第6話 二つを一つに
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フェロキア暦215年になった。ジレンが初めて《融合契約》してから9年もの歳月が流れたのだ。
それは俺が33歳になったことを意味する。30歳になったばかりのときは、「30歳になったといっても大して変わりないな」などと思っていたがが、この頃になると老いを意識せずにはいられなかった。
たとえば、一晩寝ても体力が回復しない。肉を食べ過ぎると胃がもたれる。未だに十代のような若さを保っているシスター・ノアがうらやましいと思えるほどだ。彼女にはエルフの血でも混じっているとしか思えない。
ティアナは13歳になった。因果律は本来死ぬ運命にあったはずの彼女の生存を許したのだ。ティアナの生死が歴史に与える影響は小さいと判断されたのだろう。
シスター・ノアに育てられたからだろうか、ティアナもまた美しく快活に育った。年齢が年齢だけに、「来年にでもウチの息子の嫁に」という求婚の申し出があったことは一度や二度ではない。もっとも、ティアナに求婚があった旨を伝えると頑なに拒否されたものだった。
「絶対にイヤ! ジレッドもジレンもわたしがいないとダメなの!」
考えてみればティアナは小さいころから甘えん坊で、未だに雷が鳴る夜などは俺の寝床に入ってくるほどだ。一方でジレンが召喚術を学び始めたように、ティアナもシスターの力になるため、自分でできることを模索し始めていた。
シスターは日中いつも孤児院で働いているし、俺もジレンもやることがある。結果、もっぱら家の家事を担当するようになったのはティアナだった。まあ家事ができれば働き口もあるだろうし、俺やシスターも異存はない。ただ一点だけどうにかして欲しいこともあった。
召喚士が二人いる我が家では、毎日のように風呂に入れるという特権がある。それはいいのだが、ティアナが自分にできることを模索した結果、ある発想に行き着いてしまったのだ。
「ジレッド、お風呂入ろう! 背中流してあげる!」
初めてそんなことを言い出したのは6、7歳ぐらいだったか。当時は可愛いものだと思った“お手伝い”だったが、どういうわけか13歳になった今もそれは続いている。さすがにもう俺の方が気恥ずかしい。嫁入り前の娘がやることではない。
だがそもそも――冷静に考えるまでもなく、ティアナを他の男にやるのも癪である。結局、すぐにティアナに結婚の話をすることはなくなってしまった。
一方、ジレンは15歳になった。もう幼さは欠片もなく、身長も俺に届きそうだ。契約したノームもすっかり使いこなしていた。
「見ててくれジレッド!」
その日も、森に連れ出された俺の目の前で、ジレンは《大地の一打》の術を使って見せた。大地の精霊ノームによって投じられた石が、木をへし折る。
俺より早く召喚術を学び始めてるので当然ではあるのだが、明らかに俺よりノームを使いこなすのが早い。どうやらごく小さい範囲でなら、歴史というものは結構簡単に変ってしまうものらしい。
「見事だ。もう威力だけなら俺と遜色ないな」
「そうだろ!? 俺もあれだけ練習したからな!」
地水火風の精霊と契約を成功させたジレンは、すっかり一人前気取りだった。一人称も何時の頃からか“俺”になっていた。「あなたの影響を受けたからでしょ」とはシスター・ノアの指摘である。
実際、地水火風の召喚術が使えれば、一人の人間として生きていくのに困らない。ジレンも今やシスターに仕送りする立場だ。いよいよ昔の自分をそのまま見ているようで恥ずかしい。
だが召喚士として問題も生じていた。年齢を重ねたためか、すでに新しい精霊を感知することはできなくなっていた。これはすべての召喚士に共通することなので仕方ない。
だからジレンが15歳になった今こそ、俺は《過去転移》に伴う最大の実験をすることを決めていた。
「さてジレン。15歳になった記念だ、贈り物がある」
「え、本当か? 贈り物なんてこの魔晶片の指輪以来じゃないか。一体なにをくれるんだ?」
「まあ慌てるな、少し説明が必要だからな。いいか、おまえが契約できたノームやウンディーネは下位精霊に分類される。下位がいるのだから、当然上位精霊もいる」
「知ってるよ。でも俺やジレッドが持ってるような小さな魔晶片じゃ探し出せないんだろ?」
「そうだ。もっと大きな魔晶片――これを魔晶石と呼ぶんだが、各国が厳重に管理しているせいで、おいそれと入手できるものじゃない。もっとも、大地の上位精霊タイタンを感知するには、まず自分の魂を大地の属性に慣らさなければならないと言われている」
「ようするにタイタンを感知したければ、ノーム数体と契約を交わす必要があるってことだろ? 無茶な話だよな、召喚酔いがある限り」
ジレンの言う通り、召喚士が一代で上位精霊と契約するのはほぼ不可能なのだ。ごく稀に特定の属性と極めて相性がよく、上位精霊と契約できる召喚士もいるが、少数の例外に過ぎない。
「だが方法はある。召喚士は一代ではなく、先祖代々何百年にもわたって召喚術を極めようとしてきた。実力のある召喚士同士を結婚させ、生まれた子に親の能力を引き継がせる方法があるんだ」
「聞いたよ。親子で一緒に《霊魂化》して、子が親に《融合契約》を行うことで力を引き継ぐ……って話だろ?」
「その通りだ。召喚士になって数年も経てばそれぐらい学ぶか」
召喚士は魔晶片を使うことで、自分の魂を異界に飛ばすことができる。《霊魂化》と呼ぶ術で、ようするに一時的に自分を精霊と同じ存在にするのだ。
