14.加速
▼20XX年2月16日 17:30(現地時間) ハワイ大学天文学研究所
観測ルームの正面に3つ並ぶ大画面のモニターの中央には、火星の軌道が引かれ、その右上部分に緑の点が点滅した状態になっている。
「再観測の時間に変更ないか?」
アローンの問いに、同じチームのロバートが答えた。
「今のところありません。ハレアカラ (ATLAS-HKO) が17:45、マウナロア (ATLAS-MLO)が17:50の予定です」
公彦も、皆と一緒に緊張した面持ちでモニターを見ていた。
アトラスはハワイ諸島に2つの観測所を持つ。160キロ離れた観測所は、ハレアカラとマウナロアに設けられており、日没後、しばらくしてから観測が可能だ。もちろん、ある程度の明るさを持つ天体であれば、日没前でも観測できるが、スレットはそこまでの明るさを保っておらず、日中の観測は主に、ハッブル宇宙望遠鏡に頼っている。
もっとも、地球の周回軌道に乗せられているハッブル宇宙望遠鏡は、2009年以降――メンテナンスを行っていたスペースシャトルの退役以降――、幾度の故障を繰り返しており、その性能は本来のスペックを維持できてはいない。とはいえ、宇宙空間で観測を行うことで、地球の大気の影響がなくシーイングによる歪みを受けないため、その精度は地上からの観測よりも優れていることは確かだ。また、天候の影響を受けずに観測できることも大きい。
それでも、スレットの観測は万全とは言えない。今や世界中の観測機関の協力を得てはいるが、地球とスレットの位置関係により、太陽光を完全に遮断した観測を24時間継続することは不可能であり、ブランクの時間はどうしても出てきてしまう。
さらに、近づいてきたとはいえ、まだ2億キロ以上の距離が離れている。地球上で観測できた時点で、スレットは12分ほど先の座標に移動していることになるのだ。
「過去」を追うしかないのは天体観測の宿命ではあるが、精度を高めたい今、それは大きな壁となっていた。
スレットが最後に観測できたのは、ハッブル宇宙望遠鏡によるもので90分ほど前。そこからは、完全に観測が不可能な状況になっている。
今は、アトラスのハレアカラの観測所が最も早く観測を再開できるため――その時刻が17:45の予定だが――それを待っている。
特に現在、スレットは近日点に向けて加速を行うタイミングを迎えている。少しの観測座標のズレが、目標をロストする危険を伴っており、急遽、準備したバックアップの観測体制、そして他国の天文台とも協力して「面の観測」が行えるな仕組みで備えていた。
万一、ロストしたとしても、なんとか短時間で目標を再度、ターゲティングすることは可能なはずだ。
90分前に、ハッブル宇宙望遠鏡が観測した座標が最後だが、それから50分後、ちょうど40分前には、近日点に向けた加速がスタートしているはずだ。また、この距離までくれば、おそらくテールも現われ始めるころだ。
これまでの観測とさまざまなパラメータから、彗星の軌道はようやく判明した。このままアトラスが再度、観測できた時点では、銀河座標で赤経19 12 42.681、赤緯-23 08 40.22、黄経286 25 13.76、黄緯-0 38 22.21付近の位置にいるはずだ。比較的、火星に近い場所になる。
アトラスもその地点を目標に定めて観測準備を行っていて、その前後左右上下、プラスマイナス1万キロ~最大50万キロの範囲を、各国で割り振ってバックアップしている。
「このまま素直に顔を見せてくれよ、スレット」
アローンが、手に持ったペンを回しながらモニターを見つめている。観測再開時に、予定通りのポイントでスレットを捉えることができれば、その後の軌道を確定できる。
地球への衝突も完全に回避されたことになるのだ。
緑の点滅する点が、観測再開時のスレットが位置する予想ポイントになる。再開時に、この点が赤色に変わり点灯したままになれば、ターゲティング完了となる。
軌道が確定されるまでは、計算値の緑の点滅と実測値の赤の点滅が微妙にずれることで、点灯状態にならなかった。
