第4話
アトリエへ移動したヴィクトアは調香魔術資材の棚から、いくつかの小瓶を取り出した。
(ラヴィンツァラの精油に……浄化作用の高いジュニパーベリーは外せないし、フランキンセンスの樹脂と……花も必要ね)
小瓶を開け、すんっと香りを確かめながら頭の中で使う香料や分量を組み立てる。
調香魔術資材は、液体から固体まで様々な種類の香料が存在する。取り分け、ヴィクトアは植物性の香料を得意としていた。
大量の花や葉から作られる精油は、濃縮されているため効果も高いが香りも強い。花や葉そのものを使うことで香りへの影響を抑えつつ、効能を混ぜていくのはヴィクトアがよく使う手法だ。
魔術で強化するため、精油を使うときと同じかそれ以上の効能効果を持たせることもできる。
(フランキンセンスは精油も使いましょう。殿下は、少し甘さのある爽やかな香りを好まれるから……そうね。ダージリンティーとジャスミンなら)
ジャスミンの精油を選んだヴィクトアは、別の戸棚から休憩時によく飲むダージリンの瓶を取り出した。
(爽やかな香りはレモンとペパーミントの精油で、ベースノートはムスクかしら……えっと、資材は……)
アトリエ内の戸棚と調香台をバタバタ行ったり来たりしながら、香料の準備をしていく。
まっさらだった調香台には、次々、小瓶と植物が並ぶ。
(あとは、魔香石ね。浄化と保護、治癒と……ああ。啓発を忘れるところだったわ)
魔香石は、調香魔術に使われる香料となる宝石だ。微弱な魔力が含まれている。
香料としての香りもあるが、植物資材よりも強い効能効果を持っているので、クラッドの調香の際、ヴィクトアは必ず使用していた。
「ふぅっ。……こんなものかしら」
調香台にずらりと並べた資材。実に三十種類を超える。
調香魔術は香料の量で魔法陣の組み立てがかわる。増えれば増えるほど複雑になるのだが、常に大量の香料を使うヴィクトアの魔法陣は、まさに、複雑怪奇。
ミュラはいつもヴィクトアに向かって「頭おかしいんですか?」と大真面目な顔で問いかけてくる。
「……やだ!もうこんな時間っ」
窓から入ってくる西陽に時計を確認したヴィクトアは焦る。
資材を退かし、調香台の真ん中に空間を作ると、調香魔術用の筆記具を構えた。
深呼吸を一つ。
魔法陣を描きはじめる。
大きく描いた円の中、複雑に絡まる細かい線を描き込んでいく。それぞれの香料に合わせた小さな魔法陣を円の中に描き込んでは香料を載せ、描いては載せを繰り返す。
全ての香料を並び終えると、もう一度円を擦った。
「豊かな大地に木々の恵み、花々の恵みをもたらす精霊よ。暖かな陽の光、柔らかな夜の静けさ、人々の営みを守る香りを、我が手に与え給え」
詠唱とともに、魔法陣が光り輝く。
香料が空中に浮かび、中心に集まると一瞬の強い光を発して、液体へと変化する。そして、香水瓶に形を変えた魔法陣に向かい、ゆっくりと零れ落ちていく。
ことりと音を立てた香水瓶。
さっと手に取ったヴィクトアは、『クラッド・ルカ・サイラス』のラベルを貼った。
無事、クラッドの魔香水を調香し終えたヴィクトアは、アトリエを出て、別の塔にある共同アトリエへ向かって歩き出す。
(あとは、ミュラにクラッド殿下へのお届けをお願いすれば………あ、ら?)
思わず、その場で立ち止まる。
(やだ、わたくし……)
クラッドとの会話を頭で反芻するヴィクトア。
何度考えても、間違いない。
(届けに行くって言ってしまっているわ…っ!)
とにかくミュラに相談するしかない、と、共同アトリエへと歩みを早めたヴィクトア。淑女らしからぬ小走りで向かった先で、朗らかに手を上げたのは。
いつも代役をお願いしているミュラ本人であった。
「やっとお嬢様に直接言いましたか、あの餓鬼」
不自然な笑顔を浮かべたミュラは一国の王子に向かって、あの餓鬼呼ばわりしながら、ぱあんと手のひらに拳を叩きつけた。
詳細を話したヴィクトアはオロオロと手を上げ下げする。
「とにかく落ち着いてください、お嬢様」
ミュラはそう言って、診療用ソファーに腰掛けるようヴィクトアに促した。
ミュラ・オランジェッタ24歳は、パルファグラン家のアトリエに出入りを許される限られた調香魔術師の一人だ。
腕前はまさに一流。クラッドの診療の代役を任せても何ら違和感のない人で、家族以外でヴィクトアの秘密を知る人でもあった。
深緑色の髪を緩くひとつに束ね、童顔を隠すために銀色の丸渕眼鏡を掛けている。
小柄だが、態度は大きく、身分を気にせず、言いたいことをはっきり言う。
ヴィクトアが調香魔術師になる前からの付き合いで、表裏のないミュラにヴィクトアが懐くのはあっという間だった。
「実は、クラッド殿下から何度かお嬢様に担当してもらえないかと打診されたことがありまして」
向かいに座ったミュラの言葉に、ヴィクトアは目を瞬かせる。
「実際はお嬢様が担当してるので、何を言ってるんだって話なんですが。とりあえずは、卒業まで待てとお断りしていて。えーっと……、そう!エドワード様ですか?あの人が練習として学生の間もいいんじゃないかって言い出したんですよ」
「…エドワード様、ですか」
エドワード・ジュバリエールは学院のクラスメイトであり、クラッド付きの騎士だ。
学院内外の護衛のため、だいたいいつもクラッドと行動を共にしている。
「まあ、もう行くって言ってしまってるのであれば、行くしかありませんね」
「えっ!?」
「どうします?ついでに診療します?」
「ええっ!?」
「前回お休みをいただいた関係で魔術調香録が四ヶ月前のものでしたよね?お嬢様、早く新しい診療記録が欲しいんじゃないですか?それに、卒業後は診療もお嬢様が担当されるわけですし。殿下のあっつーい要望ですよ。診療してしまえばいいんじゃないですか?」
わなわなと震えるヴィクトアの肌にじわりと汗が浮かぶ。
はくはくと口を開け閉めしながらも言葉を発することができない。
ミュラはポケットから、専用の魔香水を取り出すと、ヴィクトアに向かってこれでもかという程吹き掛ける。
「とにかく、こんな時間です。魔香水だけでも届けてきてください」
そう言って、ヴィクトアに診療用の鞄を押し付けたミュラは、「えいっ!」と共同アトリエから追い出した。