17.奇蹟
▼20XX年2月19日 15:00(現地時間) ハワイ大学天文学研究所
アローンは、画面越しに見慣れたシチュエーションルームを眺めていた。
前回のミーティングの時、全てが終了したはずだった。あとは、ロスタイム。せいぜい、残りの時間を自分なりの意味を持たせた上で、過ごすはずだった。
しかし、自分は今、再びこの部屋を見ている。
今日のシチュエーションルームは前回と違い、黒テーブルが置かれ、大統領、副大統領、国務長官、国防長官、統合参謀本部議長、CIA長官、FBA長官、そしてNASA長官が囲んでいた。いつものメンバーだ。
今回、自分の前にはモニターが二つ置かれている。一つは、アメリカ合衆国国家安全保障会議に参加するためのもの。もう一つが、スレットの望遠画像だ。
ハッブル宇宙望遠鏡から送られてくる画像は鮮明だ。長い尾を引くスレットは美しかった。現在、地球との距離は約5,000万キロ。今、映し出されているのは3分前のスレットの姿になる。画面の上には、緑色の数字が表示されていた。スレットの位置を示す座標だ。その数字は刻一刻と変化していた。
公彦とソフィアも同席して、二つのモニターを見ていた。
アローンが、今日、スレットのインパクト回避への最後のチャンスを見届けるのに二人を同席させたのは、「チョウリ・レポート」を提出してきたのが二人だったからだ。
「チョウリ・レポート」は、公彦の友人、長鍬重里が最後に残したものだった。彼は、公彦にこのレポートを送信後、心不全で亡くなっている。果たして、彼が残したのは最後の希望なのか、それとも……
その答えは、間もなく分かる。
『ただ待っている、というのは結構、辛いものだな』
突然、モニターの先で、大統領が語りだした。
『最近こうして待ったのは、昨年の中東での救出作戦のときだったか……あの時も、工作員のウェアラブルカメラの画像配信を待ち続けたな。2時間ほどだったか』
『はい、大統領。正しくは1時間45分でした』
統合参謀本部議長の声が聞こえた。
『人命に軽重をつけてはいけないが、あの時は2人の命がかかっていた。だが、今回は70億の命がかかっている』
大統領の声は、さほど悲観的ではなく聞こえた。
前回のミーティングでスレットの衝突が回避されないことが判明したとき、大統領はその事実を公表しないことを決定した。当然、反対は出たが、公表することで、再び暴動が起こることが避けられないことは明白だった。
もしも――どんな奇跡でもよいので――スレットが衝突しなかった場合、公表することで発生する死傷者は不要であるべき死傷者となる。だから、事実を公表しなかった咎は全て自分が受けるから、その不要な死傷者を防ぎたい。
大統領の決定は、おそらく異論も出るはずだ。「知る権利」を犯したことは確かだ。
しかし……
サウスダコタ州にあるラシュモア山の露頭には、4人の大統領の肖像が彫られている。有名なラシュモア山国立記念碑だ。彫られているのは、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、エイブラハム・リンカーン。いずれも歴史に名を残した大統領だ。
為政者の真価が、非常時にこそ問われるとしたら、人類滅亡という、歴代の大統領が誰も背負わなかった難題に冷静に取り組めるスコット大統領も、そこに顔を刻まれても不思議ではないようにアローンは思った。
『待つことは我々の仕事だ。待つだけ待った分、その成果が大きくなるのなら、このまま2日ほど待ちたいところだな』
スレットの衝突まで残り1日。2日待てるなら、我々は助かったことになる。これは大統領なりの願いを込めたジョークなのだろう。
『さて、アローン。待つ間に、今回のダストトレイルによって起きうる可能性について、復習させてくれ』
「はい。大統領」
突然の呼びかけだったが、慌てることなくアローンは答えた。
「復習は、今回のレポートを提出したメンバーから行わせていただきます。では、公彦」
あらかじめ、大統領への説明を行うことは聞いていた公彦は、椅子をずらして、モニターに向かった。
「はじめまして大統領。アトラス、チームデルタのキミヒコ・アツギです」
『よろしくキミヒコ。早速はじめてくれ。できれば専門用語はできるだけ少なく頼む』
手を上げて軽く挨拶する大統領に一礼した公彦は、説明を始めた。
「はい、大統領。善処します。まず、私の友人、チョウリ・ナガクワが数日前に送ってくれたレポートに、先月から各地で観測されていた火球の正体が書かれていました」
そして、公彦はあらかじめ用意していたボードをカメラの前に置いた。そこには、太陽を母天体とする流星群、そしてゾンビ星を母天体とする流星群のイラストが描かれていた。今回は二つのモニターのうち、一つはスレットの観測映像が流されているので、できれば顔を見せながら話した方が伝わりやすいだろうと、ボードで用意したのだ。