太陽系の公転軌道をパラメータに加えてからは、ズレがなくなったのだが、今回は加速という新たなパラメータが必要になる。
アローンは、今回も正しく赤い点灯に変わることを心の中で強く祈りながら、他のスタッフには平然とした態度を見せるように意識していた。自分が不安に思えば、それは周りにも伝染するだろう。
モニターの上部に表示されたタイムコードを確認する。
ハレアカラの観測再開まで残り5分。アローンの緊張の時間は続く。
そして、同じように再開を待つ公彦は、重里からきたメールのことを考えていた。
▼20XX年2月17日 12:00(現地時間) 相模原宇宙物理大学
「あと1時間くらいか……」
重里は、いつものようにドリップしたコーヒーを手にして、目の前のパソコンを見ていた。
昨日、アトラスの公彦に、データをメールで送っておいた。その内容は、重里が解析を進めていた火球のデータだ。
パソコンの向こうでは、研二が作業を行っている。一度は、「逃げだした」研二だが、衝突が避けられるとの報道があった翌日の朝、「すいませんでした」と頭を掻きながら研究室に戻ってきた。
重里は、もちろん研二の行動を咎めるつもりなどなく、「またしばらく帰れないが、いいのか?」と笑いながら迎え入れた。
そして、二日間の徹夜でまとめあげたデータを、昨日、公彦に送っておいた。
さすがに彗星一色となっているアトラスの協力を得ることはできなかったが、公彦は、火球に関する観測のため、オーストラリア天文台(AAO)に依頼をしてくれて、オーストラリア国立大学とマッカリー大学の協力を取り付けてくれた。特にオーストラリア大学は、サイディングスプリング天文台の望遠鏡群を運用しており、短時間で、多くの観測データを入手することができた。おかげで「ゾンビ星」からの流星群の全貌を掴むことができたのだ。
重里が火球の正体を探るきっかけになったのは、1月19日の夜に神奈川県平塚市で観測されたとする一枚の画像だった。
その画像は、動画からキャプチャしたもので、鉄塔をバックに何十本もの光跡が映っていた。見ようによっては、芸術性を感じられる画像だったと言えよう。
その画像をみた重里のイメージは「流星群」だった。
流星群の成因は、流星現象だ。
流星現象とは、流星物質を原因として引き起こされる。その流星物質は主に、彗星や小惑星を起源として放出されたと考えられている。
彗星や小惑星を母天体として、それらが近日点通過日付近で太陽熱の作用を受けて、流星物質を大量に放出する。これをダストトレイルという。
1999年にイギリスの二人の天文学者がダストトレイルの概念を提唱したときは、まだ実際に観測されたことはなく理論的な概念に過ぎなかった。その後、2002年以降に、コプフ彗星、ジョンソン彗星、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星、テンペル第2彗星と、次々ダストトレイルが観測された。
このダストトレイルは母天体となる彗星、小惑星とほぼ同じ周期の軌道を持って周回するわけだが、その軌道が地球の軌道と重なるとき、ダストトレイルと地球の衝突によって生じるのが「流星群」だ。
流星群では、しし座流星群、ペルセウス座流星群などが有名だろう。
重里は、今回の火球現象も、流星群によって引き起こされるのではないかと考えたのだ。
だが、近いタイミングで、近日点を通過する彗星、小惑星は確認されていない。何より、光速に近い速度を出すためには、元の彗星そのものがそれに近い速度を出している必要がある。
しいて言えば、今回、地球に近付いている彗星が観測史上最速の彗星だったが、それでも光速まではほど遠い速度だ。今回の火球現象は、あの彗星のダストトレイルにより引き起こされたものではない。
そこで、重里は逆に考えた。
流星群は確かに、彗星などと同様に、周回軌道を持っている。しかし、地球に近づく流星群は、「周回軌道」が本当に必要なのだろうか?
もし、ダストトレイルを放出するのが「恒星」の場合はどうなるのだろうか?
