のりちゃん、たばこもってる?
「のりちゃん、たばこ持ってる?」
気が付くと、折れた前歯の、黒ずんだ根元が視界一杯に広がっていた。
「持ってないよ。それにあたし、あおいちゃんね」
「あぁ~あおいちゃん。ラークの子」
焦点の合っていない瞳でふにゃんと笑う平岡さんを見て嬉しいような、悲しいような心持ちだ。
現世に戻ってきたのはわかっている。
夢を叶えるチャンスを貰ったのだからそりゃ嬉しい。
けど、
死なないと閻魔様に会えないと思うと……悲しすぎる。親を安心させるために閻魔様でない誰かと結婚して子供を授かって、具のない味噌汁みたいな人生を送るのだろうか。
「ラークじゃないから」
「じゃあパーラメント」
「ラッキーストライクでもセッターでもマルボロでもマイセンでもわかばでもエコーでもゴールデンバットでもホープでもピースでも無い」
「んじゃぁ……ハイライト?」
「ううん」
「JPS」
「残念」
「んじゃーね……」
平岡さんが考え込んでいるうちに押しボタンを押して。それから彼の履いているニッカポッカのベルトをぎゅっと掴んだ。
これなら飛び出すまい。
歩行者信号が変わり、平岡さんと左右を確認して歩き出す。
「ラーク」
「ぶぶ。さっき出た」
「フィリップモリス」
「違うな」
「じゃあメンソールかな。クール」
「ふふん、違う」
「えー、なんだろう? あ、ピアニッシモ」
「そんなに乙女じゃないかも」
「だよね」
「納得しちゃってるし!」
渡る間もたばこ当てクイズは続いて、その間は閻魔様と会えない悲しさを幾分、紛らわす事が出来た。
平岡さんと別れて間もなく、悲しくてどうしようもなくなっていた。
そのままエスケイプしてみよう、そんな気分になって。学校近くの公園でブランコに腰を下ろせば手は勝手に胸のポケットをまさぐった。
写真の感触があって、取り出した。駄菓子屋で引き当てた目隠しくじのブロマイドだ。この世でたった一人と認定したイケメンが写っている。ライトノベル風のあの写真は攫われた時になくしてしまったから、思い出を一枚持ち帰ることができただけでも……そんなことを考えると鼻の奥がツンとしてしまう。
学校の予鈴が聞こえてくれば、私って妙に真面目なんだな、ブランコを降りて学校へ歩き出した。
⁂
相変わらず賑やかな教室へ一歩入り、すぐに感じた。教室がそわそわ感に満たされていることに。
席に着くと早速、前の席の男子が教えてくれた。
「転入生が来るんだって」と。
教室は転校生の噂で持ちきりだった。
当たり前だけど、私が死んで先程舞い戻ってきたことなんが、誰も知らない。
いつも通りの、退屈な一日の始まりだ。
一番後ろの窓際の席で頬杖をつく。朝日がきらきら眩しいけれど、特に感想は無い。
思い出すのは黄泉の国の朝だ。本当に美しかった。朝露に湿った美しい森の中を閻魔様が散歩を楽しむ姿が、鮮明に思い出される。
―会いたいよ、閻魔様
切り取られた景色を眺めて、胸の中で呟いた。
朝の会が始まり、先生に連れられて誰か入ってきたらしい。教室が途端にざわついたから、転校生だろうと思う。確認するまでもない、窓の外の景色の方が今は大事だから。遠くの町並みは霞んで、更に向こうの海をぼんやり眺める。転校生なんか、特段気にならない。
「安倍ヤスナ君だ」
先生の紹介で、女子の色めき立った声が聞こえる。格好いい、素敵、イケメン、などのささめきも、私にはどうでもよかった。閻魔様より格好良くて素敵でイケメンなんて、存在しないのだから。
誰の声も右から左で通り過ぎて行く。今は景色を見ていたい。
すると、前の席の男の子に腕を叩かれた。
「んー、なにぃ」
霞む海原から視線を戻すと、前の席の男子は興奮した様子で言った。
「あおい、転校生がお前を見てる」
「んなわけない――」
鼻で笑って教室へ首を戻すと。クラスの皆が私を凝視して驚いた。
「……じゃん」
みんなの視線が刺さる事。特に女子の視線が痛かった。
こちらを見たというだけでむきになるほどのイケメンは一体どれほどのものか。見てやろうじゃないか。
ちらりと見やり。
瞳は淡い褐色、美しい黒髪を前髪長めのツーブロックにした閻魔様似の男子なんて、閻魔様に比べたら大したこと――
「って、ぇえ?」
肌は赤みがかかっていないものの、転校生は閻魔様にそっくりで。思わず二度見する間も、転校生はこちらをじっと、やさしい瞳で見つめている。
「どぉも……」
口から出そうなほど暴れる心臓を飲み込んで、務めて平静を装って会釈をしたけれど。彼はやはり、タダじぃっと、優しい瞳をこちらに向けているだけ。
意志の強そうな目元、通った鼻筋。佇まいは威厳があって、
その整ったお顔は忘れるはずの無い閻魔様に似てる。見れば見るほど閻魔様に瓜二つだ。さっきまで一緒にいたし、口付けだってしたんだから……間違えるはずがない。
でも彼が現世に現れるなんてありえない。だって彼は黄泉の国の主なのだから。今頃黄泉の国で散歩をしているだろう。
ということは、ヤスナ君は他人の空似だ。この世の中には自分とそっくりな人がいるって聞いたことあるし。
教室内に渦巻いている、色んな感情を映した瞳から逃げるように窓の外へ視線を巡らせた。
すると隣の席の男の子は突然立ち上がり、一心不乱に荷物をまとめはじめて驚いた。朝の会始まったばっかりなのに、帰ろうというのだろうか?
「加藤君、どうしたの? 急に荷物まとめて……」
恐る恐る問うと、加藤君は。
「俺、あっちの席に移る。じゃぁな」
そう言って廊下側の一番後ろに用意されていた空席へ、そそくさと移ってしまったではないか。
帰るわけではない様子にほっとしたけれど。突然席を移るなんて言い出す心理が良くわからなくてきょとんとしていると、ヤスナ君がいつの間にか隣の席の椅子を引いていた。
「俺ヤスナ。よろしく、あおい」
近くで見れば閻魔様にそっくりで口が開いたままになってしまう。
声まで閻魔様に似てるなんて、世の中には不思議な事もあるんだな。それに……どうして初対面なのに私の名前を知っているのだろう? 謎は深まり更に口が開いてしまう。
もしかしてあなたは、
「えん――」
口を開いた瞬間、彼は人差し指を自分の唇に当て、小さく首を振る。続きを話してはいけないよとゼスチャーで告げられ、咄嗟に口を噤んだ。
そんな私を見下ろしていたヤスナ君は微笑んで。椅子に腰掛けると胸のポケットから何か取り出した。
「わすれもの」
手渡されたのは一枚の写真。
そこにはイケメンが二人と私が写っている。ライトノベルの表紙みたいな構図が滑稽だった。
「これ――」
影に攫われたときに落としてしまった、閻魔様が撮影してくれた写真に間違いなかった。黄泉の国へ行くその日まで目にすることは無いと思っていた宝物を差し出されて、驚かないはずがない。
「宝物だろ」
声に導かれて顔をあげれば、優しげな笑みがあった。
了。
→→→エピローグに〜ゴーゴーゴー→→→