3.火球
▼20XX年1月19日 20:30 神奈川県平塚市湘南平(高麗山公園)
一週間ほど前は雪が舞っていたが、今週に入ってからは好天が続いていた。
伸二は、友人の彰と一緒に、湘南平のレストハウスに来ていた。テレビ塔付きの展望台は、夏であればこの時間でも、南京錠を付けにくる恋人たちで賑わうが、冬はさすがにまばらだ。
もっとも、テレビ塔に付けられた南京錠は、一年に一度、撤去されてしまうのだが……それも、分かれた時の言い訳の一つとして認められているのかもしれない。
今日は、SNSに投稿するため、ネタ写真として、火球を撮影に来ていた。
「どうかな。ちゃんと撮れるかな?」
夜空を見上げながら伸二が彰に尋ねた。
「ネットの情報だと、毎晩9時ぐらいから流れているらしいな」
「じゃあ、もうすぐか……」
腕時計で時間を確認した伸二は、肩にかけていたバッグから一眼レフのカメラを取り出した。道具だけは立派、といわれないよう、最近、カメラマンの助手をしている友人に教えてもらっていて、少しは上達したつもりだ。
「でも、最近は火球も珍しくなくなったよな」
彰の言葉はもっともだった。
一週間ほど前から、世界各地で火球の報告が増えた。もちろん、ドライブレコーダーの設置が増えた現在、10年前と比べると火球の報告は何倍にも増えている。
それでも、最近の報告は異常だ。
火球をSNSサイトにアップしようと考えた段階で、伸二は、ある程度、火球について調べていた。
火球と流星、そして隕石には厳密な違いはないが、一般的に、流星の中で特に明るいものが火球、そして地上まで到達したものが隕石と呼ばれている。国際天文学連合と国際流星機構で、若干、明るさの基準で違いはあるが、別に専門的な知識まで知ろうとは思っていない伸二は、簡単な分類の説明で納得していた。
年間、観測される数も調べたが、ネット上に統計データはなかった。それでも、国内の記事を検索すると、年間で火球が記事になることは10から20回程度。しかし、最近一週間だけで、国内での観測数は50を超えた。世界でみると、その数は何十倍にもなる。
明らかに増えていることが分かる。
なぜ火球が増えているのか、専門家から素人まで、ネット上ではさまざまな議論がなされていたが、もちろん結論は出ていない。
ただ、9割以上の火球が流れていく方向が同じだったため、流星群のようなものではないか、という意見が主流だった。
それらの知識は、伸二も知らないことばかりで興味深かったのは確かだが、大事なのはバズるかどうかだ。
ただ、最近の毎晩観測される火球は、速度が異常といえるほど早いらしい。実際、動画サイトにあげられた映像では、一瞬で光の筋が現われている。消えるのは片方からなので、どちらから飛来したのかは分かるが、過去の動画と比較すると、明らかに違うことが分かった。
ほとんどの火球は東から西へ向かう。一瞬で流れる光跡が重なると、その映像は実に幻想的だった。
できれば、複数の火球を同時に撮れればな、と伸二は思っていた。テレビ塔をバックに構図が嵌れば十分にバズる可能性はある。
三脚に一眼レフを設置、動画モードにする。F値は開放。ISOは迷ったが、火球の明るさを考え、小さめの設定にした。
方角は、完全に勘だ。どうせなら、構図を優先しよう。
テレビ塔を左端によせて、夜空を広く捉えられるようにセッティングする。
まだカメラの習熟は始めたばかりだし、量販品の一眼レフのため、撮影時間は30分以内となる。
とりあえず8時50分ぐらいから始めてみようか……
バッテリーとSDカードの予備は用意している。
「どうだろう。あと15分ぐらいで始めてみないか?」
同じように撮影の準備を進める彰に声を掛けると「ああ、いいぞ」と答えをもらう。彰は伸二と逆方向にカメラをセッティングしている。どうやら、湘南平から見える夜景をバックに撮影するようだ。
準備を終えた伸二は、ポケットに入れた使い捨てカイロで指を温めながら、アウトドアチェアに座り、時間を待った。
8時50分。
「動画撮影」のボタンを押して、録画をスタートさせる。液晶モニターの右上に、録画中の印が表示され、無事に録画が始まったのが確認できた。
その後……9時を過ぎたが、夜空に変化はない。南の空高くには、一等星が7つで形作る「冬のダイヤモンド」が見える。伸二は、液晶モニターを見ながら、冷えた両手に息をかけて温めた。
「今日は、ダメなのかな?」
「もう少し、頑張ろうぜ。ほら」
伸二の弱音に、彰が温かい缶コーヒーを投げてきた。
「そうだな……」
受け取った缶コーヒーのプルタブを開けながら、「せっかく、ここまで来たのだから、何枚かSDカードを使うぐらいまで頑張ってみよう……」と一口飲んだ時、視界の端で、夜空を一筋の線が割った。
「え……?」
「きたぞ!伸二」
慌てて液晶モニターを見ると、テレビ塔を背景に光の線が映っている。動画サイトで何度も見た光景だ。噂の火球に間違いない。
やがて、ゆっくりと東から線が消えていく。
「どうだ、撮れたか?」
「ああ、ばっちりだ!」
伸二は彰が伸ばしてきたグータッチに答えた。今日の夜は、編集で忙しくなる。だが、SNSにあげた動画の反応を想像すると、その忙しさも楽しみに思えた。できれば、彰がカメラを向けている方向にも火球が現われてくれれば良いのだけど……
「あれ?」
撮影できた動画を確認しようと液晶を操作していた伸二は、少し抜けた感じの彰の声に振り向いた。
「どうした?」
そこには、ぽかんと口を開けた彰の姿があった。
なんだ?
ふと空を見上げると……
彰がカメラを向けていた平塚市内の夜景が煌いている夜空に、数本の光跡が見えた。
……火球?
しかし、見ている間に、どんどん光跡は増えていく。
やがて、無数に見える光跡が夜空を占拠した。数十本の光跡に冬のダイヤモンドの光も吸収されたようだ。
呆然と夜空を見上げる彰の横で、伸二も手を止めていた。
果てしなく輝くような光跡は、その美しさとは裏腹に、何かの凶兆を告げているように見えた。
◆◇◆◇
▼20XX年1月19日 08:20(現地時間) アメリカ、ホワイトハウス
「何が起こった?」
早朝、突然の招聘を受け、主要閣僚がホワイトハウス、ウエストウイングの地下、シチュエーションルームに集まっていた。
アメリカ航空宇宙局 (NASA) 長官マック・Y・ジョージの要請を受け、国防長官アダム・バジルが早朝に、急遽、アメリカ合衆国国家安全保障会議(United States National Security Council、 略称:NSC)を招聘したのだ。
最後に席についた大統領エンリケ・スコットが参加者に問いかけると、真っ青な顔をした国防長官が返答した。
「大統領。ユカタン半島の悲劇が、現実のものになろうとしています」
「ユカタン半島?」
大統領は、長官が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
「ええ。ちょうど4時間前、午前4時過ぎ、ハワイの小惑星地球衝突最終警報システムが、警告を発しました。約一ヵ月後、直径30キロ以上の小惑星が地球に衝突する、という警告です。衝突確率は、現時点で80%を越えています」
「は?」
すっとんきょうにも思える声を大統領が上げる。誰も声を発するものはいない。シチュエーションルームは、静寂に包まれた。
次話「4.観測」、来週の火曜日の投稿予定です。