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第17話 ミュラ

「なんですか、クラッド殿下。わたしじゃ不満ですか」


クラッドのがっかりした表情に、躊躇いもせず、不機嫌さを滲ませた声音で問い掛けたミュラは、すっと立ち上がり威圧的に見下ろす。

王族の担当になったせいで、着たくもないローブをきて、つけたくもないブローチをつけて、騎士に囲まれ、ここまできたというのに。

その担当の王族の態度が、これか。

積もり積もったミュラの苛立ちは、ピークを越えていた。


ミュラの態度に、隣に立つメイドは眦を釣り上げ、クラッドを守るように前に出ようとしたが。

顔を蒼褪めさせたクラッドは、勢いよく頭を下げた。


「ミュラ様、ごめんなさい!!」


あまりにすんなりと頭を下げたクラッドに、驚きで目を瞬いたミュラは、思わず固まってしまう。


「今日、小柄な少女が来ていると聞いて、僕を助けてくれた女の子が来たのだと思ったんです」


頭を下げたまま、小さく震えるクラッド。

ミュラの積もった苛立ちと噴き出した怒りが飛散していく。

(ああ。なるほど)

クラッドは何も教えてもらえなかったのだろう。

ヴィクトアの血液の秘密を隠すために、必要なこととはいえ、自分を助けた相手のことを知らないのは心苦しいはずだ。

わたしの特徴を聞いて、期待したのだ、会えるのではないかと。


ふうと息を吐いたミュラは、クラッドにベッドへ座るように促した。



「僕を助けてくれたのは、水色の髪に藍色の瞳の女の子でした。刺されたときは、とにかく痛くて、意識が朦朧としていたんです。でも……女の子が部屋に駆け込んできてから、少しだけ楽になりました」


(媚薬効果、か。ヴィクトア様の体臭が痛みの緩和に繋がったんだな)

ミュラは、クラッドの話に耳を傾けながら、診療用眼鏡で視診していた。

小柄だが、健康状態に問題はない。

顔色もいいし、呼吸も安定している。


「彼女がパルファグラン公爵家のご令嬢だということはわかっているんです。だから、父上に名前を伺ったのですが、教えてくださらなくて。しつこく聞いたせいか、とうとうパルファグラン公爵家に娘はいないと言われてしまいました……」


(……それはさすがに無茶じゃないか、国王陛下よ)

ライアッドの言い分に、口元をひくりと引攣らせたミュラは、クラッドに横たわるよう促しながら、診療記録用紙に、筆記具を走らせる。


「ミュラ様は……あの女の子のことを、ご存知ですか?」


今回、クラッドの担当になったことで、ミュラはヴィクトアの体質のすべてをアヴァンから説明されていた。

クラッドの腹部の経過観察が必要だったことと、ヴィクトアがミュラに懐いていたからだ。

ミュラは、ヴィクトアの体臭と汗、涙が媚薬効果を持つことは把握していた。しかし、血液に治癒効果があるとは。

髪も爪も唾液も、効能効果を持っているし、それは高価な魔香石の効果を凌駕していた。

詳細を聞いたミュラは、ヴィクトアをもっと守るべきだとアヴァンに訴えるほどに、彼女の持つ効能効果は素晴らしいものだ。

だが、アヴァンは、ヴィクトアの自由を奪いたくないと言った。

高い媚薬効果のせいで、部屋に閉じ込められたヴィクトアは、自ら必死に研究し、外に出る術を得た。到底、子供が出せる研究成果ではなかった。

あの日、ヴィクトアを連れていかなければ、血液の効能効果は秘匿できた。しかし、ヴィクトアが居なければクラッドは助からなかった。

アヴァンは、ヴィクトアの自由を守るために手を尽くしていた。


「はい。わたしは彼女のことを存じております」


診療したクラッドの腹部は、なんの傷も見当たらない、とても綺麗な状態だった。ナイフが刺さったことがあるなど信じられない。

子供の柔らかく滑らかな肌だった。


「ミュラ様……。僕に彼女の名前を教えていただけませんか?」


ミュラは考える。

ヴィクトアはもっともっと守られるべき娘だ。

王妃に据えて、守られればいい。それだけの価値がある。

むしろ、ミュラにとっては王族よりも守るべきだろうと思えた。

ヴィクトアひとりで、何人もの人を救えるのだ。

病も傷も、彼女の血が癒すのだ。


真っ直ぐに向けられるクラッドの視線を受け止めたミュラは、緩やかに微笑む。


「声に出してはなりません」


そう言って、ヴィクトアの名を診療記録用紙に書き込んだ。文字を確認したクラッドは、花が綻ぶような笑顔とともに小さく「ありがとうございます」と呟いた。


嬉しそうなクラッドを眺めながら(クラッド殿下とヴィクトア様が結婚すればいい)と、ミュラはそんなことを考えていた。


帰りの馬車で、勝手にヴィクトアの名前を教えたことを少しだけ後悔していたミュラは、アトリエに入ってすぐ、杞憂だったと思い直した。

自分の帰りを待っていたヴィクトアに、クラッドの診療を事細かに聞かれたからだ。

自ら調香した魔香水の効果よりも、クラッド自身を気にするその姿は、恋する乙女のようで。

ミュラは思わず大笑いをして、ヴィクトアを酷く困らせた。





(あの馬鹿双子がいなきゃ、お嬢様と殿下の婚約はもっとスムーズに進んだはずなのに……)

予定外のところまで記憶を反芻したミュラは、苛立ちを振り切るようにぶんっと頭を振って、再び窓越しにヴィクトアのアトリエを視界に入れる。

先程と変わらず、調香時の光が漏れるアトリエ。


(ちょっと待て。どんだけ、調香してるのあの人)

数えていたわけでは無いが、10回近く調香してるかもしれない。いくら、豊富な魔力量を有していても限度がある。


がたりと音を立てて立ち上がったミュラは、ヴィクトアのアトリエに向かうため、足早に歩き出した。


ヴィクトアのアトリエの前に立ったミュラは、部屋から漏れ聞こえるヴィクトアの嗚咽に溜息を吐いた。

(装具はつけておくべきか)

絶対に面倒くさいことが待っていると思っても、このまま放置するわけにはいかない。

これ以上の調香は、体調に影響しかねない。


手早く装具をつけたミュラは、すうっと息を吸い込み、ノックをしたのち、返事を待たずに扉を開けた。


「お嬢様っ!」


むわっと部屋中に広がる濃厚な香り。

ぐすぐす嗚咽を零しながら調香台に蹲って忙しなく魔法陣を描き続けるヴィクトア。

その側には魔香水の瓶がいくつも転がっている。


「お嬢様!ヴィクトアお嬢様っ!」


カツカツと音を立てながらヴィクトアに近付いたミュラは、がしっとその腕を掴んだ。


「……ミュラ」

「何をそんなに調香してるんですか。やり過ぎです。何があったか話してください」

「うっ……ぐすっ……ミュ、ラ……」


掴んだ腕からがくりと力が抜けて、ミュラの手を離れる。

そろそろと顔を上げたヴィクトアの思慮深く輝く藍色の瞳から、甘い香りを発する涙がぼたぼたと零れ落ちる。

(ああ。勿体ない)


「お願い、ミュラ……っ。ぐすっ……エドワード・ジュバリエール様と、エリノア・リネローラ様の、うぐっ……魔術調香録を、貸してくださいぃ……」


ヴィクトアはそう言って、大粒の涙を零し続けた。


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