10.露見
▼20XX年1月30日 17:00 カナダ、イエローナイフ
「おい、見てくれよ。これ」
リアムがルーカスに声をかけた。二人は、アマチュアの天文家だ。それも一般天体観測者ではなく、「コメットハンター」と呼ばれる彗星を専門に探索を行っている。
彗星発見の歴史は意外と古い。
歴史を紐解けば、紀元前2320年のヨハネの黙示録に「落ちる星」としての記述が見いだせる。その後、古代ギリシアのアリストテレスが、紀元前の著書「気象学」で彗星に対する見解を示した。
そして他の惑星が地球の大気圏外にあることが証明された16世紀に入ってからは、肉眼での観測が始まる。さらに、1608年に望遠鏡が発明されてからは、望遠鏡や双眼鏡で彗星の探索を積極に行う天文家が現れた。そうした天文家をコメットハンターと呼ぶ。
20世紀最末期までは、彗星の新発見はコメットハンターやアマチュア天文家に依存していたといってよい。
最近は、LINEAR(リンカーン地球近傍小惑星探査)やNEAT(球近傍小惑星追跡プログラム)などの自動捜索プロジェクトが登場、冷却CCDカメラによって極めて暗い彗星も捉えられるようになった。1996年に始まった太陽観測衛星SOHOの観測と合わせ、それまでコメットハンターが捉えていた年間20個ほどの彗星の数は、2004年には200個を越えるようになり、コメットハンターは大きくその数を減らすことになる。
しかし、それでもコメットハンターの活躍の場がなくなったわけではない。
実際、二人がチームを組んだのは5年前だが、5年間で2つの新しい彗星を発見した。そのうち一つには、二人のチーム名「リル」がつけられた。
本業が、高校の物理学の講師である二人は、余暇を使って、昔ながらのシュミット式望遠鏡を用いた広い写野で撮影した写真を、画像解析ソフトを使って解析しながら捜索していた。
「どうした?何か見つけたか?」
先週末には、勤めている高校と提携する大学の、ニュートン式の天体望遠鏡を使わせてもらうことができた。倍率は最大300倍、最新の自動追尾機能が搭載されている。いつものシュミット式望遠鏡とは違った探索ができるのが魅力で、年に数回、借りていたのだ。
今回狙ったのは、木星から土星にかけての宙域。シュミット式での望遠鏡では集光が足りず、普段は狙わない場所だ。今日から二日間の休みを利用して、解析を行っているところだった。
「ほら、これだ」
リアムが見せたのは2枚のプリントされた写真。
1枚目の写真は、黒い背景の右上部分に小さな輪郭がぼやけた灰色の何かが写っている。右下には、タイムコードも刻まれている。
「これは……怪しいな」
「ああ。で、次はこれだ」
ルーカスが受け取った次の写真には、先程の灰色の何かが今度は左の方に移動している。
「タイムコードを見てくれ」
ルーカスが2枚の写真を並べてタイムコードを比較すると、1フレーム分の差があることが分かる。
「fpsはいくつだったっけ?」
「30だ」
fpsとは、1秒あたりのフレーム数で、30fpsということは、29の次は0に戻り、秒の単位が1増えることになる。
「スケールは?」
「いつもの1,000キロだ」
ルーカスは、ざっと計算する。写真一面のスケールが1,000キロだから、この「何か」は、0.3秒で約200キロを移動したことになる。秒速600キロ近く、時速に直すと200万キロを越える。
これは彗星の移動する速度ではない。
「ダストじゃないのか?」
150倍から300倍で観測した場合、大気中の極小の浮遊物が集光の中で捉えられることがある。さほど珍しくもない。
「ああ、最初はそう思ったのだが……」
リアムはそういいながら、さらに何枚かの写真を重ねた。
「自動追尾機能が、追えたらしい」
「なんだと?」
数枚の写真には、同じ灰色の物体が写っていた。タイムコードは、数秒後のものだ。
「追尾機能の解析では、速度は時速200万キロ、誤差20万キロとなっている」
「本当か!?」
ルーカスは立ち上がった。
これが「本物」なら、間違いなく歴史的な発見になる。観測史上でいえば、遠く離れた準矮星で時速400万キロ以上があったはずだが、彗星でこの速度は初だ。もしかすると、軌道次第ではあるが、肉眼での目視が可能かもしれない。
誰もが空を見上げて、その彗星の姿を目にすることができれば、世界的なニュースになることは確かであり、それの第一発見者、となれば宇宙史に名が残ることになるだろう。
ここ一週間、新たな彗星の発見報告はない。10日前にNASAから仮称を付した彗星の報告はあったが、一日もたたずに誤報として取り下げられた。さらに、この宙域での彗星発見の報告は過去半年遡ってもない。自分たちが最初の発見者なのは間違いない。
「すぐに軌道計算に入るぞ!」
「オーケー」
