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1.後輩が結婚すると聞いたので



 後輩が、国へ帰ることになった。それを知ったのは、出立の当日の朝、それも食堂での盗み聞きだった。



「はい。……そう……ああ、はい。……ですね」

 後輩はいつも、ぼそぼそと喋るのが癖である。それに対し、基地の事務員の娘は大声で「へえー!」と相槌をうった。

「結婚!? おめでとうございます! だから国に帰られるんですね!」

「んぐっ!」

 その場に盛大にコーヒーを吐き散らして、彼は目を剥いて振り返った。視線の先には「ありがとうございます」とにこにこしている後輩がいる。

 いつもとは違い、後輩は見慣れた騎士の制服を着ていない。確かに、今日は非番だという話は聞いていた……が。


(け……結婚……!?)

 彼はぶるぶると手を震わせ、口元を拭うこともせずに立ち上がった。斜向かいにいた同僚は「おい」とコーヒーまみれの机を指したが、取り合っていられない。ふらふらと歩み寄ると、後輩は怪訝な顔で見上げてくる。

「イヴァリス、お前……国に帰るのか」

「え? はい」

 後輩はしれっと頷いた。


(聞いてないぞ)

 気安い仲なのは承知だが、あまりにも素っ気ないのではないだろうか。彼は片手を出してその肩を掴もうとする。

「イヴァ、」

「あ、そろそろ出なきゃ」

 手が空振った。素早く脇をすり抜けて、後輩が走り去る。


「え……」

 彼は一人取り残されたまま、呆然とその背中を見送った。



 ***


 後輩が結婚する。その事実に彼は大変――本当にマジでめちゃくちゃ動揺していた。

(……イヴァリスが、結婚する……だと……!?)


 彼の驚愕を語るには、まず件の後輩について語らざるを得ないだろう。

 ――イヴァリス・エリア。隣国の出身。進学のためにこちらへ来て、そのまま就職した騎士の一人である。


 わざわざ国境を跨いでまで進学するとだけあって、脳筋揃いの騎士団の中では数少ない知識人である。――専門分野に限ってだが。



 ……それに関してはどうでもいい。本当にどうでもいい。『彼女』の最大の特徴ではない。何を一番特筆すべきかって、


(あいつ、自分が男装して働いてるって、相手に言ってあるのか……!?)

 そう、『彼女』が『男性騎士』として勤務している、という事実である。



 それを彼が知ったのは後輩のミス――本当にただの凡ミスによる。『服を脱いでいるところにうっかり入ってしまった』とかそういったドッキリハプニングは一切ない。秘められていた過去を巡るすったもんだとかも全くない。


 ――彼はそのときのことを鮮明に覚えている。


 *


 一年ほど前だろうか。ある日、出動要請に応えて街へ出て、その帰りに居酒屋に入ったときのことである。


「……へえ、旅芸人が来てるのか」

「珍しいですね」

 いつもより更に賑わう居酒屋の中央に、見慣れない一座がいた。彼らを囲んで、盃を掲げた客たちが手を叩いたり野次を飛ばしたりと大盛り上がりである。


 興味ありげに首を伸ばす後輩に、彼は声をかけた。

「近くに行くか?」

「疲れてるので……僕は良いですけど、先輩が見たいと仰るなら」

「俺もいいや」

 頷くと、後輩はひょいと肩を竦める。そのまま部屋の隅へ寄ると、多少静かな席に腰掛けた後輩が息を吐いた。疲れていると言ったのは本当らしい。



 しばらくして、居酒屋の中央では役者が交代していた。見慣れない弦楽器を抱えた吟遊詩人である。整った顔立ちの若い青年が、甘い声で何やら歌いながら弦を爪弾いている。

 酔った中年男にはそれほど面白い演目ではないらしい。部屋の中は幾分か落ち着いた空気になった。


「へえ……」と声がしたので隣を見てみれば、後輩は吟遊詩人をやけに熱心に見つめている。

「ああいうのが好きなのか」

 彼が訊くと、後輩は「まあ、」と小さく頷く。そして後輩は、頬杖をついたまま、ごくごく自然な態度で口を滑らせたのだ。

 

「――僕も一応、女の子ですから」



 そう言った次の瞬間、後輩は頬杖からずるりと顔を落とした。頭を抱えてテーブルに突っ伏す。ガン、と額が天板に打ち付けられた。テーブルの上の皿が跳ねる。後輩は早口に呪詛のようなものを吐いた。


 一方、彼は事態を受け入れられずに混乱していた。

(…………?)

