表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/18

16.レポート




▼20XX年2月16日 23:00(現地時間) ハワイ大学天文学研究所



公彦は、自分のデスクで頭を抱えて座っていた。横では、同じようにソフィアが放心状態で天井を見上げている。二人の間に、もう1時間近く、会話はない。


加速をしなかったスレットの軌道を、近日点のパラメータを全て削除して計算し直した結果は、「嫌な予感通り」のものだった。


90時間後、ハワイの現地時間で、2月20日18:18にユーラシア大陸中央部、ちょうどチベット高原にスレットはインパクトする。正確に言えば、同じベクトルで軌道を進むので、追突する形だ。もちろん、速度差が20倍以上あるため、ソフトインパクトではない。ハードインパクト(クラッシュ)になる。


2時間前に、アローンには計算結果を伝えた。他のチームでも同様の結果が出ており、もはや衝突は避けられない状況が確定したといえる。


もし、現在の軌道を進むスレットを衝突から回避させるためには「減速or加速」、「軌道の変更」のいずれかが必要になる。


減速・加速の場合、慣性の法則が働くため、地球への衝突を回避するために必要な速度を実現させるためのエネルギーは、加速、減速ともに1000(がい)ジュール以上が必要だ。軌道変更の場合でも角度によるが、約100京ジュールのエネルギーが求められる。


「1垓」とは1兆×1億だから、どれくらい大きなエネルギーが必要かがわかる。ちなみに、マグニチュード9の地震のエネルギーは約170京ジュールだから、軌道変更では等しいエネルギーが、そして加速・減速で約6万倍のエネルギーが必要と言うことだ。人工的に与えるのは不可能だ。


残された時間は90時間。


この時間は長いと言って良いのか、短いというべきなのか……そして、この時間をどう過ごすのかをこれから考えなければならない。


おそらく、アローンはもう緘口令を敷くことはないだろう。


もちろん公彦は、この情報を公開するつもりなど毛頭なかった。この情報で得られるのは絶望だけだ。傷をなめ合おうが、罵り合おうが、訪れる結果は皆平等といえる。


公彦は、頭を上げると、パソコンをスリープ状態から復帰させた。


とりあえず今回の経緯について、記録を残そう、と考えた。誰も見ることはないレポートだが、研究者としての矜持もある。


なにも論文を書こうとしているのではない。単なるレポートだ。フランクな書き方で良いだろう。


そして、ドキュメントを立ち上げようとしたとき、メールの着信に気がついた。


メーラーを立ち上げると、新着メールに来ていたのは重里からのメールだった。時刻をみると、つい先ほど。添付ファイルもついている。


ぼんやりと意識せずに、メールを開封した公彦は、メール本文に書かれていた内容に、目を見開いた。


メールの本文は、


『先日送ったエビデンスに追加した見解を添付する。』


から始まっていた。


『新たなゾンビ星のダストトレイルがこれから飛来する。おそらく明日から一週間が、今年の観測のピークとなるはずだ。ほとんどが地球を掠めるだけだが、おそらくその中には、地球を直撃するものもわずかにでてくるはずだ』


スレットで振り回された一カ月だったが、重里は我関せずに、自分の研究に邁進していた。その行動は、研究者の鏡といって良いものだった。


『今回のダストトレイルは、理論上、先月よりも質量がわずかに大きくなる。速度も0.0000001%減速することになるが、総エネルギー量は質量が増えた分、大きくなる見込みだ。地球に衝突した場合、以前から指摘されていたように、ほぼ光速での飛来のため、断熱圧縮による消失は期待できない』


時が時ならば、重里の研究結果は、宇宙物理学を大きく変えていたはずだ。


本来、光速の速度を出すためには質量はほぼゼロでないと不可能とされてきたが、今回、ゾンビ星を母天体とするダストトレイルは、わずかな質量、ナノグラムからマイクログラムにかけてのわずかな質量の単位を持ちながら、光速の99.999999%の速度で飛来していたことを証明したのだ。


前回、重里から送られてきたエビデンスは先月からの火球や宇宙ステーションの事故に触れられていた。


なぜ、観測された火球の光跡が一瞬で描かれたのか。それは、ほぼ光速で飛来したため目で追える速度ではなかったことを示している。


宇宙ステーションの事故も、近づいていたデブリが関係したのではなく、ゾンビ星のダストトレイルにより引き起こされたものだった。最初に計算していたとき、マイクログラム以下の質量であれば、そのエネルギーは数万ジュール程度と考えていたが、重里からのレポートを見る限り、実際には、わずか100ナノグラム質量が増えるだけで、そのエネルギーは1,000倍ほど膨れ上がっていた。単純計算すれば、先月、飛来していたと思われるダストトレイルが、1マイクログラム以上の場合、光速に近い速度で衝突すれば、そのエネルギーは10億ジュールを越える。TNT火薬換算で0.5キロトンぐらいの威力だ。宇宙ステーションは一瞬で破壊されただろう。


