13.平穏
▼20XX年2月12日 00:30(現地時間) アメリカ、ホワイトハウス
『深夜に申し訳ございません、大統領』
シチュエーションルームの巨大モニターに映し出されたアローンの表情は、3週間前とは異なっていた。休みなく検証を続けていため、その頬は少しこけているが、爛々と光る目には生気が溢れていた。
「構わない。大事な時だ」
頷く大統領の周囲には、多くの人たちが座っている。スペースの問題もあり、今日は、テーブルがどかされ、椅子だけが並んでいた。
「早速、報告してくれ、アローン」
今日は、NASAのマック長官が仕切るようだ。
『はい。分かりました。初めての方、アトラス、チーム・ガンマリーダーのアローンです。今日はお集まりいただきありがとうございます』
そして、アローンは手元の機械を操作した。
『では、早速、こちらをご覧ください』
巨大モニターが切り替わり、複数の計算式と、パラメータ一覧が表示された。
『結果から申し上げます。スレットが地球にインパクトする確率が昨日までの90%以上から10%未満となりました』
大きなざわめきがシチュエーションルーム内に広がる。大統領をはじめ、国家安全保障会議の主要メンバーには、すでに概略が伝えられていたが、今日はマスコミなど一般人なども参加させている。
今、世界は、スレット一色となっている。特に、NASAからアトラスのデータが公開されてから動きに拍車がかかった。もちろん、その動きはポジティブなものではない。当然、NASAからは、全てをぼやかした表現に留めていた。衝突の危険性はあるが100%ではないなど、嘘はつかないが必要な情報を隠ぺいした形で見解を述べていた。確認中、という言葉は、ここ一週間で何百回と繰り返されていた。
アトラスからのデータを正しく検証できる天文学者は、世界中にいる。その目をかいくぐることなどできない以上、不確定な部分を強調することで、判明しつつある事実を上書きする必要があったのだ。
しかし、各地での暴動は日増しに増加していた。アフリカの小国では動乱が引き起こされ、わずか二日で政府が転覆したところもある。
だからこそ、今回の衝突を否定できるデータは、誇張した上で迅速に世界中に配信する必要があった。そのための、人選が行われ、この部屋に集まっていた。
集められたメンバーは、新聞、テレビ、ラジオなどの電波、紙媒体はもちろん、大手SNSのCEOや、その他、影響力の強い文化人、スポーツ選手、芸能人も含まれていた。
一人の女性が手を上げた。知識人としてネットで活動している社会学者の有名人だ。
「すいません。確認させてください。今までNASA、そして政府の見解としては、彗星が地球に衝突する確率は100%ではない、ということで統一されていたかと思います。しかし、今の発言を聞くと、90%以上の確率で衝突する恐れがあった、ということですか?」
かなり強い非難を含んだ口調に、マック長官が答える。
「そうです。あなたは今の暴動をご存知ですよね。もし「衝突する確率は100%ではない」、という表現が「90%以上で衝突する」に置き換わったとき、今の暴動は沈静化していると思いますか?そして、その暴動による死傷者は、そのちょっとした表現の違いを掘り下げることに納得しますか?」
女性の社会学者は、それ以上の発言をしなかった。非難の矛先を誤れば、自分が社会から抹殺されかねないことを素早く嗅ぎとったのだろう。それは、賢明な判断だったといえる。
『続けます。スレットの軌道は、従来の彗星に当てはめたパラメータに基づく――ケプラーの法則に則ったものですが――その計算値と実測値が微妙にずれていたことはご存じの通りです』
前列に座った人たちが頷く、天文学関係の人たちだ。
『その差がどこにあるのかの追及に、アトラスの全チームが昼夜を問わず取り組みました。そして、本日――ああもう日付が変わっていますので、昨日になりますか、そのパラメータを見つけることができたのです』
「そのパラメータとは?」
メモを取りながら尋ねたのは、大手SNSのCEOだ。
『太陽系です。地球や今回の彗星が太陽の周りを公転しているように、太陽系自身も公転しており、それをパラメータとして与えることで、実測値と計算値が一致するようになりました』
「太陽系が公転している?どこを基準に公転しているのですか?」
『それは分かりません。分かっているのは、宇宙マイクロ波背景放射による観測で太陽系が時速約85万キロで公転しているという事実だけです。詳しいことは、宇宙マイクロ波でググってください。検索は得意でしょう?』
抑えた笑いが広がる。もちろん、嘲笑ではない。CEOも立ち上がり、後ろを向いて皆に、両手を広げ首を傾げたポーズをとった。
『彗星は、近日点に近づくほど、速度が速くなります。現在の軌道を計算すると5日後から加速を始め、地球への最接近時には、現在の200万キロから250万キロとなります』
そして、アローンは巨大モニターにアニメーションを表示させた。
『当初のスレットの軌道は、地球の公転軌道とここからここまでの間で重なっていました』
地球の楕円形の軌道の一部に、彗星の細長い軌道の位置が重なる。
『そして、この重なる時間が不幸にも同じ時間だったことが、今回の騒動の始まりです。しかし、少しずつ外に膨れる形でスレットの軌道がずれることで、近日点の位置も変わり、加速を始める時間も当初より早まることになりました』
そして、アニメーション上では、地球の軌道とスレットの軌道が同時に動き始める。