 彼は真剣な表情で後輩の言葉を反芻した。ゆっくりと後輩が顔を上げる。目が合っても結論は出ない。

(今……何つった?)

 居酒屋特有の、誰もこちらに注意を払っていないような喧騒の隅。二人は顔を見合わせて固まっていた。お互い思考が追いつかないのである。


(おん……女の子?)

 聞き間違いではない。後輩は確実にそう言った。

「イヴァリス……?」

 彼は顔面中に疑問符をまき散らかして後輩を見る。後輩はすいと目を逸らした。


 しばらくして、「……ははは」と下手くそな誤魔化し笑いが返ってくる。沈黙がたっぷり三呼吸ほど落ちてから、後輩は椅子を蹴倒して立ち上がった。

「ちょっと所用」

「おいコラ待て」

 襟首をむんずと捕まえ強制的に引き戻すと、後輩は「えーん」と絵に描いたような泣き言を漏らした。



「ごめんなさーい! わたしすごく騎士になりたくて、でも騎士って男の人しかなれないんだと思ってたから、こんな手段に……!」

 後輩はあっさり吐いた。首根っこを掴まれてぶら下げられたまま、後輩はじたばたと手足をばたつかせる。

「どうりで発育が悪いと思った……」

「ひどーい!」

 いつまで経っても少年みたいな見た目だと思ったら、実は少女だったらしい。なるほど、身長が伸びない訳だ。


「あのぅ……先輩、このことは……内密にして貰えませんか?」

 そう言って胸の前で手を合わせる姿があざとかったので、一度頭を小突いておいた。

 経緯は以上のようなやり取りである。


 *


(……そんなイヴァリスが、けけ結婚?)

 もう一度言おう。彼は大変動揺していた。

(いや別に。別に後輩が結婚しようが全然関係ないし。マジで。へーおめでとうって感じだし)

 ガタガタとお盆を揺らしながら彼は自分に言い聞かせる。


 まあ、な。まあ……そう、男装して働いているようなのを引き取ってくれるのが他にいたとは意外だなと……

(待て! 『他に』って何だ!?)

 彼はカッと目を見開き、それから勢いよく首を振った。――それではまるで、『他』じゃない奴がいるみたいじゃないか!


「何してるんだ?」

 同僚に気味の悪いものを見るように窺われて、彼は慌てて「何でもない」とぎこちなく答えた。



 話題を逸らすように視線を横に滑らせる。窓の外で大きく手を振る後輩の姿が目に入った。自分に向けてではなく、恐らく玄関先に出ている誰かに向けて振っている。

(もう出発!? どうして俺のところには挨拶に来ない……!)


 そこまで嫌われていたのか。どうでも良いと思われていたのか……?


「お、どうした? いきなり落ち着いて」

「……何でもない」

「何でもないようには見えないけどなぁ」

 同僚が首を捻る中、彼はとぼとぼと食堂の返却口にお盆を置きにいった。



 ***


 その日は何をしても上の空だった。出動要請が来ても同僚たちからは「ここで待機していろ」と置いていかれた。

(イヴァリスが……国を出る……?)

 軽装で基地を出た後輩の姿を思い出す。荷物はもう送ってあるのだろうか。


 彼は山の向こうに沈もうとしている太陽を眺めながら、後輩の顔を思い浮かべる。

(もう、帰ってこないのか……?)

 地元に帰って結婚。おいそれと帰ってくるとは思えない。自分は聞いていないけど実はもう退職していたのか? いや、だとしたら送別会くらいするだろう。それとも自分で拒否したのか……?


