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12.後輩がそれは間違いと告げたけど


 狭い通路に響くのは、二人の足音ばかりである。そのまましばらく歩を進めたところで、彼は足を止めた。後輩がもの問いたげに息を吸う。

「……シッ」

 短い歯擦音で後輩を黙らせ、彼は黙って斜め前を指さした。両脇を背の高い壁に挟まれていた通路の左手に、半開きになった扉がある。その向こうから、光と僅かな話し声が漏れているのだ。


 こちらに向かって開いた扉に背をつけるようにして、二人は息を殺す。

「人がいるみたいだな」

「火狼は……いないのかな?」

 後輩は囁きながら、慎重に首を伸ばす。中は見えない。


「慎重に通るか」

 彼が呟くと、後輩は「待ってください」と手のひらを見せた。後輩がそっと手を伸ばして壁の燭台を取り上げる。蝋燭を掲げて、後輩は扉を照らした。その指先が、壁に取り付けられた細工を指し示す。


 L字型に曲げられた小さな鉄の板が、扉とその脇に固定されていた。この角度では見えないが、恐らくは自分たちの立っている蝶番とは逆の方に、木の板か何かがあるはずだ。

 なるほど、この部屋は外から閂をかけられるようになっているらしい。


 後輩が言わんとしていることは知れた。中にいる人間を閉じ込める寸法だ。

 彼は後輩と目を合わせる。三本指を立て、ゆっくりと一本ずつ折りたたんだ。いち……に……、


 次の瞬間、彼は扉を強く押した。ばたん、と荒々しい音を立てて扉が閉まる。部屋の中からは驚いたような声が上がった。

 後輩は扉が閉まるやいなや反対側に跳び、鎖でぶら下げられていた木の板を持ち上げた。それを閂の金具に嵌めようとした直後、扉の向こうから衝撃が響く。力任せに扉を開けようとする圧を、これまた力任せに抑えつけた。

 肩で扉を押しながら、彼は後輩を見る。後輩は何とか貫木を金具に嵌めようとするが、扉が動いて上手くいかないらしい。


 足まで使って扉を押し返した。直後、貫木が入った。手を離しても扉はびくともしない。


「はあ……これで良い」

「あとで来たら手っ取り早く掴まえられますからね」

 扉の向こうからは口汚く罵る声が聞こえてくるが、当然、無視である。



「中にも人がいるんですね」

「注意した方が良さそうだな」

 ドンドンと激しく叩かれる扉に背を向けて、彼は歩き出した。既にここに入る時点で一戦交えた訳だし、今更コソコソしても無駄である。

 後輩はぎゅっと唇を引き結んで、辺りを見回した。


 念の為に後輩を窺う。

「火狼がいたのは本当に見間違いじゃないんだな」

「……普通の狼は背中が燃えたりしないので」

 後輩は迷いなく頷いた。そうか、と彼は小さく呟いた。


 通路に木霊する獣の鳴き声に、彼は首を巡らせる。やはりここに何らかの生き物がいることは確かである。

「密輸で運ばれてきた火狼が、ここで集められているのか?」

「それ以外の理由で火狼がこんなところにいるとは思えません」

 まあ、うっかり魔物が偶然街に迷い込むということは、まずありえない。

(やはり密輸か)

「ユーリアさんを保護したらすぐに出ましょう」

「駐屯所に直行だな」

 顔を見合わせて頷くと、二人は素早く歩き出した。



 それにしたって、……

(三匹どころじゃないぞ、これは)

