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6.後輩が侍女は知らないと言ったので


(……明らかにおかしくね?)

 彼はぽくぽくという愛馬の足音を聞きながら、規則的な足取りで街道を歩いていた。――出発前、確か後輩は『荷物を運んでもらいましょう』と言っていたはずである。

(おかしくね?)

 愛馬の上で後輩は機嫌よく鼻歌を歌っている。自分は地面を歩いている。


「イヴァリス、おいコラ」

「はい?」

 後輩の腰を小突くと、彼女はこの状況にまるで疑いを持っていないみたいな顔で振り返った。

「何故お前がネルに乗っているんだ」

「わたしはお荷物なのでネルに運んで貰います」

「楽をするためなら人間の矜恃さえも捨てるのか」

「何とでも言ってください」

 開き直った図々しさである。いっそ清々しい。えっへんと胸を張って腕を組む後輩を見上げてから、彼はため息をついた。



「ところで結局、あのご令嬢……何でしたっけ、ユーリアさんには何も言ってないんでしたっけ?」

 後輩は強引に話題を変える。彼は少し迷ってから「そうだな」と頷いた。

「説明は現地の騎士団がしてくれるだろ」

「そうですよね」

 後輩は唇を尖らせて空を見上げた。


「何だか可哀想ですね。いきなり『以前から馬車で魔物を密輸していた』だなんて知らされたら」

 確かに、と頷く。今まで自分が乗っていた馬車の座席下に魔物の毛皮や死体が詰められていただなんて、ゾッとしない話だ。


「あの二人は何も知らなかったんだろうしなぁ」

「少なくとも侍女さんは確実に何も知らなかったはずですし、お二人とも知らなかったんでしょうね」

 さらりと告げた後輩に、彼は「侍女?」と聞き返す。どうしてここで侍女の話が出るのだろう。


 後輩は「ああ、」と頷いた。

「あの人、多分、魔物の恐怖症です」

「恐怖症?」

 後輩は訳もないように首肯して、顎に人差し指を当てる。

「馬車を襲ったのが魔物だった、という話をした直後から、腕に蕁麻疹が出ていました。アレルギーかとも思いましたけど、それだったら馬車に乗っていた時点で症状が出ますし」


 後輩は遠くを見るような目をして、ふぅ、と息を吐く。

「恐らく心因性の恐怖症ですね。馬車の中に魔物の死骸が積まれているだなんて知っていたら、絶対に馬車になんて乗れませんよ」

「ふーん、よく見てるんだな」

「魔物って聞いた途端に顔色が悪くなってたので……」

 後輩は少しだけしょげたように肩をすぼめて苦笑した。なるほど、と彼は眉を上げ、後輩の背中を叩いてやった。



 歩いている間、ずっとモゾモゾモゾモゾ動いていた背嚢が、大きく揺れた。さっきまで寝ていた火狼の仔が顔を出したらしい。

 うなじに爪を立てられ、彼は顔をしかめた。右手を後ろに回してその首根っこを掴みあげると、火狼は不満げに唸った。顔の前まで持ってくると、火狼に鼻先を舐められる。


「おいこら、……お前はこれ、何だ? 寝癖か?」

 何度撫でつけても、額の毛が一部、ぴょこんとはねてしまう。変な癖のついている火狼である。二匹の内でもとりわけやんちゃな方だ。


(もう一匹のおとなしさを見習って貰いたいものだ)