 彼は悶々としていた。いや別に後輩の結婚が気に食わないとかそんな訳じゃない。別に。全然。ただちょっと気になるだけ。一体どんなに素晴らしい馬の骨なのか知りたいだけである。あとちょっとだけ寂しい。



(どんな男なんだ……優しい奴なのか……? 不安だ……)

 翌日になっても一人で百面相をしている彼を見るに見かねたらしい。支部長は深い同意を込めた口調で「心配か?」と訊いてきた。


(その手には乗らない)

 下手に墓穴を掘るつもりはない。彼は平然と支部長を見返す。

「何のことでしょうか」

「下手な小芝居はいらんぞ。イヴァリスのことが心配なんだろう」


 ――絶対に反応するものか、と体に力を入れたが、何故か両手にはそれぞれ、破れた書類の一対がある。彼は咳払いをして、紙束をさりげなく脇に置いた。


「……まあ、そりゃあ」

「そうだよなぁ。あいつ、まるで女の子みたいに可愛いから、悪い奴に攫われるんじゃないかと不安になっちまうよ」

「あ、道中の話ですか?」

「はァ……?」

 支部長は少しの間、よく分からないような顔をした。何か変なことを言ったか? と彼も首を傾げる。



「……まあ良い」と支部長は咳払いをしてから、両手の人差し指を立てた。

「ここで良い知らせと悪い知らせがある。どちらを先に聞きたい?」

 勿体つけて話し出した支部長を思わずガン見してしまう。彼は数度瞬きを繰り返した。……これはお遊びか?


「えっと……」

 彼は躊躇いながら頬を掻く。支部長はあっさりと話を続けた。

「はい、悲報はこれ」

「答えを待たないなら何故訊いたんですか」

 文句を垂れながら、彼は立ち上がって支部長の指し示す方に近づいた。支部長も腰を浮かせ、自身の机の上に身を乗り出す。


「【悲報】イヴァリス、身分証を忘れる」

「こりゃひどい」


 支部長が指し示したのはイヴァリスの机である。その上に置いてあった小ぶりの手帳をつまみ上げ、彼はため息をついた。

「あいつ、どうやって国境を越える気だ?」

「そゆ訳」

 見た目に反して茶目っ気のある口調で言い、支部長は肩を竦める。



「それで……良い知らせは?」

 彼が促すと、支部長は椅子に腰を下ろして腕を組んだ。

「エド――お前、それを届けてやれ」

「はァ!?」

 いきなりのことに、彼は思わず声を裏返らせて叫ぶ。

「ほら、さっさと行け。歩きだと言っていたから馬を駆ればすぐに追いつけるはずだ」

「えぇ……!」

 支部長は追い払うようにシッシッと手を払った。彼はしばらく逡巡し、「分かりましたよ」と盛大に嘆息する。


「どうも最近、街道も物騒だと聞くからな。魔物も出るらしい」

 追い討ちのように声をかけられ、彼は後輩の身分証を手にしたまま、荷物をまとめ始めた。

「……有給扱いじゃないですよね?」

「出張ってことにしといてやる」

 念の為に確認しておくと、支部長は鷹揚に頷く。その言葉に納得して、彼は早足で歩き出した。



「【朗報】追いかけてやれ、に突っ込まないんだもんなぁ」

 支部長はのんびりと呟き、ほとんど走るようにして部屋を出ていった後ろ姿を見送った。

「あいつ、随分とイヴァリスを可愛がってるんだな……」


 ――彼女が性別を偽っていることを支部長は知らない。何かやたらと仲のいい部下が二人いると思っているだけである。



 ***


(……ったく……イヴァリスを追いかけろだなんて……横暴な……)

 彼は内心で毒づきながら、やけに早鐘を打つ心臓を手のひらで押さえる。どうしてこうも鼓動が暴れているのか分からない。……多分分からない、はずだ。


 後輩の身分証はしっかり持った。ここは国内随一の辺境基地、国境までは馬でたったの一昼夜である。徒歩では三日ほど。

 昨日の朝に出発した後輩は、まだ国境には着いていないだろう。


(これを、届けるだけ)

 彼は自分に言い聞かせるようにして、厩舎から愛馬を引き出した。朝の空気に鼻を鳴らした彼女の鼻面を撫でてやって、彼は鞍を持ち上げる。背に鞍を乗せられた愛馬は、鞍を固定される間、前足で地面を繰り返し掻いていた。


(たった一言、別れを告げるだけ)

 彼は目を伏せて一度息を吐いた。それから鐙に足をかけ、一思いに体を持ち上げる。

「行くぞ、ネル」

 手綱を握って声をかけると、愛馬は機嫌よさげに鼻を鳴らした。



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