5.後輩が救いたかったと泣いたので
「良かったー! もう最近、やたらと火狼の襲撃が多くて困ってたんですよぉ!」
どうやら下っ端らしき少年騎士が、両手で握手を求めてから放してくれない。
「火狼を殺せればまだ毛皮が使い道ありますけど、あいつら結構強いし、なかなか致命傷は与えられないじゃないですか。もーそれがまた小癪で!」
がっしりと手を握り込まれたまま、彼は駐屯所の窓口で立ち尽くした。
昨晩、馬車のところに来て隠蔽に走ろうとした御者を捕らえ、逮捕状込みで街の駐屯所に連れて行った。街に常駐している騎士と密輸組織との癒着を考えなかった訳ではない。
が、基地所属の騎士権限で逮捕状をつけておけば流石にもみ消せないだろう。逮捕状を発行した時点で、既に基地には連絡が行っているはずだった。
「基地に所属している騎士様ってやっぱりすごいんですね! おれもいつか基地に配属されてみたいなぁ! あ、そうだ! サイン頂けませんか!?」
何だかどこぞの後輩を彷彿とさせるノリである。だが後輩ではない。彼は返答に窮して黙り込んだ。あとサインはあげない。
ことのあらましは簡単である。名家の御者として元々雇われていた男は、密輸組織に声をかけられ、馬車に魔物の毛皮や牙などを隠して、国境まで運搬することを繰り返していた。
しかし今回の貨物には生きた火狼の仔が含まれており、――それを奪還するべくして火狼は馬車を襲撃する。そこに通りかかったのが自分たちである。と言うよりは、後輩と出くわしたのが運の尽きだったのだろう。
『明日馬車の中を検める』。その言葉にまんまとおびき寄せられた御者は、証拠隠滅のため夜中に馬車のところへ来た。そこを捕獲。簡単な話だ。
「サインはあげられないが、……いつか基地に配属されてくるのを楽しみにしている」
そう言って、握られた手を引っこ抜こうとした矢先、背後から慣れた気配がした。
「あ、いた!」
その声に、彼は慌てて振り返った。見れば、後輩が入り口から顔を覗かせている。駐屯所の窓口で話をしている後ろ姿を見つけたらしい。後輩は息を切らして入ってきた。
「どうしたんですか、一晩中帰ってこないから心配したんですよ」
「ん? ああ……そういえば」
徹夜で頭がふらついていた。後輩はぎゅっと眉根を寄せて、腰に手を当てる。
「昨晩はあの子たちの世話をわたし一人で見なきゃだったんですよ? 大変だったんですから……」
後輩は憤慨……というほどでもないが随分とへそを曲げているご様子である。元気がない。それをじっと見ていた窓口の騎士は、しばらく思案するように首を傾げている。
「男……女の人……?」と呟いていた彼は、ややあって「なるほど」と笑顔で手を打った。
「ご結婚なさってたんですね!」
「違う」
「ええ……子供が生まれたんならそろそろ責任取って差し上げた方がよろしいのでは?」
「あれは俺の子供の話じゃない」
「に、認知すらしないなんて……! すげぇクズだ……」
「……もう良い」
まるで話が通じない。事の発端である後輩は後輩で「何の話ですか?」と真顔で首を傾げているし。
……馬鹿に馬鹿をぶつけるのは徹夜明けの頭にキツすぎる。彼は額を押さえ、不思議そうな表情の後輩の腕を掴んだ。
「取りあえず帰るぞ」
「はい」
後輩は大人しく従う。ほとんど引きずるようにして連行しながら、彼は駐屯所の入り口で振り返った。
「またな」
「はい!」
大きく手を振ってきた少年騎士に小さく手を振り返して、彼は駐屯所をあとにした。
朝の空気を大きく吸ってから、後輩はこちらを窺う。
「先輩、昨夜はどこに行っていたんですか?」
そういえば後輩には何も言っていなかった。言えば、自分もついていくとごねそうだったから……つい。
(怒られるな)
直感で分かる。黙って犯人を捕まえに行っただなんて話そうものなら、それはもう大変に怒られそうだ。昨日『一人で突っ込むな馬鹿』と説教をしただけになおさら。
彼は遠くの空を眺めながら、ごにょっとぼかす。
「……ちょっとまあ、色々と野暮用で」
「わたし、先輩のそういう誤魔化そうとするところ嫌いです」
「うっ!」
胸が激しく痛んで、彼は思わず胸元を押さえてしまった。
***
昨夜のあらましを話すと、後輩はゆっくりと長い息を吐いた。
「……先輩、どうして言ってくださらなかったんですか?」
膝の上、腕の中、肩の上と全身に火狼の仔をまとわりつかせて、後輩は不満げな顔をした。
「悪かった」
素直に謝ると、後輩は「……先輩には先輩のお考えがあったのかもしれませんけど」と俯く。
――項垂れたその目が、突如として潤んだ。
(そこまで!?)
