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フィオナは図書室の以前の定位置に座った。まだそんなに経っていないのに、懐かしく感じる。最近昼休みは専ら裏庭だった故、図書室には来なくなっていた。
その横には、オリフェオが座り、少し離れた場所にハンスが腰を下ろす。色んな意味で凄い顔触れだ……。気不味い以外の何物でもない。
「フィオナ、その……久しぶり」
水を打ったように静まり返る中、先に口を開いたのはハンスだった。何とも言えない表情を浮かべている。彼と直接会うのは、仮面の下の素顔を見せたあの時以来で、ほんのたまに学院内を歩く姿を遠目で見かける程度だった。
「お久しぶりです、ハンス様」
フィオナが穏やかにそう挨拶を返すと、ハンスは目を見張る。それはそうだ。きっと彼は、フィオナが自分の事を恨んでいると思っているだろう。正直、婚約破棄された直後は赦せない気持ちもあった。だが、今はもうない。無論それはヴィレームのお陰だ。
「……フィオナは、その、オリフェオ殿下とはどう一体関係なの?」
ハンスは、チラチラとフィオナの横に座るオリフェオを見遣る。どこか落ち着かない様子だ。
関係……別段名前をつける程の関係性はフィオナとオリフェオにはない。だがそんな事を本人が隣にいるのに、そのまま言う訳にはいかない。悩む……。
「えっと……他人以上友人未満、です」
妙な物言いに、ハンスは目を丸くして首を傾げた。気持ちはよく分かる。フィオナがハンスの立場なら同じ反応をするだろう。だが、これくらいしか思いつかない。
「そうなんだ?」
戸惑いながら笑う彼を見て、懐かしさを感じフィオナも苦笑した。
「でも、どうして君が此処に……。もしかして、知ってるの」
聞かずとも分かる。今朝の事件の話をしているのだろう。そして彼もまた授業中にも関わらず図書室にいて、しかも立ち入り禁止になってると言うのに此処にいる……。それに事件の事を知っているなら、必然的に彼がオリフェオの友人のニクラスを発見した生徒と言う事になる。
話していいものかと、フィオナはオリフェオを横目で確認するが、彼はぼうっとしており、余りこちらの会話には興味がない様だ。
「殿下から、お話頂いて……そんなに詳しくは聞いてませんが。ハンス様こそ、こちらで何をなさっていらしたんですか」
「実は……彼を見つけたのは僕なんだ。今朝、教室に行く前にたまたま図書室に寄ったんだ。そしたらまさか、こんな事になるなんて……亡くなった彼とは、友人関係だったんだ。だから、まだ気持ちの整理が出来なくて、授業を受ける気分にはなれないし、だからといって帰るのも違う気がして……。気づいたら図書室に来てた……」
ハンスもオリフェオと同じ様に話すが、彼からはどこか違和感の様なものを覚える。だがその何かは分からない。
「そうだったんですね」
項垂れて嘆くハンスを見てフィオナは、眉根を寄せる。やはり、気のせいだろう。
「よく見れば、お前は今朝の奴か」
これまで呆然としていたオリフェオが不意に会話に割り込んできた。
「ハンス・エルマーです。今朝は、こんな事になってしまい、なんと言っていいものか……」
ハンスもニクラスと友人だったと話したので、てっきりオリフェオとも友人関係なのかと思ったが、どうやら違ったようだ。
「……」
オリフェオはハンスから挨拶を受け、彼を暫し凝視する。自分で話に割り込んだくせに、ハンスに興味がないのか、足や腕を組み直すと顔を背けた。ついでに目も伏せる。
やはり、こういう人なんですね……難しい人だと顔が引き攣る。
「フィオナ」
ハンスは真っ直ぐにフィオナを見遣る。目が合った瞬間、心臓が跳ね戸惑った。もう平気だと思っていたが、あの時の事が蘇り身体が無意識に強張るのが分かる。
「君に言いたい事があるんだ。こんな時になんだけど……折角会えたから」
今更、一体何を言われるのだろうか……息を呑む。
「ずっと君に謝りたかった……いつになるかは分からないけど、謝らなくちゃってあれから考えてた。勿論、赦して欲しいなんて言えないけど……それでも、本当に悪かったって思っているんだ」
彼の真意が分からない。これは彼の本心?ハンスの目は真剣そのもので、嘘や悪意は感じられない。だが、例え彼の話す事が本当だとしても……だから、何なんだろう。今更過ぎて、彼からの謝罪に意味を見出せない。
そんな風に思ってしまう自分が酷く冷たい人間に思えた。
「ハンス様……もう、いいです。分かりました。私はもう何とも思ってないですから」
「フィオナ!こんな僕を赦してくれるの⁉︎ありがとう、嬉しいよ」
彼は徐に立ち上がると、フィオナの手を取り握り締めた。
「……」
あぁ、彼ってこんな人だったかしら……?
あれからきっと彼はフィオナへの罪悪感に囚われて苦しい思いをしてきたのだろう。だからフィオナに赦され、楽になりたいのかも知れない。
そんな風に考えフィオナは呆然としながら、眺めていた。暫く会わない間に変わってしまった……?いや元々こんな人だったのかも知れないが、もはやそれもどうでもいい事に過ぎない。
「それで君さえ良ければ、また友人からやり直したいんだ」
ハンスはそう言って、至極嬉しそうに笑った。