 そんなことを思った直後、もう一匹も背嚢から頭の上までよじ登ってくる。容赦なく首を足場にされて、彼は思わず顔をしかめた。

「……いてて」

「案外人懐っこいんですねぇ」

 首の後ろを押さえながらため息をつくと、後輩はけらけらと楽しそうに笑う。


「……とはいえ、人に慣れ過ぎるのもあんまり良くないことかもですけどね。図らずも餌付けみたいになってしまって……人に近づくような子にはなって欲しくないです」

 つまみ上げていた火狼の頭を撫でて、後輩は苦く微笑んだ。


 頭の上では火狼が、裏返ったみたいな、下手くそな鳴き声を上げる。「何だお前、へたくそだな」と見上げると、後輩も「調子っ外れですね」と吹き出した。



 頭に一匹、右手にもう一匹。当然、ずっと連れている訳にはいかないのである。

「こいつら、どこで放すかな」

「もう少し人里離れたところが良いですね。この程度の距離、火狼なら簡単に嗅ぎつけることが出来るはずですし、すぐに見つけて貰えるはずです」

 後輩は笑顔で親指を立て、そのまま顔を強ばらせた。彼女が何を悟ったのか。一呼吸あとに察し、彼も頬を引き攣らせる。

「……簡単に、嗅ぎつけることが、出来る?」

「…………はい」


 彼は無言で頭の上から火狼を引き剥がした。首根っこを掴んでいたもう一匹も一緒に、地面へ下ろす。火狼は遊んで貰えると勘違いしたのか、その場で跳ね回りながらじゃれついてきた。――額の毛がはねたやつと、鳴き方が下手なやつ。

「違う! お前ら、親が迎えに来るより早くさっさと行け!」

 追い払おうと手を動かせば動かすほど、火狼は尾を振って楽しそうに鳴き声を上げた。遊んでない!


「おいイヴァリス、こいつらどうすれば良いんだ!?」

「知りませんよぅ! そこの枝でも投げてみてください!」

「よし分かった、……お前ら、行け!」

 道の脇に落ちていた枝を、大きく振りかぶって木立の中に投げ込む。二匹の火狼は転がるように走って、それを追いかけて行った。



 二匹は藪の中に飛び込み、きゃんきゃんと甲高い鳴き声が遠ざかる。

「ふう……やれやれ」

「焦りましたね」

 額の汗を拭って、それから彼は愛馬を促して再び歩き出した。

「次の街ってあとどれくらい……」

 後輩が話題を変えようとするように話し出した、直後。


 くいっとズボンの裾が引かれる。

「?」

 振り返って足元に視線をやると、枝を咥えて目を輝かせた火狼がいた。額の毛をぴょこんと立たせて、期待に満ちた表情で見上げてくる。隣では下手くそな鳴き声を上げたもう一匹がその場で小さく跳ねていた。ちぎれんばかりに振りしきられた尾は、残像が見えるほどである。

「ほァ!?」

 後輩が目を剥いて叫んだ。彼も思わず顔を引きつらせてその場でたたらを踏む。


 投げれば取ってくる。遊びの当然の摂理である。……いやでもお前ら犬じゃないじゃん!


「おい! どこかへ行け!」

 怖い顔をして怒鳴りつけると、火狼は低く唸って体を伏せる。が、その尾はぷるぷると振られていた。直後、足首を甘噛みされる。……違う! 闘いごっこじゃない!


