プロローグ
例えば、俺のアイデアが採用されなかった時。
例えば、目指すものの姿が見えにくくなった時。
ふとした瞬間に空を飛びたくなる。
空を飛ぶという行為が、人間に何をもたらすのか。それはきっと、物心ついている人間なら理解しているはずだ。
人間は空を飛べない。空を飛んだら死んでしまう。
それでも俺は。
「空を飛びたい」
ポツリと放たれた言葉は空気に溶けていく。夜の更けた公園で、俺に返事をする者はいない。
「ま、所詮無理だけどな」
俺の気持ちが空を飛ぶ方法は、手の中で弄んでいる紙飛行機のみ。
俺の設計で作った最強の紙飛行機がどのくらい飛ぶのか。それが、明日までの課題だった。
「さっさと飛ばして帰ろう。明日も朝が早い」
20を超えた男が紙飛行機の飛距離を測っている姿を見られるのが嫌でわざわざ夜を選んだんだ。誰もいない内に課題を終わらせよう。
「せーの!」
紙飛行機を振りかぶり、自分の掛け声と共に手から解き放つ。
風に乗った飛行機は鮮やかに天へと駆け上がった。夜の空気を裂く真っ白な紙飛行機は、金色の月によく映える。
反対側の草むらに落ちていったのを見て、俺は自分を自画自賛した。
「うっし! 推定50メートル!」
最高記録に、思わずガッツポーズを掲げる。こんだけ飛べば、課題も合格が貰えるだろう。
「さて。取りに行って帰ろ」
紙飛行機を飛ばしたベンチから、反対側の草むらまでゆっくり歩く。
空を見上げると綺麗な満月が俺の真上を漂っている。その美しさに、俺は心の中で懺悔した。
さっき飛ばしている紙飛行機を見ながら思ってしまった。羨ましい、と。
「あれ?」
草むらを掻き分けると、そこには女の子が立ちすくんでいた。手には、俺の紙飛行機が収まっている。
長い髪の毛をはためかせ、紙飛行機をぼんやりと見つめるその姿は、まるで月から来たかぐや姫のように美しかった。俺と同い年くらいに見えるのに、細い手足が儚さを際立たせる。
「あ、あの・・・。それ、俺の・・・」
堂々と言えばいいのに、なぜか俺の言葉は口の中を行き詰まる。
「これ、あなたの?」
「あ、ああ」
「すごい!」
「え?」
突然に輝き始めた彼女の瞳から目が離せない。
キラキラと月の光に反射して、まるでダイヤモンドが埋め込まれているみたいだ。
「すごいよ! これ! だって、あそこからここまで! こんなに飛ぶ紙飛行機初めて!」
「そりゃどうも」
褒められて嬉しいのに素直に出せない俺の天邪鬼さを、この時ばかりは呪った。
「ねえ! なんでこんなにすごい紙飛行機を作れるの?」
「大学の課題なんだ。航空工学科。それは、長く飛ぶよう、俺が本気で設計した紙飛行機」
そう。長く飛ぶことを目的とした紙飛行機は、紙くらいの軽さならば耐えることが出来る。
でも、鉄の塊となると話は変わる。滞空時間、速さ、重さ、操縦士の負担。全てを考慮しなければ、良い飛行機は造れない。
理想の飛行機を机上の空論だと却下された俺は、基本を省みるために紙飛行機を作る課題を出された。
「航空工学科! お兄様から聞いたことあるわ。飛行機を造る所だって。なら、あなたなら私の願いを叶えてくれるかしら」
「願い?」
キラキラした瞳が俺を見つめ返す。それは心臓を高鳴らせるのに十分すぎるほどの体験であったが、どうしてか俺の頭は冷えていく。
「私ね、空を飛びたいの」
その言葉は、さっき空気に溶けた俺の言葉と同じものだった。