新たな彗星を発見した権利は申請順だ、いち早く、カナダ国立研究評議会に申請を上げたい。そのためには、周回している彗星であること、つまり軌道の情報が必要になる。
「今のうちに、ピィツアのデリバリーを頼んでおくけどいいか?」
「いつもので頼む」
ルーカスは、心が浮き立つのを感じながら、いつも利用しているピザ店のWebサイトを立ち上げた。
今日は徹夜になるだろう。だが、楽しい徹夜になるはずだ。
▼20XX年2月2日 04:00 カナダ、イエローナイフ
「……どうだ?」
ルーカスの声が弱々しく聞こえる。それも当然だろう。ここ二日一睡もしていないのだ。
休暇は一昨日に終わっていた。期末試験も近い今、無断欠勤に近い状態はキャリアに大きく響く。それでも、二人には作業を中断する選択肢は考えられなかった。
「だめだ。計算結果は、ほぼ同じだ。というか、少し悪化したぞ。軌道が交わる時間が1秒ほど増えた」
リアムの声が震えている。
二人が4日前に発見した彗星の軌道計算が終わったのは、休暇が終わる直前だった。すぐに申請手続きを行おうとした時に、ふと最接近時に肉眼で観測が可能かもと考えていたことを思い出し、地球の公転軌道の確認を始めてから全てが狂いだした。
太陽系を公転する彗星は、ケプラーの三つの法則でその軌道を計算できる。その中で重要になるのが「惑星軌道の長半径の3乗は公転周期の2乗に比例する」という第三法則、いわゆる「ケプラー運動」だ。
簡単にいえば、軌道が円でも楕円でも、長半径が同じならその周期は同じになる、という法則だ。
今回二人が発見した彗星だが、いつものシュミット式での観測ならば、広域は撮影できるが同じ地点を連続して撮影していないため、長半径を導き出すことは難しかっただろう。
しかし、今回は自動追尾機能により、ロストするまで1分半ほど追うことができていた。その間の距離は約5万キロ。宙域の座標特定に時間がかかったが、その後は、長半径をあっさりと導き出すことができた。
そして、その軌道を簡単なソフトで地球の公転軌道に重ね合わせ、アニメーションで確認した二人は、しばらく間、硬直していた。
アニメーションには、公転する地球の右後方から彗星が迫り軌道が完全に交わる姿が映し出されていたからだ。インパクトの動画はなかったが、二人の脳裏には、明らかにその映像が思い浮かんだ。
不幸なことに、二人には天文学の知識が豊富だった。時速200万キロの彗星が、同じベクトルとはいえ衝突した場合の衝撃は、TNT換算の計算はしたくないレベルになる。特に今回、彗星の大きさは30キロから50キロの間。
二人が動き出したのは、たっぷり一時間は経過していただろう。
そこから、職場の高校にメールで、体調不良による休暇の延長を連絡すると、自分たちの計算結果が「間違っている」ことを証明するために、二人は作業に入った。
しかし、ここ二日間、計算を繰り返すほど、その結果は悪くなった。
「どうする。どこに報告する?」
二人は彗星の新発見を喜ぶ気持ちは微塵もなくなっていた。このまま発見を報告しても、歴史に残るのは彗星の発見者としての功績ではなく、人類の滅亡を見出した悪名の方が残るに違いない。もっとも、そもそも歴史自体が残れるのか、という大問題はあったのだが……
ルーカスの問いにリアムは答えた。
「評議会は――ノア議長にはすぐに一報を入れよう。あとNASAもだ。ルートはノア議長に相談すれば良いだろう。問題は……」
そう、問題はインパクトが導き出された日だ。その日は、カナダの現地時間で2月20日の深夜。もう3週間を切っている。
だが……人類滅亡クラスの事象を発表した場合、どうなるのか?その答えは容易に想像できる。
1938年にアメリカのラジオ放送でH・G・ウェルズの著書「宇宙戦争」が朗読された際、火星人の襲来を事実だと思い込んだ人々が大パニックを引き起こしたことはあまりにも有名だろう。
とはいえ、本当に人類滅亡が引き起こされるなら、それは伏せておいてよい情報なのか?
おそらく二人の報告は、間違いないく秘匿されるだろう。もちろんその秘匿は永遠でないことは確かだ。火星の軌道を越えてテールが現われれば、多くの天文家がその存在に気づくことになるからだ。
だが、その時点で残された日数は多くない。せいぜい3日だ。
避けられぬ死なら、それを受け入れるまでの時間は、多くの人々に必要なのではないだろうか?
ルーカスがごくりと息をのんだ。
「そうだな。知る権利は誰にでもある」
二人は頷くと、準備を始めた。
▼20XX年2月2日 03:10(現地時間) ハワイ大学天文学研究所
「公彦、露見したわ」
公彦のデスクの横に座ったソフィアが、タブレットの画面を向けてきた。
そこには、二人の男性がカメラに向かって話す動画が映っている。その再生回数は1,000万回を越えていた。
動画のタイトルは「2月20日、地球最後の日」。
次話「11.動乱」、今週金曜日の投稿予定です。