はぐれ魂
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翌朝。
今日は閻魔様の出勤を狙ってお近づきになる作戦だ。ぴかぴかのきぬ豆腐が入った桶を抱えて、彼を待った。
「結構似合ってんな、その格好」
茂みに身を潜めているユージンは今日も私の写真を無許可で撮りまくっていたが、今日は衣装が似合っているといって事ある毎に褒めてくれるのだ。
ユージンに褒められる今日の衣装は、噂の太山府君対策のためだった。
この太山府君なる人物を友の会全員が恐れているようだった。「いってみなくちゃわからない」の一点張りで詳しく教えてもらえなかったけれど。変装をしなくちゃならない事情とは……?
雷蔵さんの手ほどきで変装を施したから、誰がどう見ても寸分の隙も無いほどに私は妖怪だった。と、その時。ざ、ざ、と勇ましくした草を踏みしめる足音が二人分聞こえる。
「来た……!」
目から下を薄い布で覆っているから昨日突撃した私とわかってもらえないかもしれないが……でもやらねば。閻魔様に出会える機会はこの時しかないのだから。
現れたのは細身で長髪、長い刀を腰に挿し、感情の無い三白眼に切れるような冷たい雰囲気を湛えた男と、その後ろを歩く麗しの閻魔様だった。
「おはようございます、あの、これ、閻魔様のために腕によりを掛けて作りました、豆は自家栽培、水は地下からくみ上げる天然水、にがりは果ての海で――」
今日は遠慮しないぞと決めていたから、ずかずか歩み寄って行くと。氷のような眼差しの男、きっと太山府君が行く手を阻んだ。
「採取した海水から作りました。おやつにどうぞと夜叉丸が」
おやつ、といった瞬間。こちらを見ようとしなかった閻魔様の瞳がこちらへ向いたから、もしかしたら受け取ってくれるかも知れないと淡い期待を寄せた。が、目の前の男、太山府君に桶を薙ぎ払われてしまった。
「ああっ!」
桶はひっくり返り、ぴかぴかのきぬ豆腐が宙に投げ出されて落下していく。夜叉丸の想いがこもったお豆腐を地面に落下させたくない一心でお豆腐へ手を伸ばすけれど……それも虚しく、真っ白のお豆腐は下草の上で砕け散った。
「なんて酷いことを!」
太山府君を睨み据えるけれど、当の本人は何の感情も無いといった風に立ちはだかっている。
「この、……妖怪でなし!」
人でなし、というのは間違えているから。
けれど罵ったところで豆腐はもう元に戻らない。
太山府君の後ろにいる閻魔様も冷たい目で見下ろしているだけだ。そしてふいと瞳を逸らし、無言で去っていった。
足音が聞こえなくなって、後ろの茂みからユージンがやって来た。
「あれが太山府君だ。いってみて、わかったか」
「うん、いってみてわかった。閻魔様の冷たい視線は今に始まったことじゃないけど……もうひとり増えたか……もしかしてアレは帰りも閻魔様と一緒なの?」
「一緒だ。秘書だからな」
「帰りも一緒かぁ……鉄壁の防御じゃん」
「だから俺らは近づけなくなったんだ」
「なるほどね。手塩にかけた想いもくず同然って事か……すっごく悲しい」
足元で潰れている豆腐が涙で滲む。でもここで泣いちゃ駄目。負けるわけにはいかない。決意新たに涙をぐっと堪えて顔をあげる。
でも、閻魔様の帰宅時に押しかけるのはやめたほうが良さそうだ。
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渡し船に乗り込むと、太山府君は言った。
「先程の無礼者、妖怪の皮を被ったはぐれ魂でしたが。捕まえなくてよろしいのですか」
「今は季節の変わり目で業務多忙、手が回らない。だが機を見てなんとかする。害もなさそうだしな」
「……承知いたしました」
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夜叉丸は今日のアタックの顛末を聞いても、あまり悲しそうじゃなかった。
「太山府君の仕打ち、慣れちゃってるかも。でも、もう目の前で豆腐が壊れるのを見るのが嫌なんだ、あおいに嫌な役させちゃってごめんね」
と言って逆に謝られてしまった。
夕食が終わると、からかさお化けの次郎さんはギター片手に歌を聞かせてくれた。
『ねぇ 傘に入りなよ
君が濡れないように 僕が守ってあげる』
静かなメロディーなのに、聴いた瞬間に圧倒されて鳥肌が立った。閻魔様と次郎さんのことを歌っているとすぐに分かった。しっとりした調子の歌は心にじんわりしみていった。
歌が終わるとみんなの拍手が沸き起こった。フェスのトリを飾るシンガー、次郎さんの実力は本物だ。心からの拍手を贈りたい。
ありがとう、と頭を下げた次郎さんは私の隣に腰をおろした。
「本当に素敵な歌だった、次郎さんの声も素敵だし、自然体で歌ってるのがたまらなかった」
思ったことを素直に伝えると、次郎さんはありがとうと言って笑った。
「俺が必要なくなってから、閻魔様は休みなく働いているんだ。閻魔様に休みを取って欲しい、でも鬱陶しがられたくなくて勇気が出ない。そんな想いをこめて歌にしてアヤカシの心はつかめても……閻魔様の心はつかめない」
段々肩を落とす次郎さんに同調して頷いていると、彼は突然顔をほころばせた。
「でもね、アタックするあおいに付いて行って虎視眈々と雨の気配を伺いたいんだ。雨が降ったら俺の出番だと思うと気持ちが逸っちゃって。雨が待ち遠しいよ」
切り替えの速さに驚いていると、正面に座っている塗り壁の昆さんがボソッと言った。
「おれ じっと 見守りたい」
どうやら、閻魔様のことをじっと見守りたいということらしい。
すると今度は黒い影の雷蔵さんが言った。
「俺は友の会では新参者のほうなんだけど、夢はでかいぞ。閻魔様に化けてみたいんだ。けど恐れ多くて出来なくてさ。だから閻魔様に許可をとりたいと思ってる。……けど、それも恐れ多くて出来ないでいるんだ、だからあおいが閻魔様に恐れ知らずでぶつかって行く様を、格好いいと思った……あおいはほんとすごいよ。尊敬する」
「そ、そういうことにしておこうかな、あはは」
尊敬までいただいてしまったが、現状、閻魔様が一人でない時に接近することが難しい。これは遭遇できる確立がぐんと減ったことになる。あの太山府君のガードさえなかったらいいのに。
在るものを無いことにするのは難しいのはよくわかってる。太山府君を消し去るなんて不可能だ。
そうだなぁ、どうやったら閻魔様に近づけて、振り向いてもらえるか……
六文で引きあてた、あのブロマイドを眺める。閻魔様の凛々しいお顔……もう一度会いたい。ひとこと交わしたい。できればお友達になれたら最高だ。
……その時、いい案が天から降ってきた。
思わずほくそ笑んでしまうくらいの妙案だった。
「んふふ、いい事思いついた」