【-2-】
正直、故郷の良いところなんて俺はあんまり知らない。海と山があって、自然に恵まれているとかその程度。名産品についても一品や二品ぐらい知っている程度で生活に根付いていない。ああ、牛肉は上手いらしい。高級和牛なので食べたことはない。食べられるほど生活が豊かでもない。
逆に悪いところなんていくらでも言える。多すぎるせいで、なにから言おうかと悩むレベル。ただ、故郷なんてどこもそんなものだろう。外を知ったら、内側で過ごし続けていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。
故郷とは、憧れの街よりも優秀であってはならない。でなきゃみんな都会に憧れたりなんかしなくなるし、優秀な故郷なんかで暮らしたら利便性の差に辟易する。東京人が地方を嫌がるのは生活の不安もあるが、やはり利便性が現在よりも悪くなることに対して言いようのない不安があるからだと、勝手に思っている。
なんにもないわけではないが、なにかがあっても困る。誇れることもあるけれど、それ以上に悪いところを知っているから客観的な評価ができない。
なのに、自分が故郷の悪口を言うのは構わないが、気心の知れていない相手が悪口を言ってくると無性に腹が立つ。誰だってそうだろう? 故郷は嫌いだが、そこで生きてきたことを馬鹿にされているみたいな気持ちになる。まぁだからって自分から語る故郷の悪口が減ることはないわけだが。『なにもないっすよ、あそこ』とは言っても、心のどこかではなんかあるだろって考える。
これで故郷が嫌いと言うには甘すぎるかもしれないが、そこのところも俺の中途半端さが出ている証拠だろう。嫌いなのに好きにもなれない。好きでもないし、嫌いになり切れない。そんなポジショニングをして、どっちにでも足を向けられるようにする。要領が良いのではない。そうやってでしか生きられない、ただそれだけ。
「五年も会わなかった割には顔はそんなに変わっていないみたいね」
実家に入って、母さんに早速、五年間をイジられる。
「言ったって写真を送っていただろ」
「一年に一回だったけどね」
「息子が元気でいるんだから、良いだろ別に」
五年間、故郷に帰ることはなかったが、まぁ親の縁は切りたくても切れるものではないので、トークアプリで近況報告はしていたし、年に一回は自撮りを送ったりした。誰かに見られても場所を特定されないように大体は自室。ついでにExif情報が載らないようにも注意した。そういうネットにおける危うさについては働き始めると色んな面で見ることになり、常々に気を付けるようになる。トークアプリ以外で、外部との繋がりを断っているのもそのためだ。自身のつぶやきが他人を傷付けるかもしれないし、傷付けられるかもしれない。ただでさえ人付き合いでストレスが溜まりやすいのにネットでの繋がりにまで気を配るようにしたら俺はパンクする。俺は神経が細いし、メンタルが弱い。そのように前提を置いておかなければ無茶をしてしまう。
ああ、この考え方も中途半端になりがちな部分から来ているのか。メンタルが危なくなる前に投げ出して、逃げ出すのだ。ならば俺は子供の頃から心の防衛本能が働いていたことになる。
なにをまぁ、上手いこと言って自身のだらしなさを誤魔化そうとしているのか。
「それで? なにがどうなっているか説明してくれ」
人間関係が燃えている。どういう状況なのかはそろそろ教えてくれたっていいだろう。トークアプリで事情を聞いていた頃ならまだ放り出すこともできていたが、故郷に来てしまえば逃げ帰ることさえできやしない。
「説明って言っても、お母さんの口からはとてもじゃないけど言えないわ」
「は?」
「詳しくは向こうで聞いてちょうだい」
全部を全部、俺に放り投げてきた。ひょっとすると俺のどうしようもない放り出し方は母さんに似たのかもしれないと思うほどだ。それとも、もはや手に負えないのだろうか。俺にここで事情を話せば確実に拒否して、四日間を家から一歩たりとも出ないほどにヤバい話の可能性がある。
「借金取りや半グレ、ヤの付く自由業が関わっているんじゃないだろうな?」
「それに比べたらまだ可愛いものよ」
世間的に見てあんまりよろしくはない状態になっていることは確定した。しかしながら、お金のもめ事や、それこそ危ない橋を渡っているようなヤバめの問題でないのなら、まだ心にも余裕ができる。ともかく、命に関わるような危機的状況にはないってことだからな。
「真由ちゃんも仕事で忙しいのに大変よね、ほんと」
「俺も仕事で大変なんだけどな」
「あんたはまぁ、大丈夫でしょ。これが優斗だと心配だけど」
「……」