「そして、一昨日、彼が亡くなる直前に送信したメールに、ある警告が書かれていました」
『チョウリ・ナガクワのことは残念だった』
「お気づかいいただきありがとうございます」
大統領の弔意に公彦は頭を下げた。
「彼の最後のメールに書かれていた警告は、これから訪れるゾンビ星からのダストトレイルが地球を直撃すると、被害を及ぼす可能性がある、という内容でした。そしてそれは同時に、くしくも、スレットへの影響も示唆していたのです」
モニターの向こうでは、大統領をはじめ、皆が静かに公彦の言葉を聞いていた。事前に概要は伝えているので、大きな動揺はない。
「彗星を母天体とするダストトレイル、流星群は一度の飛来で数波を形成しますが、それは今回の超新星から生じたダストトレイルも同様でした。そして、最大の波がこれから訪れる予定になっています」
普通の流星群は、輝度はそれほど高くない。したがって、月齢が高いと見えづらいのだが、今回訪れる大量のダストトレイルは、もし大気圏内を通過すれば、おそらく月をバックでも見れるはずだ。
「今回の波では、これまで観測された「火球」の約10,000倍ほどの数が飛来する予想です。ピーク時は、およそ100万個ほどが束のようになって通過する予定です」
公彦は高校生の頃に、隅田川の花火大会で見た「ナイアガラ」を思い出していた。
「さらに、ダストトレイルの質量も光速からわずかに減速することで増加します」
『なぜ、速度が遅くなると質量が増えるんだ?』
副大統領が質問をしてきた。
「はい。正しくは、質量が増えるから速度が遅くなった、ということです。つまり超新星という一つの原因から発生したダストトレイルは、速度が速い、つまり軽いもののほど早く訪れ、重いものほど遅く到達する、ということです。そして、質量が増加すればするほど、衝突した際のエネルギーは増えます」
公彦は、簡単な運動方程式を説明するイラストのボードを見せた。
「今回、ゾンビ星からのダストトレイルが地球の軌道上を通過するとき、偶然、その座標にスレットが存在すれば、ダストトレイルが衝突する可能性が出てきます」
『それは、スレットを破壊する可能性もある、ということなのか?』
「いえ。残念ながら、スレットを後ろから追突して破壊するためには、最低でもスレットの1/1000の質量が必要ですから。今回のダストトレイルは最大でも10マイクログラムを越えることはありませんので破壊することはできません」
『では、どういった状況が想定できる?』
「最善の回答は、スレットの側面に少なくとも1マイクログラム以上の質量を持つダストトレイルが10万個ほど衝突することです。スレットは地球の軌道に沿っていますから、ごく僅かな弧を描いています。その弧に沿って上から弾くように衝突できれば、スレットは0.03度ほど推進方向を変えることになります」
『0.03度?そんなわずかな角度では、もう衝突まで1日を切っているんだから、どうにもならんだろう?』
「いえ。最低、それだけの角度ずれてくれれば、地球に衝突せずにすり抜けてくれます。地球との距離は、おそらく100キロ、プラスマイナス30%程度の距離になります。ほとんど掠める形ですが……」
『そこまで近づいて、地球の重力に捉われて引き寄せられることはないのか?』
「それは大丈夫です。地球を追い越す形でニアミスしますが、地球の重力圏内を通過する時間は約15秒ですので」
『これから始まるのは、スレットにダストトレイルがぶつかる天体ショーということか』
大統領が興味深げな表情で尋ねた。
「そうです。ただ、残念ながら、ダストトレイルの質量は小さく、何よりほぼ光速ですので、事前に観測すること、つまりピンポイントの通過地点は確認することができません」
『では、どうやって分かるんだ?』
「チョウリ・フォーミュラーを使います。彼のデータをもとに、彼が構築した計算式を使うことで、先月から続いた火球は全て事前に観測可能だったことが証明されています。もっとも、火球が線を描く時間と位置が分かる、というものですが……」
『計算通りなら、スレットの軌道は変わる、ということか……』
「そうです。ただし、かなり複雑な計算式ですし、何より光速で飛来する物質の位置を特定することは非常に困難です。予想通りあったとしても、飛来する位置に若干のズレが生じることは残念ながら避けられません」
『そうか。だが、今回の狂想曲では――あえて狂想曲と言わせてもらうが――人類にできたことは何一つなく、ただ結果を知り右往左往しただけだからな』
「そうですね」
