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4.後輩に何とかすると言ったので


 体調の優れない後輩をそこらの宿にぶち込んで、彼はその足で先程の馬車のところへ戻った。


(魔物の密猟、か)

 馬車の周囲に人がいないのを確認して、彼は再び馬車に足を踏み入れる。一旦は戻した座面を外し、中を覗き込む。進行方向向きの座席の下には幼い火狼の死骸が、反対の座席下には既に剥がれた毛皮が積まれていた。


 醜悪な光景に吐き気を催す。魔物に関する心得がそれほどない自分でさえ衝撃を受けるのだ、それが専門である後輩はどれだけショックを受けたことか。

(……置いてきて可哀想だったか)

 だがここに同伴する訳にはいかないだろう。今頃、後輩は宿の部屋で一人で蹲っているはずだ。そんな様子を思い浮かべて、彼は頭を掻いた。――早く戻ってやろう。



 だがこれで、街道での襲撃の原因は知れた。火狼の目的は十中八九これらだろう。思い返してみれば、数匹の火狼たちは後輩や令嬢たちを気にも留めずに馬車に頭を突っ込んでいた。

(復讐、か?)

 彼は腕を組んで馬車の中で立ち尽くす。……だとしたら全員で人間を襲いそうなものである。

『火狼は無駄な苦労を厭う』

 後輩の言葉が蘇る。……何か他に目的が?


 彼は恐る恐る、毛皮をめくった。底まで確認したが、特に何も変わったものはなさそうである。いや、毛皮を差し置いてという意味である。

 続いて、小さな狼の死骸が山になっている方に手を突っ込んだ。そっと掻き分ける。柔らかく冷たい肉の感触に、鳥肌が立った。


(可哀想に……後で葬ってやらなきゃいけないな)

 そう思って目を伏せた、その直後、

「あっつ!」

 指先に熱が触れた。思わず反射的に手を引っ込めてしまいそうな熱さだった。


(生きている!?)

 彼は目を見開き、手に触った熱源を引き上げる。片腕に抱くことが出来るような小さな狼が、弱々しく息をしている。

「お前……生きていたのか」

 弱った魔物の世話の方法なんて分からない。ひとまず上着を脱いでその上に寝かせてから、彼は他にまだ生きている火狼がいないかを探し始めた。



 見つかった生き残りは三匹である。たった、と言うべきか、それとも多少なりとも生き残っていたことを喜ぶべきか。彼は上着に三匹を乗せて包む。それを胸に抱き抱えたまま、彼は後輩の待つ宿へと急いだ。