おそらく、その場合、ダストトレイルは軌道を描くことなく、直線的に放出されてもよいはずだ。
特に、光速に近い速度を出すために必要なエネルギーは彗星や小惑星では得られない以上、そのエネルギーを得られる「もの」が何かを考えた。
そして行き着いたのが「超新星」だった。
もちろん、超新星から、そうしたダストトレイルが観測されたことは過去にない。だが、「過去に観測されたことがない」ことは、そうした事例が存在しないことを証明しているわけではない。
そこで、光速を出すために必要なエネルギーと、それだけのエネルギーを放出可能な超新星が存在しないかを重里は調べてみた。
そして見つけたのが、「iPTF14hls」。
2014年9月にアメリカのパロマー天文台が検出した超新星だ。
5億光年離れたおおぐま座のあたりに現われた「iPTF14hls」は、最初、タイプII-P型のごく一般的な超新星と考えられていた。しかし、その後の観測で、1954年にも実は一度、爆発していて、2014年に検出されたのは2度目以降の爆発であることが判明したのだ。
新星爆発は、もちろんその星の死を現す。「iPTF14hls」は、一度、死んだあとに甦って、再度、爆発したことになる。
つまり「ゾンビ星」だ。
もちろん、5億光年離れているので、実際に爆発したのは5億年前になるが、短期間で2度も爆発を起こす新星が存在したことは、それまでの天文学の知見を見事に砕いていた。
そして、重里は短期間で2度、繰り返されたスーパーノヴァのエネルギーを計算、一定質量以下の極小物質であれば、光速近くまで加速するに足りることを発見したのだ。
つまり、今回の火球の正体は、彗星や小惑星ではなく、超新星を母天体とした軌道を持たないダストトレイル、ということだったのだ。
さらに、これまで観測された火球の軌道を、数多の画像から一つ一つ割り出したところ、一つの傾向をつかむことができた。
流星群は、基本的に何度か「波」のように訪れることが多い。そして、それはゾンビ星から来訪した流星群も同様だった。
ここ一週間、火球の報告は、ほとんどないが、次の波は間もなく訪れる。
オーストラリア天文台から提供された観測データから、次の「波」を予測することができ、それは現在、近づいている彗星にも関わりそうな結果だったため、重里は公彦にエビデンスを含めてデータを送っておいたのだ。
研二が打つキーボードの音を聞きながら、まとめたデータのことを考えていた公彦は、少しぬるくなったコーヒーを口にして、もう一度、モニターの時刻を確認した。
間もなく、彗星がアトラスの前に姿を現す。
▼20XX年2月16日 17:45(現地時間) ハワイ大学天文学研究所
「観測データ、確認できます」
オペレータの声に、中央のモニターの表示が動き始める。画面を横切るように引かれた火星の軌道の右上部分で緑の点滅が赤い点滅に変わった。
アローンが緊張した表情で、モニターを凝視している。
公彦も、祈るような想いで両手を握りしめていた。早く点灯に変わってくれ……横ではソフィアも同じようにモニターに注目している。
公彦は、重里が送ってきたデータを見た時から、あることを思いつき、そしてそのことは誰にも告げることができなかった。その思いつきには、何の根拠もない。重里のデータを見て、ふと頭に浮かんだ考えに過ぎない。
口にすることで、フラグを立てるのではないかと、半ば迷信じみた恐怖もあったため、ソフィアにもその思いつきを知らせてはいなかった。
やがて……モニター上の赤い点滅は緑の点滅に戻った。
公彦は、血の気が落ちていくのが分かった。
……まさか……
「……スレット、ロストしました」
オペレーターの声が小さくなる。
「バックアップは!」
アローンがオペレーターを叱咤する。
「すぐに確認します!」
1分後……
「ターゲット確認!表示でます」
そして画面上に、予定された緑の点滅よりも後方の位置に、赤点が現われた。
アローンの手からペンが床に落ちた。
「ジーザス……」
その口から怨嗟の声が漏れ出る。
やはり……
公彦は絶望的な言葉を口にした。
「加速していない……スレットは、太陽系の彗星ではなかったのか……」
次話「15.絶望」、今週金曜日の投稿予定です。