前は10グラム程度のダストトレイルなら地上に到達すると考えていたが、重里のレポートを見る限り、とんでもない、マイクログラムの質量があれば断熱圧縮で燃え尽きる前に地上まで到達することが分かる。


また、レポートには、インド洋で旅客機が墜落した原因も、このダストトレイルによる火球が原因の可能性が高いと示されていた。大気圏突入により減速などエネルギーの消失も加わり1億ジュール以下まで減衰していたはずだが、それでも当たりどころが悪ければ、例えば燃料タンクに直撃すれば、一瞬で爆発炎上することになったはずだ。


このゾンビ星のダストトレイルの恐ろしいところは、今の技術では「観測が不可能」ということだった。


現在の観測方法は、目視、つまり光の反射により物体を認識する方法が一つ。もう一つが、レーダーなどを使い、電波の反射を利用する方法だ。


光の反射も、電波の反射も、その最大速度は光速と同じだ。逆に言えば、光速を越えることはできない。つまり、ゾンビ星のダストトレイルが100万キロ先にいることを即時に捉えるためには、「100万キロ先で観測する」以外に方法がないということになる。そして、100万キロ先にいることを知らせるための方法が光速以上の速度を出せない以上、光学的な観測、レーダーでの観測ともにそのダストトレイルを最短で認識できるのは「届いた瞬間」とイコールだ。


事故を起こした宇宙ステーションも、レーダーで常に警戒していたはずだが、ダストトレイルがレーダーに映った瞬間にステーションに着弾していたことになる。もっとも、マイクログラム程度の極小物質がレーダーで捉えることが可能なのかは疑問だが……


確か、近づいていたデブリの消失と同時に宇宙ステーションが破壊されたとする地上からの観測データがあった。重里の前回のエビデンス(レポート)にも、流星群として飛来していた複数のダストトレイルの一つがデブリを破壊、そして他のダストトレイルが偶然、同じタイミングで宇宙ステーションに衝突したと推測されると書かれていた。


それらを思い出しながら、メールを読んでいた公彦は、最後に書かれていた文章を読んで、マウスを持つ手が震えるのが分かった。


『これから訪れるダストトレイルの飛来予想時間帯と通過想定座標を追加で送るので、必要に応じて警告を出して欲しい』



「これは……」


公彦は、慌てて添付ファイルを開いた。期せずして自分も書こうとしていたレポートが重里から届いたことに、何かの因果を感じる。その添付ファイルには「追:私見に基づくレポート」とファイル名がついていた。


少し震える指でファイルをクリックする。


ざっと内容を読んだ公彦は、「ソフィア!」と隣で呆然としたままのソフィアに呼びかけた。


「何……?」


焦点が定まらない視線を返してくるソフィアだが、それも当然だろう。ついさっきまでは自分もそうだったのだから……


「悪いが、検証を手伝ってくれ」


「何を検証するの……?」


「奇跡が起きる確率、をだ」


そして、公彦は重里から送られてきたメールに書かれていたこと、そして添付していたファイルに記載されていたダストトレイルの飛来予想時間帯と通過想定座標を示した。


ソフィアの目に少しずつ光が戻り始めることが分かる。


「そ、それって……」


「ああ。偶然という言葉を笑うほどの奇跡が必要だが、少なくともチップを台に乗せることは可能だ」


そう、重里から送られてきたデータ、これから飛来するダストトレイルのデータは、くしくも地球の軌道に沿ったものだった。


少し前までスレットは、加速して地球の軌道から少しだけ外れることで、地球の前方を掠める予定だった。しかし、スレットは加速しなかった。そのため、地球の軌道をたどり、そして衝突することが確定したのだ。


だが……逆に、スレットが地球の軌道をたどるのあれば、同じ軌道に飛来するダストトレイルと邂逅(かいこう)する可能性があるのではないだろうか?


もし、ダストトレイルの飛来予想時間と座標が、スレットの軌道と一致したならば……


光速で飛来するダストトレイルの束が、スレットに衝突することでどのような結果が生まれるのかは想像もできない。しかし、少なくとも、今の状況に変化を与えられる可能性が生まれたことは確かだった。


「わかったわ。今すぐ始めましょう!」


完全に正気に戻ったソフィアは、重里からのファイルを持っていたUSBに落とすと、計算のため急いで自分のデスクに戻った。




▼20XX年2月17日 22:00(現地時間) 中国・中国国家航天局




「準備はどうだ?」


中国人民解放軍総装備部の王少将が、制御盤で操作をしているスタッフに声をかけた。


「間もなく完了します」


中国の宇宙開発は、中国国家航天局が行っている。今回、アメリカのアトラスが捉えた彗星は、地球への衝突についての情報が二転三転している。カナダでは、コメットハンターがその衝突について動画で配信して大騒ぎとなった。情報統制を行っている中国でも、彗星の衝突について完全に秘匿することはできなかった。