 聞こえてくる唸り声は、行く手から地響きのように伝わってくる。後輩の顔も次第に険しくなり、自然と会話も途絶えた。


「ここか、」

 突き当たりの扉の前で立ち止まり、彼は唾を飲む。後輩はぎゅっと胸元で拳を握りしめ、おずおずと周囲を窺った。

「そーっと、ちょっとだけ開けましょう」

 後輩の言葉に頷いて、彼は扉に手をかける。どうやら引き戸らしい。溝に指先をかけ、慎重に力を込めた。扉が軋みながらゆっくりと動く。


 後輩は首を伸ばし、扉の隙間から向こうを覗き込んだ。

「どうだ?」

「これ、は……」

 後輩が囁いた。扉を少し開けた直後から、獣の唸り声はさらに大きくなっていた。


「……人はいません。行きましょう」

 後輩は厳しい顔で言葉少なに告げる。その言葉を信じて、彼は扉を大きく開けると体を滑り込ませた。扉を再び閉じると、二人はゆっくりと部屋の中へ足を踏み入れた。



 その部屋を見回して、彼は思わず額を押さえた。

「とんでもないな、こりゃあ……」

 外から見て巨大に見えていた倉庫の大半は、この部屋の空間だろう。天井は高く、面積も広い。ちょっとした屋内訓練所以上はありそうだ。

「ひどい、」と後輩は口元を押さえた。


 そんな倉庫の床の上には、ずらりと檻が並べられている。見上げるほどの大きさの檻の中には、背の赤い狼――火狼が複数匹入れられていた。

 まだ生きている火狼だ。大人の狼に見えるが、その体は野生のものより貧弱で小さい。一番近くに置かれていた檻の中で、火狼は落ち着きなくうろうろとしながらこちらを睨みつけた。


 見渡せば、そんな檻が部屋の向こうまで続いている。後輩は震える手で背に触れてきた。

「早いことユーリアさん回収して通報しましょう。……こんなの、一秒だって我慢できません」

「ああ」

 後輩は食い縛った歯の隙間から、言葉を押し出す。それに短く答えて、彼は後輩の前に立った。



 足音を忍ばせ、息を殺し、無数の火狼にその視線を向けられ、彼らは部屋の奥へと進む。

 人の気配がしない、ユーリアはどこに行ったんだ、神経を尖らせる、――その矢先に、部屋の隅から火狼の咆哮が響いた。

「右です!」

 後輩が音の方向を指した。彼はすぐさま駆け出した。檻の間をすり抜け、声へ近づく。


 二つ先の列へ出た。どうやらここが一番端の列らしい。通路は幾分か広く、檻に入れられている火狼の体も大きい。窓からは月明かりが射し込み、火狼の姿を暗く浮かび上がらせた。


 ふと、人の気配を感じて横を見れば、ひとつの檻の前に少女が佇んでいる。彼は鋭く息を飲んだ。

 緩やかな曲線を描く髪が、肩や背を流れる。そこらの一般人とは明らかに異なる出で立ちは、彼女が高貴な生まれであることを、何より如実に示していた。



 一歩、近づくと、彼女は僅かに驚いた様子を見せて、ゆっくりと顔を上げる。その頬に光が当たった。顔が見えた。

「ユーリアさん!」

 後輩が身を乗り出して叫ぶ。そのまま後輩は、檻の前に佇立しているユーリアに駆け寄ろうとする。それを片腕で制して、彼は真っ直ぐに辺境伯の令嬢を見据えた。


 睨みつける視線に、ユーリアはふわりと微笑んだ。

「こんばんは。良い夜ですね」

「……いいえ、最悪な夜になりそうです。――俺たちにとっても、貴女にとっても」

「あら。何だか不思議なことを仰るのですね」

 その辺りで、後輩も異変を察したらしい。「えっと」と小さく呟く。


「ユーリアさん、……その、剣は、何ですか?」

 後輩は声を低くしながら、ゆっくりと問うた。体の陰になったユーリアの左手には、短剣が握られている。短剣とは言っても、人に刺せば十分に殺傷能力のある長さである。その剣先からは、ぽたぽたと黒々とした液体が滴っている。

「ときどき、言うことを聞かない子がいますから」とユーリアは、まるで手のかかる幼子について話しているみたいに苦笑した。


「どういうこと、ユーリアさん、あなた、まさか……」

 後輩は震えた声で呟く。ユーリアはくすりと息を漏らした。



「ね、思いませんか? こんなに凶暴な魔物を野放しにしておくなんて、とっても危険だって」

 は、と後輩が浅い息を吐く。ユーリアは月明かりの下で、まるで天気の話をするみたいに軽やかに微笑むのである。

「魔物は私たち人間によってすべて管理されるべきだと思いませんか? そうすれば魔物は、何が起こるかも分からない自然環境の中で惨めに死に絶えることはない。そうすれば人間は、魔物によって理不尽に屠られることはありません。ね、誰もが幸せでしょう?」


