職務質問
街を歩いていると、パトカーが視界に入った。やましいことなど何もなかったが、つい目を逸らしてしまった。すると、パトカーが通り過ぎた後、前方で停車して、降りた警察官が僕のほうへとやってきた。
「君、ちょっといいかい?」
「え、何ですか?」
「いや、ちょっと職務質問というかね……」
それって任意ですよね? 嫌です。僕は忙しいんです。また今度にしてください。
……なんて、もちろん言えるわけなく。
「はあ……」
と、間の抜けた声を出すだけだった。僕は国家権力に弱いのだ。というか、気が弱いので他人に対してあまり強く言えないのだ。
僕の言葉を了承だと受け取ったのか、警察官は質問を始めた。
「君、職業は?」
「ええと、いわゆるニートというやつです」
「なるほど、無職ね」
言い直さなくても……。
「今さ、すれ違ったときに目逸らしたよね? 何かやましいこととかあるのかな?」
「いえ、ないですけど……」
「けど?」
「パトカーを見ると緊張して目逸らしちゃうんです。こう、とっさというか……。ああ、ですからやましいことは何もないですよ。その……働いてなくて税金とか年金とかをおさめてないことを除けばきちんと生きているつもりです」
「万引きとかもしたことない?」
「ありません」
「なるほど、真面目だね」
警察官は言った。
「ええと、身分を証明できるものとか持ってないかな? マイナンバーとか運転免許証とか……」
「保険証でいいですか? それくらいしか持ってないので……」
「マイナンバーカードは?」
「まだ申請してないんです」
「あら、そう。作っておいたほうがいいと思うよ」
「はあ……わかりました」
僕はバッグから財布を取り出して、健康保険証を渡した。警察官はそれをさらっと見ると、すぐに僕に返した。
「ああ、後、荷物検査させてくれないかな?」
「わかりました」
一瞬、『拒否させてもらう』と言ってみたくなったが、もちろんそんなことは言わない。変な物とか別に入ってないし、検査されても構わない。
警察官は手袋をはめると、「ふむふむ」と言いながら僕のバッグの中身を見て、僕の体を触って変な物が入ってないか確かめた。
「本がたくさん入ってるね」
「本が好きなんです」
「俺も学生時代はけっこう本読んだんだよ」
真夜中に警察官と本の話をするのは不思議な気分だった。
何分か話した後、
「長々と職務質問して悪かったね。それじゃ」
と言って、パトカーへと戻っていった。
なんだったのだろう?
それにしても、警察官は大変だな。夜中に怪しげな人物に職務質問したりしなければならないのだから。コミュニケーション能力が欠如した僕には、知らない人に声をかけるなんてできない。僕は警察官にはなれないな、などと思いながら家に帰った。