その後、ホワイトハウスが衝突が回避されたとの情報を発信、瞬く間に世界に広がることで、各地で起きていた暴動は収束したが、中国国家航天局の解析チームからは、まだ予断が許されないとの分析結果が、つい先ほどもたらされた。


アトラスが公表している観測データをもとにすれば、5時間前には彗星は加速を始めているはずだが、2時間前に観測された長春人工衛星観測所の位置データでは、加速の痕跡が見当たらなかったからだ。


アメリカが何かを隠しているのか、あるいは公表しているデータに何かが意図的に仕込まれているのか、はっきりしたことは分からない。しかし、このままの軌道、速度に変化がなければ、彗星は、2月21日の正午頃にチベット高原あたりに落下するのは確実と考えられていた。


もちろん、アメリカが公表しているように、今後、彗星の軌道コースは地球への衝突コースから外れるのかもしれないが、もしそうでなかった場合、落下位置を考えれば、国家存続の危機に立たされているといっても過言ではなかった。一部の天文学者からは、地球そのものの存亡に関わるとの見解も提出されている。いずれにしても、残された時間は多くはない。国家として、できる限りのことを行う必要があった。


中国でも太陽系外での活動を目標とした宇宙開発は進められていた。もちろん、それに必要な技術の多くが、軍事に転用できることが開発を進める最も大きな理由だったが、ちょうど試験発射を控えていた多段ロケットが今年に入って、酒泉衛星発射センターに運び込まれていたのは幸運だった。


彗星が地球への衝突コースに入る可能性が高いと報告があった2週間前から、準備は進められいた。その後、アメリカからの衝突回避の報道はあったが、航天局は不測の事態に備え準備を進めるように指導部に進言、それが受け入れられ、ようやく今日、発射準備が整ったところだった。


ロケットに搭載可能な最新の核爆弾は、その威力が40メガトンある。これ一発で、広島に投下された原爆の約3000倍程度の威力になる。


従来の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を使うことができれば、もう少し違ったアプローチも行えたのだが、地球の重力圏を脱するためには時速40,000キロ以上が必要になる。大陸間弾道ミサイルでは、その速度が出せない。


宇宙に向けて打ち出すためには、どうしてもロケットが必要だった。


そして同じユーラシア大陸に位置するロシアでも、彗星迎撃のためのミサイルが、秘匿されていたミサイル衛星から、すでに2週間前に発射されたとの報告が指導部からきている。


このミサイル衛星からの本来の攻撃目標は、当然だが地上になる。彗星や小惑星の飛来に備えたものではないため、速度も時速20,000キロ程度で、爆弾の威力も10メガトンほどだ。


数は10発。合計で100メガトンの威力にはなる。もちろん、発射はアメリカも知っているが、何も言ってはこない。


そして、今回の爆弾を搭載したロケットは、ロシアのミサイルが彗星に到着する時刻に合わせて打ち上げられる。ただ……全てが順調に進んだとしても、ロケットが彗星へ到達するのは、地球に衝突する4時間前だ。


今回、中国から打ち上げられるロケットは、太陽系外を目標に作られていたため、時速80,000キロまで出せる。2週間前に発射されたロシアと同じタイミングで彗星に到達することを考えれば、その優秀さが分かる。


しかし……それでも一日で進めるのは200万キロまで。彗星はその距離を1時間で踏破してしまう。


また、過去にそのような宇宙での攻撃を行った実績はなく、すべては机上の論理で進めるしかない。途中でトラブルが一つでも発生すれば、ロケットは宇宙の塵と消えていくだろうし、仮に、彗星の目標位置に当てられとしても、軌道を変えられるか保証はなかった。国家に対して声を上げることが少ない国内の研究者たちの多くが、「無理」の結論を出しているのも気にかかる。


とはいえ、何もしない、という選択肢だけは絶対にない。とにかく自分が命じられたことは、黙々と遂行するしかない。


打ち上げ時刻は、約3時間後の26時を予定している。


「発射準備が整いました」


オペレーターが王少将に告げる。


「よし。1時間後にカウントダウンを始めろ」


ロケット発射準備は、通常、膨大なチェックリストの確認に費やされる。何度もリハーサルを繰り返して望むのだが、今回の発射はドライランド(予行演習)の時間はとることができなかった。そのため、カウントダウンはそのチェックリストを追いながらになり、過去最大となる。


間もなく2時間の長いカウントダウンが始まる。




次話「17.奇蹟」、今週金曜日の投稿予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