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孤境  作者: 夢暮 求
3/7

【-3-】

 その子の家に行くのはかなり、心が苦しくなる。理由は物凄く単純で、両親の間で交流があるだけで、俺たちの交流は「嫌い」と言われた瞬間に閉ざされているから。なので幼馴染みという間柄であっても、俺たちの間には漫画やアニメにあるようなありきたりなシチュエーションめいた思い出はない。隣のクラスでも遊びに行ったとか、夏休みを同じ家で過ごしたとか、青春の一ページを彩るような思い出もありはしないのだ。さすがに登下校が一緒だった頃もあったが、思春期に入るとそれもなくなった。男女での登校はなにかと冷やかされるからだ。


 俺は別に冷やかされるのは嫌じゃなかったけどな。あいつにとっては苦だったのだろう。


 だから、思い出してしまう。この道のりを、俺はとても恐れている。


 暢気だった俺に比べて、あの子はいつも俺を嫌っていたのではないか。俺と一緒に登下校していたときも嫌で嫌で仕方がなかったのではないか、と。

 道のりに思い出があるのは苦しいものだ。否応なしに当時のことを思い出す。左右に並ぶ建物が建て替えられていたり、建物が壊されて駐車場になっていたりしても、道路そのものが大きく変わることは通常、滅多にない。

 景色に思い出があるのではない。道路に思い出がある。景色が変わったって、道のりが記憶をアシストする。そりゃ子供の頃に比べたら道の幅が狭いと思ったりはするが、そんなのは違和感でしかなく、思い出の再現に関してはなんの意味も成さない。思い出は違和感に勝る。トラウマもまた、違和感に勝る。


 ああ、死にたい。死んでしまいたい。俺はどうしてこんなにも、投げ出したことが頭をよぎるのだろうか。中途半端にしたことを思い出してしまうのか。


 連鎖的に嫌なことを思い出す。


 故郷が嫌いなのではない。この故郷に残っている思い出が、嫌いなのだ。だってそれはすべからく、自分自身の投げ出したことと紐づいているから。

 良い思い出を記憶から取り出すと、必ず嫌な思い出も一緒に引っ付いてくる。こびりついていて取れそうにない。そして、取ろうとしていると憂鬱になり叫びたくなる。会社での失敗を思い出すことと等しい。どうしてこんな、割り切れない精神になってしまったのだろう。


 過去は過去と思えたならどれほど楽だろう。両親も所詮は血は繋がっていても他人と思えたなら、どれだけ解放されることだろう。


「あー、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」

 ブツブツと、他人には分からない程度の声量で、ひたすらに呟く。頭をよぎる様々な嫌なことを咄嗟に言葉を発することで掻き消すのだ。口を動かすことに意識が行けば、次第と嫌な気持ちは薄れる。薄れるだけで、痛いのは続くが、両方が一斉に押し寄せてくるよりはずっといい。

 くだらない毎日だったと思う。正直、なんであんなに小学生の頃は生き生きとしていたのだろうか。純粋だったからとかそんな一言では言い表せないほどに、つまんないことに笑って、くだらないことに耳を貸して、危ないことをして怒られていた。


 今の自分自身では考えられないことばかりをやっていた。よく死なずに済んだなと思うことばかりやっていた。


 考えれば考えるほどに死にかけていたと思う。運命の歯車がちょっとでも狂ったら、今の俺はここにはいない。思い出せばヒヤッとする。それだけで済めばいいのに、どうして印象的な記憶は一度切りではなく何度も何度も思い出してしまうのか。まぁ、忘れたら忘れたで危険を危険とも思わなくなってしまうのだろうから、一種の生存本能みたいなものなんだろう。とはいえ、自己防衛のためのものに苦しめられるのはなんという皮肉だろうか。


 日差しは暖かく、道のりは緩やかさ坂を下りる。見慣れているからこそ、歩くペースはいつもより速い。


 いや、どうだろう……都会の人混みに揉まれていたときの方がもっと早足だったかもしれない。商店街から離れていることもあって閑静な住宅街ではすれ違う人も片手で数えるほどしかない。これほど人気がないと、時間の流れすらも緩やかなのではと思い込みそうになる。


 そんな、どうにも表現のできそうもない道を歩いて、柴浦(しばうら)の家に着く。


「……ま、なるようにしかならないよな」

 引き返す気があったなら、そもそも故郷に帰ることだってなかった。今更、インターホンを鳴らす。

 普通はここで家にいる誰か――柴浦との応答がある。しかし、通話が始まることはなく玄関の扉は開かれた。出てきたのは俺の記憶にある柴浦の容姿とは明らかに異なる――それどころか年齢すらも年下としか思えない女の子だった。


 いや、女の子なのだろうか。もしかしたら女性かもしれない。少なくとも少女と呼ぶほど幼くはない。いわゆる中学生か高校生付近。女になり、色香を纏う頃。年齢問わず、多くの男が惑い、溺れ、人生を踏み外す。まさにそんな時期の女性だった。