 弱り果てて、彼は後輩を振り返った。

「イヴァリス、どうすれば良いんだ!?」

「魔物避けの笛……こんな小さな子には負担が大きすぎるし、」

 後輩は馬上でぶつぶつと呟いている。全く妙案が浮かんでいない顔である。



 ――そのとき、空気が変わるのを感じた。


 後輩がぴたりと口を噤む。ざわりと首の後ろが粟立った。彼は牽いていた愛馬の手綱を後輩に手渡す。

「……まずい」

「お出ましですかね」

 後輩は手綱を手に巻きながら声を潜めた。


「よーしお前ら、いい子だ」

 機嫌良さげに尻尾を振り回している火狼の背を撫でる。手を舐められた。悪いけどそういう状況ではない。


「ついてくるなよ、いい子だ……よし……そうだ……」

 道のド真ん中に立ち尽くしている火狼をじっと見つめたまま、ゆっくりと距離を取る。二匹はきょとんとした顔でこちらを見てくる。



「……見えなくなったら走るぞ、イヴァリス」

「はい」

 声を潜めると、後輩も肩越しに振り返ったままゆっくりと馬を進める。火狼はぽつんと佇んでいる。


 ――と、火狼が一度短く鳴いた。二匹揃って嬉しそうに走ってくる。

「ああもう!」と後輩が珍しくもどかしさを前面に出した声を漏らした。

「走るぞ!」

 声をかけて、彼は大股で地面を蹴る。隣では後輩が馬に合図を出したようだった。


「エド先輩!」

 直後、後輩が悲鳴のような声を出す。前を見やれば、道の中央に巨大な狼が待ち構えているではないか。彼は思わず額を押さえた。

「一匹か?」

「火狼は一匹で狩りをしません!」

 後輩は手綱を引く。彼も足を止めた。腰に火狼の子供が飛びついてきた。もう誤魔化せない。


「どういう状況だ?」

「恐らくは囲まれています。引き返しても無駄です」

「厄介だな……」

 愛馬が鼻を鳴らす。彼は腰に張り付いた火狼の仔を引き剥がすと、行く手に立ち塞がってこちらを睨んでいる火狼に投げた。親かどうかは分からないが、同じ群れの大人だろう。


 投げられた子供に鼻先を寄せ、火狼は低く唸る。引き下がる様子はなく、その目は真っ直ぐに自分たちを睨みつけていた。幼い火狼は訳が分かっていないように、二人の人間と成熟した火狼とを見比べる。



 後輩は、ゆっくりと身を伏せて顔を寄せてきた。

「……エド先輩、この辺りに水場はありますか」

 後輩が囁く。彼はすぐさま近辺の地図を頭に思い浮かべる。――この街道沿いには、川が流れている。

「この南だ」

「森の中ですか」

「ああ」

 言わんとすることは知れた。火狼は火にまつわる魔物である。水場では急激に弱体化する。後輩はそれを狙っているらしい。


 彼はしばらく考えこむように黙っていた。奥歯を噛みしめ、静かに火狼を見据える。火狼は後輩と彼を見比べるように首を巡らせたのち、彼の視線に応えた。

「イヴァリス、」

 彼は火狼と対峙し、目を逸らさないまま後輩の手に触れる。後輩は指先をぴくりとさせることで聞いていることを伝えてきた。


「しっかり掴まっていろ」

 彼は短く告げる。後輩が「え、」と声を漏らしかけたのを無視して、彼は鋭く手を打ち鳴らした。火狼が低く身を伏せる。愛馬は耳をピンと立てた。



「――ネル、蹴散らせ!」

 叫んだ、その残響が消えるより早く、聡明な愛馬は風のように走り出した。大きく飛び上がって、山道から森の中へと飛び込む。その背で後輩が「うわー!」と間抜けな叫び声をたなびかせた。


 彼は剣を抜き、愛馬を追うように森へ駆け出した。それまで姿を隠していた火狼が一斉に彼を追う。気配が見えた。

「せせせ先輩ぃ!?」

「喋るな、舌を噛むぞ!」


 短く叱りつけて、彼は振り向きざまに飛びかかってきた火狼を切り伏せる。ぎゃん、と狼は叫んで飛び退いた。剣を持ち上げる動きのままに腰を捻って、迫る牙を弾く。衝撃に踏ん張りきれず、その場でたたらを踏んだ。間髪入れずに背後から気配が近づく。屈んだ直後、首のあった位置でがちりと牙が噛み合わされる硬い音がした。


(多いな)

 内心で毒づき、彼は剣を鋭く突き出す。目を突かれた火狼はその場で絶叫した。

 林床を覆う柔らかい腐葉土に踵をめり込ませ、腕をしならせて剣を叩きつける。背後から飛びかかってきた火狼を屈んで避け、前に着地したその足を蹴りつけた。

「くそ、」

 行く手を阻むシダの葉を踏み倒し、彼は先を行く後輩の背を見据えた。横から飛びかかってきた火狼の前足を剣で払いのけ、近くの幹に手を触れて隆起した根を飛び越す。


「せんぱーい! うわー!」

 後輩は必死にネルにしがみついている。何とも気の抜ける悲鳴である。

 背に乗せている人間をよそに、聡いネルは全てを承知らしい。迷いのない足取りで火狼を蹴散らし、あるときは誘い込みながら巧みに群れを誘導していた。



(川まであとどれくらいだ)

 森の中を、火狼と人間たちが駆け抜ける。火狼の怒りはまだまだ収まりそうになかった。



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