公彦は、大統領がいいたいことは良く分かった。アトラスで出したいくつかの結論。その結論は二転三転したわけだが、そのいずれも、起きた事象、今回で言えば、彗星の飛来に対して、何一つ能動的なアプローチはできなかった。
完全な受け身で出した結論によって、しかも一部は誤った結論で、大統領がいうように右往左往しただけだ。
衝突するかも、というデータで暴動が起きて、衝突が回避できたというデータで世界中が喜びに溢れた。そして今回、再び衝突が確定して――今回はその事実は公表されてはいないが――、生死を深く考える機会を得ることになった。
『さて、最後の演奏――ポストリュードで退場するのは、我々人類か、それともスレットの方か……興味深い考察だな』
「願わくば、後者であって欲しいと思います」
『私もだ』
頷く大統領の目は、力強い目で公彦をみていた。公彦も頷き返す。
「さて、みなさん、歓談中申し訳ありませんが、そろそろ開演の時間のようです」
アローンの言葉に全員がスレットのモニターを注目する。
モニターには、先程と変わらず、漆黒の宇宙を背景に長い尾を引くスレットが映っている。コンピュータ制御によって画面の中央に固定されているので、時折生じる僅かな画面の揺れがなければ、静止画に見えても不思議ではなかった。
「あと1分で予定時間に突入します。最大3分です」
誰も、言葉を発しない。画面の向こう、シチュエーションルームも静かだった。
スレットに、ダストトレイルが接触する瞬間は目視では確認できないはずだ。ダストトレイル一つ一つのエネルギーはせいぜい10~100億ジュール程度だ。直撃しても揺らぎすら出ることはないだろう。
また、大気圏内ではなく宇宙空間のため、ダストトレイルの光跡が見えることもない。もちろん、スレットの表面で爆発のような痕跡が見られることもない。もしかすると、テールの部分でかすかな光跡が見られるかもしれないが、動きがあるとしてもその程度だろう。スレット本体には見た目上の変化を見つけることはできないだずだ。
では、どうやってスレットの軌道の変化を知ることができるのか?
それが、画面右上に記された座標になる。この座標が赤く変われば、本来の軌道とは異なったことを示すことになる。
「予定時間に入ります」
アローンの声が公彦の耳に響く。
考えてみれば、観測できるまでに3分という誤差があるので、現実時間で言うなら、すでに結果は出ていることになる。
それでも……
今は、ただ緑の数字を見つめるしかない。
「1分経過します」
特に画面に変化はない。時折、画面が揺れるだけだ。スレットの外見に一切の変化は見られなかった。
いつの間にか手を強く握りしめていたのだろう。じっとりとした湿った感触を手のひらに感じる。
「2分経過です」
あと1分。
重里……頼む。
公彦は今は亡き友に祈りを捧げた。あの日、あのメールを受け取ったとき、すでに重里は物言わぬ姿に変わり果てていた。だが、重里は人の尊厳を守れる道標を間違いなく示してくれた。
もし、あのメールがなければ――衝突を待つだけのロスタイムを過ごしていれば、すでにいろいろなものを失っていただろう。それは形あるものだけではない。もしかすると、自分の力で死を迎える、という選択肢を選んだ可能性だってある。
奇蹟――
それは、手を伸ばしても届かない。しかし、向こうから手を差し伸べてくれることもある。人智を越えた先にあるものだと思う。
一度は、その手を掴めるところに来たと思った。奇跡が起こったと思った。だが、実際には蜃気楼のように伸ばした手の先に、その手はなかった。
そして諦めた。もう手を伸ばすことはないと思った。
しかし……もう一度手を伸ばす。
その伸ばす先は暗闇の中だろう。何かが見えるわけではない。でも、もう一度、もう一度だけこの手を伸ばすから、どうか……どうか、この手を掴んで欲しい……
公彦はいつしか両手を握りしめていた。隣では同じようにソフィアも祈りを捧げている。モニターの向こうでも、皆が手を合わせて、手を握り、「奇蹟」を願っていた。
長い。あまりにも長い。もうすでに時間は過ぎてしまったのではないだろうか……
不安が公彦の脳裏をよぎったとき――
『おおおおお!』
モニターの向こうで歓声が上がった。
なんだ、と思いモニターを見直すと……いつの間にか右上の数字が赤く変わっていた。
!!!!!!!
急いで、手元に用意していたノートパソコンを開く。そして、サーバーから最新の軌道の情報をダウンロードした。
震える指で、軌道情報をソフトにドロップする。表示されたのは……
『0.034度』
公彦は、モニターに向かって呼びかけた。
「大統領。奇跡は……奇蹟は起きました」
その頬には一筋の涙が流れていた。
次話「18.エピローグ」、来週火曜日の投稿予定です。最終話です。




