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15.後輩が行ってきますと言ったので


 ユーリアは大人しく逮捕された。ついでにその婚約者である騎士も捕まったらしい。やっぱり協力者が内部にいた。


 あとのことは一旦、現地の駐屯地に投げることにした。詳しい調査なんかは基地から騎士が派遣されてからという感じだろう。多分自分も駆り出される。

 なかなか休まらない日が続きそうだが、そんなことより本題は後輩の出立である。


「なあ、そういえばあれ……マジなのか?」

「何がですか?」

 もそもそと遅めの朝食……昼食? を食べながら、彼は後輩を見た。後輩はきょとんとした表情で見返してくる。触れて良いことなのか分からず、彼は言いづらそうに切り出した。

「あれだよ、お前が、その……隣国のご令嬢だとか」

「ああ! 大丈夫ですよ、ユーリアさん黙っといてくれるって言ってました!」

「それは良かったな。俺が言っているのはそういうことじゃなくて、」

 どうやら『触れても良いこと』の様子なので、彼は幾分か肩の力を抜いた。


 後輩は半笑いで首を傾げる。

「言ってませんでしたっけ?」

「言ってませんね」

 真剣な顔で頷くと、後輩は「そうでしたか」と頭を掻いた。

「まあ……既にご存知の通りですよ。元々学びたい先生がこちらにいて、そのままずるずるとこんな感じに」

「それで、マジで令嬢なの?」

「わたしの家めちゃくちゃデカいですよ。犬四匹いますし」

「うわ……」

 後輩は自慢げに指を四本立ててひらひらさせる。彼は思わずのけぞった。


 おののく先輩に、後輩は頬杖をついて微笑んだ。

「別に、わたしが何か変わった訳じゃありませんし。今まで通りで大丈夫ですよ」

「……分かった」

 後輩から一切品格が漂わないのも手伝って、彼は小さく頷く。



「さて、わたしはそろそろ駅に向かいますね」

「馬車乗り場まで送ってやるよ」

 立ち上がった後輩について、彼も腰を浮かせる。そのまま机を回り込んで、後輩の足下に積まれていた荷物をいくつか持ち上げた。自然な動きで持ってやったつもりだったが、後輩が口元に手を当てて笑っている様子を見るに、どうやら俊敏すぎたらしい。


 駅に向かって歩きながら、彼は後輩の名前を反芻した。

「イヴ……ともう一個、なんだっけ」

「アリセリアですね。まあそれはあんまり使わない、正式な呼び方と言いますか……基本的にはアリスです」

 後輩は当然のように応える。突如として突きつけられた女性名に、思わず彼は密かに動揺した。


「何で二つあるんだ?」

「イヴは幼名です。よっぽど親しい友人か、家族とか恋人とかにしか呼ばせませんよ」

 そう言って、後輩はにこりと微笑んだ。

(……ん?)

 何かが引っかかったが、彼は一旦それを流す。角を曲がって目の前に駅が見えてきたからである。



 駅の中はそこそこに混雑していて、油断すればすぐに後輩が流されてしまいそうだった。「どこかに掴まってろ」と振り返ると、後輩は一瞬含みのある顔で目を細め、それから「はい」と頷く。その一瞬あと、腕に手が触れて、彼はぎょっとして横を向いた。

 後輩の表情はいやに平然としたもので、しかし目が合うと僅かに照れたようなはにかみが返ってくる。

「何かこれ、アレみたいですね」

 どこかでしたような会話である。どうせ後輩のことだからすっぽ抜けた回答を飛ばすに決まっている。彼は努めて平然と「ああ」と頷いた。後輩は「やっぱりそう思います?」と目を輝かせた。


