10.後輩が何だかとても可愛いので
それから迅速に移動し、次の街で夜を明かしてから、二人は朝早くに国境近くの街を目指して発った。
身軽さを最優先するために、愛馬は宿屋に預けてきた。金は多めに払ったから大切にされて待っていて欲しい。
山を越え、国境へと続く街道をひたすらに歩く。太陽が行く手に高く昇り、もうじき南中しようかという頃、後輩は真面目な顔で静かに呟いた。
「わたしたちまるで、アレみたいですね。何でしたっけ、東の方にいるっていう――ニンジャ」
「は?」
「ま……まさかエド先輩、ニンジャを知らない……?」
馬鹿話を振ってくる後輩の頭を小突いて、彼は遠くに見えた街の影を指さした。
「ほら、あれが国境街だろ」
「あ、見えてきましたね!」
後輩は目の上に手でひさしをつくって、背伸びをする。
(小せぇ……)
その場で軽く跳ねるようにして視点を持ち上げようとはしているが、それでも後輩の頭は彼の目の高さより下にあった。
(よく考えれば、男装するには結構厳しい身長だよな……誤魔化すのも大変だろうに)
何だか可哀想になって、彼は両手を差し出しながら後輩に声をかける。
「なあイヴァリス、……肩車してやろうか?」
「何でですか!? 嫌ですよ恥ずかしい!」
仰天したように後輩が飛び退いた。両手のひらをこちらに向けて警戒態勢である。
「か、肩車だなんて、お父様にもされたことないのに」
「ないのか? じゃあ今デビューするか」
「嫌です! いい歳して街道で肩車だなんて……」
触れちゃいけない何かに触ってしまったらしい。後輩はすっかりへそを曲げてそっぽを向いてしまった。
腕を組んだまま、後輩が胡乱げな視線を向けてくる。
「……何ですか? エド先輩はわたしのお父さんにでもなるおつもりですか」
「いや……父親は嫌だな」
何も考えずに真顔で答えると、後輩は「ええ!?」とやたら良い反応を示した。それからしばらく考えこむように俯き、おずおずと目線だけを持ち上げる。
「……じゃあ、何なら、――嫌じゃないんですか?」
後輩はぎこちなく問うた。何だか片言である。内心で首を傾げながら、彼は答える。
「いや別に。こんな娘がいたら面倒くさそうだと思っただけで……」
言いつつ、彼は遠くの雲を眺めていた視線を下げ、後輩の顔を見やった。後輩はしばらくぽかんと口を開けっぱなしで絶句していたが、ややあって耳を赤くして唇をきゅっと引き絞る。怒っているみたいな照れているみたいな変な顔である。
その顔をたっぷり十歩分ほどは眺めてから、彼は念のため訊いておく。
「……俺何かマズいこと言った?」
後輩は恨みがましさが見え見えの声で「別に何も」と拗ね散らかした。
(これは……どういうことだ?)
彼は腕を組み、顎を支えて思案する。どうやら何かが悪手だったご様子である。顔中を真っ赤にして、後輩は「気にしないでください、わたしがミスっただけですから」と唇を尖らせた。
***
国境を挟んで広がるのは大きな街だ。門もそれに比例するような立派なものである。
書簡は二つ前の街で既に出したし、特にこれといってやることもないのである。街に入ったは良いものの、折しも市場がごった返す時間帯に当たってしまったらしい。
道を横切る荷車に阻まれて、後輩が道の向こうに取り残される。
「イヴァリス!?」
一瞬本気で見失い、彼は慌てて周囲を見回した。どこを見ても人だらけである。
「エド先輩!」
にゅっと人混みの中から手が伸びる。目を向けると、見慣れた赤毛が人波に見え隠れしていた。
道の端に寄って待っていると、後輩がやっとこさ近づいてくる。何だかよれよれしている。はぁ、とため息をついて、後輩が項垂れた。
「これ、あてもなくうろつくにはハード過ぎますよ」
「……完全に同意だな」
人混みに揉まれながら、両脇に広がる露天の間をすり抜ける。ここではぐれたら落ち合うのが大変そうである。
(どこかを掴んでおけばいいのか)
ふと思い至って、彼は半歩先を歩く後輩の肩を叩いた。
「イヴァリス、服か何かを掴んだ方が良い」
「え?」
目を見開いて振り返った後輩に頷いてから、彼女の襟を片手で掴みあげる。後輩は一気に死んだような目をした。
「……そっち?」
「逆にどっちがあるんだ?」
「良いです」
後輩は舌打ちでもしそうな顔で肩を竦めると、再び前を向いた。
「どこか店にでも入って昼食摂るか」
「そうしましょう」
そんな会話をした直後である。後輩がよそ見をしているのに気づいて、彼もその視線を追う。