慌ててその肩に触れて顔を上げさせる。後輩は大きく見開いた両目の縁いっぱいに涙を震わせて彼を見返した。
「……エド先輩。わたし、助けられなかったんです」
涙は頬を伝わなかったけれど、その声は既に泣いていた。
後輩が抱いていた火狼を見た。息をしていなかった。その額に触れる。……冷たい。
「この子だけ、特に弱ってて、……でもちゃんとミルクも飲んでたし、きっと大丈夫だろうって思ってたのに、」
後輩は動かない骸に涙を落としながら、途切れ途切れに囁く。後輩の肩に乗っていた小さな火狼は、動かないきょうだいの体を繰り返し舐めた。
「少し目を離したら、もう……」
そこでついに、後輩は嗚咽を漏らした。――咄嗟に、手が出ていた。
「……ごめん」
その肩に触れ、火狼ごと抱き寄せると、後輩は身を竦めて頭突きするみたいに胸元に頭をつけてきた。
「ごめん。……一人で看取らせてごめんな、イヴァリス」
「いえ」と後輩は小さく頭を振る。彼女は腕の中の小さな体を、きつく抱き締めた。食いしばった歯の隙間から、泣き声が漏れた。
「ありがとうございます、……犯人を捕まえてくれて、本当に、ありがとうございます。わたしだったら感情的になりすぎていたかもしれないですから」
後輩は胸に額を押し当てて、静かに呟く。彼は後輩の背に手を回すと、ゆっくりと息を吐いた。小さな背中だった。彼女は体を震わせて頬を濡らす。
「わたし、魔法生物と人間が共存できる世界を目指して、騎士になったのに、……たった一匹の火狼すら守れないんです。――なんて無力なんだろう、」
「騎士は所詮、人間を守るための職だ。……辛いか」
後輩は答えなかった。ただ、無言を貫いた。
「辛いならやめちまえ。お前が輝ける場所は他にあるだろ」
「でも、わたしがここで退いたら、前線にいる人は誰も魔物のことなんて顧みなくなります」
後輩の言葉は揺るぎなかった。そこでふと違和感を覚える。
――あれ? こいつ結婚して国に帰るんじゃなかったっけ?
「……先輩だけです。エド先輩だけが、分かってくれた」
後輩が呟く。直後、その肩から火狼が頭の上へよじ登ってくる。突如として押し寄せた情報量に、浮かんだ疑問はあっという間に流された。
「どうして先輩は、魔物を殺さないんですか? 言っちゃ何ですけど、生き残ってたからってこの子たちを保護するなんて不思議です。街の中に入った魔物は問答無用で殺されたって不思議じゃないのに」
「何でって……別に、街を出てから森に帰せばいいだろ」
答えると、後輩は顔を上げた。思ったより顔が近い。いつの間にか後輩の背に回していた腕を自覚して、彼は慌ててのけぞる。
(何てことをしてるんだ、俺の馬鹿)
これから結婚するという後輩を抱き寄せるとか、ただの馬鹿である。後輩も負けず劣らずの馬鹿なので気にしていない様子だが、本人の夫にバレたらぶちのめされそうだ。まさか夫婦揃って馬鹿ではあるまい。
後輩は手の甲でぐいと涙を拭いながら、左頬に笑窪を見せて笑った。窓から射し込む朝日を浴びて、目尻の残滓が輝く。
「へへ、――わたし、先輩のそういう優しいところ、大好きですよ」
この馬鹿、と言いたくなった。胸の底がつきんと痛んだ。笑顔が大変可愛かったので、頭を小突いておいた。
***
「ええー! 歩きですか!?」
「文句言うな、まさかこんなに細身でか弱いネルに二人も乗せられる訳ないだろうが」
愛馬を撫でながら反駁すると、後輩は「ふーん」と唇を尖らせる。
「エド先輩、何だかわたしよりその子の方が大切みたいですね」
「当たり前だろ」
「うわ」
真顔で答えると、後輩はあからさまに引いた顔をした。何だか不名誉なイメージを持たれている気がしたので、彼は愛馬から目を逸らして後輩を見る。
「付き合いの長さが違うんだ。こいつは俺が子供の頃から一緒に育った大切な妹だからな」
「へえ……」
後輩は少し意外そうに頷くと、彼が撫でていた愛馬に向き直った。
「ネル、でしたっけ」
「ああ」
「なるほど」
後輩はネルの鼻先に手を伸ばした。素直な質の愛馬は後輩の手を受け入れる。「良い子だね」と後輩が相好を崩した。
「――じゃあ、ネルには荷物を運んでもらいましょう!」
びしっと親指を立てて、後輩はドヤ顔でそう言った。
「……何で?」
「だってわたし、この子たちを抱っこするのに手一杯なんですもん」
両脇にもぞもぞと動く火狼の仔を抱きかかえながら、後輩はしれっと言う。……まあ、確かに。
「……馬を引いて街道を歩くのか?」
「はい!」
「それめちゃくちゃ馬鹿っぽくないか?」
「ははーん、さてはエド先輩、案外世間体ってやつを気にするタイプですね?」
(うるせぇ)
彼は頭を押さえてため息をついた。少し仮眠は取ったがまだ頭がすっきりしない。
「……じゃあ、そうするか」
渋々頷くと、後輩はにっこりと笑った。