 ユーリアは、自分の善なることをまるで疑っていない様子だった。いっそ輝かしささえ混じった明るい表情で、彼女ははっきりとした声で告げた。


「――だって私、魔物を心から愛しているんです」



 後輩の肩がぶるぶると震えているのには気づいていた。下げた腕の先で、関節が白くなるほどに強く、拳を握りしめているのだ。噛みしめられた下唇は、今にも破れてしまいそうだった。

「そんなの、違う、」

 後輩は呻くように囁き、一歩足を踏み出した。「イヴァリス、」とその肩に手をかけるが、振り払われる。

「わた、……僕はその意見には賛同できません」

 口を滑らせかけるが何とか堪えた。彼は後輩の横顔を見ながらハラハラする。


「それはあまりにも傲慢な考えです。人間が魔物を管理するなんて、……間違ってる」

「どうして?」

 ユーリアはゆったりと首を傾げた。後輩は何か反駁しようとするみたいに息を吸ったが、それよりも早く彼は彼女の手首を掴んだ。


「イヴァリス、帰るぞ」

「先輩、どうしてっ!」

「お前が今すべきなのは、このご令嬢を説得することじゃない。論破することじゃない。この倉庫を摘発して一刻も早く事態の解決を目指すことだ」

 彼は微笑みを絶やさずに立っているユーリアを鋭く一瞥し、後輩を促した。後輩は目を見開き、それから小さく頷く。きゅっと眉根を寄せたその表情の心細げなことといったらこの上ない。しかし今は後輩の頭を撫でている場合ではなかった。



 ユーリアを無視して歩き出す。ユーリアは追いすがるような態度は見せず、口元にほのかな弧を描いていた。

 数歩進んだところで、彼女は静かな声で語りかけてきた。


「本当に良いのですか? ねえ――アリセリア様?」

(は?)

 この期に及んで脈絡のない新キャラは勘弁して欲しい。これ以上の予期せぬ出会いはごめんである。


 が、話しかけられたからには一応振り返っておく。見れば、ユーリアは先程とは僅かに異なる、不敵な笑みを浮かべていた。

「……何の話だ」

「隣国の名家、イーチェス家のご令嬢のお話です。まさかこのような場所でお目にかかるだなんて夢にも思いませんでしたけれど」

(……何の話だ?)

 流石に二回同じことを言うのは馬鹿みたいなので、二回目は胸の内にしまっておいた。が、ユーリアは「あら、ご存知でなかったですか?」と驚いたように眉を上げる。怪訝な顔をしているのはバレバレだったらしい。



 ユーリアの視線は、傍らの後輩に据えられている。それで、彼はユーリアが誰のことを言わんとしているのかを察した。

(……なるほど。この人、何か勘違いしてるな?)

 彼は厳しい表情を崩さないままに内心で首を傾げた。


(――仕方ない、このままでは埒が明かないから教えてやるか)

 彼は小さく嘆息し、ユーリアに向き直った。隣で俯いている後輩を片手で指し示しながら肩を竦め、はっきりとした声で話し出す。



「何を言っているんだ。こいつがそんな高貴なご令嬢のはず………………お前マジか?」


 言いつつ後輩を見やると、彼女はあからさまに顔を背けていた。見るからに汗をかいている。

(え?)

 彼は呆然とその場で立ち尽くした。後輩は誰とも目を合わせるものかとばかりに明後日の方向を見上げている。


「え? イヴァリス、え? マジで? 今のガチ?」

 混乱のあまり、彼は背を丸めて後輩の顔を覗き込んだ。後輩は数秒黙ってから、「ふゅう」と下手くそな口笛を吹いた。というかほぼ口で言っていた。



 ユーリアは声を漏らして笑う。

「イヴとアリスの名を持つ者は他におりません。あまりにも不用心が過ぎますわ、アリセリア様。『イヴァリス』という偽名を伺っただけでも、あなたが女性であることは誰にだって分かるというのに」


 彼は絶句したままその場で凍りついていた。

(俺は……全然気づかなかった……!)

 さっきから流れ弾が痛いのである。彼は事態が読めないなりにも、『ユーリアが後輩の別の顔を知っているらしい』ということだけは何とか把握していた。



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