『昨日までに計算されていた、当初の軌道です。』
二つの軌道が近づき、そして交差した地点で大きなバツ印が表示された。この地点でインパクトする、ということだろう。
『次に、新たなパラメータを加えた軌道になります』
アニメーションは、もう一度最初に戻り、そして二つの軌道は再び動き出す。
『わずかな差ですが、スレットは地球をスルーします』
今度も、二つの軌道は交わったように見えたが、バツ印はつかずにそのまま違う方向へと動いていった。
『最新の計算結果では、地球との最接近距離は10,000キロメートル、地球1個分以下のところを通りますが、外気圏内に入ることもありません』
「先程、加速開始が早まった、と言われましたが、そのタイミングはいつ頃ですか?」
『4日後です。ワシントン時間で、2月16日22時頃の予定です。地球最接近時の速度は255万キロとなる予定です』
時速5万キロの違いか……
大手SNSのCEOは、脳裏に地球と彗星が接近する様子を思い浮かべた。時速10万キロで疾走する地球の後方から時速200万キロで近づく彗星。
相対の大きさは全く違うが、速度差だけ考えれば、時速10キロで走る自転車の後方から時速200キロで走る自動車が近づいてくるようなものだろう。交差するのは、ほんの一瞬だ。
自動車が時速5キロ速くなることで、自転車の直前を走り抜けることになるのか……
CEOは軽く身震いした。
そうした自転車と自動車のニアミスは、速度は別にして日常茶飯事なシーンといえる。そして、自転車に乗る人の命が散るかどうかは、運否天賦に見える。今回の彗星が地球を掠めることも同じなのだろう。
「……では、衝突は避けられた、地球は助かった、ということですね?」
『その通りです。これまでは衝突しない確率は1%未満でした。しかし、現時点では衝突する確率が10%未満に逆転したのです。事実上の衝突回避と考えてよい確率です』
皆が立ちあがり、「ブラボー」の声が上がる。そして、誰かが拍手を始め、それは全員に広がっていった。大統領も立ち上がって拍手を送っている。
しばらくして皆が落ち着き着席したのを確認して、今度はマック長官が巨大モニターを背に立ち上がった。
「皆さんにお願いです。このことを最速で世界に伝えてください」
マック長官に視線が集まる。
そして……少しの間をおき、無言のまま人々は出口に向かった。その顔は全員が決意を溢れさせていた。それは、ネガティブな質問をした女性社会学者も同様だった。
▼20XX年2月13日 08:00 相模原宇宙物理大学
「重里、重里」
誰かが体を揺らす感覚に奇妙な目眩を覚え、そして重里は少しずつ覚醒した。
「……ああ……優子、優子か?……」
重里は、ここ一週間、ようやく見つけた手がかりから、これまでの火球のデータを一から洗いだす作業を行っていた。正規の観測データは多くはなく、逆に動画や画像でWebにアップされているものは大量にあった。それらの時刻、火球の座標などを、そのデータの信憑性も確認しながら一つ一つデータベースにして構築していく作業は途方もない労力を必要としていた。
昨夜は、ほぼ必要と思われるデータの洗い出しが終わり、そのまま気が抜けたことで、デスクで寝落ちしたようだ。
「うん。起きて。もう何日帰っていないのよ!あなた!」
「ごめん、ごめん。ちょっと、根を詰めないとだめな計算をしてたから……」
正面に立つ優子が、かなりお怒りモードに入っているように見えた重里は、まだ寝ぼけ気味の頭を軽く振りながら謝った。
「もう!……仕方ないわね。そう、それより聞いて!アメリカから、彗星の衝突回避の発表があったのよ!」
少し興奮気味の優子の言葉に、重里の目が一気に覚めた。
「本当に!?」
「ほらこれ」
そして、ついたままのデスクトップを操作して動画のサイトを立ち上げると、ホワイトハウス、のタイトルが入る動画をクリックした。総閲覧回数は5億回。アップされてからまだ半日も経過していない。この数字は、動画再生回数の記録なんじゃないかと重里は思った。
さらに、短時間でこれだけのアクセスを受けながら、サーバーが落ちなかったことに思い至った。この情報は誰かが意図的にリークしたかったのではないか?今の動乱の状況を見れば、いち早い沈静化を図りたいアメリカ政府の思惑が見え隠れしているように思えた。
動画の内容を見て、その根拠と軌道計算の数式を確認すると、重里はアプリを使い検算してみた。
その計算結果と軌道計算に不自然なところはなく、このパラメータを使えば、確かに衝突は僅かなタイミングで回避ができそうだ。
動画の最後に、今回の計算に尽力したアトラスのメンバーの名前が流れ、その中に公彦の名前を見つけた重里はスマホを手にした。
少し気になる点を公彦に聞いておきたかった。
それと、もしアトラスが今回の彗星の観測以外にリソースを割けるようなら、自分の研究に協力して欲しかった。こちらも時間があまりなく、正式な手順を踏んでいる暇はなかったからだ。
「ほら、もう大丈夫なんだから、家に帰って休みなさい。そして私とのデートの約束を思い出して」
重里は、優子の少し甘い声に空返事を返しながら、素早く、公彦へ送る内容をまとめていた。
彗星が地球に衝突――いや、回避の情報が流れた今、最接近とした方が良いかもしれないが――するまで残り一週間。重里にとって、確認すべきことは、まだ多く残されていた。
次話「14.加速」、来週火曜日の投稿予定です。