「――まるで、デートみたい!」

 彼は勢いよく目測を見誤り、柱に膝をぶつけた。



 ***


 馬車乗り場の待合所はさらに混雑していた。座る場所がなく、部屋の隅に立ったまま下らない雑談に興じる。


「それにしても、ただの里帰りのはずがとんだ大冒険になりましたね」

「まさか帰るまでにほぼ全部片付くとは思ってなかったが」

「それはほんとにもう」

 後輩は足元に土産の入った紙袋を置いて、腰に手を当てた。


「先輩がいなかったら、今頃わたし死んでましたよ」

 そう言って、後輩が笑みを浮かべる。そこら辺の話題になると気まずいので、彼は思わず目を逸らしながら「そうだな」と頷いた。その反応に、後輩も同じことを思い出したらしい。


「……先輩、本気でわたしが結婚すると思い込んだんですか?」

 彼は長々と沈黙したあとに「悪いか」とだけ応える。「いや悪かないですけど」と後輩は肩を竦めた。

「だってわたしが何も言わずにしれっと結婚して退職する訳ないじゃないですか。ちょっと考えれば分かりません?」

「だからありえないと思って慌てたんだよ」

 ほとんどふて腐れたような口調になるのを堪えられなかった。まるで拗ねた子供のような言い草だとは思ったが、後輩は数度目を瞬いて「なるほど!」と手を打つ。


「じゃあ先輩に来て貰いたいときは、いきなり『結婚します』って言えばすっ飛んでくるんですね?」

「そんな小芝居挟まなくても呼べば行くよ」

 何気なく答えると、後輩が黙った。見れば、真っ赤な顔で何やら考えこんでいる。じっとその様子を窺っていると、後輩は恐る恐ると言わんばかりの口調で口を開く。


「……じゃあ、これから実家に帰るのについてきてくださいって言ったら、」

「それは無理」

 彼は即答した。それは無理。だってこれから色々後始末とかあるし、隣国まで行ったら帰ってくるの大変だし、……いきなり実家に連れて行かれるのは順序がおかしい気がするし。

 後輩は笑顔で握りこぶしを掲げた。

「大丈夫ですよ、結婚式たくさん人来ますし」

 別にそこで遠慮している訳ではないのである。

(結婚式にまで連行される手筈だったのか)

 危ないところだった。だって後輩の姉の結婚式と言えば、



 ……と、そこで彼はふと一つの単語を思い出した。ユーリアに関するあれやこれやで流されてしまったが、何か聞き捨てならない言葉があのとき聞こえた気がするのだ。

「イヴァリス」

「はい」

 声をかけると後輩はすぐに振り返った。彼は腕を組んで記憶を浚いながら口を開く。

「お姉さんの結婚相手って……どんな人なんだ」

(確かあのとき、何か……聞こえたんだよな……『王太子』とかって単語が)

 彼は嫌な予感に顔を引きつらせながら後輩を見た。後輩は迷いのない様子でぐっと両手の親指を立てた。


「王太子殿下です」

「聞き間違いじゃなかった」


 彼は頭を抱える。……と、いうことはだ。彼は後輩を指さしながら確認を取る。

「……王太子妃の妹?」

「そゆことになりますね」

「そのうち王妃の妹になると?」

「まあ……」

 しれっと頷いた後輩に、彼は額を押さえた。何だか頭痛がしてきそうだ。後輩は照れ笑いを浮かべながら頭を掻く。


「お姉様はわたしとは違って素敵な人なので……」

「お前も素敵だぞって言ってやった方が良い?」

「そりゃ言われれば喜びますよ」

(だったら言わないでおこう)