恐らく恋人同士か何かだろう。照れたように笑いながらぴったりと寄り添って歩く様子は大変微笑ましくて結構だが、今気になるのはそこではない。
少女の手が、恋人の服の裾をきゅっと握っていた。
(…………。)
彼は後輩に視線を移した。自分の手は後輩の首根っこを掴んでいる。
彼は思わず大きく頷いた。
「……なるほど」
「時間差で察しないでください恥ずかしい!」
後輩は振り返ることなく肘で彼の鳩尾を打ち抜いた。
***
昼食を終えて街に出てみると、道の人混みは幾分か落ち着いていた。腰に手を当てて、彼は隣の後輩を窺う。
密輸やら密猟やら炎狼やら、他の何やかんやが入って来て忘れがちだが、元はと言えばこれは後輩の里帰りである。
「どうする?」
「取り敢えず、実家に持っていくお土産を買いたいんですけど……」
後輩は躊躇いがちに申告する。彼は「良いぞ」と鷹揚に頷き、腕を組んだ。
「どうせ暇だし」
「考えてみたら、先輩よくこんなところまで着いてきましたね」
「俺はそれをいつ言われるかと思っていた」
常識的な人通りになった道を歩きながら、二人は特に目的もなく街を見て回る。
(何かこれ……あれみたいだな)
「何かこれ、アレみたいですね」
予想だにしないタイミングで言葉が重なり、彼は思わず動揺した。「どうしました?」と後輩に見上げられ、「俺も同じことを思っていた」と顔を逸らす。
「やっぱり? 同じこと思いますよね」
後輩はぐっと拳を握って大きく頷いた。「ああ、そうだな」と彼は口元を押さえて横を向く。
(平常心……別に変なことを言うわけじゃないんだ、照れる必要はない)
彼はごほんと咳払いをして、ごく自然な態度を装って呟きかけた。
「……これじゃまるで、デー」
「まるで普段の見回りと変わんないですよね……先輩?」
彼は道の僅かな凹凸に足を引っ掛けて転んだ。
やらかした大爆死に、彼は静かな面持ちで天を仰いでいた。
「エド先輩! これとこれ、どっちが良いと思いますか?」
店の前のベンチに座って沈黙する彼を、後輩が振り返る。その両手にはそれぞれ酒瓶が握られていた。
二つを見比べて、彼は指を指す。
「……右のやつの方が有名」
「なるほど、じゃあこっちにしようかな」
「でも多分、お前は左の方が好きだと思う」
「ええー」
後輩は困った顔で立ち尽くした。彼は膝に手を置いて立ち上がると、店の中でうろうろしている後輩に近寄る。両脇に瓶や樽の並んだ店内は通路が狭く、うっかりどこかにぶつかったら大惨事になりそうな危なっかしさがあった。
「誰に持っていくつもりなんだ?」
「えっと……これは義理のお父様とお母様に差し上げようかと」
その言葉に、彼は後輩の手の中にある酒瓶をちらと見る。姉の結婚相手の両親ってことだろう。
「それならもう少し良いやつの方がいいな」
言いつつ、店の奥まで進むと、後輩も大人しく着いてきた。
「つってもあんまり高いの持ってくと遠慮させるだろうし……この辺りが妥当か?」
立ち止まって棚を一つ二つ指し示す。後輩は「なるほど!」と頷いた。
「じゃあこれにしようかな! 良いですかね」
「良いんじゃないか?」
後輩がいそいそと会計に向かうのを見送って、彼は少し息を吐いた。
***
その他いくつかの土産を買った後輩は、いたくご満悦だった。時間は既に夕方である。
「どうする? 荷物置いてくるか」
「そうして頂けるとだいぶありがたいです」
両手に大量の荷物を携えて、後輩は躊躇い無く頷いた。少し持とうかと何度も言ったのに、「いえ、これ以上ご迷惑をおかけする訳には」と謎の固辞である。既にある程度の迷惑をかけている自覚はおありだったらしい。
(本人がそれで良いなら無理矢理取り上げるつもりもないが……)
あともう一度弱音を吐いたら左手の分は強奪しよう、と彼は密かに決めていた。
後輩は文句を言わずに頑張った。荷物を持ってやろうかとか、こっそり考えていた計画は全く無駄である。いや別に、喜んで持ちたい訳ではなかったけど、何かこう……さりげなく持ってやりたかった気もする。彼は表情を変えないままに悶々とそんなことを考えていた。
今晩はこの街に滞在する予定が既に確定しているのだから、宿を探すのは早いに越したことはない。大したことのない宿を二部屋借り、荷物を置いてこさせた。
「お待たせしました!」と後輩は例の如く、騒々しく階段を降りてくる。どたばたと、およそ騎士とは思えない足取りである。
(本当にこれがこいつの天職なのか……?)
