いわくつきの目隠しくじ
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巨木が茂る森の中は、ぼんやり発光する葉っぱが頭上を照らしている。短い草や木の根元に生えているきのこも仄かに発光していて、森の奥へ行けば行くほど幻想的な風景が広がっていた。
王様が住んでいそうな、いわゆる宮殿のような塔が立っているあの建物までそれほど距離があるように見えなかったからこうして森へ入ったわけなのだが。すでに小一時間は歩いているのに、まだ辿り着けないでいる。
迷ったんだろうと判断して来た道を引き返してみた。だけど進めど進めど森の外に出られなかった。仕方なく適当なことろで踵を返してまた、建物目指して奥へと進んで行く。
出られなくても、目的地に辿り着けなくても。川を渡るためだ、諦めないし、へこたれないさ。
幻想的な発光する下草もきのこも、あまり感動をしなくなってきた。野生の動物もいないみたいだし、安全神話のような感覚を抱いてきた頃。
突如、巨木の影から飛び出してきた何かが行く手を阻んだ。
突然現れたから、驚いて後ずさった。しかもそれは人……ではなかった。
仕舞い切れない犬歯を見せつけた、青い肌の男の顔が御所車の側面にくっついて、ギョろっとした大きな目でこちらを訝しげに見ているのだから。
こんな森の中に御所車! しかも顔が青い!
じっと睨みつけられて、今にも食べられてしまうんじゃないかという妄想が頭一杯に広がった。
どうしよう、相手は人の形をしていない、けれど、顔がくっついているからきっと話せばわかるかも。
だとしたら、地獄の沙汰も金次第……が通用するかもしれない。
咄嗟にブレザーのポケットからあのブロマイドを抜き取り、頭上に掲げ。御所車の青い顔の人へ向かって叫んだ。
「これあげるから命だけは!」
すると、御所車が軋むような音を立ててゆったりと動き。気が付けば御所車は目の前にいて、顔の横から生えている男らしい腕が伸びてくる。そしてブロマイドをゆったりと取りあげた。
「お前、これをどこで」
警戒心の薄れた様子の御所車さんは、ブロマイドをまじまじ眺めて言った。
御所車さん、普通に話せるのね……!
そんな事に感動する私は、往来にあった駄菓子屋で買ったのだと打ち明けた。
「あぁ、あわはらで買ったのか。あのばあさん偏屈だっただろ」
にっと笑った顔は屈託のない笑みで。けれど犬歯がかなり伸びていて威圧感がある。
「んん、まぁ……はは」
交換して欲しくて粘ったことを思い出すと、御所車さんの言葉も頷けたけれど。商売なんだから仕方がなかったのかなとも思うから、曖昧にごまかした。
「で、船に乗れなかったわけだな」
突然図星を言い当てられて、驚いた。
「なんでわかるの」
「お前まだ若いから、渡し賃しか持ってなさそうだ。なのにこれ、買ったんだろ? あわはらのばあさんにケツの毛全部抜かれたってところだな」
「……お尻は不毛の大地になってるかも」
何も知らなかった、は言い訳にならない。取り返しの付かない無駄遣いをした事を御所車さんに話したって、お金は返ってこないから。ただ自分の過ちを悔いていると、御所車さんは言った。
「俺ぁ清兵衛。見てのとおりアヤカシだ。お前は」
「私はあおい。人間だよ」
すると、清兵衛さんは怪訝そうに言った。
「妙な事を言うなぁ。あおい、お前は人間だった、だろ?」
「だった?」
すぐさま聞き返せば、彼は困ったように眉を寄せた。
「気づいてないのか、こんなところまで歩いてきたのに」
「何に気付くの? 私はただ船に乗せてもらおうと思ってたんだけどお金がなくて乗せてもらえないから、森の中に見えたお屋敷へお金を貸してもらおうと思って歩いてきただけだよ。あ、もちろん家に帰ったらしっかりお金は返すし」
「いやいや、そういう問題じゃない。お前は死んだ、船で渡れば審判があって、結審したあとはあの世への直行便が待ってる」
「死んだ? あたしが? まさか。こんなピンピンしてるのに」
体操をしてみせると、清兵衛さんは大げさな溜め息をついた。
「死んだときのこと、覚えてないみたいだな」
「死んでないから覚えてるわけないじゃん」
「まーったく、お前ってやつは」
呆れかえる清兵衛さんだけど、さっきからちょっと気になってた事があるわ。
「あおいだから。お前じゃなくて」
お前って言わないで。私にはちゃんと名前があるんだから。
「あー悪ぃ、あおいだな。で、だ。宮殿へ行って金を無心しようってか? その見上げた根性気に入った。来いよ、寝るとこないんだろ」
御所車の清兵衛さんは、私の返事も聞かず。大きな車輪を動かして森の奥へ進み始めたから素直に後へ続くことにした。ほかに行くあても無かったし、迷子だし。
「これ、返しとく」
途中、清兵衛さんはあのブロマイドを返してくれた。
「ありがとう」
「知ってるか、あわはらのブロマイドは運命の者を引き当てるって有名で、若いやつらの間じゃ結構人気なんだ。休日ともなれば大行列なんだぞ」
「そうなんだ……でも私、この人知らないんだ、夢の中で会うだけ。夢の中の人が運命の人だなんて聞いた事ないからその噂、眉唾かもよ? だって彼は空想上の人だもの」
「空想だと思ってんのか? そこに写ってるのに」
「実際に居たとしたらぞっこんになっちゃうかも知れないから。会わないほうがいいかもっていう予防線張ってみた」
「はは、まぁ実際会えば誰もが惚れ込むだろうな」
「でしょ! イケメン中のイケメンだもん。あのブロマイドの表紙よりも、遥かに……」
改めてまじまじと見れば見るほど、賢そうな面立ちに勇気のありそうな強い目元、威厳のある佇まいは、写真の中、しかも平面なのに、背中をそわっとさせる。
「既にぞっこんか?」
「んー……引き当てたのは運命だって思ってる」
「やっぱ運命感じてるんじゃねぇか」
「そうねぇ、びんびん感じてるかも」
顔を見合わせ、二人で笑い飛ばした。