 濡羽色(ぬればいろ)、と呼ぶ黒系の色がある。ただの黒との差なんてさほどもないが、読んだ小説で使われていた色を俺は彼女の髪色に見た。印象がそうさせるのだろうか。髪に艶があって、穏やかな日差しに照らされるとさながら濡れているように見える。


「誰? なに? なんの用?」


 随分と横柄な態度を取られる。年上に対する敬意が感じられない。


 だが、俺だってこのぐらいの年齢であった頃、年上に対して敬意を払おうなどとは思わなかった。反抗期の俺は年上も目上も関係なく、どいつもこいつも俺のことなんてなんにも知らない頭の悪い大人たちと決めつけていた。彼女もそういう口か、もしくは本当に俺に対して初対面から敬意など払わなくていいと判断したかのどちらかだ。


「美絵里! インターホンが鳴ったからって勝手にドアを開けないで!」

 怒りを露わにしつつ俺の前へと現れた女性は俺の記憶に残っている柴浦の面影を若干ながら残している。校則によって髪を染めることが禁止されていた頃と違って、髪色は薄茶色に染まっているが、顔のパーツから一応は判断が可能だ。


「親に言われて来たんだけど、お前のところでなにが起こっているんだ?」

 同居人とのトラブルと俺は予想していたが、その同居人が男ではなく、年下の女の子とは思わなかった。だって、柴浦が連れ込んだ男との関係が悪化しただのなんだのの話だと思うだろ。

「そいつ、お前の子供?」

「に見える?」

「だったらお前、何歳で妊娠したんだって話だから違う」


 背徳的にもほどがある。さすがにそれだったら母さんが俺を故郷に呼び寄せたりせずに柴浦家だけで処理する話だろう。


「だよね。見えるって言ったらぶん殴っていたところ」

 深く深く溜め息をつく柴浦に対し、女の子はなんでもないかのように振る舞いつつ、手元のスマホをイジっている。

「ねぇ、私は外に出てていい?」

「外ってどこに行くの?」

「教えない」

「ちょっと!」

「だって教えても教えなくても駄目って言うじゃん。だったら言わないで出るし」

「だから! 私があなたを放り出したら! お母さんに怒られるんだって!!」


「柴浦」

 冷静さを与えるために静かに言う。こんなことができるのは、彼女の家の事情を知らない今だけだ。

「外でそんなに怒鳴るな」


「分かってる……! 分かってるけど!」

 柴浦の表情には疲労の色が見える。

「お昼には帰ってくる?」

 妥協して、柴浦は女の子に聞く。

「まぁ……なんにもないし、ここ」

 それだけ言い残して女の子は俺の横を抜けて、出て行った。

「……何年振りくらいだ? って聞きたかったんだけど、そんなメジャーな再会の常套句を使えるような雰囲気じゃないな」

「もう……ほんっと、笑えない。北柳(きたやなぎ)に泣きつくことになるのも、ワケ分かんない」

 肩で息をしている。柴浦はほぼほぼキレていたから、発散後の気持ちの安定を求めて呼吸回数が増えているだけだろう。

「ワケ分かんないけど……一人で、どうしたらいいか分かんないよりはマシ」

 柴浦はそう言って、うなだれる。

「あの子は?」

「……妹」

「妹?」

「クソジジイの隠し子」


「あー…………あ?」

 思考が停止する。考えることを放棄しかけていて、自分でも馬鹿らしい声を発してしまった。


「だから、妹だけど私のお母さんとは違うお母さんの子なの」

「いや、待て待て。でも、なんでお前のところにいるんだよ?」

「美絵里のお母さんはもう何年も前に亡くなっていて、祖父母に育てられているんだけど、二ヶ月前くらいにクソジジイの住所――ここを突き止めて、中学サボって、居座られているのよ」

「中学生なのか?」

「十五才で今年に高校受験。本人が言っているだけだから分かんない。最近の子はみんな大人っぽい格好するから」


 柴浦の口から「最近の子」なんて言葉が出るとは思わなかった。


 俺たちはいつまでも若いままで、いつまでも「最近の子」側の存在であるんだろうと、そのように思っていたが、幻想だと気付かされてしまう。まだ俺たちだって二十五で、十分に若者の範囲のはずなのに。

「ただでさえクソジジイのことは嫌いだったってのに、隠し子が分かってもっと嫌いになった。お母さんはもっと怒ると思ったのに、全然だし……内心で怒っているんじゃないかって、二人切りのときに聞いても、本当の本当に怒ってない感じだった」

