#8 心強い友達の言葉は
ワラムクルゥ 02
私の横をイサミが黒板のほうに歩いていく。上履きを履いているから、足音は立たないはずなのに、カツ、カツ、と、まるでハイヒールでも履いているような、そんな音が勝手に私の脳内で再生された。
イサミはチョークを手に取ると黒板に向かって何かを書き始めた。突然のことに、教室内は静まり返っている。カツ、カツ、とチョークの音だけが響く。
書き終わると、イサミはくるりと、私たちに向き直った。イサミの体が邪魔でなんて書いてあるのかよく見えない。イサミは、いった。
「サイトウくん、あなた野球は好き?」
いきなりの質問に、サイトウはうろたえた。
「はぁ? 何いって――」
「サイトウくん、野球は好きかって聞いているの」
「そ、そりゃ、好きだけど」
「甲子園に行きたい?」
「そりゃあ、まあ」
「行きたいの、行きたくないの」
「行きたいよ。さっきからなんなんだよ、カグヤ――」
「最後の質問。プロの野球選手になりたい?」
「いや、そこまでは……」
「無理?」
「そりゃ無理だろ」
「サイトウくんは、野球が好きで、甲子園に行きたいけど、プロ野球選手になるのは無理だと思ってる」
そこでイサミは、まだうなだれて立っているミチルを見た。
「スドウさんは、漫画が好きで、これまでずっと漫画を描いてきた。そして、プロの漫画家を目指している。彼女はプロになるつもりよ。彼女は自分の描いた漫画で食べていこうとしている」
ミチルは驚いた表情でイサミを見た。イサミは、私たちを見渡した。
「もう一度いうわ。サイトウくんは野球が好きで、でもプロ野球選手になるつもりはない。スドウさんは漫画が好きで、プロの漫画家になろうとしている。そして、たとえ高校の学園祭で作った同人誌とはいえ、これは彼女がたくさんの人に自分の作品を見てもらう、最初のチャンスなの。委員長」
イサミがハナちゃんの方を向いた。
「は、はい」
「多数決をとって」
イサミが体をずらすと、黒板に書かれた文字が現れた。そこにはこう書かれていた。
――須藤さんが漫画家になる夢を応援したくない人
――須藤さんが漫画家になる夢を応援したい人
ハナちゃんはその文字を読んで、イサミにうなずいた。
「じゃあ、多数決を取ります。スドウさんが漫画家になる夢を応援したくない人、手を挙げて」
誰も手を挙げない。
「では、スドウさんが漫画家になる夢を応援したい人、手を挙げてください」
私は手を挙げた。女子を中心に、徐々に手が挙がっていく。
「わかったよ、ったく」
サイトウがそういって、手を挙げた。それを見て、男子も手を挙げていく。やがてクラス全員の手が挙がり、最後に黒板の脇に立っているイサミが手を挙げた。
「全員一致ね。私たちはこの同人誌を学園祭で販売することに決定しました」
朗らかな声でハナちゃんが宣言した。
誰かが拍手を始めて、クラス中に広がっていった。
「カグヤさん、ありがとう」
ハナちゃんがイサミに声をかけている。イサミはうなずくと、自分の席に戻り始めた。途中で、サイトウの席の横を通るとき、つぶやくようにイサミはいった。
「ありがとう、サイトウくん」
ふん、とサイトウはそっぽを向いた。
ホームルームが終わると、私はイサミを振り返った。
「ちょっと、イサミ――」
口を開こうとした私の目の前に、イサミは手のひらを広げた。
「待って。さっきのは私のアイデアじゃない。スグロ先輩の指示通りにしただけ。だからほめられても困る」
「そうなの? いつのまに」
「昨日の夜、電話で。リンコは今、別のことで頭がいっぱいだろうから、私にだけいっておくって」
「いや、そうだとしてもさ。あんなことなかなかできないよ。どんなクソ度胸だよ、あんた」
ノリちゃんがミチルの手を引いて隣に立った。
「イサミちゃん、すごかったよぉ。かっこよかったよぉ」
「カグヤさん、ありがとう」
ミチルがぺこりと頭を下げた。
「いえ。どういたしまして」
こころなしか、イサミの顔が赤くなっている。ノリちゃんがイサミにいった。
「ねぇねぇ、トモコたちが、同人誌のコピーと製本を手伝ってくれるって。今からちょっと打ち合わせしない?」
イサミはうなずいた。
「あとで行く」
ミチルとノリちゃんがいってしまってから、私はイサミにいった。
「ごめん、イサミ。今日は私、行けない。みんなに謝っておいて」
イサミはじっと私を見つめた。
「これから、私、図書室に行ってくる」
「わかった」
「イサミ、ありがとう」
「どうして? 私は何も……」
「そんなことない。イサミのおかげだよ。それと、スグロ先輩にもお礼をいっておいて。ありがとうございましたって」
「伝えておく」
私は立ち上がった。
「リンコ」
とイサミが呼び止めた。
「ん?」
「がんばって」
心強い友達のその言葉にうなずいて、私は教室を出た。




