第9話
さて。
この国の国王、ライアッド・ルカ・サイラスとアヴァン・パルファグランは旧知の仲である。
この王国での調香魔術師とは、民間療法から治癒まで行う国民のお医者様である。
その大元締めであるパルファグラン公爵家。
パルファグラン公爵家と王族は、昔からごくごく自然に縁を結んできた。
特にアヴァンとライアッドは幼馴染で、貴族学院の同級生。昔から変わらず親友として、お互いを支え合ってきた。
二人はお互いの妻が妊娠したときなど、子供が男同士なら親友に、男と女なら結婚させようなんて酒を飲み交わしながら口約束していた。の、だが。
執務室に入ったアヴァンは、勝手知ったるとばかりに戸棚からカップを取り出すと、ライアッドのために用意されたポットを手に取り、紅茶を注ぐ。
ふわんと立ち上る香りにふっと息を吐いたアヴァンだが、その表情は険しい。
応接用のソファに腰掛けたアヴァンを見て、ライアッドは人払いをした。
しんっと静まり返った執務室。
カップを置いたカチャリという音だけが響く。
「ライアッド……」
地を這うアヴァンの声。
「すまん!アヴァン!すまんっ!」
ずさささっと音を立てて、アヴァンの前に座り込んだライアッド。そのまま頭を下げて平服姿勢をとった。
絶対に他の人間には見せられない国王ライアッドの姿である。
「ヴィクトアの体質のこともある。本人同士に任せようと話をしたじゃないか……っ」
「そうなんだ!そうなんだがな!アヴァン!どうか、私の話も聞いてはくれないか!悪いとは思っているのだ!」
ソファに身を任せてぐったりと項垂れるアヴァンは、胡乱な目をライアッドに向ける。
ライアッドは怯まず、立ち上がると、勢いよく問い掛けた。
「なぁ、アヴァン。クラッドがヴィクトア嬢にどれだけ片想いしてるか知っているか?」
「一年以上だとは聞いたが」
「それが、六年なのだ!六年!十六の男が六年も一途にヴィクトア嬢に懸想してる。わかるか?人生の三分の一だぞ!?」
両手を広げ、ぶんぶん振り回すライアッドにげんなりしながら、続きを待つアヴァン。
「私の可愛いクラッドが、勇気を出しヴィクトア嬢にアプローチをしたわけだ!香水を届けてほしいと理由をつけ、王宮に呼び、そのお礼だからとテディベアを渡した!……可愛いよな、テディベア。今、流行してるのだが、知っているか?私もクローディアに送ろうか悩んでいるのだ。クローディアがテディベアを抱く姿は女神のように美しいと思うのだが、どう思う?アヴァン」
「おい。脱線してるぞ」
早々に脱線したライアッドに、突っ込みを入れるアヴァン。
「ああ、失礼。そして、テディベアを渡した日、ヴィクトア嬢が返礼の手紙をクラッドに送ったようなんだが。くぅっ!なぁ、アヴァン。懸想している相手から初めて手紙をもらったときの気持ちを覚えているか?クラッドは初めてだったんだ。ヴィクトア嬢から手紙をもらうのが。あの日……私はクラッドが天使に見えた。なんという愛らしさ!クローディアにそっくりの桃色の瞳を、こう、潤ませて、嬉しそうに笑っているのだよ。いい事があったのか?と聞いたら、少々照れながら、ヴィクトア嬢から手紙をもらったと教えてくれたわけだ!これはもう、パパが一肌脱ごう!と、ならないはずがなかろう!最速で、特大テディベアを用意し、婚約の打診とともに届けてさせた!アヴァンも親なら、私の気持ちがわかるであろう!?わかるよな!?」
「……いや、わからんな」
「なっ!なぜ、わからぬのだっ!」
だんだんと地団駄を踏んだライアッドが、何かに気付くようにピタリと動きを止める。
「はっ!もしや、私の可愛いクラッドが可愛すぎるからなのか!?あまりの愛らしさに何かしたくて堪らなくなるのだろうか……っ!なぜなら、女神と表現しても過言ではないクローディアから生まれた子供だからな!私は常々、クラッドとレティツィアは、天使か妖精なんじゃないかと思っているのだ。なぜ、あんなにも可愛いのか!私の血が入っているはずなのに!?なあ、アヴァン!不思議だとは思わないか!?」
「私には、お前の方が不思議だよ……」
ソファに倒れこみそうになる身体を、ぎりぎりで抑えたアヴァンは、頬杖をついて溜息を吐く。
「ヴィクトアの血のことも……」
「アヴァン」
言いかけた言葉を遮るように、アヴァンの名を呼んだライアッドは、首を横に振ってから、ゆるやかに微笑んだ。
「なあ、アヴァン。ずっと結婚させないわけにはいかないだろう。……王妃に据えることで、守れるのではないか?」
アヴァンは、重ねられたライアッドの疑問には答えずに問い掛ける。
「殿下は、ヴィクトアの体質を受け入れられると思うか?」
「クラッドなら全てを受け入れる。私が保証するさ」
拳でどんっと胸を叩いたライアッドは、誇らしそうに胸を張る。
「そういえば、ライアッド。お前たち親子は、恋愛の話なんかするのか?」
「はははっ!何を言っているのだ。クラッドが話すわけなかろう。周りに全て報告するよう指示をしているのだ。知らないことがあるなど、納得しかねる。許されん!」
「ライアッド……嫌われるぞ?」
「バレないよう細心の注意を払っている!抜かりはないぞ!」
無邪気にかかっと笑ったライアッドに苦笑いをする他ないアヴァン。
(これで仕事は出来るし、威厳もある。女王が続いたこの国で、国王としての責任を果たし続け、女王推進派の信頼も勝ち得ている)
ポットの紅茶を自らカップになみなみ注ぐライアッドは、楽しそうに笑っている。
(昔から無邪気で自分の欲求に真っ直ぐ。だからこそ、信用もできる。……殿下がヴィクトアに懸想するなら、ライアッドが動かないはずはない。わかっていたことだ)
アヴァンもライアッド同様、カップに紅茶を注ぎ、冷めた紅茶を一気に飲み干した。
「よし、わかった。一度ゆっくり会わせてみよう。ヴィクトアが自らの体質のことを話せるのか、殿下がそれを受け入れるのか、試してみるのがいいだろう」
「……っ!アヴァン!ああ、友よ!ありがたく思う」
こうして、ヴィクトアとクラッドの婚約の話が少しずつ進むことになるのだった。