耳にしたくない名前を口に出され、俺は沈黙してしまう。誤魔化しの利かない沈黙だ。母さんもそれに気付いたようで、俺から視線を逸らした。
「とにかく、もう頼まれてしまったことだから」
「俺は頼まれちゃいないけどな」
悪態をつく。本当はこんな風に言いたくはないのだが、さっきの沈黙からの立ち上がり方が分からないまま口から出てしまった。
なんで俺は母さんに苛立っているんだろうな。
「柴浦は父親が轢かれたのに家で留守番してんのかよ」
「お父さんとあんまり上手く行っていなかったし、そこに今回の問題だからねぇ」
なんだ? 柴浦の父親が俺を呼び出すほどの大事を持ち込んできたってことか? だったら俺なんかが間を取り持とうとしたら火に油を注ぐようなものじゃないか。
「世間体もあるし、噂にならない内に、まぁ……柴浦さんの方で解決することを願うだけなんだけど、さすがに事故って入院じゃ、それも長引きそうだから」
「世間的に見て、良くないってことか」
「もしかしたら真由ちゃんまで変に見られてしまうかも」
「……それは困るだろうな」
だが、具体的な話もないままに世間体だなんだと言われても、こっちはやりようがないってものだ。
「俺が家に行くのも世間体的にまずいんじゃないの?」
なにがどうなっているかは不明だが、柴浦の家に男が上がり込むのは、噂が立つのに拍車を掛けてしまわないだろうか。すると俺は、また彼女から「嫌い」と言われてしまう。それだけは御免だ。
「まぁ、あんたは顔が利くから」
「利かないよ」
俺は有名人じゃない。そりゃなんでもかんでも中途半端に投げ出したことはあるものの、正義のために悪漢を捕まえたとか、警察に通報して犯人を逮捕してもらったとか、なにかしら大きな表彰状をもらったこともない。大会での優勝経験もない。それで顔が利くとはなんだと言うのか。
「私の息子ってことで顔が利くのよ」
「……写真を見せたりしているのか?」
「そりゃぁね」
トークアプリに送っている写真をまさかスマホに保存するだけならともかく不特定多数に見せているとは思わなかった。やっぱり、位置情報を消すといった手間暇は間違いではなかったということだ。
「自慢の息子ってことで」
親バカだ。でも、自慢と言われて悪い気はしない。だから怒るに怒れない。
「柴浦も俺が様子を見に行ったら、なにを言うか……」
「仲良かったじゃない」
「良くないよ」
良かったら面と向かって「嫌い」と言われないだろ。そりゃ言われるまでは仲良かったような気もしないでもないが、それも向こうの裁量次第だ。もしかしたら嫌々、仲が良いように振る舞っていたのかもしれない。
それにしても、なんで俺は「嫌い」って言われたんだろうな。その理由を聞く前に逃げ出したから、その後のことはなんにも分からない。同じ中学、高校に通ってはいても、それ以降話すことなんてなかったし。もしあったとしても、俺は向こうが口を開けば逃げ出していただろうし。だったらこの機会に聞く――のは怖い。やっぱり、有耶無耶にしてしまった方がいい。そうすれば、俺は傷付かないんだから。
「……今日は顔見せするんだろ?」
このまま母さんと話していても埒が明かない。柴浦が自分から話してくれると信じるしかない。なんで自分のことで一杯一杯なのに柴浦家の事情にまで首を突っ込まなきゃならないんだ。どうにもできなかったら母さんに押し付けて、俺は引き上げるからな。
「あんたが行くことは伝えてあるから、一人で行ってきて」
「は?」
「だってお母さんはこれからお仕事に行ってくるから」
ボランティアだって立派な仕事だ。無償だろうと有償だろうと、働いていることに差なんてない。地域活動になれば会社以上に人間関係が絡まり合っている。会話の中に見える地雷原を踏み歩かないように振る舞う必要も出てくるから、ストレスだって会社勤めと同様と言える。
だからここで問題なのは、俺が帰ってくることを知っておきながら仕事を予定に入れている母親である。
「なんでそういうことするかな」
「男女水入らずって言うじゃない?」
「親子水入らずだよ。なんだよ男女水入らずって」
意味の分からないことを言える余裕があるのにどうして今日に予定を放り込んでしまうのか。心に余裕があるなら、スケジュールくらい管理もできるだろう。
「まぁまぁまぁ、なにか言われてもあとでフォローはしてあげるから」
なにか言われることはもはや確定みたいなことを言われている。恐らく母親に自覚はない。俺はこのままあの子の家に行くのが憂鬱になった。
「予定がズレると向こうも困っちゃうから。私も早く行かないと」