 彼は盛大に嘆息した。


 実は男装をしていた、以上に思いのほか色々と隠していたらしい。「他には何か隠していることはないのか」と聞いておくと目を逸らされたので、あるようだ。聞かないでおく。

「……こうした諸々も、他の人には言わない方が良いんだな?」

「そうですね」

 これ以上後輩に関する秘密を一緒に背負うのはごめんである。彼は深々と再度ため息をついた。これで何度目のため息やら分からない。

 げんなりした表情が見えていたらしい。後輩は「なんかごめんなさい」とあまり思っていなさそうな顔で詫びた。



 後輩は少しの間躊躇うような仕草を見せてから、ちらと視線を足元に落として両手の指を絡ませた。

「あの、エド先輩。実はなんですけど……」


 折しも待合室の鐘が鳴る。馬車が到着したらしい。後輩は乗り場の方を振り返り、「来たみたい」と眉を上げた。


「じゃあ、行きますね」

 後輩は荷物を持ち上げて改札の方を振り返る。改札の向こうでは駅員が切符を確認していた。列はそれほど長くない。

 彼は腕組みを解いて片手を挙げた。乗り場にまでは行けないので、ここで見送ることになる。


「これ以上何かに巻き込まれるなよ」

「大人しくしてますもん」

 後輩は両手に大量の荷物を持ったまま、憤慨したように唇を尖らせた。不満げな後輩の頭を小突いて、彼は苦笑する。本当に大人しくしておいてもらいたいものである。


「どれくらいで帰ってくる予定なんだ?」

「大体半月くらいですね。……最短で」

 なるほど、と彼は頷いた。その頃にはもう基地に帰っているだろう。


 

 後輩は乗り場へ続く改札の方に歩きかけて、一旦振り返る。

「本当にありがとうございました。エド先輩がわたしの直属の先輩で良かったです」

 改まってそんなことを言われると何だか気恥ずかしくて、彼は「握手でもするか?」と茶化した。後輩は両手の荷物を少し持ち上げて、無理である旨を示す。


「握手は出来ませんけど」と後輩は一歩踏み出した。指先でちょいちょいと指図されたので背を丸めて顔を近づけると、後輩は小さく背伸びをして首を伸ばす。

「帰ったらちゃんとお礼しますね」と声が耳元で囁いた。直後、頬に柔らかいものが一瞬だけ触れる。


(…………?)

 彼は呆然と頬を押さえた。後輩はすぐさま顔を逸らして明後日の方向を眺めている。

「じゃあ、この辺で」

「あ、ああ……」

 歩き出した後輩をの背中を眺めながら、彼はひたすら瞬きを繰り返していた。



 改札を通る直前、後輩は後ろめたそうな顔で彼を振り返った。

「こんな空気で言うことじゃないとは思うんですけど……一応言っておきますね」

 何やら言いづらそうな態度に、彼は首を傾げる。


 後輩は歯切れ悪く続けた。

「実は、その……結婚はしないんですけど、――お見合いはするってお母様と約束しちゃったんですよね」

「……は?」

「じゃあ、行ってきますね!」

 特大の爆弾を投下して、後輩はそのまますたすたと乗り場へ向かった。


「ってオイ! 待て待て待て待て!」

 彼は一瞬遅れて改札に駆け寄る。切符を持っていないので向こうには行けない。後輩は笑顔で大きく手を振った。

「頑張ってきますねー!」

「何を!? どっちの方向に!?」

 すたすたと歩き去った後輩を見送って、彼は唖然としたまま絶句した。



 ***


 火狼襲撃により街の一部は壊滅的な被害を受けていた。その復旧作業やら、密輸および密猟に関与していた人間の捕縛、騎士団内部の調査に忙殺されて、半月はあっという間に過ぎた。

 半月の間、彼はずっと悶々としたまま過ごしていた。ようやく基地に戻った数日後、後輩は何食わぬ顔で帰還した。



「ただいま帰りました!」

 地声より多少低めの挨拶で、後輩は基地に現れる。真っ先に支部長が立ち上がり、後輩に歩み寄った。基地の面々も後輩を迎え入れて口々に声をかける。

「お手柄だったな、イヴァリス」

「あなたがあのタイミングで帰省しておまけに身分証を忘れたおかげだわ!」

「いつもの不注意もたまには役に立つんですね」

 半分以上悪口に聞こえるが、後輩は意にも介さずへらへらと笑っている。



 聞きたいのはそんな話ではない。後輩が去り際に残した『見合い』という爆弾の行方である。彼がやや苛立ちながら後輩を見つめていると、後輩はふと振り返った。


 同僚たちに取り囲まれながら、後輩は完璧なドヤ顔で親指を彼に向けた。その唇が動く。


『バッチリです』

 ……どっちだ、と彼は真顔で考え込んだ。




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