 ***


「エド、せん、ぱい」

 扉を開け放つと、後輩は酷く弱った様子で枕から頭を上げた。

「イヴァリス、これを見ろ」

 彼は後輩が蹲る寝台に歩み寄り、抱えていた上着をそっと下ろす。中にいる火狼が見えるように上着を開くと、後輩は大きく目を見開いた。


「先輩、これって、」

「生き残りがいた」

「もう一度、見に行ってくださったんですか?」

「……別に」

 はっきり答えずに目を逸らすと、後輩は眉根を寄せて微笑む。


「……だいぶ弱ってますね、何とかしなきゃ」

 後輩は話題を変えた。それまでの意気消沈していた姿とは打って変わって、てきぱきと動き出す。

「先輩はそこの暖炉に火をつけてください」

「分かった」

 暖炉の脇に積まれている薪を放り込み、それから火打ち石を手に取る。……まさか春にもなって暖炉を使うとは思わなかった。


 火をつけて振り返ると、後輩は三匹の狼を抱いていた。ぐったりと力なく抱き上げられた火狼は、その腕に体を預けるがままである。

「ありがとうございます」と告げると、後輩はそのまま暖炉に歩み寄り、三匹を火の中に放り込んだ。


「おい!?」

 思わず目を剥いて制止すると、後輩はきょとんとした顔で振り返る。

「な、何してるんだ……?」

「体が冷えていたので……」

 さも当然のように応じた後輩は、しばらくしてから「ああ!」と手を打った。


「大丈夫ですよ、燃えませんから」

 後輩はぐっと親指を立てて、暖炉の中に転がっている火狼を指す。見れば、確かに小さな狼は火の中で薄らと目を開けていた。

「魚が水に溺れないように、火狼も火の中で焼け死ぬことはありません」

「そうなのか……」


 そうとは知らずに本気で焦ってしまった。気恥しさに頭を掻くと、暖炉の前にしゃがんだままの後輩は、にやにやと頬を緩めながら見上げてきた。


「先輩、まさかわたしが火狼の赤ちゃん燃やし始めたと思ったんですかぁ? うぷぷ」

 ……からかうように目を細める表情に腹が立ったので、頭を小突いておいた。



 その他、後輩の言うがままになって、必要なものを手配しに行かされた。毛布やらミルクやらを抱えて部屋に戻る。

 見れば、暖炉の中に放り込まれた火狼は少しずつ動き始めていた。もぞもぞと短い手足を伸ばし、小さく鳴く。思いのほか可愛らしい仕草に、柄でもなくじっと視線を向けてしまった。

 ……と、隣で後輩が満面の笑みでこちらを見ているので、表情を改める。ちくしょう。


 暖炉の前にしゃがみこんだ後輩は、抱えた膝に顎を乗せてこちらを窺ってきた。

「……どうしますか? 色々と」

「基本的にはこの街の駐屯所にいる騎士に投げれば良いだろう」

 彼は端的に答え、それから立ち上がって窓を開けに行った。流石に春先にもなって締め切った部屋で火を焚くのは暑い。


「ただ、それが本当に安全かどうか……」

 眉をひそめて呟くと、後輩は躊躇いがちに小さく頷く。

「一瞬しか見てませんけど、あの皮の剥ぎ方……すごく手慣れているみたいに見えました。火狼の密猟はこれが初めてのことなんでしょうか? だとしたら、」


 彼は腕を組んで目を伏せた。顎に手を当て、窓枠に背を預ける。

「俺が懸念しているのもそこだ。……本当にこの街の騎士団は密猟に気づいていないのか? 少なくとも俺たちの基地にはそんな話、一度も来ていない」

「そうですね……」

 後輩も難しい表情で押し黙る。


 この辺り一帯の騎士組織を取りまとめるのが、自分たちの所属する基地である。もしも密猟の事実が判明していたのなら、上位組織である基地に必ず報告が来るはずだ。


 誰も火狼の密輸に今まで気づいていないという可能性も十分に考えられる。けれど、『そうではない』可能性を捨てることも出来なかった。


 後輩は不安を滲ませた表情でこちらを振り返る。

「先輩、どうしたら良いんでしょう」

「お前は気にしなくて良い。……国に帰るんだろ?」

「はい。でも……」


 後輩は俯いた。その横顔が炎に照らされる。それを眺めながら、彼は静かに告げた。

「俺が何とかする」

「へへ……先輩、かっくいー」

 後輩は空元気が見え見えの表情で笑う。彼女はじっと彼を見つめた。


「……何か先輩、元気ないですね?」

(誰のせいだと思っているんだ)