母親は俺に実家のスペアキーを渡してくる。実家を出る前に預けた物で、スペアキーには当時人気だったアニメのキャラクターキーホルダーが付けられたままだった。
母さんはそそくさと支度をして、靴を履き、仕事へと出て行った。置いて行かれた俺はまず、自室に向かい、荷物を置く。
「……だから嫌なんだよ」
俺の部屋は使われていない。つまり、人が生活する状態にはない。ここ数年間で使わなくなった物がひとしきり部屋に収められている。
五年間、実家に帰ってこなかったことに文句を言ってきたクセに、俺の部屋はこのありさまだ。
「どうせ、これは俺だから。優斗の部屋は綺麗にしてるんだろ……絶対に優斗の部屋では寝ないからな……!」
優斗は兄の名前だ。子供の頃から「兄」や「兄さん」や「お兄ちゃん」、「兄貴」と呼んだことはない。ずっと名前で呼び続けているから、成人してもずっと名前呼びだ。
出来た兄。出来過ぎている兄。俺なんかよりもずっとずっと立派な息子。それが優斗。俺より先に家を出た。それから何度か帰ってくることもあったが、最近は全く顔を合わさなくなった。まぁ、顔を合わせない方が俺はなんにも考えずに済むし、落ち着けるのだが。
世間的に見て、良い両親なのは間違いない。むしろ普通以上の両親かもしれない。それぐらいには愛情を受けて育った。好きなことを好きなだけさせてもらい、その全て投げ出しても見放したり、口喧嘩をしたって絶縁になるほどの暴言を互いに吐いたこともない。とても恵まれている。
だけど、恵まれている分だけ俺はトラウマを刺激される。
だって俺はそれだけの愛情を注がれておきながら、なにもかもを中途半端にしたのだ。なに一つとして大成させることも、趣味や習い事からそれを仕事へと変えたわけでもない。
全部全部、無駄にした、全部、やったって意味がなかった。それらの出費を考えると、耐えられなくなる。働く身になったからこそ、そういった過去の自分へと投資された金額を考えてしまうのだ。
なんで、放り出してしまったのだろう。なんで、なに一つとして形にすることができなかったんだろう。両親は良くとも、俺はバカ息子だ。両親に恵まれていても、それに応えることができなかった。
優斗は俺とは正反対だ。
親の愛情をしっかりと形へと変えていった。俺は高校三年生になってもやりたいことを見つけ出せずに、どの大学に行けば良いのか分からず困り果てていたのに、優斗は高校生時点で既にシステムエンジニアの道に進むための勉強を始めていた。家は比較的、裕福な方であったので個人のパソコンを持ち、スマホやタブレットとの出会いも相まって、そういった機械の中にあるプログラムと、そのシステムを維持する仕事に興味を抱いたとかなんとか言っていた気がする。
ワケが分からない。
なんで興味を持ったことが、そのまま仕事にしようと思えるのか。俺は興味なんて持ったところで、その中身や仕事内容にまで頭を働かせられるのか? 少なくとも、俺にはそこまでの思考能力はなかった。
興味があったって、そんなのはガワだけだ。ゲームをやってもゲームを作ろうとは思わないし、スマホを触ったってスマホを作る仕事に就こうとは考えない。
結局のところ、興味が仕事への起因になる人は、俺とは全く脳の構造が違うのだ。そうとしか思えない。趣味を仕事にするとか、興味が仕事に繋がるとか、そんなのは俺の中にはないのだから。まず、難しそうと考える。知識を身に付けるのが大変そうとか、そこに至るまでのお金が結構掛かりそうだとか。費用ばかりが先を行って、やりたい気力を削ぐ。それに比べて、優斗みたいな人間は費用対効果を無視して突き進んでいく。理屈じゃないんだと思う。だけど、理屈でしか生きられない人間は、そういう理屈を無視して進む人が凄まじく嫌いだ。
なんで俺は一生懸命やって小当たりするぐらいの成果しか出せないのに、優斗たちはがむしゃらに突き進んで大成功するのだろう。そりゃ努力量が違うのだろうけど、単純に嫉妬することしかできない。しかもその成功が次の成功に繋がるのだから頭を抱える。俺たちは淡々と成果を出し続けて評価してもらうことしかできないのに。
「…………帰りたいな」
帰りたい。故郷から、さっさと離れたい。こんなところにいたら俺はマイナスなことばかり考えて動けなくなってしまう。
俺は、俺自身が大嫌いだ。
故郷から逃げるように都会へ出て、怖くて故郷に帰ることができなかった自分自身が嫌で嫌で仕方がない。
そんなだから故郷にはトラウマしかないのだ。
そんなだから、マイナス思考なのだ。
そんなだから、駄目人間なのだ。
「くそ……ここにいるよりさっさと出た方がマシだな」
俺は、俺にとっての実家なのに、俺の居場所が無くなっている部屋からそそくさと逃げ出した。