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第6話

ヴィクトアの朝は、専用のボディクリームを身体中に塗りたくることから始まる。

人は眠っている間に汗を掻く。故に、早朝のヴィクトアの部屋には誰も近付かない。

部屋中が噎せ返るような濃厚な香りで、満たされているからだ。

せっせと手に取ったボディークリームを、首や腕、脚に塗り広げていく。


ヴィクトア専用の香りは、ペパーミントやスペアミント、ローズマリーに薄荷などスッとする香りがメインになっている。それ以外に、覚醒効果のある魔香石を混ぜ、媚薬の効果の一部である意識の混濁や身体の弛緩などを、解消できるよう調香している。

温暖な光の季節はいいのだが、極寒である闇の季節になると使うのが億劫になるくらいに冷感効果を感じる香りだ。


(うーん。殿下はなぜ急に出て行ってしまったのかしら……?)


診療中、突然立ち上がったクラッドは、今度ミュラにお願いするからと出て行ってしまった。

顔色も優れなかったので、できれば診療してしまいたかった。


(どうせ、わたくしが調香するのに……)


クリームの蓋を閉めたヴィクトアは、ぴたりと動きを止めた。


(もしかして、何か粗相をしてしまったのかしら……ううん。変なことはしてない!……はず、よね!?)


ざわざわし始める心を落ち着けるように、香水瓶を手に取って、全身に吹きかけていく。


(でも……お咎めがあったらどうしましょう!)


制服に着替えたヴィクトアは、部屋中の窓を開けて換気を始める。

ボディクリームや魔香水と同じ香りにしてあるルームスプレーを部屋中に、リネンスプレーを寝具と制服に吹きかけて。

それで、やっと、部屋を出ることが出来るのだ。


(なんだか、とても憂鬱だわ……)


ヴィクトアはぱたりと閉めた扉に寄りかかって、はぁと重たいため息を吐いた。





教室に入ったヴィクトアは、自分の席の側に佇む人物を見て、くるりと方向転換を、し掛けた。

さすがに明白すぎて、踏みとどまるしかないのだが。


昨夜、急に応接室を出て行ったクラッドが。

自らの席の前に立っているなど、嫌な予感しかしない。


「おはよう、ヴィクトア嬢」

「お、おはよう、ございますっ」

「……少し、いいだろうか?」


断ることなど、出来るはずもなく。

昨日同様、ちくちくと視線の刺さる廊下で、クラッドと向かい合うヴィクトア。緊張でどきどき早鐘を打つ心臓と、掻きそうになる汗を必死に抑える。


「昨日は、急にすまなかったね。急用を思い出してしまって」


頬を指で掻きながら、少しだけ困ったように微笑むクラッド。

その声音にも表情にも非難の色は見つからない。

ヴィクトアは内心、安堵の息をつく。


(よかった!お咎めじゃないみたいっ!)


「それで、その……。ヴィクトア嬢、手を出してくれるかな?」


言われるがまま、ヴィクトアは両手を差し出す。

その手にクラッドが載せたのは、手のひらサイズのテディベアだ。

テディベアにしては珍しい真っ黒い毛並み。目には桃色の石が取り付けられている。ふわふわのふかふかで、首に瞳と同じ桃色のリボンが結ばれた、ころんと可愛らしいテディベア。

可愛いものが大好きなヴィクトアの好みにぴったりの逸品。


「魔香水を届けてくれたお礼に渡したかったんだ。ヴィクトア嬢は、可愛いものが好きだと聞いたから」


クラッドが柔らかく目を細め、微笑みを浮かべる。

さらりと揺れた黒髪がテディベアの毛並みに、覗いた瞳がテディベアの瞳の色と同じだなとヴィクトアは思う。

だが、それで何か思い当たることはなく、意味を考えることもない。

頬に少しだけ赤みが指すクラッドの顔色は、昨日よりもずっと良くなっていて、ヴィクトアは、調香魔術師として依頼主の体調が良くなったことにほっとしていた。


(心配だったけれど、魔香水が身体に合ったみたいね。顔色も良いし……良かった)


「……可愛いですね、殿下。ありがとうございます」

「気に入ってくれたなら嬉しい」


ヴィクトアがテディベアの鼻を突付いたり、頭を撫でたりする様をクラッドは少し高い位置から、優しく見守る。

その表情は、どうみても愛しい人へと向けるそれで。

教室から様子を伺う生徒達がざわついていることなど、テディベアに夢中なヴィクトアはまったく気付かない。


幼い頃から限られた人としか関わらず、年頃の同性の友人もいないヴィクトアは、常日頃ひとりで過ごしている。

それが孤高な印象を高め、女生徒達が憧れは募らせるものの話しかけられない理由でもあり。

それ故に、ヴィクトアは知りもしないのだ。

自分と同じ髪色、瞳の色のテディベアを好きな人に送るのが流行しているとか。

好きな人の髪色や瞳の色と同じ物を持つのがアピールの一つだったりとか。

クラッドのノートが全てヴィクトアの髪と同じ水色で揃えられていることとか。


ヴィクトアは何ひとつ、気付きもしないのだ。




そんな二人の様子を少し離れた場所で、些か険しい目付きで見守る騎士エドワード。

その隣で、エドワードの婚約者エリノアが、窓の外を眺めいる。


「なぁ、エリー」

「んー?なあに?エド」


舌ったらずな話し方が少々子供っぽいエリノアは、小さな身体で精一杯エドワードを見上げる。

騎士として鍛えているエドワードは、同年代の男子より随分と背が高い。クラッドも長身のため、二人が並ぶと小柄なエリノアはいつも首が痛い。


「クラッドの好きな人って誰だか知ってるか?」

「ヴィクトア様でしょ。そんなの、学院で知らない人いないよう」

「だよなぁ」


眉間に皺を寄せ、ますます表情が険しくなるエドワード。

ざらりと顎を撫で、首を傾げる。


「じゃあなんで、ヴィクトア嬢は、気付かないんだ?」


エドワードの言葉に目を瞬いたエリノアは。


「……クラッド殿下がいっちばあーん、知りたいと思うよう」


その言葉に、苦虫を噛み潰したような顔をしたエドワードの肩を、手を伸ばしたエリノアがぽんぽんと撫でた。


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