正直、怪しいところである。訓練のおかげである程度までにはなったものの、後輩の戦闘能力は大したことない。
(まあ、本人がなりたくてなったんだしな。……男装してまで)
彼は無言で数度頷いた。「何ですか?」と後輩は笑顔で見上げてくる。
「早めの夕食にするか」
「はい!」
近くに立てられていた食堂の看板を指すと、後輩は勢いよく頷いた。
基地を出て旅を始めてから今日で三日目だ。ここのところずっと外食続きである。
(太りそうだな)
彼は頬杖をつき、重ねた両手の上に軽く顎を置いた。後輩はそうした事情は一切気にしていない様子だ。むしろもう少し太った方が立派に見えるので、もっと食べて欲しい。
(今は何となく少年っぽさで誤魔化せているけど、この先どうするつもりなんだ、こいつ)
いや、むしろ現時点で果たして本当にバレていないのかの方が疑問である。
「お待たせしまし……きゃっ!」
「危ない!」
隣のテーブルに料理を運びに来た給仕が、足を滑らせる。それをすかさず支えた後輩が、給仕を立たせてから「大丈夫?」と微笑んだ。給仕はじっと後輩の顔を見つめ、それから「はい……」と頬を赤らめる。
(……バレてねぇな)
一部始終を微動だにせず眺めてから、彼は小さく頷いた。なるほど、後輩はああやって周囲を誑かすらしい。確かにあの一場面だけ見ればちょっと小柄な好青年にも見えよう。
「良いことをしたな、イヴァリス」
「えへへ……それほどでも」
そういう訳で――照れたように頭を掻く後輩がこんなに可愛いことに、誰も気づかないのだ。
ほのかな優越感で悦に浸る彼を、後輩は気味悪げに眺めていた。
ところで件の問題はあれだけに留まらなかった。
「あの……これはサービスです……!」
後輩が先程助けた給仕の少女が、いそいそと近寄ってきては、頼んでもいない様々な小皿を置いていくのである。後輩はあからさまに困った顔をしていた。
「エド先輩、これって……」と後輩は眦を下げてこちらを窺ってくる。彼は容赦なく告げた。
「完璧に惚れられたな」
「それを言わないようにしてたのにぃ!」
後輩は頭を抱える。「これ、どうすれば良いんですか?」と目の前に並べられた小皿を指して、途方に暮れたように固まっている。
彼は肩を竦めて軽い口調で答えた。
「食べれば良いんじゃないか?」
「そんな、でもわたし、あの子に応えてあげることなんて出来ないし……」
「サービスつってたじゃん」
「先輩、無責任ですよぅ」
後輩はもはや泣きそうな顔になって、チラチラと厨房の方をひっきりなしに窺っている。厨房からは給仕の少女がそっと顔を覗かせ、後輩の背中に熱烈な視線を送っていた。端から見れば相思相愛だ。
――どちらも少女であることを知らなければ、の話だが。
「じゃあ……何だ、さっさと食ってさっさと出れば良いだろ」
「そうします……」
後輩は頷き、高速で皿を空にし始める。それを手伝うように彼も運ばれて来た小皿に手を伸ばした。
(これは俺が食べて良いのか?)
一瞬疑問に思ったが、厨房から殺意の籠もった視線は飛んでこないので、多分大丈夫だろう。
鬼気迫る勢いで全ての皿を平らげて、後輩ががたりと立ち上がる。
「よし、ででで出ましょう」
「あの……!」
直後、給仕の少女が音もなく出現した。後輩はその場で一瞬飛び跳ねた。
(気配を全く感じなかった……やるな……!)
すっかり傍観者の気分で、彼はしばらく一歩退いて静観する。……が、瞬く間に後輩の顔色が悪くなっていくのだ。見るに見かねて、彼は後輩と少女の間に割って入った。
(イヴァリスが女であることが分かれば大人しく退くだろ)
本人は『出来れば知らないままにしてあげましょうよ』とお優しいことを言っていたが、現実的に一番手っ取り早い方法はそれである。
「イヴァリス、行くぞ」と彼は後輩の肩を抱くようにして引き寄せた。「先輩!?」と、後輩は目を剥いて見上げてくる。
(まあこうすれば伝わるよな)
彼は後輩の肩を抱いたまま、給仕に向かって片手を挙げた。
「ごめん、こういうことだから」
給仕の少女は、胸の前でぎゅっと手を握ったまましばらく立ち尽くしていた。ぽかん、と口を半開きにしたまま、二人を見比べる。
――ややあって、少女は慌てたように口元を押さえた。
「わ、分かりました! 私、何だかお邪魔だったみたいですね、ごめんなさい……!」
そう言って足早に立ち去った給仕を見送ってから、彼は後輩から離れた。
バッチリである。彼は親指を立てて後輩を見る。
「お前が同性だと分かれば諦めるだろ」
「……いや、あの感じだと分かってませんね」
後輩は真顔で腕を組んだ。
「どういうことだ?」と見やると、「知らなくて良いです」と素っ気ない返事が返ってきた。
ともあれ、後輩は大変懲りた様子である。
「人通りの少ないところから帰りましょうよ……これ以上予期せぬ出会いはごめんです」
そんなことを言いながら、後輩は裏道を抜けようとした。だが、思えばこの旅がこんな有様になったのは、全部その『予期せぬ出会い』のせいばかりなのである。
火狼の襲撃に居合わせ、生き残っていた火狼を救出し、果てには炎狼にまで対面した。これだけで終わればまだ良い。
二人がこの旅を締めくくる最大級の『予期せぬ出会い』に直面したのは、その直後のことだった。