 挨拶もしないで、一人で勝手に消えようとして、……そのくせこんな風にへらへらしながら話しかけてきて、


「……気のせいだろ」

 彼はふいと目を逸らした。



 ***


「馬車を? 回収?」

「はい」

 件の令嬢――ユーリアの部屋へ伺い、馬車をしばらく預かりたいという旨を伝えると、彼女は目を瞬いた。呼ばれて部屋に入ってきた御者も、目を丸くしている。

「実は……」

 説明しようと口を開きかけたところで、後輩が前に進み出た。自分が話す、というのだろう。

「ユーリアさん。あの狼が、ただの狼ではなく魔物であったことにはお気づきでしたか?」

 後輩の言葉に、ユーリアとその侍女は揃って顔を見合わせた。「うそ、」と侍女が呟き、自らの身を抱くように腕を回した。


「あれは火狼。些か執念深い特徴を持つ賢い魔物です。恐らくは、馬車を判別することも可能かと」

「つまり、この先あの馬車を使うことは控えた方が良い、ということでしょうか?」

「はい。……話が早くて助かります」

 ユーリアの問いに頷き、後輩は申し訳なさそうに眦を下げる。

「いきなりのことですし、受け入れ難いとは思います。……ですが一応、僕も学院で魔物の生態学を修めた身です。危険を見過ごす訳にはいかないと思って」


 令嬢はしばらく顎に手を添えて目を伏せていた。

「……お父様に伺ってみます。私の一存で決められることではございませんから。……ご忠告、痛み入ります」

「ありがとうございます。こちらこそ差し出がましい真似をして申し訳ございません」

 後輩は慇懃に頭を下げる。ユーリアは「いえ」と微笑んだ。


 後輩の言葉を引き継いで、彼はユーリアに向き直る。

「それと、明日にでも馬車を少し検めさせて頂いてもよろしいでしょうか? 少し状況を見ておきたくて」

「ええ、分かりました。でしたら……馬車の鍵をお渡ししますね」

 ユーリアの言葉に、後輩がじとりと視線を向けてきた。『鍵、既にこじ開けましたよね』と言いたいらしい。


「イヴァリス様に予備の鍵を差し上げて」とユーリアは御者に声をかけた。御者は慌ててポケットを探ると、後輩の手に鍵を置く。


 鍵を見下ろして、後輩は『鍵はもうこじ開けたじゃん』と言わんばかりに目を細めた。彼は後輩を黙らせるように口火を切る。

「ご協力に感謝します。明日また伺って鍵を返しに参りますので」

「いえ、もしよろしければそちらで処分なさってください」

「それは……分かりました。ありがとうございます」

 ユーリアが微笑んだ。「何から何まで、お気遣いくださってありがとうございます」と令嬢は綺麗な礼をする。


「いえ」と彼は軽く首を振った。……何も話さずに、こそこそと動き回っている後ろめたさを感じる。彼はそのまま暇乞いをした。



 ***


 その夜、彼は馬車を物陰から見張っていた。一人である。後輩は幼い狼の世話をするために宿に置いてきた。

(嫁入り前に夜中に外をうろつかせるのは何だか気が引けるしな)

 驚くべきは後輩に人妻の気配が全くしない点だが、まあ案外そんなものなのかもしれない。


 春とはいえ、夜にもなれば空気は冷える。彼はぶるりと体を震わせて小さく息を吐いた。息は僅かに白くなった。


(本当は、さっさと帰るつもりだった)

 未練がましく傍でうろちょろするなんて惨めな様は晒したくなかった。だが事態は変わって、――少しだけ安心している自分がいる。

(……馬鹿か、俺)

 頭を抱えて項垂れた、直後。


(――足音!)

 近づいてくる足音に、彼はがばりと顔を上げる。物陰からそっと顔だけを覗かせ、様子を窺った。街灯はひとつしかなく、ほとんどが暗がりに落ちている状態ではろくに顔も見えない。が、恐らく男だろう。

 どこかで見たようなシルエットに、彼は息を吐く。

(なるほどな)

 彼は内心で小さく呟き、男が近づいてくるのを待った。



 男は長い影を落としながら、周囲を窺うように首を巡らせている。おどおどとした振る舞いだが足取りに躊躇いはない。

 男は真っ直ぐに馬車に近づき、扉に手をかける。それを確認してから、彼はゆっくりと歩き出した。

「こんばんは」

 声をかけると、その男――――御者は弾かれたように振り返る。

「あ……」

「何をされているんですか? ……おや、」


 御者は咄嗟に扉を閉じようとした。扉を押さえると、御者は青ざめる。彼は御者の肩越しに馬車の中を覗き込むふりをした。座面は外されている。

「馬車ってそんなところが外れるんですね。なかなか気づきませんでしたよ。……流石、御者として働いているだけあります。馬車にはお詳しいようで」

 御者の肩に手を置き、力を込める。逃がすまいという意思はそれだけで伝わったらしい。自分が既に全てを承知だということも。


 御者は血走った目で見返してきた。

「お前、嘘をついたのか」

『明日』馬車の調査をする、とユーリアに言ったことだろう。……自明なこと。彼は飄々とした態度で応じる。

「大した問題ではないでしょう。許可は取ってありますし、少しそれが早まっただけのこと」

「き……騎士として恥ずかしくないのか!」

「さあ? 俺としては犯罪に手を染める方が余程恥ずかしいと思うので」


 一呼吸置いて、彼は御者の腕を捻り上げた。情けなく悲鳴を上げた御者を地面に組み伏せ、低い声で告げる。

「――特定保護魔法生物の密輸の罪で、お前を逮捕する」

 胸を地面に押しつけられた状態で、御者は盛大に悪態をついた。



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