虚しさのリフレイン
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後悔先に立たず。
そんなことわざがあったような。
それってまさに、今の私だ。
いつの間にか夜の帳が下りていた。空には星も見えないし、月も無い。
それでも町を抜け、一本しかない道を人の波に混じって進んでいられたのは、道端に生えている木々がぼんやり発光しているからだ。
種類の違うどの木も淡い黄色に光っていて何とも不思議な光景だ。光る木なんて見た事がない。
しかし、それらは酷く驚くような事柄として受け止められなかった。ああ、光ってるんだな。という程度だ。周りの誰も驚いていないから、これは普通の感情なのかもしれない。
発光する木々に導かれてやってきたのは川岸だった。角の取れた石がごろごろしている向こうも蒼白くぼやっと発光していて、川のせせらぎの音が聞こえる。
川岸までやって来ると、その川幅に気が遠くなりそうだった。向こう岸が見えないからだ。
なみなみと水を湛えたたおやかな流れはやはり蒼白く発光していて、名も知らぬ川の雄大さを感じさせた。
歩いてきた人々は川に浮かぶ木船へ乗り込んで行く。
それを横目に、辺りを見渡した。
空は暗いし辺りも暗いけれど、川や木々が発光してくれるから全体の景色は何となく把握できた。
どうやらこちらの岸はこの一帯だけが開けているよらしい。百メートルも歩けば鬱蒼とした木々が茂る森が広がっていて、その向こうには天に突き刺さりそうな厳しい屋根の、それは大きくて豪奢な建物が発光する森にシルエットを浮かばせているのが見えた。
迫り来るような巨大なシルエットに圧倒される。恐怖さえ感じるほどに。
ねぇ見て、あんなところに大きな建物があるよ。と道行く人に話しかけたくなるが……誰もかれもが黙々と、船だけを見て乗り込んでいってしまうんだ。
船は定員になったのだろうか。船頭さんが長い櫂を操って川へと漕ぎ出していく。水面を滑るように船が進むと、哀調の歌が遠く聞こえてくる。
歌詞は聞き取れない。けれどなんて悲しい調子の響きなんだろう。
哀愁に胸を震わせ、遠ざかる船を見送った。
これからどうしたらいいのか、判断が付かなくて。帰るにしてもここが何処だか分からないから、意を決して通行人にここが何処なのか話しかけたけれど。ちらりと私を見るだけで船着場へ行ってしまうのだから。
川原の石に腰をおろして、しばらく人の流れと巨大な建物を交互に見ていた。体感的にとっくに一時間経過している。夕方よりも気温が低くなってきて、肌寒い。
そんな折、湿った風がそよりと吹いた。その瞬間に考えが降って来た、そうだ、すべての人が疑いもせず乗り込んで行く船なのだから私も乗ればいいのだと。そうと決まれば船に乗り込む列に並ばなくては。
期待に胸膨らませて並んでいると、いよいよ乗船の順番が回ってきた。
船に足を掛けようとすると船頭さんが手を出すから。足元が危ないから手を貸してくれるのだと思って手を乗せたら。
「おぉおぉ御譲ちゃん綺麗な手だね。って違う! お前の手は要らないんだ、ここに乗せるのは渡し賃だ」
笠をかぶって半被を着た顔の見えない船頭さんは私の手をペッと払い、ここに渡し賃を載せろといわんばかりに自分の手のひらを指でつついている。
「渡し賃?」
首をかしげた私に、彼は呆れたふうに腰に手を当てた。
「持ってるだろ、穴の開いた銭を六枚」
言われて思い出した。ポケットに入っていた見知らぬ小銭のことだ。
「……ありません」
ブロマイドを買うのに使ってしまったとは気恥ずかしくて言い出せず。事実だけ告げると船頭さんは黙り込んでいたが、突然ぱっと顔の方向を変え、私の後ろに並んでいた人に声をかけた。
「はいっ、次の人どうぞ」
途端に流れ始めた人の列に押し出されて呆然としたのも一瞬。怒りにも似た気概がむくむくと湧いてきた。
船に乗るまであきらめない!
ブレザーのポケットから先ほどのブロマイドを出して列に強引に割り込むと、船頭さんに迫った。
「これ、六文で買ったんです、これでどうにか、」
私に押しのけられた人の鋭い視線を感じながら船頭さんにすがると、彼はブロマイドを見もせずに鼻で笑った。
「どうせ妖怪のブロマイドだろ、ちり紙にもならない」
抜き取られてぽいと放られて。はらはらと水面に落ちていったブロマイドを慌ててキャッチした。
「何するんですか!」
不思議な男の子が濡れちゃうじゃん!
途端、先ほどまでアイドルのブロマイドと交換したかったのに。どうしてだろう、この時ブロマイドが異様に大事なものに思えた。
もう、こうなったら実力行使あるのみ。船頭さんに向かって突進する。諦めません、乗るまでは!
勇ましく振り上げるブロマイドは夢の中に出てくる私の想像上の男の子だと思ってたけど。こうしてブロマイドになるくらいなのだから、有名人に違いないのだ。
でも、テレビにも雑誌にも見た事がないな……
「お願いです、乗せてください!」
もう一度切り込んだけれど。
「銭がないなら渡れない、俺らはボランティアじゃないんだからな!」
顔の見えない船頭さんに肩を強く突き飛ばされ、その勢いで数歩後ろによろめいたら……石に躓いてバランスを崩し、盛大な尻餅をついた。
「いっつぅー……」
硬い石に乗っかったこの桃尻が悲鳴をあげている。
なにすんだこのやろう!
って、船頭さんをけちと罵りたい衝動に駆られるけれど……六文を使い切ってしまったのは私だ。返品も交換も効かない目隠しくじを買ったばっかりにこのザマだ。
後悔している間に船は漕ぎ出していく。船頭さんの哀調の歌が遠くに聞こえ、酷く虚しくて、悲しかった。
川原で脱力し、虚しさのリフレインをしていたけれど。究極の後悔をしてももう遅いという考えにたどり着く。
これからどうすればいいんだろう……
途方に暮れて見上げれば、発光する木々の向こうに佇むあの巨大な建物が目に入った。
お金ありそうだな、あの家に住んでる人。
まるでお城のような佇まいなのだから、お金がないはずがない。
お金か……あ、そうだ。
「貸してもらえばいいんだ。あのお城に行けば誰かいるら」
あんなに悲しかったのに。意気揚々、森へ向かって歩き出した。