そして遠い昔、《霊魂化》できる以上、人間同士の《融合契約》も可能ではないか――と考えて実行した召喚士たちがいたという。
もちろん、最初は失敗した。相性のいい精霊としか契約ができないように、他人同士では効果がなかったのだ。だがすぐに、血の繋がりがあれば、最大で5割ほどの力を引き継がせられることが分かったのだ。
血の繋がり。ようするに親子や兄弟であることだ。たとえば親であれば子に最大で5割の力を引き継がせることができる。兄弟の場合はかなり特殊で、まったく引き継がせられない場合もあれば、かなりの割合で融合できることもあるらしい。
つまり夫と妻がそれぞれ100の力を持った有能な召喚士であれば、その子に50と50、合計100の力を引き継がせることができる。その子が育ち、別の召喚士と結婚すれば、さらに優秀な召喚士が生まれるという理屈だ。だからこそ歴史ある名門召喚士の一族は凄まじい力を行使でき、世界中で貴族として重く用いられているのだ。ロヴェーレ帝国に至っては皇帝が強力な召喚士だという。
「この中に面白い事例があってな。まったく同じ見た目の双子が《融合契約》を行ったんだ。その結果、どうなったと思う?」
俺の問いかけに、ジレンはキョトンとした。
「……どうなるんだ?」
「一〇割の《融合契約》が可能だったらしい。記録によれば、双子の弟が兄に対して《融合契約》を行たった結果、兄はこの世から綺麗さっぱり消え失せたそうだ。だが、消滅した兄の記憶を弟は完全に保持していたらしい」
一般人であれば信じ難い話だろう。だが何度も《霊魂化》と《融合契約》を体験してきた召喚士なら別である。
当然、ジレンもその一人だ。精霊と魂で結びつくという意味をよく分かっており、だからこそ少なくとも「そんな馬鹿な」と一笑に付すようなことはしなかった。
「不思議だけど、召喚士ならそういうこともあるだろうさ。でもジレッド、その話が俺への贈り物とどう関係あるんだ?」
「分からないか? 贈り物は俺だよ。おまえに俺のすべてをやる。俺と《融合契約》するんだ」
「ま、待ってくれ! どういうことだ、他人と《融合契約》はできないんだろ!? まさか、あんた……俺の父親なのか!? いや、シスター・ノアもティアナも俺とあんたがそっくりだってよく言ってたけど……」
「それはそうだな」
思わず笑ってしまった。この15年、「あなたたち、本当に親子じゃないの?」という指摘を何度シスター・ノアにされたか知れない。俺とジレンが似るのは当り前なのだから。
「俺とおまえは親子じゃない。俺はな、未来からやってきたおまえなんだ」
真実を告げると、ジレンは驚くでもなく先にぽかんと口を開けた。
「み、未来? そんな馬鹿な……」
「信じられないのも無理はない。とにかく《融合契約》してみればいい、それで俺の考えていることもすべて分かるはずだ」
「ほ、本気なのか!? いやでも、もし仮に……仮にだけど、本当にジレッドが未来の俺だとすれば、魂の相性は良い悪いどころじゃない、完全一致するはずだ。《融合契約》すれば本当に一つになるのもしれない。ジレッド、これはとんでもないことだぞ! うまくいけば……召喚術を極められるかもしれない!」
ジレンが歓喜さえ浮かべて叫ぶ。俺は思わず苦笑した。かつての俺と同じ反応だ。やはり歴史は繰り返すらしい。
「でも……待ってくれ。仮に考え通りだとすると、ジレッドは消滅するんだろ? そんなことになったら……シスターやティアナが悲しまないか?」
「……痛いところを突くな」
確かにそれは気にならないと言えばウソになる。この世界でシスター・ノアと共に過ごした時間は15年にもなるのだ。もとの世界では母親同然だった彼女だが、この世界では信頼できる相棒だった。苦労しながら一緒にジレンとティアナを育てたこと、彼女に綺麗な服を着せて共に街を歩いたこと、すべて今でも鮮明に覚えている。彼女になんの感情も持っていないわけがない。
「だが俺はいなくなるわけじゃない、記憶も能力もすべて若いおまえが引き継ぐだけだ。大体、まだ歴史を確定させるつもりもない。これからまた別の歴史が始まることになる……と言っても分からないだろうが」
「……いや、分かるよ」
ジレンは静かに言った。
「そうか、別の歴史が始まる……か。それがジレッドの目的だったんだな。そうやって召喚術を極めようとしたんだな。さすが未来の俺だ、考えることは一緒というか……。分かった、さっさと《融合契約》しよう」
まったく同じ人間だからか、あるいはこの15年で信頼を得ることができたのか。俺の突飛な提案を、こうしてジレンは受け入れることとなった。
俺とジレンは目を閉じた。まずは自身を《霊魂化》させる。つまり魂となって異界へ赴くのだ。
俺にとっては久しぶりの《霊魂化》だが、感覚は体が覚えていた。指輪についた魔晶片を通じ、異なる次元に魂が飛ぶと考えるのだ。
間もなく体の感覚がなくなったような気がした。自分の体から抜け出すような感覚もあった。そして俺の感覚は異界に飛ぶ。
異界は不思議なところだ。色の概念もなく、明るさの概念もなく、物理的な距離の概念もない。自分の体や地面があると思えばある気になってくるが、ないと思えばない気にさえなってくる。
だが感慨にふけっている場合ではない。《精霊感知》の要領で、すぐに何かの存在を感じた。この世界で誰よりも俺と相性のいい相手――ジレンだ。
(ジレン。俺の力をやる。受け取れ)
(……分かった)
俺とジレンが魂によって結びつく――というより、ジレンが俺の存在そのものを吸い上げようとしている。俺は抗うことなく、そのまま流れに身を任せた。
そして、俺は消滅した。