年は黙っている。
「彼女がどうなったか知っているんだろ」
「知ってる」
「彼女は転生していない。どうだ、図星だろう」
少年は表情を変えない。
「お前、なかなかのポーカーフェイスだな」
「どうもありがとう」
「彼女が生まれ変わらなかったとしたら、彼女の魂は無に還ったということだ。だから……わかるだろ? 俺は彼女が生きていた世界に戻らなければならないんだ。彼女を救うとしたらそこしかない」
少年はため息をついた。
「わかった。そこまでいうのならあなたを前世に戻してあげる。あなたは人生のある時点からもう一度生き直すことになる。それでいい?」
「ある時点というのはいつのことだ」
「あの日、問題の日から約二十二ヶ月前。それ以上前には戻せないんだ」
一年と十ヶ月か。あまり時間がないが仕方がない。
「それでいい。いや、ちょっと待ってくれ。俺が彼女を救うことができたら過去が変わってしまうことになるが、そんなことが起こり得るのか」
「過去はそう簡単には変えられないよ。それは覚悟しておいて。あなたが生き直すのは厳密にいうと前とは別の『ワラムクルゥ』だけど、その中身はほとんど同じ。一度確定した『ワラムクルゥ』を大きく変更するにはそれなりのパワーがいる。それが人の生死にかかわることならなおさらだ。でも不可能じゃないし、過去が変わること自体は大した問題じゃない。単に行き止まりの『ワラムクルゥ』がひとつ増えるだけだ」
「なんだかよくわからないが……つまり、過去が変わる可能性はあるんだな」
「まあ、なくはない、といったところだね。さっきもいったけど、可能性は極めて低いよ」
「上等だ。ところで、ポーカーフェイス。君はいつもそんな姿なのか」
「ううん。人によって僕の姿は変化する。どうしてこんな姿なのかは聞かないでね。僕にもよくわからないんだ。じゃあ、近くに来て」
俺は少年のそばに立った。
俺を見上げる少年の瞳が金色に輝いている。
「最後にもう一度聞くけど――」
「やってくれ、ポーカーフェイス」
少年はうなずくと俺の目の前に手を差し出した。
「じゃあ、いってらっしゃい」
そして、パチンと指を鳴らした。