「理解が追い付かないな」

「私もまだ理解できないままなのよ。挙句の果てに、北柳のお母さんに相談して、それで北柳が来るし……来てくれたのは助かったって思ったんだけど」

「それでも周りのやっていることに自分が置いて行かれているんだな」

「そうよ。北柳だって私の身になったら、おんなじだと思う」


「分かる分かる。俺じゃなくて良かったって思うくらいだし……親父さんが事故っても見舞いに行かないのは、あの子の監視だけじゃないんだな」

「私がクソジジイの見舞いに行くわけないでしょ。ほんっとに無理、あり得ない。私、家から仕事に行っているから、クソジジイに出来るだけなんにも言わないようにしてきたけど、あの子が来てからクソジジイの顔を見るたびに寒気がして、吐きそうになって……マジで吐いて、精神科を受診したんだから……」


 人間関係が炎上するということは、同時にそこに関わっている人物たちの精神が摩耗する。今回は柴浦だけが置いてけぼりにされているからこそ、精神面が崩れるに至ったようだ。


「どうしたらいいと思う?」

「どうしたらって言われても……」

「隠し子でも、あの子はどっちかって言うとクソジジイの被害者じゃん。責めるに責められないし……私が隠し子側だったら、多分だけど同じことすると思うんだ」


 なかなかに怖いことを言っているが、自身の苦労に対して真っ当に暮らしているもう一つの家族っていうのは、知ってしまえば放っておくことができなくなるのも分からなくはない。ただ、それが恨み辛みに変わるかどうかは人それぞれだろうけど。


「険悪なのか?」

「別に……クソジジイに比べたら」

「でも、邪魔臭そうにしていたけど」

「それは……あの子がそろそろ帰るって時期にクソジジイが事故って…………ああ、もう、なんでこんな……」

 柴浦はそのまま崩れ落ちる。


 クソジジイだなんだと言っているが、彼女にとってはたった一人の父親だ。関係が良好でなくとも、父親は父親だ。ムカついても、元気でいてくれた方が良いに越したことはない。


「私……早く死んじまえ、クソジジイって……言って。そのせいで、轢かれたんじゃないかって……思って……」

「隠し子がいたくらい図太い神経している親父さんが、そんなことを言われて自殺しようなんて考えないだろ」

 頭に手を置こうと思ったが、これは親しい間柄でないと許されない行為だ。異性との接触は控えめにしないと最近はなにかとハラスメントになる。

「むしろ自分だけメンタルが削れているのは、柴浦はそれぐらい言いたいことも言わずに我慢して耐えていたからだろ。言えば家族が不仲になってしまうから、抑え込んで、抑え込んで……その我慢が破裂して刃傷沙汰にならなかったのは柴浦に道徳があったからだと思うけどな」


「……道徳って、小学生以来に聞いたけど」

「俺も小学生以来、使ってこなかったな」


「……家族でなんとか解決できることだったら良かったんだけど、事故もあって……もうね、どうにもならなかった。多分だけどお母さんも限界に近かったんじゃないかな。だから北柳を呼ぶことになったんだと思う。北柳のお母さんのお世話になるのも忍びないし」

「俺だったら良いのかよ」

「よくは分かんないけど、もしかしたら北柳のお母さんは帰ってきてほしかったのかもね。丁度良い理由になったんじゃない?」

「もしそうだとしても重すぎる」

 だから母さんは俺にこのことを話さなかったってことか。これである程度の辻褄は合った。


「それで、これからどうしたら良いと思う?」

 柴浦はもう一度聞いてくる。


「……さぁ? 俺にどうにかできる問題じゃないだろ」

「だよね」

「でも、とにかく柴浦は一回、寝ろよ。絶対に寝た方がいい。留守は俺が預かるから」

「そっか……そう、だね。北柳が留守番してくれるなら、眠れるかも。ああでも、私の部屋は鍵が掛けられるから」

「掛けられるから……なんだ?」

「部屋に入ろうとしても無理だから」

「お前な? 重たい話を聞いたあとにお前の部屋に入ってなにかしようとか、俺は人間じゃねぇだろ」

「確認よ確認。家に上げる男には注意しないと」

 そりゃ幼馴染みとはいえ長い間、会ってはいなかったけど、信用という面ですら幼馴染み以下にされているのはショックだ。

「じゃぁ私は寝るから……よろしく」

「ああ」

 俺は柴浦に促されるままに彼女の家に上がる。


 面倒臭いことになったな。


 内心ではそう思いつつも、決して口にはしない。できることなら、関わらずにいたかったが関わらざるを得なくなった。


 だって、柴浦が今にも死にそうな顔をしていたから。これ以上は耐えられないという本心が表情から見て取れたから。


 階段を上がる彼女を見送りつつ、俺はリビングにあるソファに腰掛ける。

「ここが地獄、か」

 俺は今日も含めて四日で帰るが、彼女はそのあともずっとここで暮らし続ける。一人暮らしを検討しているだろうが、実家は必ずここになる。


 大人になってから心に傷を負うレベルの嫌なことを経験した場合、故郷は、実家は、果たして彼女にとって暮らしやすいところなのだろうか。帰りたくなる場所になるのだろうか。


「…………いや、まだ理解できてねぇよ」

 俺は彼女に与えた睡眠時間を、話されたことを理解する時間に当てることにして、天井を見上げた。

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